第七章 狂気の悪魔
刑事たちが緊張した様子で身構える中、青田は相変わらず榊原と対峙したまま感情を交えず淡々と告げた。
「どうぞ、何でもお聞きください。僕の知る限り、すべて答えさせて頂きます」
その犯人とは思えない言葉に皆がさらに寒気を覚える中、榊原は相手の目をしっかり見据えながら敬語口調を崩して応じる。
「君が四人を殺害した……それで間違いないな?」
「その通りです」
「動機は何だね? 四人のうち谷藤松蔵殺害は口封じによる殺害で動機はその場で突発的に発生したものだ。だが他の三人をここまでして殺す理由がわからない。これだけの大量殺人となれば、捕まれば死刑判決を受ける事くらい君にも理解できていたはず。にもかかわらず、彼らを殺害したのはなぜだね?」
そう聞かれて、青田はどういうわけか小首をかしげながら淡々と告げる。
「動機……動機……動機ですか……捜査手続きに必要とはいえ、面倒臭いものですね」
「答える気はない、という事かね?」
「安心してください。ちゃんと答えますよ。約束ですから」
丁寧でありながらどこか歪んでいるとしか思えない受け答えをした後、青田はおもむろに廃墟のホテルの天井を見上げ、こんな事を言った。
「ここは僕の『聖地』なんですよ」
「何だって?」
一瞬意味がわからず、後ろの新庄がそう聞き返した。が、青田は無感動に繰り返す。
「ここは僕の『聖地』なんです。僕はずっとこの場所を守り続けてきました。なのに、彼らはこの『聖地』を面白半分に踏みにじろうとした。許せるわけがないでしょう。断罪に値するのは当然です」
だが、この意味不明な言い分に対し、榊原は慎重にこう応じた。
「もしかして……小堀秋奈、か?」
その名前に新庄たちが緊張した表情を浮かべる。それは、三年前の火災の際に死亡した宿泊客の一人で、早応大学探検サークルの元メンバーだった女子大生の名前だった。青田は無表情に応じる。
「どうしてそう思うのですか?」
「他に考えられそうな動機が思いつかなかった。事件に関する情報の中で、最後まで残っている情報がこれだけだったから、何かあるとすれば彼女関連しか思いつかなかった。もちろん、この後でちゃんとした捜査は必要だが」
「心配しなくても、間違いなく正解ですよ」
そう言うと、青田は表情を出さないまま歪んだ答えを告げた。
「ここは彼女……小堀秋奈の魂が残る『聖地』なんです。彼女が死んだこの場所を守り続ける。それが僕の義務なんです。当然の話だと僕は思うのですがね」
その場の誰もが、思わずその答えに絶句していた。だが、榊原だけは厳しい表情でさらに青田に切り込んでいく。
「君と小堀秋奈の関係は? 年齢的に同じ学校の先輩後輩というわけでもなさそうだが」
小堀秋奈が亡くなった三年前の時点で彼女は大学三年生で、一方の青田は当時高校三年生。従ってこの両者が同時に同じ中学校や高校に通うという事態は飛び級や留年でもない限りあり得ず、そもそもこの二人の出身校が違うのは警察も確認済みである(同じなら最初から関係者としてマークしている)。それを踏まえての問いかけだったが、それ対し、青田はあくまで単調な口調で自身の動機を語り続けた。
「関係がわからなくても当然です。何しろ、僕と彼女には直接的なつながりはありませんからね」
「どういう意味だ?」
「……あれは、僕が高校三年生の時でした。ちょうど僕が二階堂との投げ合いの末に甲子園で怪我をしてワイルドピッチで敗北し、二度と野球ができなくなった頃の事です」
唐突に青田は語り始めた。
「人生の目標がなくなって、夢をかなえるためだと今までずっと耐え続けてきた苦役がすべて無駄になり、僕はただ何もする気が起こらずに漠然と日々を過ごしていました。現役だった頃は『エースピッチャーだ』『神奈川のリトルエースだ』などともてはやしていた周りの人たちも、僕があんな負け方をした上に怪我で価値がなくなるとまるで手のひらを返したような態度を取り始めました。負け方が負け方だったから同級生たちも気まずいというか白い目で僕を見ていましたが、特に両親はひどかった。負けて一度自宅に帰った時に、慰めたりするどころか『お前が負けたせいで大恥だ!』『恥ずかしくて近所の人に顔を合わせられない』『今まで育ててやった恩をあだで返しやがって』……ひどい言われようでしたよ。まぁ、僕の父も元々高校球児で、高校時代に果たせなかった夢を僕に託していたからなおさらだったんでしょうけどね。何にしろ、彼らにとって価値があったのは僕個人ではなく『リトルエース』というブランドだったわけです。笑うに笑えない話ですよ。そうは思いませんか?」
