冷暗室の魔女

「さっ、さむっ」


 梯子の先の石室は想像を絶するほど冷え込んでいた。これだけの冷蔵条件ならば、麦酒もさぞかし保存がきくことだろう。


「ローゼばあちゃんはこの先だよ」タリスはほの暗い廊下の先を指さした。


 廊下にはほんのりと黄色く淡い光を放つ点がいくつもあり、全くの闇であるはずの地下室を照らしていた。


「ばあちゃん?」


「ああ、別におらのばあちゃんってわけじゃないけどな。村じゃそう呼ばれてる。ここにずっと住んでんだ」とタリスは語った。


「住んでる……ってこの地下にか?」


「そ!」リベットが手短に答えた。


 とするとここは冷暗所であり、ご老人の住居でもあるということなのだろうか。だとしたら信じ難い生活だ。


「ローゼばあちゃんは異常な暑がりなんだよ。だから一年中ここにいる変わった人でなァ。おらを含めた村の連中はいつでも冷えた麦酒が飲めるから、喜んでここへ食い物を運んでやってるんだよ」とタリス。


「───やかましいねえ!!他人ひと様の家に上がり込んでベラベラと」扉の開く音と共に怒号が飛び込んできた。


「いやあ、すまねえなローゼばあちゃん。久しぶりだよ、元気してたかい?」恥ずかしそうにタリスは頭を掻きむしった。


「元気だよ、アンタも元気そうだね小僧」ローゼはしわくちゃの顔でタリスを睨みつけた。


「ばあちゃん!」リベットは明るい声でローゼに声をかけた。


「おぉぉぉ、リベットかい?少し見ないうちに垢抜けたねぇ。花ざかりとはこのことだよ、おいで」


 リベットはローゼの招きに応え駆け寄ると、誇らしげに頭を撫でられていた。


「………兄妹で扱い違いすぎないか?」


 相変わらず"まいった"とでも言いたげにタリスは後頭部の辺りを掻きむしっているだけだった。


「───それで、その男は誰だい」鋭い視線が俺に注がれている。


「こいつはショウってんだ。さっき会ったばかりだけど、多分いいやつだよ、うん。ローゼばあちゃんの氷の魔法が見たいってんで案内したんだよ」


「魔法が見たいだって?別に珍しいもんでもないだろうに」ローゼの疑念は眉間に皺を拵えた。


「それがこいつあ、魔法を知らねえみてえなんだ。ニホンとかいう国から来たみてえなんだがよ、きっとニホンは魔法の無い国なんだろうよ。ひとつみせてあげちゃくれねえかな」とタリス。


「ふうん……………こっちへきな」ローゼは品定めするように俺の目を暫く見つめたあと、手招きをした。


 俺は注がれた時より冷えた麦酒を身震いしながら全て飲み干し、廊下の奥へ進んだ。


 奥の部屋には手入れの行き届いた寝具と、木製の小さなテーブル、使い古された安楽椅子がひとつだけ置いてあった。およそ娯楽と呼べるものはないように見える。


「タリス、廊下の小部屋から水の入った子樽をひとつもっておいで」ローゼはタリスが部屋に入る前に彼に命じた。


 入った部屋の中は廊下で見た黄色く淡い光を放つ光源が天井にあしらわれ、廊下と同様に暗闇を照らしていた。


「この光は?」俺は思うがままに訊ねてみた。


「あんた本当に魔法をしらないのかい……?これは"発光石"と言って、魔法力を蓄えて光に変える鉱石さ」とローゼ。


「魔法力を光に……」


 光を蓄えて暗闇で淡く光る蓄光塗料のようなものだろうか。


「ローゼばあちゃん、持ってきたよ」小さな樽を抱えてタリスが戻ってきた。


 ローゼは水が入った子樽を金属製のスプーンの柄でこじ開けるとこちらへ樽を差し出してきた。


「酒ばかりで肝が疲れたろう、一杯どうだい」とローゼ。


 促されるがままに空の木製タンブラーを差し出すと、傾けられた樽から透明な水が注がれるところだった。


「えっ!?」


 注がれるはずの水は蒼白い光を放ち、タンブラーに収まる前に時を停めたかのように分子の流動をやめた。


「カカカッ!引っかかったなあ、客人よ」意地悪そうにローゼは笑った。


 なんて邪悪な笑い方だ。いや、そんなことよりも水が一瞬にして氷になった。こんなふうに水が空中で凍りつくのは気温が氷点下何十℃という場合だけだ。


「これが、魔法───」感嘆の意を込めて俺は言った。


「あたしゃてっきり嘘つきがやってきたのかと思ってたけど、その反応を見る限り、そうでも無いみたいだねぇ」不思議そうな目でローゼが俺を見つめる。


 流石の俺も死後脳裏に書き込まれた信じ難い記憶を肯定せざるを得なかった。


「何を考え込んでんだい。いきなり魔法を見せて欲しいなんて言っ────」


 その時、彼女の言葉を遮ったのは不審な振動だった。


 温度が一定を保つほど地中深い位置にある地下室へは、地上の音など届くはずが無い。しかし"揺れ"ならば別。土で満たされた場所の中にある空洞は、あらゆる方向から振動の影響を受け、室内に異音を反響させる。


「この音……何か重たい物が落ちてきたような」とタリス。


「上で何かあったのかな?」リベットは不安げな表情を見せた。


「あんた達、今日はお祭りだろ?グレン様の篝火に何かあっちゃいけない。様子を見に行ってきな」とローゼは顎をしゃくった。


 ローゼの言う通り、俺たち三人は廊下を戻り、梯子を登って冷暗所の地下室を這い出した。先頭をゆくタリスが梯子を登りきった時、彼は眼下の俺とリベットへ「外が騒がしい、何か起きているだよ」と告げる。


 続いて俺が梯子を登りきった頃、小屋の戸から外を覗いていたタリスが血相を変えて引き返してきた。


「"シーズ"だ、"シーズ"が村を!!リベット、おめえは地下にいろ!!」タリスは彼女の返答を待たぬまま、冷暗所へと続く開口部へ蓋をした。


「なんなんだ、そのシーズってのは」


「化け物さ、魔法で造られた」タリスの身体は誰が見てもわかるくらいに恐怖心にとらわれて小刻みに震えていた。


「魔法で造られた生物……」鼻から空気が抜けた。


「ショウ、さっき会ったばっかでこんなことおめえに頼むのは無茶かもしれねえが、ここに残ってリベットのやつを護ってやっちゃくれねえか。地下室から出しちゃならねえぞ。おらはグレン様の篝火と長老のところへ行く」決意を秘めた瞳がこちらを見ていた。


「───わかった」俺は頷くしかなかった。


 程なくして小屋の外から幾度となく悲鳴が聞こえ続けた。俺は絶え間なく内側から叩かれる地下室の扉の上に胡座をかいて、時が過ぎるのを待った。

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