10月9日②
「おはよう」
リビングに、私の声が通り抜ける。
おはよう、と返す妻を確認し、テーブルに着く。出されたコーヒーに口をつけ、新聞に目をやる。
『10月9日』
そう書かれた新聞の向こうに、見慣れた服装で妻が腰掛ける。
「今日は早く仕事が終わりそうだから、夕飯を食べにいかないか?」
未来を犠牲にして得た今を、私は胸を張って生きている。
神様はきっと、辛い日々に耐えた私に、この終わりのない幸せを下さったんだ。
ならば何日でも、何度でも、妻が笑える日常を作ろう。
それが私の出した答えだった。
幸い、妻の予定を変えてさえしまえば明日は来ないらしい。
ならばと、10月8日にレストランの予約を確保した。私たち夫婦にとっての永久予約だ。
仕事の進捗も、周りへの気遣いも必要ない。
ただ妻と、楽しい食事を楽しむだけでいい。
これが今出せる正解なんだ。
そう信じて、私はいつものレストランへ急いだ。
「あの時君が言わなかったから」
「違うわ、あなたが決めたのよ」
ちょっとした記憶違いから、ちょっとした口論になった。この生活が始まって初めての口論。
お酒の席での、よくある小さな言い合いだ。
しかし内容が良くなかった。
帰るべき家が居辛い檻になったきっかけ、不妊治療について。
結婚してしばらく、私たちは子宝に恵まれなかった。
検査も受けたが、それぞれの身体に問題は見つからず。
妻は基礎体温をつけ、タイミング療法なるものを開始した。それでも思うような結果は出ず、焦りだけが膨らんでいった。次第に基礎体温の知らせが怖くなり、2人の関係もぎこちないものになっていった。
数回目の人工授精を試みた後、妻は精神状態が不安定になり、仕事を辞め、治療も中断した。
「あたしは早く治療を再開したかったのよ…」
最後に呟く妻の言葉に、私は何も返せなかった。
いつものように会計を済ませ、タクシーへ乗り込む。
妻はそっぽを向いたまま、一言も言葉を発さなかった。
明日からは気をつけよう。
そう心に決めて眠りについた。
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