青田はそう言って榊原に逆質問するが、榊原は無言という形でそれを受け止めた。青田の言っている事が実際はどうだったのかはわからない。確かにそういう心にもない事を言う人間がいたのかもしれないし、聞いた話が本当なら青田の両親の言動は教育・心理学的に一番やってはいけない類のものだ。が、だからと言って彼の周囲の全ての人間がそんな態度を取ったとも思えない。どのような状況であれ、必ず彼の味方はいたはずなのである。
だが、野球の道を絶たれ、両親や一部の人間からの心ない言葉を投げつけられた青田は、絶望のあまり身の回りの全てが敵に見えてしまったのだろう。その結果、数少ない自身の味方をも自らはねのけてしまった。そしておそらく、ここから青田雄二という人間は少しずつ目に見えないところで歪み始めてしまったのだ。
「僕は何もかもが嫌になりました。こんな偽善に満ちた世の中の全てが嫌になりました。世の中の全てが消えてしまえばいいとさえ思いました。だから……消す事にしたんです。そして、僕の人生を台無しにした『ヒーロー』の上の存在になり、世の中を嘲笑ってやろうと考えました」
「何を……言っている」
蒼ざめた表情の村田の言葉に、青田はこう応じた。
「僕、思うんですけどね。プロ野球なんかで『ヒーローインタビュー』ってあるじゃないですか。その試合で一番活躍した人を『ヒーロー』と呼んでほめたたえる。甲子園でも同じですよね。マスコミは特に活躍した選手を祭り上げて『ヒーロー』にしている。本人の望む、望まないにかかわらずね。でも、『ヒーロー』って何なんでしょうか? 野球だけじゃなく、人はどうしたら『英雄』になる事ができるんですかね?」
誰も何も言う事ができなかった。否……誰も彼が何を言っているのか全く理解できなかった。
「僕は『ヒーロー』になれなかった。あれだけ頑張ったのに『ヒーロー』になれず、大会中に僕を『ヒーロー』扱いした連中は、僕が再起不能になった瞬間に離れ、そして僕を散々に罵倒した。ならば、それは本当の『ヒーロー』ではない。状況によって評価が変わるものは真の『英雄』とは言い難い。では、未来永劫評価の変わらない『英雄』とは何なのか?」
そして、青田は平坦ながらゾッとするほど暗い声で言う。
「僕はこう思いました。それは『死ぬ』事で『英雄』になった人たち……『死』をもって正義を成し遂げた人たち、だと。例えばそう……事故や事件が原因で人が死んで、その事故の原因が何らかの『悪』によるものだった場合、亡くなった人たちは『悪』を白日の下にさらして世の中を変えた『英雄』という事になるのではないでしょうか」
返事はなかった。というより、あまりに無茶苦茶で死者を冒涜するような話に誰も言葉を返せなかった。
「死んでしまえば評価は二度と覆る事はない。『英雄』の座を引き摺り下ろされる事もない。それこそが真の『英雄』だと僕は考えました。その上で、その死んだ『英雄』のさらに上の存在に立つ事ができれば、僕は『英雄』を超える事ができる。そう思いました。死んでいるのだから本人も文句を言う事はできません。だから、僕はそれを実行する事にしました。人を殺す事で『英雄』を人為的につくり、その上に立つ事で僕があの時甲子園で失った価値を取り戻そうとしたんです」
異常ともいうべき論理だった。これを青田がそれこそ狂気に満ちた恍惚とした表情で言っていれば逆に彼の言動に納得できるのだが、彼は一切の無表情のまま抑揚なく無表情でそれを言っているのである。それが逆に、彼の狂気と闇の深さを証明する事になっていた
「僕は高校卒業までの残された時間の全てをそのための生贄を探す事に費やしました。それをしているうちに、僕はだんだん生きる気力がわいてくるのを感じたものです」
誰もが絶句し、しんと静まり返ったロビーで、青田は一度言葉を切ってこう告げる。
「そして長い準備の末に、僕が本当の意味での『英雄』の上に立つための最終的な生贄として選んだのがこのホテル……つまり『ホテル・ミラージュ』でした」
「何を言って……」
「わかりませんかね」
そして、青田はとんでもない事を告げた。
「三年前……東京消防庁が愚かにも原因を『寝タバコ』と結論付けたあの火災……あれをやったのは僕なんですよ」
その瞬間、その場の時が止まったかのように瑞穂は感じた。そんな中、榊原が代表して声を押し殺しながら慎重に尋ねる。
「……つまり、君は『三年前の火災は失火などではなく君の放火によるものだ』と主張するつもりなのかね?」
「そうなりますね」
「ふざけるな! あの火災は寝タバコが原因で起こったもののはずだ!」
