第43話

 俺もまだ修行が足りない。もう少しでキレて、このまま原賀がいるところまで出向いて、その舐め腐った顔面をぶん殴るところだった。


 これでも異世界で卑劣な悪党やらを相手にしてきたが、それに匹敵するほどの性格がひん曲がった奴である。ああいう奴はロクな死に方をしない。


「…………あの」


 不意にか細い声が耳朶を打つ。見れば、眼下には俺を見上げる夕羽がいた。


「そ、その……いつまで頭を触っているんですか?」

「おっと、悪い悪い!」


 慌てて彼女の頭から手をのけると、当の本人は若干照れ臭そうに顔を俯かせながら立ち上がる。そして手櫛で軽く自分の髪を撫でたあと、チラチラと俺を見てくる。


 マズイ。もしかしてセクハラで訴えられたり……? すまん、鈴音。お兄ちゃん、逮捕されるかもしれん……っ!


 冷や汗を流し、夕羽が何を言うのかドキドキしながら待つ。


「…………いつからここにいたんですか?」

「え? あ、えっと……ついさっき?」

「ついさっき……ですか?」

「事務所にいなかったから、どこに行ったのか捜しにきたんだよ。そんでここに居るのを見つけた。細かい会話は聞こえなかったけど、君の反応からして相手はもしかしたらって思ってな」

「それでいきなり私のスマホを奪って、ですか?」

「あー……マジですまない」


 確かに勝手に奪ったのは言い訳もできない。


「……別にいいですけど」


 どうやらそれについては怒りを覚えていないようでホッとした。


「でも、女性の頭に勝手に触れるのはセクハラです」


 やっぱりぃぃぃぃ!? そうだよな! 俺なんてことしてんだよ! そりゃ仲良くもない女の子の身体に触れるなんてダメだよな! ああ鈴音、お兄ちゃんはもうダメかもしれんっ!


 そうして今後の絶望的な展開を考え頭を抱えていると……。


「……ふふ」

「……へ?」


 何故か楽し気に笑う夕羽。そんな彼女を唖然として見つめる。


 この子、こんなふうに笑うんだな。


 撮影とかで微笑を浮かべるのを見たが、それはあくまでビジネスで作られたもの。し貸し今、彼女が浮かべるそれには、ただただ無邪気さだけがあって、とても魅力的な色で輝いていた。


「仕方ありませんね。これは貸しにしておきます」

「え……マ、マジで? 訴えない?」

「訴えてほしいんですか?」


 俺は勢いよく頭を左右に振る。


「それに……あなたのお蔭で、少しだけスッキリしましたから」


 危機を乗り越えたようで、俺は心の底から安堵していた。


 鈴音……命拾いしたよ。今度か気を付けるから、お兄ちゃんのこと応援してくれよな。


 まるで空の上から見守っているような感じで内心呟くが、そもそも鈴音は死んでいない。


「けれど、あんなに啖呵を切るなんて良かったんですか?」

「……うん、そこは心配してないかな」

「どうしてですか?」

「だって、君らが必死に頑張ってるのを知ってるから」

「……!」

「だからあんな奴程度に潰されるような君らじゃない。それに俺だって黙って好き勝手されるような育ち方はしてないしな」

「……ただのドライバーなのにですか?」

「はは、確かにドライバーでしかないけど、それでもできることはあるさ」

「…………変な人ですね」

「それよく言われるんだけど、そんなに変かなぁ」


 実際異世界でもよく言われた。俺としては思ったことを口にしているだけなのだが。


「でも相手は大手のライバル会社のプロデューサーですよ。この業界で敵に回すには、相手が悪いのは確かです。事実、権力も持っていますし、今回の横入りの件だって普通の会社では成立しないことだから」

「だろうな。どこの世界でも権力者ってのは厄介なもんだよ」


 特に群雄割拠の異世界では、権力を振りかざし、下の者たちを蔑ろにする連中が多かった。


「何とか退いてもらえないか頼もうとしたんですが、結果は……ただ無力だって突き付けられただけでした」

「けど、君は一人じゃないだろ?」

「え……?」

「君には頼りになるお姉さんや、一緒に頑張る仲間がいるじゃないか」

「…………」

「何も君一人が背負うことじゃないし、君一人が戦うような相手でもない。そうですよね、十羽さん?」 


 俺が振り向き声をかけると、壁の向こうからひょっこりと十羽が姿を見せた。


「あちゃあ~、バレちゃってた?」

「ね、姉さん!?」


 少し前からそこに隠れて様子を窺っていたことには気づいていた。


「まったく、あんたって子は、心配かけさせるんじゃないわよ」


 そう言いながら近づくと、そっと夕羽を抱きしめた。


「ちょ、いきなり何を――」

「一人で何でも抱え込むのは止めなさい」

「っ……姉……さん」

「あの時、約束したじゃない。絶対に夢を叶えるって。それって……あたしと一緒にって意味じゃなかったの?」

「……それは」

「もう一度言葉にしてみなさい。あんたの……ううん、あたしたちの夢を」


 俺も静かに夕羽が口を開くのを見守っていた。そして、意を決したように、彼女が言葉を発する。


「誰もが――誰もが認める立派なアイドルになって、私たちを見捨てたあの男を見返すこと」

「うん……その通り。けどその道はあんた一人じゃ絶対に辿り着けない。だからこれからはずっとあたしが、傍にいて支えるって言ったでしょ?」

「…………ええ、そうね。そうだったわね」




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