第49話
一人部屋を出て行った星一郎は、そのまま真っ直ぐ社長室へと向かった。
高級そうな黒革の椅子に腰かけると、引き出しから取り出した葉巻に火をつけて咥える。
机の上にはファイルが置かれており、無造作に開いて中に収められている資料に目を通す。
それは今度、【クオンモール】にてミニライブを予定されている新人アイドルのプロフィールである。
三人分の情報が載っている資料を、ただ無感情に見つめていると、扉がノックされて星一郎が「入れ」と許可を出す。
扉の向こうから「失礼致します」と男性の声が響き、そこから顔を見せたのは、ちょうど件の張本人でもある原賀であった。
「此度は、私の案件に手を煩わせてしまい申し訳ございませんでした」
何か言われる前に、原賀が丁寧に頭を下げた。
「よい。今回の件は私の望むことでもあった。それに【クオンモール】のお偉方にも、前にライブを行うという話を通してはいた。まあ口約束程度ではあったがな。だからちょうど良かったというわけだ。貴様はただ私の指示で動いたに過ぎぬ」
「なるほど。……しかし一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「手短にしろ」
「ありがとうございます。では、何故わざわざ此度のような面倒なことをされたのでしょうか?」
「わざわざ……か」
「はい。当初、我が社の新人アイドルのミニライブは、別の場所を予定されていたはず。それを突然【クオンモール】のイベントホールへと変えた理由が気になりまして」
「ふむ……貴様は私の選択に何か不満でもあるというのかね?」
「い、いえ! 出過ぎたことを申しました。申し訳ありません!」
鷹のように鋭い眼光に怯えた様子の原賀。あれだけ十羽たちの前では高慢な態度だったにもかかわらず、さすがに自分を雇う主の気迫には勝てないようだ。
「よい、質問を許したのは私だ。……そうだな。確かに出来事には理由が存在する。今回のことも例外ではない。一つ言えるとしたら…………確認、だな」
「確認、ですか? それは一体……いえ、己で考察して答えを出したいと思います」
「クク、それでこそ私が見込んだ男だ。ああそうだ。一つ面白い余興を奴らに受けさせた」
「余興……?」
星一郎が、篝に提案した条件を原賀に伝えた。
「……それは真に愉快なことですね」
「ほう、どう愉快かね?」
「社長は、前半の部で我が社のアイドルのミニライブを行うことを条件としました。その狙いは、後半の部で行う奴らの心を折ること」
「ふむ……」
「我が社のアイドルは新人ながらも、その実力はそこらの新人と比べても抜きんでています。その圧倒的な力で客を魅了する。そして奴らは現実を突きつけられる。自分たちと私たちのアイドルの圧倒的な差を。後半の部は言うなればトリ。客だってきっと期待することでしょう。しかしながら奴らは拙い歌と踊りしか見せられず、明らかに失望した客の顔を見ることになる。下手をすれば、途中で逃げだす者も出るかもしれません。さすがは社長です。どんな弱者相手でも手を抜かない。御見それ致ししました」
自分の社長の手腕に惚れ惚れしたと言わんばかりに、原賀の顔は興奮に満ちている。
対して星一郎は、紫煙を吐きながら見ていたファイルを閉じた。
「あとは貴様にすべてを任せる。滞りなく成功させるのだ」
「了解しました。この原賀馬玄、此度の任務、全力を賭して務めさせて頂きましょう」
楽しそうな笑みを浮かべながら、星一郎に一礼をしてから部屋を出て行った。
星一郎は椅子を回転させ、巨大な鏡越しに広がる東京の街並みを一望する。
「さて、絵仏の娘……このまま潰れるか、あるいは――」
そう独り言を呟く星一郎だったが、彼は気づいていない。
この部屋に、先ほどからずっと別の存在がすべてを見ていたことを。
そしてそれは、室内に設置されている本棚の上に、まるで置物のようにチョコンと佇んでいた。
形状はまさしくネズミ。ただし山吹色をした珍妙さの上、身体の表面がユラユラと、どこか炎のように揺れている。
ネズミの視線は、真っ直ぐ星一郎に向けられているが、彼はまったくその気配に気づいていない。
そんなネズミの見ている光景と、まったく同じものを目にしているのが、【スターキャッスル】のビルの向かい側にある喫茶店の中にいる俺――大枝六道だった。
一人用の席に陣取り、俺はコーヒーを飲みながら両眼を閉じている。現在、瞼の裏に広がる光景は、山吹色のネズミが見ている光景と同じ。
そう、この奇妙なネズミは、俺が魔力で実体化させた無生物である。
ただし魔力に感覚を通すことで、このように五感を共有することが可能なのだ。これは潜入や調査などで大いに役に立ってくれる能力であり、異世界でも随分と助けになった。
魔力なので、たとえ人が通ることのできない密室でも、僅かな隙間さえあれば侵入することができるので、こんなふうに室内での会話を盗み聞きすることなど容易なのである。
それにしてもと、俺は背もたれにゆったりと背を預けて溜息を吐く。すでに両目は開いたままだ。
「……やっぱ裏があったか」
そもそも交渉を受け入れること自体に疑問を持っていた。これほど大手なのだから、それこそ力ずくで押し通すことだってできたはずだ。
それなのにわざわざ交渉を受けたこともそうだが、その相手が原賀ではなく社長直々に担当するというのが疑いに拍車をかけた。
だからこうして何か理由があっての、今回の出来事なのではと調査に出たというわけだ。
結果は、黒。
思った通り、星一郎が企画したものだったことが判明した。
ただ残念ながら、原賀もそうだったが、何故星一郎が予定を変更してまで、わざわざ横入りという選択をしたのかは定かではない。
【クオンモール】の上層部と口約束があったとはいえ、別に急ぎではなかったみたいだしな。
彼も言っていた。出来事には理由が存在する。
つまり彼にとっては、横入りも、交渉自体も、そしてこれから行われる変則的な二つのライブもまた理由があるということ。
「……確認、か」
星一郎が口にしたその言葉。一体何を確かめたいのか……。
俺は喫茶店から出て、高く聳え立つ【スターキャッスル】のビルを見上げる。同時に、すでに魔力で構成したネズミも消失した。
原賀が予想した、こちらのアイドルの心を折る戦略。仮にそれが事実だとしても、そこまでして何故【マジカルアワー】を相手にするのか。
相手が名のある事務所ならばともかく、こちらはまだデビューもしていないアイドルしかいない小規模事務所だ。大手が警戒するような相手ではないだろう。
「ま、そうはいってもだ。……お前らの都合の良い結果になるとは思うなよ」
俺は一度ビルを一瞥すると、その場を静かに去った。
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