竹村が反射的に叫ぶが、青田は動じない。
「だったら、東京消防庁が原因特定のミスをしたんでしょう。あれは僕が起こした火災です。時限発火装置で、ホテルの九階に火をつけました。火をつけた本人が言っているんです。間違いありませんよ」
「馬鹿な……」
竹村が呻く。だが、榊原は静かに、しかし真っ向から立ち向かっていく。
「本気かね?」
「事実ですから」
「……悪いが、私は東京消防庁の発表を信じたいところだがね」
「世の中、誰にでもミスはあります。公務員でも消防でも警察でも探偵でも……そして、高校球児でも」
たった一度のミスが理由でここまで歪んだ青田の言葉に対し、しかし榊原は軽くため息をついてこう尋ねた。
「……ならば聞こうか。仮に君の主張が本当だったとして、なぜこのホテルを標的にした? 聞いている限りだと、君とは縁もゆかりもないホテルのはずだが」
榊原の問いかけに、青田は平坦な声で答える。
「仮にではなく真実なのですが……別に深い理由はありません。ただ、このホテルは当時から強引な経営や法令違反疑惑で何度かマスコミに取り上げられていましたからね。『英雄』を生むための生贄にはちょうどいいと思っただけです」
「つまり、君にとって死んで『英雄』とやらになるのは誰でもよかった。客の誰かが死んでホテルが糾弾され、それによって亡くなった客が世論に『英雄』扱いされればよかった、と?」
「そういう事になりますね。たまたま条件に合ったのがこのホテルだった。それだけの話ですよ」
「そんな……そんな理由で……」
大学生組の哀奈が絶句する。他のメンバーも同じような反応だった。
「それに、死亡する『英雄』が多ければ多いほど、世間の注目は集まり、『英雄』の価値は上がる。当然、後でそれの上に立つ僕の価値も上がる。ホテルという舞台はそれにぴったりでした。だから、僕はここを生贄に選んだ。ホテルの悪行を世に知らしめるためには、なるべくたくさんの客に死んでもらう必要がある。客がたくさん死ねば死ぬほど、世間のこのホテルに対する批判は強くなるからです。亡くなった客たちはホテルの悪行を身をもって世に知らしめた『英雄』になる事ができる。そして、僕がその『英雄』たちより上の存在になれば……僕は本当の意味で『ヒーロー』になれる。そう思いました」
「く、狂っている……」
誰かが呻くようにそう言った。何より、それはそうした事件や事故の被害を受けて人生を無茶苦茶にされた被害者や遺族の感情を踏みにじる最悪極まりない……そして絶対に許されるべきではない論理だった。誰もが絶句し、あまりの悪意に吐き気を訴える者までいるほどである。それほどまでに、目の前にいる男の『悪意』と『狂気』は凄まじいものだった。
「すべての条件はそろっていました。そして……いよいよ僕はこのホテルを『消す』事にしたんです。高校卒業まであと少しの二〇〇八年一月の事でした」
その言葉に誰もが緊張した表情を浮かべる。そんな中、青田は淡々と様々な人々の人生を狂わせたあの火災の事を語り始める。
「あの日の午後九時頃、僕は時限発火装置を仕掛けるためにこのホテルに侵入しました。その際、怪しまれないために僕はホテルスタッフの制服を着る事にしたんです。このホテルが防火対策を怠った欠陥ホテルだったという事は今では誰もが知っている話だと思いますが、それだけにホテルの従業員もちゃんとした教育を受けていなくて、備品の管理も甘く、しかもかなりの頻度で人が辞めたり入ったりを繰り返していました。だから従業員の制服を入手するのも難しくなかったし、それを着るだけで充分にカモフラージュになったんですよ。恐ろしい事にね」
「……」
「実際、誰も僕の事を怪しみませんでした。僕は悠々とホテル内に侵入して、九階まで上がりました。そして、エレベーターホールに置かれていた観葉植物の鉢の裏に時限発火装置を設置したんです。エレベーターと階段が両方中央のホールにあるという設計上、ここが燃えれば少なくとも九階の客は誰も脱出できなくなると思っての事でした」
「参考までに聞いておくが、なぜ九階に装置を仕掛けた? 別に他の階でもよかったはずだ」
榊原はあくまでも冷静である。その姿を見て、この悪意の塊としか思えない男と正面から対峙しながら一切揺らがない榊原という男が、今まで尋常でない修羅場を潜り抜けてきたであろう事を瑞穂は改めて感じ取っていた。
