第三章 怪奇ビデオ
「……と、まぁ、最初の捜査会議はそんな感じだったわけですが」
時は戻って現在の榊原探偵事務所。一通りの説明を終えた新庄に対し、榊原は何事かを考え込んでいた。
「当然、気になるのはそのハンディカメラの映像とやらだが」
「それについては直接見てもらった方が早いと思って持ってきました」
そう言うと、新庄は持ってきた鞄からポータブルDVD再生機を取り出し、手際よくセッティングする。
「随分準備がいいな」
「榊原さんの事務所にこの手のものがないのはわかっていましたから。もうすぐ地上デジタル放送も始まるそうですし、いい加減にテレビを買い替えたらどうなんですか?」
「まぁ、それについては瑞穂ちゃんからも言われているんだがね」
チラリと後ろを見ると、瑞穂が「もっと言ってやってください!」的な視線を新庄に送っているのが見えた。
「準備ができました。再生する前に事前情報をいくつか言っておきます。まず、調べた結果、このカメラには全部で四つの映像が残されていました。便宜上、我々は撮影時間が早い方から順番に『映像A』『映像B』『映像C』『映像D』と呼んでいます。中身を簡単に説明すると、被害者三人が問題のホテル内に侵入し、そして殺害されるまでが断片的に記録されていました。残念ながら、直接的な犯行の様子までは映っていませんでしたが……」
「つまり、事件当日の彼らの動きを記録していると?」
「そうなります。言うまでもなく、この映像は今回の事件を解決するための重要な証拠になるのですが……その解釈を巡って捜査本部の中でも意見が割れている状態でして、にっちもさっちもいかなくなった事から、いっそ榊原さんに意見を聞いてみようという話になったわけです」
「……何にしても、見てみないと何とも言えない。ひとまず映像を確認させてくれ」
榊原の言葉に新庄は黙って頷き、問題の映像が流れ始めた。
「まずは『映像A』です。状況的に、どうやら三人がホテル内に侵入した直後、一階のロビー付近で撮影したもののようです」
しばらくすると映像が始まり、画面には薄暗い建物の中で懐中電灯を持っている二人の若い男が映し出された。先程写真で確認した被害者のうちの二人……二階堂亮馬と椎木好次郎で間違いない。
『おい、ちゃんと撮れてるか?』
『うん、大丈夫。しっかり撮れてるよ』
まず、最初に発言したのは二階堂亮馬だった。それに対し、画面の外から女性の声が答える。どうやら残る一人の竹倉未可子の声らしく、状況から見てカメラの持ち主である彼女が撮影しているようだった。手振れも少なく、かなり見やすい映像である。
『よっしゃ、じゃあ、始めるか。えー、俺たちは今、高円寺にある有名な廃墟ホテル『ホテル・ミラージュ』に潜入する事に成功しました! これからこのホテルを探索していきたいと思っています! メンバーは俺こと二階堂亮馬と、こっちの椎木好次郎!』
『椎木好次郎です!』
『そして、我らが紅一点、カメラマンの竹倉未可子でお送りします!』
『未可子でーす!』
その言葉と同時にカメラの映像が大きく回転し、写真で見た竹倉未可子の笑顔がアップで映し出される。どうやら二階堂の言葉に促される形でカメラを自分の方に向けたようだ。映像は五秒ほど未可子の顔を映していたが、すぐに再び回転して、二階堂と椎木の方を映す。
『このホテルは約三年前に大火災に見舞われ、九階と十階が全焼する被害を受けました。また、その火災のどさくさに殺人事件まで起こっていて、全部で九人もの方が亡くなっています。そして現在、廃墟となったこのホテルに、その時亡くなられた方々の幽霊が出没するという噂が流れているのです。我々はその噂が真実かどうかを確かめるべく、この後幽霊が出ると言われている九階に潜入したいと思っています! では、早速出発する事にしましょう!』
何とも芝居がかった口調と態度で二階堂がこのホテルについての説明を行い、三人は懐中電灯の明かりを頼りに階段のある辺りまで移動する。
『ここが階段ですね。では、今から九階まで登っていきたいと思います。続きは、九階に登ってからにしましょう! ……未可子ちゃん、一度止めていいよ』
『はーい』
