第26話
数日後、アイドルたちの送迎や雑用も大分慣れてきたが、日を追うごとに深まる謎もあった。
それは我が愛しの妹からの止むことなき辛辣なメッセージである。
俺が就職したことは、叔母さんから聞いたらしいが、何故かいまだに『変態』やら『女たらし』など、まったく身に覚えのない言葉のナイフを毎日突き刺してくるのだ。
理由を問い質してみるものの、それくらい自分で判断しろという無理難題まで放り投げてくる。叔母さんに聞いても、勝手に教えると鈴音に怒られるということで断られた。
これは一度、近々鈴音に会いに行く必要がありそうだが、嫌われていることを自覚しているので、まともな会話をしてくれるか不安だ。
まあ、妹のことはおいおいどうにかするとして、現在俺は……というか、俺たちはもう一つの問題を抱えていた。
それは本日も、アイドルたちを事務所に送り届けて、しばらく所内で雑用をしていた時のことだ。
突如事務所に電話が鳴り響いたと思ったら、それに出た横森さんが顔を真っ青にして、真剣に電話の向こうの相手の声を聴いていた。
そして電話を切ると、すぐにその足で社長室へと向かって行き、しばらくするとまた戻ってきて、何故か俺に社長が呼んでいるから来てほしいという要求を口にした。
一体何事が起きたのだろうと思い、言われた通りに社長室へと行くと、困ったように思案していた社長から語られた。
その内容は、十羽が仕事先で怪我を負ってしまい病院に運ばれたということ。
何でも車を走らせてる最中に、トラックに衝突されてしまったらしい。
しかも後部座席には、彼女の妹である夕羽も乗っていた。
幸いトラックが衝突したのはフロント部分であったため、夕羽は無傷だったようだが、十羽は頭や身体を強打し意識を失い、すぐに夕羽が救急車を呼んで運ばれたということだ。
すぐにそのことをアイドルたちに伝えた社長。その後は、横森さんは事務所に残して、彼女以外を俺が運転する車に乗せて病院へと向かった。
本来なら今日、少し遅れたが俺の歓迎会を開く予定だったらしいが、さすがにこの状況では無理だろう。
そうして病院に到着し、十羽がいる個室へと皆で足を運ぶと、そこには静かに横たわる十羽と、その傍で心配そうに姉を見つめている夕羽がいた。
俺たちの存在に気づいた夕羽に、社長が容体を尋ねた。
「主治医の先生は命には別状がないと仰ってくれました。ただ、頭を強く打っているので、しばらくは安静にした方が良いと」
それを聞いて、不安そうだった社長たちも、とりあえずはホッと胸を撫で下ろした。
月丘たちが、ベッドを囲うように立ち、それぞれが十羽の名を心配そうに呼ぶ。彼女たちにとっても、頼れるお姉さんだったようで、この事件はかなり衝撃的だったろう。
すると、皆の声に呼応するかのように、閉じていた十羽の瞼が震え、ゆっくりと上がる。
「…………あれ?」
「姉さん!? 姉さん、分かる?」
「……夕羽? あたし……ああ、そっか。事故ったの思い出した」
聞けば、彼女の運転にはまったく非がないことが分かった。相手のトラックが信号に気づかずに突っ走り、そのまま激突してしまったようだ。
トラックの運転手は、今頃警察で事情聴取を受けているとのこと。十羽についても、目が覚めて落ち着けるようになったら話を聞かせてほしいらしい。
「まったく、十羽も運が無いわね。日頃の行いが悪いせいじゃない?」
「はは……言ってくれるわね、タマモ」
キツイことを言う空宮ではあるが、事故のことを聞いて一番不安気な表情をしていたのは彼女だ。こうして軽口を言えるということは、心の底から安堵している故だろう。
「社長、ごめんね。迷惑かけちゃった」
「何言ってるのよぉ。無事だったんだからそれだけでいいわぁ。しばらくは安静にしてねぇ」
申し訳なさそうに苦笑する十羽が、今度は俺の方にも視線を向けた。
「大枝くんもごめんね。せっかくの歓迎会がダメになっちゃって」
「いえ、お気になさらず。だからどうかご自愛してください」