「あまり下の階に仕掛けるとすぐ火を消される可能性がありましたからね。それに本当の意味で全焼してしまうと、僕が支配する前に火災で建物そのものが崩壊したり、残ったとしても損壊がひどすぎてすぐに取り壊しになったりする可能性がありました。それでは意味がありません。程よく壊されない程度の廃墟にする必要性があったので、九階が妥当と判断しました。かのホテル・ニュージャパンの火災でも、実際に燃えたのは上の二階部分だけで、その後何十年も廃墟として永田町の一等地に残り続けていましたからね。それを参考にしたまでです。前例を大切にするのは世の常識です」
「……」
「ですがね、物事は何事も一から十まですべて計画通りにはいかないものです。この時もそうで、そこで少しトラブルがありました。装置を仕掛けているところを宿泊客に見られてしまったんです」
そして、青田はその名を告げる。
「その客が、小堀秋奈でした」
聞くと、青田が装置を仕掛けている時に偶然エレベーターホールにやってきたらしい。そして、あろう事か彼女は青田に話しかけてきたのだというのだ。
「悪い事に、彼女は僕の事を知っていました。僕が甲子園で投げていたのをテレビで見ていたんだそうです。我ながらうかつでした。こういう事があるかもしれないという事は予想していなければならなかったのに、それを怠ったのはこちらの落ち度です」
「……」
「幸い、僕が装置を仕掛けている事に彼女は気付いていませんでした。僕は咄嗟に、このホテルで短期のアルバイトをしていると言いつくろい、彼女もそれを信じたようでした。話を誘導して情報を集めると、彼女は明日の大手新聞社の面接を受けるためにこのホテルに宿泊しているという事でした。どうやらマスコミ志望だったようですね。彼女は僕が怪我をして野球を辞めざるを得なくなった事も知っていて、しきりに同情めいた事を言ってきましたが、僕にとっては『余計なお世話』という気持ちでした。正直、不愉快ですらありましたし、どうせ彼女も他の連中と同じように内心では僕をさげすんでいるんだろうとさえ思いました。それが人間の本質だという事を、僕はこの半年の間に理解したつもりでしたからね」
「お前は……人の善意すらまともに受け取る事ができなくなってしまっていたのか……」
新庄が拳を握りしめながら絞り出すように言うが、その言葉さえ今の青田には届かない。新庄に言葉に一切反応する事なく、青田はさらに恐ろしい言葉を紡ぎ出していく。
「何にしても、この時点で僕は彼女には絶対に死んでもらわなければならないと思いました。何しろ、僕の顔を見られてしまったわけですからね。生かしておくわけにはいかなかったのです。だから僕は念のために、彼女の連絡先を聞いておく事にしました。色々理由をつけて電話番号を交換しませんかと言ったら、少し戸惑いはしたものの、彼女は最終的にそれに応じました。マスコミ志望だと言っていたので、僕とのコネクトができる事は将来的に役に立つかもしれないと思ったのかもしれません。連絡先を交換した後、彼女はそのまま自分の部屋に戻っていきました。僕は黙ってそれを見送っていました。これから死んでいく人間の姿をこの目にしっかりと焼き付けたのです」
死んだような目でそんな狂気じみた事を何でもないように言われて、もはや誰も反応をしない……というより、できない。そしていよいよ、青田の話は佳境を迎えようとしていた。
「彼女と別れて装置を仕掛け終えた後、僕はホテルを出て外で時間になるのを待ちました。そしてあの日の午後十時頃……予定通り装置は作動し、ホテルは大炎上したんです。僕は野次馬に混ざって燃え盛るこのホテルを見ていました。闇夜の中で燃え盛るホテルは幻想的で、人生で見た中で一番美しかった。三島由紀夫の『金閣寺』の主人公の気持ちがよくわかりました。鳴り響くサイレンとマスコミの濁声は無粋でしたが、それは文句を言っても仕方がありません。僕は僕の手によって焼け落ちるホテルに陶酔していたんです」
と、そこで青田は声の調子を少し変えた。
「そこで僕はふと思いました。今、この状況で、さっき話をした彼女……小堀秋奈はどうなっているのだろう、と。火災で亡くなっていればそれでいいですが、顔を見られた以上、生きていたら後で『処理』をする必要があります。生死の確認はしておかなければなりません。それに、火災に巻き込まれて命の危機に瀕した人間がどのような反応をするのかについても個人的に興味がありました。だから僕は、彼女から教えてもらった携帯電話の番号に電話をかけたのです。そして、彼女はすぐにそれに出ました」
まさにサイコパスの考え方だった。誰もが息を飲む中、青田は話を進めていく。