そこで、一度カメラの映像は途絶えた。
「ここで一度録画を止めたようです。次の映像Bは、彼らが宣告したように九階に到達した時点から始まります」
そう言ってから、新庄は少し難しい顔をした。
「そして……先に言っておくと、実はこの映像Bが四つの映像の中で一番問題な映像なんです。この映像Bをめぐって捜査本部内でも意見が対立している状態でして」
「よほどまずい映像でも映っていたか?」
「まぁ、かなりとんでもない映像なのは間違いありません。覚悟して見てください」
そんな言葉と共に映像が再開される。画面には再び懐中電灯で建物を歩く二階堂と椎木の姿が映し出された。
『未可子ちゃん、撮影ボタン押した? ……オッケ。じゃ、続きを始めるか』
そんな言葉と共に、二階堂が再び芝居がかった様子で周囲の様子を実況し始める。
『えー、ただいま、問題の九階に到着しました! 二年経った今でも壁は黒焦げで、当時の火災の凄まじさがひしひしと伝わってきます! 好次郎、お前も何か言えよ』
『うーん、そうだなぁ。今までにいろんな廃墟に行ったりしたけど、こんな火災現場の廃墟は初めてだからなぁ。何というか、雰囲気が違うよな』
『あぁ。この前行った京都の病院の廃墟とかも凄かったけど、ここはもっと凄いな。何て言うか、漂っている空気が違うっていうか……』
と、二階堂がそんな事を話していた時、不意に場違いな携帯の着メロの音……どういうセンスなのか『JOWS』の不気味なテーマソングだった……が廃墟内に響き渡った。それに対し、二階堂が話を中断してジト目で椎木を見やり、椎木がバツの悪そうな目でポケットから携帯を取り出す。
『わりぃ、ちょっとタンマ。大室からだ』
椎木はそのまま携帯に出てしばらく相槌や返事をしていたが、一分ほどして携帯を切り、そのまま携帯を再びポケットにしまった。
『大室、何だって?』
『いや、旅行先からの近況報告と、土産は何がいいかって』
『あぁ、そういえばあいつ、今ロンドンだっけ』
『みたいだな。向こうは確か……時差が九時間だからちょうど昼の一時過ぎくらいか。ったく、確かに「近況報告しろ」とは言ったけど、こっちの都合も考えてほしいな』
『まぁ、いい。後でこの部分はカットしないと』
そう言って、再び二階堂は芝居がかった仕草で実況を再開する。
『さて、そんなわけでここからはこの九階を隅から隅まで探索していきたいと思います。まずは、北側の方から見ていきましょう。すぐそこにあるのが、火災の出火元になった九〇五号室で……』
と、その時だった。突然、ニヤニヤしながら二階堂の話を聞いていた椎木の顔が急に訝しげなものになり、直後にその顔色が明らかに変わった。
『ん?』
『何だよ、急に』
『おい、あれなんだよ』
『またまたぁ、意味深なこと言っちゃって! そう言うのはもう古いって!』
『いや、そうじゃなくて、本当にあれ!』
そう言って椎木が緊張した声で廊下の先を指さす。そして、そっちを見やった瞬間、今までふざけていた二階堂の顔色も変わった。
『な……何だよ……あれ……』
同時に、カメラもそちらの方に向けられる。光源がない上に距離も遠いためか、その映像はかなり不鮮明ではっきりしない。だが廊下の一番奥、そこの暗がりに今まさに客室の一つから出てこようとしている『何か』がいるのが映像にはしっかり映っていた。
『お、おい! マジかよ!』
二階堂の言葉に続いて、不鮮明ながらカメラにぼんやりと映ったもの……
それは、大きく垂らした長髪に白い服といういかにも『亡霊』といった風な格好をした、女性と思しき謎の怪人物の姿だった……
『う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ! 本当に出やがった!』
『に、逃げるぞ! 早く!』
椎木と二階堂が今までの余裕をかなぐり捨てたように絶叫する。その次の瞬間、カメラの画面も大きく揺れ、映像はそこでいったん終了した。その場に何とも言えない雰囲気が漂う。
「えっと……これ……何なんですか?」
後ろで瑞穂が遠慮がちに聞く。自分の見たものが信じられないようだ。
