正解者に麦酒

 タリスはまず一目散に神棚のある広場へ向かった。道中自分のことを怪訝そうな目で見る村人たちに辟易しながら、俺もタリスの後についていく。


「おお、タリス。戻ったか」立派な白い顎髭を蓄えた老齢の男が広場の椅子に腰掛けていた。


 長老だ、絶対長老だ。


「長老、遅くなりました」


 ほらやっぱり長老だ。


「ややっ?その者は?」長老は顎髭を撫で付けながら言った。


「ショウとは森で偶然会っただよ。薪を拾うのを手伝ってくれた。ニホン?とかいうところから来たそうで、道に迷って困ってそうだったから連れてきただよ」とタリスは説明した。


「ふむ。どおりで見たことが無い格好をしとるわけじゃ。旅人よ、グレン様の篝火は祭りの華じゃ。手を貸して頂いて感謝する。お礼と言ってはなんじゃが、ゆっくり祭りを愉しんでいってくれ。おい、この方に何か飲み物を」長老は近くにいた若者に命じた。


「な~んかおめえ、そんなにやにやしたよな顔だったか?」タリスは背負っていた籠から篝火に薪をくべながら俺の顔をじっと見た。


「も、元々こういう顔だ」


 きっとこの時の俺の顔は、ベルの音を聞いたパブロフの犬みたいに緩みきっていたんだろう。


「お客人!ほれ、やってくれ」先程の若者が両手に器を持って戻ってきた。


 若者から木製のタンブラーと木の器に入った焼き野菜を受け取る。


 一粒が大きすぎるトウモロコシ、キュウリみたいに細長いトマト、カボチャと見られる野菜の皮はメロンのように格子状になっていた。どれも見たことがない野菜だったがきっと味は似たようなものだろう。


 タンブラーの中には白い泡が浮かんでいて、鼻先を突っ込んで匂いを嗅いだ瞬間、俺は衝動的にその液体を喉の奥へ流し込んだ。


「────くはあ………っ」


 最高だ。それ以外の言葉は相応しくない。最も高ぶるから"最高"なんだ。この喉越し、鼻に抜けるホップの香り。きめ細かい泡。ビールの事はよく知らない俺でもわかる美味しさだ。


 タリスは森で小便をしながら『酔った』と呟いていた。きっと彼が口にしていたのは利尿作用と酩酊作用の両方があるものに違いないと推測することは容易い。加えて、彼が漂わせていた酒精の匂い。たった今この村でそれが振る舞われているとの予想は的中したわけだ。


「ほっほ。いい飲みっぷりじゃ」


 ───そして、何故だかキンッキンに冷えていやがる。その点だけが解せないが。


「長老、このビ……麦酒は何故こんなに冷えているのですか?」


 ここへ来るまでの間、電線も電球も見当たらなかった。こんな場所に冷蔵庫のような近代的な機器があることは想像しにくい。


「冷暗所に冷却魔法で拵えた大きな氷があるでのう。そこでたえず冷やされとるでの」と長老は語った。


「冷却魔法?」


「おや、珍しい。ショウどのは魔法をご存知でないかの?」


「魔法……不思議な力ということしか……」


 月並みな答えだった。それはこの世界の"魔法"というものを知っているわけではなく、生前の世界におけるフィクションとしての魔法への見解でしかない。


「ふむ、どうやら本当に何も知らなそうな反応じゃの。不思議なこともあるもんじゃ。ニホンとは魔法の無い国なんじゃろか」


 日本にも魔法はある。女達が鏡の前でやってるは大した魔法だと思う。しかし、残念ながらそれ以外には知らない。


「差し出がましいお願いですが、もし良ければ見せてもらうことは……」


「お易い御用じゃよ。別に減るもんでもないじゃろうし、頼めば目の前で見せてくれると思うぞ。タリス、ショウどのを冷暗所へ連れてってやるとよい。篝火の見張り当番は代わりにわしが引き受けよう」


「よし、ショウ!おらについてきなっ!」タリスは長老の言葉を聞いて、ラッキーと言わんばかりに意気揚々と広場へ背を向けた。



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 タリスが連れてきた見知らぬ男が長老にお目通りしたという噂はあっという間に村中に広がっていて、冷暗所までの道中何度か村の若い衆に質問攻めにあったりもした。


 少しだけ安心した点がある。この村、もといこの世界でも人と酒を飲む時に器と器をぶつける作法は同じだったことだ。そんなふうにして何人かと杯を交し、やっとのことで村外れにある冷暗所まで足を運んだ。


「───なんでおめえまで着いてくんだよ」タリスはぶっきらぼうに言った。


「いいでしょ別に!ね、ショウさん」ショートヘアの可愛らしい少女が言った。この娘はタリスの五つ下の妹で、歳の頃は今年で十四になるらしい。


「俺は構わないけど……」ここへ来る途中に注ぎ足した麦酒をずずっと一口飲んでから俺は言った。


「ったく……ところでショウは何歳になるんだ?見たところおらとあんまり歳は変わんねえように見えるがよお」とタリスは俺に訊ねた。


「あっ、ああ、察しの通り君と同じ歳だ」


「やっぱりか」


「お兄ちゃんと同い歳かあ。ショウさんは何時までこの村に居てくれるの?」


「いやー、どうかな。ははは」


 はぐらかした、と言うより本当に自分でもまだ分からなかった。


「リベット、ショウを困らせるなよ」タリスはまたぞろ不機嫌そうに妹を睨みつけた。


「お兄ちゃんこそうるさい!」


 もし自分にも子供が居たとしたらこんな、とそこまで思ってその先を考えるのをやめた。


「───よし、着いたぞショウ」


 タリスとリベットが足を止めた場所は、およそ人が一人住むのにすら手狭そうな小屋の前だった。


「ここが?」


「ああ、そうだよ」タリスはそう言って建付けの悪い木製の扉を乱暴に開けた。


 小屋の内部も今にも朽ちようかという有様で、人が住んでいる気配も、麦酒も見つけられなかった。


「こっちだよ、ショウ」タリスは部屋の奥へ進み、片膝をついて俺に手招きした。


「地下室……か?」


 タリスが開けた床の扉を覗き込むと、一本の梯子が地下へ伸びていた。扉を開けた拍子に漏れだした冷気が頬を撫でる。


 なるほど確かに地下ならば麦酒の大敵である日光も差し込まず、地下数メートルともなれば一年を通してほとんど気温は一定に保たれると聞いたことがある。


「そのとおり。降りよう」タリスはいの一番に梯子に足をかけて一段一段と踏みさんを頼りに地下へ降りていった。


「あたしが先に行くね」妹のリベットがそれに続く。


 高所があまり得意でない俺は、なるべく下を見ないように努めてゆっくりとリベットに続いて梯子を下る。小屋の床から完全にすっぽりと身体が地下へ入った頃、凍えるように寒いのを肌で感じた。


「な、なあリベット、この寒さは魔法によるものなのか?」真下にいる少女に俺は訊ねた。


「そ!」


 正直、魔法などというものは未だに信じられない。けれども、クレイグが俺の記憶に残したと若返った自分自身の身体がそれを肯定していた。

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