「彼女はまだ死んでこそいませんでしたが、ホテルの自室から逃げ出せずにいました。彼女は電話の相手が僕だと気付くと、自分が今九一〇号室にいて脱出できずにいる事。そして、火災から助かるためにはどうすればいいかと涙ながらに必死に聞いてきました。聞かれたからには答えなくてはいけません。だから、僕は答えたのです」
その瞬間、無表情の青田からどす黒い明確な悪意があふれ出すのを瑞穂は無意識に感じ取っていた。
「『このままだと焼け死んでしまう。今すぐ部屋から出て、エレベーターホールから脱出しろ』と。部屋の外の廊下に大量の煙が充満しているであろう事を……そして、部屋から一歩でも出た瞬間に煙に巻かれて一酸化炭素中毒死する事をわかった上で」
「何だと……」
青田の言葉に、新庄が呻くように言った。
「本当はあのまま部屋の窓から顔を突き出して、消防の救助を待っていればよかったんです。まぁ、火の回りもありますしそれで間違いなく助かったかどうかまではわかりませんが、少なくとも煙が充満する廊下に飛び出すよりは生存率は高かったでしょうね」
「……つまり、君はほぼ確実に彼女が死ぬであろう事を認識しながら、彼女に部屋を出るように指示を出した、と?」
榊原の厳しい言葉に、青田は無感情に頷いた。
「その通りです。確か法的には『未必の故意』と呼ばれるものでしたか。もっとも、今となっては証明できないと思いますがね」
未必の故意……これまで榊原にくっついて様々な事件に関わってきた瑞穂も何度か耳にした事がある概念である。だが、今回のこれは今までの犯人が仕込んだものに比べてかなり完成度が高く、ほとんど完全犯罪と言ってもいいほどの手口だった。
なぜなら、そもそも『彼女に火災時に電話をした』『彼女に部屋を出るように言った』というのは青田の発言によるところでしかなく、相手の小堀秋奈が死亡し、火災から約三年が経過して証拠が散在した今となってはもはやそんな事があった事など証明ができないからだ。今さら火災時に青田が彼女に電話をした事を証明すること自体が難しいし、できたとしてもそれはあくまで「電話があった事」の証明で、その通話で何を話したのかまでは証明不可能である。万が一の可能性で発言内容を客観的に証明できても、その発言に青田の言ったような悪意があったかを客観的に証明するなど絶対に不可能だ。だからこそ、青田はこの場で自身が犯した『犯罪』を堂々と白状したのだろう。
「しかし、君の話が本当なら、あの火災は君の放火という事になる。ならば、あの火災で死んだ人間は全員君が殺したという事に……」
「それをどう証明するつもりですか?」
新庄の反論に、しかし青田は間髪入れずに冷静に応じた。
「何を……」
「あなた方もさっき言っていました。実際はどうであれ、公式発表におけるあの火災の出火原因はあくまでも『寝タバコ』です。愚かな東京消防庁は僕の時限発火装置を見落とし、寝タバコが出火原因だなどと堂々と発表しました。世論の批判覚悟で、あの間抜けな東京消防庁が今更それをひっくり返せますかね。おまけに、万が一ひっくり返すにしても、それならそれ相応の証拠が必要のはず。しかし、そんな証拠があるんでしょうか? 僕が関与していたとなれば一番の証拠は時限発火装置ですが、もしあの時、東京消防庁が僕の時限発火装置の残骸を見つけていたなら、最初から放火の可能性を公表していたはず。それがなかったという事は、そんな証拠は見つかっていないという事です」
「それは……」
「ちなみに、僕が今この場で自白したから、というのは通じません。何人(なんぴと)も自白だけで有罪にする事はできない。日本国憲法にも明記されている、現代日本の刑事司法の大原則です。公務員試験にも出てくる基礎知識ですよ」
反論しながら誇るようでも得意がるでもない。青田はただ淡々と、事実だけを悪意と共に吐き出し続けていく。その姿に、瑞穂はもはや恐怖しか感じなかった。
「君は……まるで『悪魔』だな。それも、下手をすればその辺の漫画やアニメに出てくる悪魔よりも悪質な、感情も同情も情けもなく、己の目的のためだけにただ人を殺すだけの『悪魔』だ」
そんな青田の態度を見て、榊原は思わずと言った風にポツリとそう呟いた。
「何を言っているのか僕にはよくわかりません。そして実際、僕にとってはどうでもいい話です」
実際に何の感情も交えずにそう言って、青田はさらに話を続けた。
「僕は電話を切ってからその場を離れました。彼女が死ぬであろう事は充分に確信できましたし、実際に次の日のニュースで彼女が命を落とした事を知りました。正直、何の感慨もわきませんでしたが、被害者たちの中で彼女の事が特に印象に残ったのも事実です。この時点で、僕にとって彼女はあの火災の被害者たちの代表のような存在になっていました」