「我々も最初この映像を見た時、同じような反応をしていました。ですが、今は話を先に進めます。次は映像Cです。ここから事態が切迫してきます」
映像が再開される。が、しばらく待っても画面は真っ暗なままで何も映ってこない。ただ、そんな暗い画面のどこからか、押し殺した息遣いのような音だけが聞こえてくる。
「これは?」
「どうもカメラを鞄の中に入れて移動している時に衝撃か何かで勝手に録画ボタンが入ってしまったようです。なので、ここから先の映像は音声のみとなっています」
だが、その音声は異常だった。まず聞こえてきたのは、相変わらず押し殺したような椎木好次郎の声だった。
『くそっ、あいつ何のつもりなんだよ!』
『どうなってるの! 何でこんな事に……』
こっちは竹倉未可子の声である。だが、もう一人の二階堂亮馬の声がない。その理由は続く二人の会話でわかった。
『ね、ねぇ、亮馬君は大丈夫なの?』
『わっかんねぇよ! あいつに刺されて床に倒れて……逃げるのに精一杯で、亮馬の心配なんかしている余裕なかったんだよ!』
『も、戻ってみる?』
『馬鹿! そんなことしたら自分から殺されに行くようなものだぞ! あいつの目は本気だった! 俺たちも殺す気だ!』
『そ、そんな……』
『くそ……ここ、どこだよ! 暗くてわかんねぇよ!』
『懐中電灯をつけてみたら?』
『そんなことしたらあいつにこっちの居場所がばれちまう! とにかく、何とかしてここから脱出しないと!』
『こんな暗闇でどうやって!』
『知らねぇよ! とにかく階段を……』
と、ここで遠くから足音のよう何かが響き、誰かがこちらへ近づいてくるのがわかった。
『い……今の……』
『き、来やがった! くそっ、あいつ、何でここがわかったんだ!』
『ど、どうする?』
『どうするもこうするも、逃げるしかねぇだろ!』
その後、二人は移動し始めたようで、激しい息遣いとガシャガシャとカメラの周りの小物がぶつかる音が響く。が、そのうち小物の一つが録画ボタンにぶつかったのか、唐突に映像が途絶えた。
「……そして映像D。こちらも鞄の中のカメラが衝撃か何かで勝手に録画を始めたらしく、音声のみの記録となります」
そして始まった真っ黒な画面の記録は、映像C以上に切迫していた。
『た、助けて! お願いよ! 私が何をしたっていうの!』
ヒステリックに叫ぶ声は竹倉未可子のもので間違いない。が、それに応える声はない。映像Cでは入っていた椎木好次郎の声すら聞こえない。どうやらこの時点で、竹倉未可子は単独行動をしていたようだ。その理由はおそらく……
「この時点で椎木も殺されていたか」
「その可能性が高いと思います」
なおも映像は続く。
『い、いや! 私……こんな死に方したくない! 助けて! 助けてよ! やめて! い、イヤァァァァァァァァッ!』
凄まじい絶叫。直後、何かがドンッとぶつかる鈍い音が響いて唐突に悲鳴が途絶え、『グエッ』という呻き声のような何かが聞こえた。ほぼ間違いなく殺害の瞬間そのものである。同時にズルズルと誰かの体がずれ落ちる音がし、さらにカランッという何かが床に放り投げられたかのようなくぐもった金属音が響いた。
「この音は犯人が現場に凶器のナイフを投げ捨てた音と見られています。実際、ナイフは現場の遺体の傍から見つかりました」
新庄が解説する。それを最後に、その場には静寂が続く。映像は撮影されっぱなしなのだが、その後一切、何の音も記録されていないのだ。未可子のあの叫び声の後だけに、この静寂は逆に不気味な何かを醸し出していた。
「……この後、映像は何の音声も残さないまま約十分間……つまりハンディカメラのバッテリーが切れるまで続きます。状況的に、この映像Dは竹倉未可子が殺害されたまさにその瞬間を記録したものと推測されています」
映像こそなく音声のみだが、それはまさにスナッフフィルム(殺人シーンを記録した映像の事)そのものと言えるものだった。しかも、映像から見るにその犯人は……。
「亡霊の殺人、か」
榊原は苦々しげに言う。そう、この四つの映像を見ると、まるで映像Bに映っていた幽霊らしき何かが彼ら三人を殺害したかのように見えてしまうのである。
「これは捜査本部が混乱するわけだ」
