混浴の魔力


コットペルの自警団へ加入することが決定したものの、死刑執行が残した傷は深く、病院で施された回復魔法だけでは完治に至らなかったため配属は二週間ほど先になった。


 もっとも、すぐに左腕を時魔法によって巻き戻したため、既に健康体なのだが。


 自警団は俺とサルのために借家を借り上げてくれていたため、衣食住の心配をする必要が無くなったのは有難かった。


 ちなみにサルのやつは、借家でずっとごろごろしているかと思えば、鉄くずを拾ってきて覚えたての彫金魔法をあれこれと試していた。案外努力家なのかもしれない。




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 こうして明るい時間にコットペルの街を歩くのは初めてだった。足元は石畳できちんと舗装されているし、清らかな水が町中の水路を流れていた。積荷を引いた馬車もいくつか往来しているのを見かけたので物流も盛んなのかもしれない。


 今日、俺が足を向けたのは街の北側にある大衆浴場だった。いわゆる銭湯というやつだ。ここはペルズブラッドの醸造所が経営していて、麦汁の沸騰釜から出た蒸気を熱源として利用し、湯を温めているらしい。



 煉瓦造りの建物の中へ入った俺は信じられないものを目にして、その場に立ち尽くした。


「こっ、ここ、こっ、混────」


「こんにちは!」


「うあっ!?」


 振り返ると客と見られる綺麗な女性が一人立っていた。


「もしかしてここは初めてですか?」くすりと笑って女は俺に訊ねた。


「ああ。ここはその、えー、男女一緒に……入浴を?」


「ええ、そうですよ」女は微笑んだ。


 この女性に勘違いされたくはない。俺は酒造に密接したこの土地の風土を肌で感じるためにここへ足を運んだ。決してやましい気持ちからではないのだ。


 ならばここは引き下がろうとも考えたのだが、もしかするとこの地域では男女で浴場が分かれている方が珍しいのかもしれないし、それはそれで風土を感じられるのではないかと、瞬時に自分を納得させる大義名分を見出すことは実に容易かった。


 吃りながらも「よくここには来られるんですか?」と訊ねると彼女は「ふふっ、毎日来てます」とまたにっこり笑った。可憐だ。


 建物の奥へ歩みを進めると、同様に彼女も後ろをついてきた。浴場の入口には料金箱が置かれていて、そこへ入浴料の150Gグレンを投入する仕組みだ。


 その料金箱に料金を入れ、麻の暖簾をくぐると、先程の女性も料金を入れて暖簾をくぐってきた。


「それでは、またあとで」女性は小さく会釈をして脱衣所へ消えていった。


 さすがに脱衣場は男女分かれていて、その先に浴場があるみたいだった。


 脱衣場で乱暴に衣服を脱ぎ捨て、高鳴る鼓動を抑えつつも俺は浴場へ続く戸を引いた。


 街を歩いていて美しい女性を見かけることはしばしばあることだが、その女の人とこれからすぐに、それも合法的に入浴出来る幸運などそこらに転がっているわけが無い。紛れもなく僥倖だ。


「────おおっ」思わず感嘆の声が漏れる。


 少し古くなってきてはいるが浴槽の周囲は頑丈そうな木製の板が敷き詰めれ、浴槽は岩で造られて非常に趣きのある風合いを出している。


 さっと辺りを見回すと客は老齢の男性が一人と老齢の女性が一人で、自分を含めて三人だけのようだ。こういったことは混浴の風呂にはよくあることで、期待する方がどうかしてる。


 だが今回に限っては違う。ともかく今は約束された勝利を湯に浸かって待つとしよう。











 湯に浸かって三分ほどたった頃だった。


「─────待っていても来んよ。スケベ心が透けて見えるようじゃの、お若いの」対面で湯に浸かる老婆は俺に向かって言った。


「なっ、なっ、何のことでしょう」図星を突かれた気分だった。


「こんなババアの裸ですまんのう。これでも若い頃は結構評判の女じゃったんじゃが、今となっては老いさらばえるのみよ」寂しそうに老婆は言った。


 まるで俺が女性の裸を見るためにここへ来たみたいな言い方はやめて欲しいものだ。真の目的はこの土地の風土に触れるため。実に健全な理由だ。


「あの……失礼ですが、お歳はお幾つになられるんですか?」なんとなく気まずくて口をついた。


「これこれ、年寄りにそんなしかつめらしい態度で話すもんじゃない。わしらなんぞどうせすぐ死んじまうんじゃからもっと適当でいい」


 もう少しフランクに接して欲しい、ということだろうか。


「おや、質問に答えてなかったの。わしは今年で九十七になる」と老婆は付け加えた。


「九十七あ!? もしかして、この浴場までは歩いて?」


「そうじゃよ」


「なんて元気なばあさんだ……」


 そこからしばらくの間、会ったばかりのご老人と湯に浸かって話をした。彼女は聞き上手で、不思議と自分から身の上を話してしまう魅力がある。危うくから話してしまいそうだった。





「────それじゃ俺は上がる、またな。ばあさん」


「気をつけて帰るんじゃぞ、お若いの」老婆は皺だらけの顔で微笑んだ。


「ハハ、それはこっちのセリフだよ」


 何十年も前に死に別れた祖母のことを思い出して、少しだけ寂しい心持ちになった。




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 脱衣所から出て、暖簾をくぐると自分と同じタイミングで脱衣所へ入ったはずの女性が入口の辺りに立っていた。


 こちらに気がついた彼女が「ありがとうございました」と言ってお辞儀をしてきたところで俺もやっと察した。


「『またあとで』ってのはこういうことかよ」


「ひょっとして、あたしのことをお客さんだと思ってしまいましたか?」


「そりゃそうだろ、ご丁寧に入浴料を箱に入れてたしな」


 この大衆浴場の従業員だというのなら、わざわざ料金箱に硬貨を投入するはずが無い。この女が俺の愚かな勘違いを誘うためにわざと音が聞こえるように硬貨を入れたことを思うと、悔しさが滲む。


「ふふふ、すみません。期待させちゃいましたね。その割には随分長くお楽しみだったじゃないですか」女は意地悪そうに笑った。


「チッ……風呂はまあ、よかったよ。長風呂だったのは中で会ったばあさんと少し世間話をしてただけだ」


「ああ、クレアさんですね。よくいらっしゃるんですよ。なんでも昔は国選魔道士にも選ばれたことがある魔法の使い手だったらしいですよ」


「へぇ、あのばあさんがねぇ……まあ、とにかくもう俺は騙されないからな」なんて惨めな言葉を吐くんだ俺は。


「騙すなんて人聞きが悪いこと言わないでください。あたしも月に数回はここで入浴してますし、今日はたまたまやらなきゃいけないことを思い出しただけで……」


「うっ、嘘をつくな!」吐き捨てるようにして俺はその場を足早に立ち去った。


「お兄さーん、また来てくださいね~!」



 クソが。騙された。


 首だけで少し後ろを振り返ると、彼女はとびきりの笑顔でまだこちらへ向かってひらひらと手を振っていた。


 認めたくはないが、案外俺はまた騙されるかもしれない。

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