「……」
「その後、火災は寝タバコのせいとなり、僕が追及されるような事もありませんでした。当然です。僕は表向きあのホテルとは一切関係がない人間なのだから。そして大量の死者を出したホテルは糾弾され、しばらくするとホテル側の不備が白日の下にさらされました。それと同時に、それが暴かれるきっかけとなった小堀秋奈をはじめとする被害者たちは予定通り『英雄』になったんです。すべては僕の計画通りでした。もっとも……あの火災のどさくさに僕とは関係ない所で殺人事件が起こっていた事だけは予想外でしたがね。ですが、その事件もすぐに解決したので良しとしましょう。解決してくれた探偵さんには感謝しなくてはいけませんね。ありがとうございました」
青田はそう言って頭を下げるが、榊原は応じない。無言のまま、ただひたすら厳しい視線を青田に向け続けている。
「火災の後、僕は一年間浪人して地方公務員試験を受け、杉並区役所に採用されました。そして配属先を決める際に、区が所有する物件の管理業務に志願したんです。元々志願者が少ない業務らしく、僕の希望はあっさり通りました。そして管理されている建物の中には、火災後に運営会社が倒産したせいで区が管理業務を代行していたこのホテルもあったんです。こうして僕は、小堀秋奈ら『英雄』たちの『聖地』であるこのホテルの支配者になる事に成功しました」
「支配者……」
あまりの言い草に瑞穂は絶句する。
「えぇ。僕はこのホテルの支配者であり、そしてこのホテルで死んだ『英雄』たちの墓守でした。僕はこうして墓守になる事で、世の中に認められた『英雄』たちよりも上の存在になる事ができたんです。『ヒーロー』になれなかった僕が世の中に認められた『英雄』を支配する。まさに計画通りでした。今までに味わった事のない不思議な快感を経験する事ができました。僕としてはそれで充分だったんです。時々不埒にもここをねぐらにするホームレスがいましたが、直接この建物に被害を出さないなら、そして『英雄』を侮辱しないのならそれくらいは許容範囲でした」
そこで、青田の目が一際どす黒くなる。
「ですが、今年になって区はこのホテルを解体する方針を示した。正直、こんなに早く決まるのは想定外でしたよ。しかも、新米の区役所職員である僕が表立って反対するわけにもいかないし、仮に計画を主導する区役所の上層部を消しても、他の人間が同じ事をするだけなのでやる意味がありません。僕もさりげなく手続きを遅らせたりして邪魔をしましたけど、結局解体業者の入札実施も決まってしまいました。正直、どうしたものかと思いましたよ。また同じ事をしなくてはならないのかと、別の生贄の選定を始めようかとも思っていたくらいです」
何の気負いもなく「消す」「同じ事をする」という言葉を使う青田に、大学生組は顔を真っ青にしている。だが、青田の『狂気』はここからが本番だった。
「そんな時でしたよ。あの男……二階堂亮馬が僕に近づいてきたのは」
どうやら二階堂は新たに探検できる廃墟を調べているうちに、マニアの間では有名な『ホテル・ミラージュ』の管理をしている杉並区役所の担当者が、かつて甲子園で投げ合った青田雄二である事に気が付いたようだった。そして、彼に頼めば合法的に廃墟探検ができるかもしれないと、青田に接触を図ったらしいのである。
まさか、その青田がここまで歪んでいるとは思いもしないまま……。
「十二月に入ってすぐだったと思いますが、彼は僕が帰宅している途中に後ろから声をかけてきました。市役所に直接来なかったのは後ろ暗い事を頼もうとしているからだったのかもしれませんが、僕からすれば好都合でした。その後近くの居酒屋で話をしたのですが、そんな中で彼は、このホテルを探検する許可をくれないかと言ってきました」
そこで青田はゾッとするような言葉を平坦な声のまま告げる。
「正直、その時点で僕は、能天気にそんな馬鹿な事を頼んでくるあの男を殺したくて仕方がありませんでしたね」
誰もが何も言えずにいる中、青田の独白は続いた。
「ただ、同時に僕は、これが何かに利用できるかもしれないと考えていました。そこで、あの男から事の詳細を詳しく聞き取ったんです。あの男は警戒もせずにペラペラと全部話してくれましたよ。参加する予定者があの男を含めて三人であるという事も、その探検の際に、後輩を驚かせるためのドッキリビデオを撮影する予定だという事もね。そのドッキリビデオで彼女……小堀秋奈の霊に化けるというような話を聞いた時点で、二階堂を含めた三人に生きる資格はないと思いました。利用しつくした後で徹底的にいたぶって殺す。この時僕はそう決意しました」