「えぇ。さすがに警察が『亡霊の殺人』とやらを認めるわけにはいきませんからね」
「……で、警察の現実的な見解は?」
榊原の試すような問いかけに、新庄ははっきり答える。
「どうもこうもありません。映像Bに映っていた『幽霊』はもちろん本物ではなく現実の人間の誰かで、その『幽霊もどき』が被害者たちを殺害した。我々はそう考えています」
「まぁ、妥当なところだろうな。だが、そうなると問題はその『幽霊』とやらの正体になるわけだが……」
何しろ問題の映像Bはそもそもが暗い上に幽霊との距離も離れており、光源が被害者たちの懐中電灯しかない事もあってかなり不鮮明な映像になっている。従って顔もはっきりせず、この条件から正体を特定するのはかなり骨が折れそうだというのはわかった。
「現状、この映像Bに映っている『幽霊』についてわかっている事は多くありません。まず、この幽霊は明らかに『女性』であるという事。これは鑑識が映像を解析して、幽霊の動き・歩き方や体形から運動力学的、生物学的に間違いないという事です」
「女性……」
被害者を除く事件関係者の中で女性はそう多くない。せいぜい探検サークルの福倉哀奈と吉永明日子の二人くらいだ。
「でも、さっきの話だと確か吉永明日子さんには事件当夜のアリバイがあったんですよね?」
瑞穂が尋ねると、新庄は頷いた。
「はい。名古屋の実家で行われた叔母の通夜に出席していたという動かしがたいアリバイがあります。通夜なので夜間も複数の人間と接しており、仮にこの幽霊が吉永明日子だとするならこの鉄壁のアリバイを突破しなければならないわけなんですが……」
「どう考えてもかなり難しい話だ。シンプルなアリバイだけに崩すのは骨だぞ」
榊原が断定するように言う。
「じゃあ、残る福倉哀奈さんがこの幽霊の正体って事ですか? 確か、彼女にはアリバイもなかったはずですし……」
そう言ってから、瑞穂はそう簡単な話ではないと思い直していた。そんな簡単な話だったら新庄がわざわざここを訪れるわけがない。案の定、新庄は苦々しげに問題点を告げた。
「この映像ですがね、幽霊についてわかる事がもう一つあるんです。それが、幽霊の身長です」
「し、身長?」
思わぬことを言われて瑞穂は戸惑う。
「この幽霊、九階の客室の一つから出てきていますが、不鮮明とはいえ、幽霊が客室のドアのどの辺りくらいまでの高さがあったかは判別できます。で、実際にホテルのドアの高さを測って、それと比較して幽霊の身長を算出した結果、この幽霊は身長一六〇センチ前後だと判定されました。一方、問題の福倉哀奈はモデル体型の長身な女性で、身長は一七〇センチを軽く超えています」
「……映像の幽霊と福倉哀奈では身長が合致しないという事か」
榊原が結論を言うと、新庄は頷いた。
「身長を実際よりも高く見せるなら靴なりなんなりで対処法はありますが、実際より低く見せるというのは非常に難しい話です。この点が、福倉哀奈を幽霊の正体と断定できない最大の問題となっています」
「なるほどね……」
榊原は思案する。確かに、これでは捜査本部が紛糾するのも無理はない話だった。
「それぞれの撮影時刻は?」
「記録によれば、撮影開始時刻は映像Aが十二月十一日の午後九時五十分頃。映像Bはその約二十分後で同日午後十時十二分頃。映像Cはそこから約三十分後の同日午後十時四十六分頃。最後の映像Dは同日午後十一時二分頃となっています。ちなみに、鑑識……というか圷さんの調べでは、記録や映像に細工や加工の痕跡等は一切確認できませんでした。よって、犯行時間もこの映像に記録されている時間と断定して問題ないと思われますし、トリック映像の可能性も考えなくて良さそうです」
「ハンディカメラの指紋は?」
「それについては、カメラの所有者である竹倉未可子のものしか確認されませんでした。これに加えて、『映像D』にも犯人が犯行後にカメラをいじったような音声は録音されていませんので、映像が細工された可能性はほぼないと思われます」
「ふむ……」
榊原は少し厳しい表情を浮かべていた。それも当然で、加工等がないとすれば映像に映っている幽霊の正体にますます説明がつかなくなってしまうからだ。
