第41話

 事務所に戻ると、またも頭を抱えてしまう事態に遭遇した。

 それは言うなれば、社長の配慮の足りなさ。つまり失敗だろう。


 事務所にはずっと横森さんがいたのだが、今回の問題が起きた時に、彼女に伝えるのを忘れてしまっていたのだ。

 となるとどういう事態になってしまうか。


 当然デビューが決まった事実を、事務所に来たアイドルたちに伝えてしまうだろう。何せ伝えない理由がまったくないのだから。

 会場も決まっていたし、日程だって予定されていた。あとはその日に向けて、アイドルたちがデビュー曲を練習するだけ。


 しかしながら、ライバル会社の横入りのせいで、デビューが延期されてしまう状況。

 事務所に入ってすぐに、意気揚々としたアイドルたちに出迎えられ、そこで社長が自分の失態に気づいてあわあわとなっていたのはちょっと面白かった。


 だが黙っているわけにもいかずに、十羽が皆を落ち着かせて説明をしたのである。

 そして話が進むにつれ、どんどん皆の表情が陰っていく。


「――何よそれ! 冗談じゃないわよ! こっちから直接向こうの社長に文句言ってやるわっ!」


 そんな中、真っ先に激昂し、スマホを持ち出したのは空宮だ。


「ちょい待ち、タマモ」

「何よ、十羽! アンタだって腹が立ってるでしょうが! しかもまたアイツが絡んでるんでしょ! こっから消えてもまだ迷惑かけてくるなんて、もうマジでさいっあくっ!」


 アイツとは当然原賀のことであろう。


「もちろんよ。けど、怒鳴ったって向こうは聞く耳なんて持ってくれないって。特にあたしたちみたいな小娘の話なんてね」

「っ……な、ならママの名前を使えば――」

「そう言うのが嫌だから、反対を押し切ってアイドルになったんじゃなかったっけ?」


 十羽に言われ、悔し気に口を噤む空宮。


 ……母の力? 空宮が頼ろうとするってことは、それだけの力を持ってるってことか?


 それに気になったのは、頼るのが嫌だからアイドルになったということ。

 どうも空宮にも複雑な過去があるらしい。


「え、えと……つまり、私たちはデビューできないってこと……ですか?」


 緊張感が張りつめる中、恐る恐るといった様子で月丘が発言した。それに答えたのは社長だ。


「いいえ、必ずデビューさせるわぁ。そのためにみーんな頑張ってきたんだものぉ」

「で、でも実際のところどうするんですか社長? 何か良い方法はあるんですか?」


 横森さんの問いに、社長はモールで言っていたように交渉の件を口にした。

 それでも空宮の表情は優れない。交渉がまともに受け入れられるとは考えていないのだろう。


 俺も会ったことはないが、あの原賀を重宝するならば、一癖も二癖もありそうな人物かもしれない。そんな相手とまともに交渉ができればいいが……。


「とりあえず非は向こうにあるからねぇ。そこを突けばお互いに納得のいく落ち処を見つけられる可能性だってあるわぁ」

「ていうか社長、書類契約とかしてなかったわけ?」


 空宮の疑問だが、確かに書面で先にこちらがイベント契約をしていれば、向こうを叩き伏せることができるだろう。

 しかし社長が申し訳なさそうに首を振る。


「確かに書面を交わしてるんだけどぉ」


 そう言いながら皆にファイルを見せてきた。その中には書類が収められており、今回のイベントについてのものだ。


「…………は? これって契約書っていうより、許可証じゃない!?」


 空宮の叫んだ通り、書類に書かれている内容は、イベントホールの貸し出し許可証であり、破れば違約金などが発生するような契約書ではない。

 こちらが相応の金を支払うことで、ホールの使用が許可されるという旨。これさえあれば、空きができ次第、可能な限り優先して席を設けてもらえる。


 確かに書面では可能な限りとは書いてあるものの、絶対優先権というわけではなく、向こうの意向が大いに反映される内容なのが分かる。


「何でもっとガチの契約しなかったのよ!」

「だ、だってぇ……こんなことになるとは思わなかったのよぉ……ごめんねぇ」


 空宮の言う通り、予定日に必ず使用できる権利を得ていれば、向こうだっておいそれと違えることもないだろうし、もし反故にするのなら相応の見返りだって要求できたはず。


 しかしこの許可書では、マナー違反にはなるかもしれないが、法的にはほぼ力を持たないだろう。


 社長って、意外と抜けてんだなぁ。まあ、人が良いって言ったらそこまでだけど。


 俺的には好感覚えるが、こういう人は騙されやすい。また利用されやすい。群雄割拠だった異世界に放り出されたら、きっと瞬く間に食い潰されてしまうタイプだろう。


「タ、タマちゃん……社長さんだって、わたしたちのためを思って頑張ってくれてるよ? だ、だからね、あまり責めないであげてほしいな?」

「っ……そ、そんなこと分かってるわよ、小稲。だからそんな泣きそうな顔しないの!」


 強気な彼女も、親友の涙には弱いらしい。


「ん……しゃちょうは……ときどきドジだけど…………いいひと」

「そうです! しるしちゃんの言う通り! 私たちは社長さんのお蔭で、ここにいられるんですから! だから落ち込まないでください!」

「しるしちゃん……姫香ちゃん……ありがとぉぉぉ~」


 ちょっと頼りない面もあるが、こんな人だからこそ彼女たちは慕っているのかもしれない。


「わたじぃ……じぇったいにぃ…………みんにゃをでびゅぅーざぜるがらねぇぇぇ」


 皆の想いに感極まったのか、良い大人が泣きじゃくっている。

 横森さんも十羽さんも呆れたような表情だが、どこか嬉しそうでもある。

 しかしその時、不意に気づいたことがあった。


 ……あれ? 夕羽さんは?


 確かに先ほどまでこの場にいたはずの彼女がいなかったのだ。


 一体どこに……?



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