第25話
「――オーディション、今回もいけそう?」
大部屋の控室で、隅っこに椅子を置き、そこに座る私――八ノ神夕羽にそう聞いてくるのは姉の十羽だ。
姉は私の傍に立ったまま、腰に手を当てている状態である。
「いつも通りよ。別に変わったことはしないし、人事を尽くして待つだけよ」
今日は有名モデル雑誌のモデルオーディション。オーディションは初めてではない。いつも通り向こう側が要求するスタイルを明確に表現しただけ。
初めの頃は当然勝手が分からなかったが、これでも事務所に所属して一番の古参であり、オーディションも数多く受け続けてきた。その経験から、どうすれば合格できるか何となく察することができるようになった。とはいっても、モデルオーディションだけではあるが。
しかし他の所属アイドルたちと比べると、自分の立場は一応恵まれたところにあるのは理解しており、自分の仕事が、いずれ他の子たちの仕事へと繋がると信じて続けている。
「ま、今回もあんたにあったコンセプトだし、普段通りにできたなら大丈夫だろうね。けどたまには冒険してキュート系の雑誌にチャレンジしてみたら?」
「嫌よ。私に合うとは思えないもの」
「じゃあギャル雑誌とか?」
「ギャルになった私とか想像できるの?」
「できるわけないじゃん」
「……だったら今の提案は何よ、まったく」
こんな感じで、姉は適当なノリで話してくることが多い。もっと真面目に私のことを考えてほしいのだが。
「それにしてもオーディションの控室って、いつもピリついてるから慣れないのよねぇ」
室内を見回す姉。
そこには私以外の参加者たちが各々時間を過ごしている。緊張しているのか、しきりに水を飲んだり、ソワソワしたり、マネージャーらしき人と深刻そうに話したり色々だ。
さすがにモデルオーディションというだけあって、ルックスに光るものを持つ女性たちが集まっている。
特に有名雑誌ということもあって、それぞれから熱の入った気合のようなものを感じる。中にはライバルを睨みつけている人もいて、その空気感は非常にピリついていた。
「あ、そういえばさ……あの子、どう思う?」
「あの子? 誰?」
「ほら、新しいドライバーの」
ドライバーと聞いて、思わず顔をしかめてしまう。そこには明らかな怒りが込められていることに、間違いなく姉は気づいていることだろう。
「別に……私には関係ないわ」
「何でよ。いずれあんたも送迎してもらうことになるでしょうし」
「っ……そんなことをされるくらいなら自費でタクシーを使うわ」
「わお、そんなに嫌?」
「逆に聞くけれど、信用できると思うの? あんなことがあったのに」
「でもアイツと今のドライバーの子は関係ないじゃない。それに他の子たちは、そんなに嫌ってないみたいだし」
「一緒よ。同じ男で、同じドライバー…………そう、同じよ」
どうせ最初だけ。いずれ化けの皮が剥がれる。
「けど、いつまでも根に持ったってしょうがないじゃない。嫌なことは忘れて前に進む方が気楽よ?」
「信じたら裏切られる。そうでしょ? それにあの人を連れてきたのは姉さんじゃない。それなのに凝りないのね」
「っ…………」
キッと眼を鋭くさせて姉を睨みつけるが、姉はどこか寂しそうに微笑むだけだ。そんな表情を見てハッとしてしまう。
「ご、ごめんなさい……言い過ぎたわ」
「……はぁ。ま……一番傷ついたのはあんただもんね。そう簡単にはいかないか」
大げさに肩を竦める姉は、水が入ったペットボトルを私に手渡すと、「オーディション頑張んなさい」と言って部屋から出て行った。
悪いことを言ってしまった。あの出来事で傷ついたのは姉も同じなのに。
そう、姉さんは一番傷ついたのは私だと言ったけれど、裏切られたのは私だけじゃない。姉さんも同じように傷ついているはずだ。それなのに……。
「……まだ子供なのね」
このすぐに昂ってしまう感情をどうにかしたい。いつまでもこのままだと、到底私の……いや、私たちの夢を叶えることなんでできるはずがない。
そうだ、あの時、誓ったのだから。
その夢を叶えるためには、いつまでも子供ではいられない。
「…………新人ドライバー」
不意に例のドライバーのことを思い出した。まだ一度しか顔を合わせていない人。
頼りなさそうな細身で怖めの顔立ち。けれどどこか姉に通じる底が見えないような雰囲気を持った男性だった。青年というよりは少年に近い面立ちではあるが、それでも何故かもっと大人びた印象を受けた。
あの人も、目つきが鋭く、細身で大人びた雰囲気を持っていた。だからか、新人ドライバーを一目見て、思わず敵意が膨らんでしまったのである。
正直悪いことをしたのはこちらだろう。向こうは何も知らない就職希望者だったはずだ。そして、あの社長が絶大な信頼を寄せる先輩の甥だと聞いた。性格も良いということも。
しかしどうも心が拒絶してしまう。反射的にあんな態度を取ってしまったということは、姉の言う通り、自分は過去を振り切ってはいないのだろう。
いつまでもズルズルと…………本当に子供みたい。
「――36番から40番の方、準備をお願いしまーす!」
扉を開けて、向こう側からスタッフの声が室内に響く。40番の札を持つ私が呼ばれた。
軽く溜息を吐いて、立ち上がりペットボトルを椅子の上にそっと置く。
今は他のことを考えている場合ではない。せっかく姉が取ってきてくれたオーディションだ。落とすわけにはいかない。
私は意を決して、控室からオーディション会場へと向かっていった。
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