別に歓迎会がおじゃんになったとしても苦ではない。むしろ女所帯に男一人で食事会というのは、どこか気まずい感じもあったので、このまましれっとなくなっても問題はない。
「ありがとね……って、そういえば今何時!?」
突然時計を探すようにキョロキョロし始めた十羽。それに一番早く答えたのは月丘だった。そして「もうすぐ午後二時半です」と聞いた十羽は、即座に顔を夕羽へと向ける。
「ちょっと、三時まで時間ないじゃない! 夕羽、撮影は!?」
そういえば、今日は前に夕羽が受けた有名雑誌のモデルのオーディションで勝ち取った撮影が午後三時から予定されていた。
「こんな時に仕事の心配はいいわよ」
「良くないわよ! あたしのせいで、せっかく合格した仕事を蹴るなんて……っ」
横になっていた彼女だったが、勢いよく起き上がって怒鳴ったせいか、身体に痛みが走り顔をしかめた。
「姉さん! ちゃんと安静にしてないと!」
「い、いいから! いいからあんたはさっさと仕事に向かいなさい!」
「…………こんな時に仕事なんてして――」
「あんたはプロでしょ?」
「!? …………姉さん」
「この業界、仕事に穴を開けるというのは、あんたが思っているよりもとても大きなことなの。それがたとえどうしようもない事情だったとしてもね」
「それは……でも」
「ここからじゃ、早くてもニ十分以上はかかっちゃうし、今日は土曜日で道も混むから遅刻は免れないかもしれないけれど、それでもあんたは無事なら行くべきよ。自分がプロだと胸を張りたいなら、ね」
「…………分かったわ」
釈然としないながらも、姉の言い分に首肯する夕羽。多分十羽がこんなにも厳しく言うのは、自分のせいで妹の評価が落ちることを気にしているのだろう。
事故なんて仕方ないことに間違いないが、この業界で〝運が悪い〟というレッテルを貼られると、大きな不利になってしまうことを痛感しているようだ。
すると、夕羽が席を立ってどこかへ行こうとする。そこへ待ったをかけたのは社長だった。
「夕羽ちゃん、もしかしてタクシーを呼びに行くつもり?」
ここで電話をかけるのはマナー違反と理解しているようで、外に出て夕羽がタクシーを呼ぼうとしていたことに気づいたらしい。その証拠に、夕羽も「はい」と応じた。
「今からタクシーを呼んでも来るまで時間かかっちゃうでしょ? 同じ遅刻でも、より早く着いた方が良いんじゃないかなぁ?」
「……まさか」
社長の言いたいことを察したようで、険しい顔つきで夕羽だけじゃなく、全員が俺を見てきた。
「ここにはすぐにでもあなたを運んでくれるドライバーさんがいるじゃない」
「っ……お断りします」
やはりというか、夕羽は俺を頼りたくはないようだ。
「――夕羽、今は駄々をこねるのは止めておきなさい」
「ね、姉さん……」
「さっきも言ったわ。プロの自覚があるなら、今、何を優先すべきか分かるでしょ?」
「……っ………………」
何か言いたそうな夕羽だったが、俺を一瞥すると、その視線をずらしながら何かに耐えるように発言する。
「……送ってもらえますか?」
本当は嫌なのだろうが、自分の気持ちを曲げてでも頼んできた彼女に対し俺は……。
「もちろんだ。それが俺の仕事だからな。みんなも……良かったらついてきてくれないか?」
俺がアイドルたちにそう言うと、夕羽が驚いたような表情を浮かべるが……。
「もっちろんです! 何でもお手伝いしますよ、ドライバーさん!」
「仕方ないわね。これは貸しにしておくわ。当然六道へのね」
「わ、わわわわたしもみんなと一緒に行きましゅ!」
「……しるしも……いく」
月丘、空宮、小稲、そしてしるしも賛同してくれた。
「じゃあ私はここに残るわねぇ。十羽ちゃんのお世話も任せてぇ」
これから主治医の説明とか、警察への対応とかがあるだろうから、責任者である社長がここに残るのは自然の流れだろう。
「じゃあさっそく向かおう」
「「「「はい!」」」」
そうして、俺たちは病室を出て行った。
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