「この幽霊が映っている部屋の辺りの鑑識は?」
「もちろんやりましたが、残念ながら目立った痕跡は確認できていません。ただでさえ瓦礫が散乱している上に浮浪者などの出入りがあるらしく、足跡も複数入り乱れて確認されていて特定は不可能です」
ちなみに、と新庄は言い添えた。
「問題の幽霊が出てきた部屋は通路の一番端にある九一〇号室。例の小堀秋奈が亡くなった部屋です」
「……随分意味深な話だ」
榊原はそう感想を漏らすと、不意に後ろに控えている瑞穂に話を振った。
「君はどう思うね? この幽霊、それに犯人の正体について」
「え、私ですか?」
「他に誰がいる。私の助手だというなら、意見を聞かせてくれないかね?」
「うーん、そうですねぇ……」
瑞穂は少し考え込んでいたが、やがておずおずとこんな事を言った。
「幽霊とか犯人の正体とかとは正直さっぱりわかりませんけど、今までの話を聞いて気になる事があります。質問してもいいですか?」
「もちろん。この際どんな些細な事でも検討しておきたいので」
新庄が頷くと、瑞穂はこんな事を尋ねる。
「その……殺された大学生三人組ですけど、全員携帯電話を持っていたんですよね? どうして逃げている時に通報しなかったんでしょうか?」
確かにそれはそうだった。今回の現場は携帯電話の通じない絶海の孤島や山奥の館ではないのである。廃墟のホテルとはいえ杉並区のど真ん中であり、携帯電話の電波も充分に入るはずだった。にもかかわらず、被害者たちがなぜ通報しなかったのかという疑問は残る。
「確かにそれは気になるところだね。瑞穂ちゃんはどう思う?」
「そうですね……例えば、携帯電話の電波を遮断するジャミング装置みたいなものがホテルのどこかに仕掛けられていた、とか。入試会場とかイベント会場で使われる事があるって話を聞いた事があります」
悪くない推理ではあった。だが、今回ばかりは新庄が首を振る。
「残念ですが、あの高層ホテル全域を圏外にするほど強力なジャミング装置は存在しないでしょうし、あったとしても、その場合はホテルどころか周辺も圏外になるはずです。今の所事件当夜、現場近くで携帯がつながらなくなったという被害は確認されていません」
「そもそも、映像Bで彼らが実際に携帯電話を使っている姿が映っている。その手のジャミング装置の可能性は考慮しなくてもいいだろう」
「ですよねぇ」
瑞穂が少し残念そうに言う。
「実際、被害者三人の事件当夜の通話履歴はどうなっているんだ? 鑑識が解析したはずだろう」
「それがまた頭を悩ます話でしてね」
新庄は苦り切った表情で告げる。
「例のビデオで具体的な犯行時刻が特定できたわけですが、その結果、一部の通話におかしな部分がある事がわかったんです」
「おかしな部分?」
「えぇ。実は、さっきで言うところの映像BとCの撮影された時間の中間あたりの時間帯……つまり、午後十時半ごろから数分間、竹倉未可子の携帯から椎木好次郎の携帯に何度も電話がかけられているんです。この電話は双方の携帯の記録から確認されましたので間違いないものかと思われます」
「映像BとCの間……という事は、被害者たちがホテル内を逃げ回っていた頃、か」
「逃げた直後にはぐれてしまって、再合流するために携帯で連絡を取り合った、とも考えられますが……深町さんの言うようにそんな事をする前になぜ警察に通報しなかったのかわかりませんし、しかも妙な事に椎木は最初の一回にこそ出ましたが、それ以降は電話に出る事すらしていません。その度に竹倉未可子は何度もかけ直しをしていて、結局そのやり取りが七分前後続いています」
「何というか……何とかして必死に椎木さんに連絡を取りたがっているみたいにも見えますね」
瑞穂がそんな感想を漏らす。暗闇の中、どういうわけか警察に通報する事なく必死にはぐれた椎木に連絡を取ろうしている竹倉未可子の姿が頭に浮かんだ。
「映像Cの時点でこの二人は一緒にいますのでその時点では合流できていたのだと思いますが、何とも理解しがたい話です」
「合流するのに必死で、警察に通報する事が頭から抜けていた、とか」
瑞穂はいかにもありそうな推理を言うが、自分でもいささか弱いと思っているようだった。