まるで「血を吸った蚊を叩きつぶす事の何が悪い」と言わんばかりの言い方だった。
「僕はあの男にこう言いました。廃墟に入る許可を出してもいいが、その際は管理責任者として僕も一緒に付き添う事。その際、僕の個人情報は他の人間には漏らさない事。仕事中に連絡されると迷惑なので、今後の打ち合わせも直接会って行う事。すべては、今回の事件のための伏線でした」
「……事件当日の事を話してほしい」
榊原の言葉に、青田は素直に応じた。
「あの日の夜、僕たちはこの廃墟の前で合流しました。その際、二階堂は僕との約束を守って、残る二人に僕の事を『自身の友人であるドッキリの協力者』とだけしか教えませんでした。あなたが先ほど言ったように、後で何らかのメッセージを残される可能性を少しでも減らす必要がありましたから、名前はもちろん、区役所職員という身分も明かすわけにはいかなかったんです。だから、鍵も二階堂に貸した上で『管理者から借りた』という名目で開けてもらいました。身バレしたくないからと言ったら、あの男は疑う事もなく引き受けてくれましたよ。一応、彼らが小堀秋奈の時みたいに甲子園時代の僕の事を知っている可能性も警戒していましたが、彼らの反応を見るに幸いな事に今回それはないようでした」
「そして、君は三人を廃墟内に招き入れ、そこから例のドッキリビデオの撮影が始まった」
「えぇ。名目上、僕はその場にいてはならない人間でしたので、三人が幼稚な演技をするのを傍から冷めた目で見ていました。そして、九階で例の幽霊のシーンを撮影する際、僕は幽霊に化けるあの女からカメラを受け取り、カメラマンとしてあの光景を撮影したんです。その際、着替えた彼女の持ち物から彼女の携帯電話を抜いておく事は忘れませんでした」
「それが映像Bだった」
青田は頷く。
「後は、あなたの推理した通りです。映像を撮影し終えた後、僕はまず油断しきっていた二階堂を背後から一突きして殺しました。僕の正体を知っているあいつは真っ先に殺しておく必要があったからです。残り二人は最初何が起こっていたのかわからなかったみたいでポカンとした顔をしていましたが、すぐに血相を変えてその場から悲鳴を上げながら逃げていきました。そして、僕は奪っておいたあの女の携帯を使って残る椎木という男の携帯に電話をかけ続けたんです。そうした理由の一つは標的の位置を特定するため。もう一つは電話をかけ続ける事で、あいつが警察に通報するのを防ぐためでした」
その辺りは本人が言うように榊原の推理通りだった。
「最初はかかってきた電話を切断してはすぐに通報しようとするという事を何度か繰り返していましたけど、僕がそれを許さないよう何度も電話をかけ続けたら向こうもこちらの思惑に気付いたらしく、すぐに携帯を捨てしまいました。馬鹿な男です。位置を知られようが何だろうが、携帯電話は持っておくべきだったんです」
それがあの不審な通話履歴の正体だったのだろう。
「正直、私の思惑通りに行き過ぎて不安になってくるくらいでしたよ。あいつの携帯は七階の階段の辺りに転がっていましたので、すぐに見つけて回収しました。椎木を殺した後、あいつのポケットに返しておきましたけどね」
「……」
「そこから二人を追いかけて、椎木の方を五階、女の方を一階で殺しました。暗闇でしたが、僕は何度もここに来ていて中の構造はよくわかっていますし、彼らと違って懐中電灯を自由に使う事ができます。右も左もわからないまま逃げ続けるあの二人を見つける事など、赤子の手をひねるよりも簡単でした」
「だが、君は竹倉未可子を殺した際にミスをしてしまった」
「……まさか、バッグの中でカメラの電源が入っていたとは思いませんでした。それを確認しなかったのは僕のミスですね。反省点として、次の機会に活かしたいものです」
青田は肩をすくめるような仕草を見せつつ、無表情にそんな恐ろしい事を言う。
「落としたのは眼鏡と鍵、どっちだ?」
「……鍵の方ですよ。二階堂から返してもらった後、ポケットに突っ込んでおいたのが落ちてしまったようです。もっとも、眼鏡の方にも多少返り血はかかっていたと思うので、調べられたらまずいのは変わりありませんでしたが。正直、人間の反撃があそこまで凄いものだとは思いませんでした。油断ですね。ここも今後に向けての改善点だと思います」
「君は落ちた鍵をすぐに拾った。そして、君はその直後にホームレスの谷藤が一連の犯行を目撃した事に気付いてしまった」
