ファーストコンタクト

タリスが小屋を飛び出して行ってからしばらくして、激しい後悔に襲われた。外から聞こえてくる阿鼻叫喚の喧騒がそれを加速させる。






 轟音と共にみすぼらしい小屋の屋根は吹き飛び、砕け散った木片と砂埃に目が霞む。


 眼前に立ち塞がる自分と同じ二足歩行の生き物を俺は見上げた。体長は人の三倍はありそうだ。


 どんな光も吸い込んでしまいそうな漆黒の体表、真っ黄色の瞳、鼻も口もない顔がこちらを覗き込み、鞭のように長い腕がだらりと垂れて、股の間には蜥蜴の尾に鎧を纏わせたような、硬質化した尻尾が覗いている。


 砂埃が晴れ、ところどころ紅に彩られた村の景色が目に飛び込んでくる。そりゃあ、そうだ。こんな化け物にただの人間が勝てるわけが無い。


 化け物は掛布団みたいに大きな掌で、俺の胴を鷲掴みにして顔のあたりまで拾い上げた。万力のような力強さに肋骨が軋む。そいつの真っ黒な顔の中にぽつりぽつりと配置された真ん丸の瞳は宝石みたいだった。


 化け物の肩口から向こう側に見える景色はもう滅茶苦茶だ。広場は蹂躙され、篝火の炎もなぎ倒されて、近辺の壊れた家屋へ燃え移っていた。きっとあのあたりに骸になったタリスや長老もいることだろう。


「きゃあああああっ!!」重しが解かれ、封が切られた地下室から這い出たリベットは、喉が潰れそうなほど悲鳴をあげた。


 無理もない。彼女はきっと、自分は地獄に落ちたと信じたことだろう。


「アクセラ」


 巨人の掌中、あのいけ好かないクレイグのやつに刻みつけられた言葉を唱えると、今にも俺を握り潰さんとしていた化け物はドロドロに腐敗し、やがて塵芥となって消えた。


「な……っ、ショウさ……ん?」リベットはその場に座り込んだ。


「…………ここはいい村だよな。みんな優しい人ばかりだ」


「い、今のって」リベットは恐る恐る俺の顔を見た。


「時魔法って言うらしい。禁術に指定されてるんだろ?」クレイグに刻み込まれた記憶を頼りに俺は言った。


 腰を抜かして座り込んだ少女に俺はゆっくりと歩み寄り、手を差し伸べる。


「ひっ、ひぃ…っ、来ないで!!」リベットは俺を怯えた瞳で見つめたまま、身を捩って必死に俺から遠ざかろうとしていた。


 ああ、ここでも俺は疎まれるっていうのか。


 ふと夜空を見上げるとオリオン座も南十字星も無い、全く知らない天体たちが俺を見下ろして瞬いていた。



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「───なんだよ、ショウ!もう行っちまうのか?」上機嫌のタリスは俺と肩を組んでいた手で、背中を乱暴に叩きながら言った。


「この辺りは夜になるとシーズがうろつくこともある、何も祭りの最中に出て行かんでもええじゃろうに」と長老。


「そうだよショウさん、今晩はうちに泊まっていきなよ。お兄ちゃんは篝火の当番でしばらく帰ってこないし」浮かれ顔のリベットは俺の腕にしがみつきながら言った。


「いや、急ぐ理由が出来たんだ。また今度来た時にするよ、リベット」


「え~~っ」リベットは膨れっ面になった。


 このあとすぐ夜明けを待たずに俺はこの村を出た。気のいい村人達はこの辺りの地図と水が入った水筒、夜道を照らせるようにと発光石の首飾りを持たせてくれた。ここから一日ほど歩くと最寄りの街へたどり着けるそうだ。


 どうやらクレイグに与えられた俺の使命は"シーズ"とかいう化け物を駆逐することらしい。そいつらがクレイグが言うところの"水槽に蔓延ったアオミドロ"なんだろうが────嫌なこった。


 あいつは俺のことを藻を食べる"ヌマエビ"に喩えたが、的外れもいいところだ。ヌマエビは藻を嬉々として捕食するかもしれないが、同じように俺があの化け物を駆逐してやる必要性なんてどこにも無い。


 俺は俺のやりたいようにやる、だからこの村ごと


 時を巻き戻す魔法は人の記憶にすら干渉するらしい。アイラの村で起きた破壊と共に、彼らの記憶はコントロールキーとZキーを同時に押したみたいに少し前の状態に戻った。


 クレイグが言ったように人間に魂など無く、ただただデータとそれを読み込むドライブがあるばかりだということを信じざるをえない。


「痛って………流石に革靴はきついか」街道の脇にある岩へ腰を下ろして独りごちる。


 手をかざすと、アキレス腱のあたりに出来ていた靴擦れは綺麗になくなった。


 いくら怪我や疲れを知らぬとはいえ、こう暗くては地図に示されたルートを外れてしまうかもしれない。日が出るまではここで眠ることにする。


「────ああクソッ、酔いも巻き戻ってる」



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