「具体的な電話のかけ方はどうなっている?」
「ええっと……データをお見せします」
榊原の質問に、新庄は一枚の書類を示した。そこには椎木好次郎の通話記録が掲載されていた。
午後十時三十一分二十一秒:竹倉未可子から着信・通話(コール・十五秒)
午後十時三十四分秒三十秒:竹倉未可子から着信・不在着信(コール・二十三秒)
午後十時三十四分五十八秒:竹倉未可子から着信・不在着信(コール・十秒)
午後十時三十五分十秒 :竹倉未可子から着信・不在着信(コール・一分)
午後十時三十六分十三秒 :竹倉未可子から着信・不在着信(コール・一分)
午後十時三十七分十六秒 :竹倉未可子から着信・不在着信(コール・一分)
全部で六回。そして午後十時三十七分の着信を最後に両者とも一切携帯電話を使っていない。正直、かなり異様な通話履歴だった。
「最初の一回は椎木も出ていますが、二回目と三回目については椎木は出る事もなくすぐに着信を自分から切っています。残る三回は携帯を操作した形跡すらありません。この携帯は一分間相手が出ないと自動的に留守番電話対応になるので、そうなるたびに竹倉未可子がかけ直したというのが妥当でしょう」
「ふむ……」
榊原は記録をじっと見ながら考え込み、そのまま別の質問を加えた。
「残る二階堂亮馬の携帯はどうなっている?」
「そちらは空振りですね。残っていた通話は全て事件前のもので、事件当時に電話をかけた形跡も、逆に他から電話がかかってきた形跡もありません。ただ……」
「ただ?」
「最後の通話は事件の前日なんですが、その相手が吉永明日子なんです」
榊原と瑞穂は思わず顔を見合わせた。
「吉永明日子って……探検サークルの一年生のですか?」
「はい。通話時間は一分程度ですが、事件前日……つまり十二月十日の昼頃に吉永明日子から二階堂亮馬に電話がかけられていました」
「それについて吉永明日子本人は?」
榊原が静かに尋ねる。
「もちろん、改めて話を聞きましたが……本人曰く、『間違い電話』だと」
「間違い電話?」
「友人の『仁木田松美(にきたまつみ)』という高校時代の同級生に電話帳から電話しようとしたところ、間違ってすぐ上にあった『二階堂亮馬』に電話をかけてしまったと。間違い電話を謝罪して、ついでにいくつか部内の連絡事項を伝えて切ったと本人は主張しています」
確かに「二階堂」と「仁木田」なら、五十音順で並べた時に隣同士になる可能性がたかい。そうなるとそういうミスがあり得ないと言えないのが問題ではあった。
「しかし、その内容が本当かどうかを知る人間は、もはや当人しかいない」
「えぇ。ですが、電話があったのは事件前日です。明確な証拠がない以上、これだけで疑うわけにもいきません」
何とももどかしい話だった。
「あと、椎木の携帯の例の不自然な着信の前……つまり午後十時十五分頃には、大室からの国際電話が間違いなくかかっていました。これは大室自身の証言や映像Bの描写とも一致します」
「なるほどね」
そこで、榊原は少し考え込む仕草を見せた。新庄は真剣な表情で問いかける。
「どう思われます?」
「……考えがない事もないが、現状では何とも言えないな」
そう言うと、榊原は改めて新庄に向き直った。
「ひとまず、ここで聞ける情報はこのくらいか」
「この後、どうするつもりですか?」
「可能なら、現場のホテルを見てみたい。それと、いくつか調べておきたい事もある」
「現場を見る事は可能です。もちろん、建前上私が同行するという条件はつきますが」
「それで構わない。すぐに行けるか?」
「大丈夫です」
その言葉を合図に榊原は立ち上がる。どうやら、実際に現場のホテルに行くつもりらしい。
「瑞穂ちゃんは……来るなと言っても来るんだろうね」
「もちろんです!」
瑞穂の言葉に、榊原はもう諦めた風にため息をつくと、改めて新庄を見やった。
「そういうわけだ。ひとまず、そのホテルとやらを見てみるとしよう。話はそれからだ」
榊原の言葉に、新庄も重々しく頷いたのだった。
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