「……本当に困った人です。事件の二ヶ月前に追いだしたばかりだったのに、すぐに戻ってきてしまったわけですからね。おかげで余計な殺しをしなければならなくなりました。仕事が増えるだけですし、本当に勘弁してほしいものです」
まるで急な仕事ができた事に愚痴を言っているようにも聞こえるが、その内容は仕事ではなく殺人の話なのである。はっきり言って「異常」以外の何物でもなかった。
「すぐに追いかけましたよ。見られた以上、生かしておくわけにもいきませんのでね。幸い、あいつはいつも居座っている二階の部屋に逃げ込んだので、比較的簡単に『処理』できたのは幸いでした。いつもこうならこちらとしてはありがたい話なのですがね」
「処理って……」
青田の言い回しに、瑞穂はもう何も言えないようだ。
「ただ、あんな『書かないダイイングメッセージ』を残されてしまったのは痛恨の極みでした。ちょっと考えれば充分に防げた話だと思うので、とても残念です」
「その後、君は再び一階に戻り、凶器を竹倉未可子の遺体の傍に置いて現場から脱出した」
「えぇ。補足しておくと、ずっと持ったままだったあの女の携帯をポケットに戻しておくことも忘れませんでした。僕が携帯を使った事は隠さなければなりませんでしたからね。その後は、あらかじめ隠しておいた着替えに着替えて、竹倉未可子の変装用の衣装とカツラも持った上で、あのホテルを後にしました。以上があの日ここであった事の全てです。何か質問はありますか?」
誰も何も言わなかった。だが、榊原はさらに踏み込んでいく。
「つまり、君が殺人を起こした動機は、君が支配する『聖地』であるこの場所に不純な動機で踏み込み、君が勝手に『英雄』に仕立て上げた小堀秋奈を冒涜した三人に対する憎悪、という事かね?」
「勝手に仕立て上げたというのは心外ですが、概ねそうなりますね。それに、ここで殺人事件が起これば、少なくとも事件が解決するまでは現場保存の観点からもホテルを取り壊す事はできなくなります。つまり、僕は引き続き『聖地』を守り続ける事ができる事になる。そうなってしまえば、現場保存が解除されてこのホテルが壊されるのは事件が解決した時……つまり、僕が逮捕された時しかあり得ませんし、そうならない自信はありました。でもまさか、こんなに早くばれるとはさすがに思っていませんでした。世の中は思い通りにならないものですね。本当に残念です」
そんな事を青田は無感動かつ事務的に言う。もはや、その場にいる人間たちの大半の顔には恐怖の感情しかなかった。これだけ明快に説明されているのに、この男が何を言っているのか全くわからない……それがこの場にいる者たちに共通する想いだった。
そんな中、榊原は深いため息をついて重苦しい口調で青田に語り掛ける。
「……君にはもう、誰が何を言っても通じないんだろうな。ならば、言いたい事がないわけではないが、もうこれ以上私から君に言うべきことはない。全ての謎を解いた以上、後の事は司法が判断する事だ」
その言葉と同時に、新庄たち警察関係者が前に出て青田を拘束する。青田は一切抵抗せず、甘んじてそれを受け入れた。
と、そんな青田を見ながら榊原はこう言い添える。
「ただ……個人的な感想ではあるが、君の事はとても『気の毒』に思う」
それを聞いて、青田は無表情のままながらわずかにピクリと眉を動かした。
「僕が気の毒、ですか?」
「あぁ。自分ではわからないかもしれないが、君もまた、あの火災で人生を狂わされた人間の一人だったという事だ。いや、『踊らされた』と言った方がいいかもしれないか」
「……」
「あの火災さえなければ君がここまで歪む事はなかった。前回の事件といい、この呪われたホテルはいったい何人の人生を焼き尽くせば気がすむんだろうな」
不思議そうに首をひねる青田を前に、榊原はこれまでで一番厳しい表情で独白する。
「実際の火災から三年経っても、なお関わる人間の人生を飲み込み、焼き尽くし、破滅させる『怨念』という名前の炎……まさに『業火の亡霊』とでも言おうか。この廃墟に取り付くその目に見えぬ『亡霊』に飲み込まれた君の事は……本当に気の毒に思うよ」
「……あなたが何を言っているのか、僕は理解できませんね」
「だろうね。最初に言ったように君に理解してもらおうとは思わないし、実際に理解できないんだろう。これはあくまで私の独り言だ。それをどう解釈するかは君次第だ」
榊原のその言葉に異を唱える人間は、青田を除いてこの場には誰もいなかったのだった……。
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