第四章 第一の真実

 翌七月十五日火曜日早朝、埼玉県警のパトカー数台がある建物の前で停車し、鈴木を筆頭とする捜査員数名がパトカーを降りるとその建物の方へ向かい始めた。建物は春日部市の一角にある小さな町工場で、正面には『里山家具工房』という文字が書かれているのが見える。

 鈴木は工場の入口の前に立つと、最後の捜査員たちに頷いて呼び鈴を鳴らした。しばらくして、作業服姿の五十代と思しき男が姿を見せる。

「誰だい、こんな朝早くから……」

 男は不機嫌そうに言うが、その男の鼻先に鈴木は警察手帳を突き付けた。

「警察です。里山金之助さとやまきんのすけさんですね?」

「警察……」

 そう聞いて、里山の表情が一瞬変わったのを鈴木は見逃さなかった。が、里山はすぐに元の不機嫌そうな表情に戻る。

「警察がうちに何の用ですか?」

「少しお聞きしたい事がありましてね。栃崎濱江さんをご存知ですか?」

「……さぁな。誰だい?」

「新聞をお読みにならないんですか? 数日前にこの春日部市で起こった殺人事件の被害者の名前です」

「……生憎、覚えてねぇよ。新聞なんて流し読みしかしねぇからな。それより、何でそれでうちに警察が来る事態になってるんだ?」

 だが、鈴木はそれに答える事無く別の質問を重ねた。

「この工房、一つ一つの家具をオーダーメイドで作っていて、地元に密着したお仕事をなされているそうですね」

「そうだが……」

「つかぬことを聞きますが、今は廃墟になっている『紫苑観光旅館』にも調度品の家具を提供された事があるとか?」

 一瞬、里山の顔が引きつったように見えたが、すぐにまた元の表情に戻って不承不承頷く。

「あぁ、確かに提供したよ。地域の調度品を優先的に使いたいと注文があったからな。あれは大きい仕事だった」

「その調度品、具体的にはどのようなものを?」

「どのようなものって……机とか椅子とか……」

「それに、ロビーに設置するソファとか、ですかね?」

 今度こそ、里山の顔色がはっきり変わった。

「あんたら、何が言いたいんだ?」

「おや、ソファに何か嫌な事でも?」

「そういうわけじゃ……とにかく、俺は忙しいんだ。もう、帰ってくれないか?」

 そう言って里山は話を切り上げようとするが、鈴木はそれを許さなかった。

「そうはいきません。話はまだ終わっていませんよ」

「何を言って……」

 なおも反論しようとする里山の鼻先に、鈴木は一枚の紙を突き付けた。

「里山金之助、さいたま地方裁判所から家宅捜索令状が出ています。この工房を調べさせてもらいますよ」

「な、何のために……」

「調べればわかります。やるぞ」

 鈴木の言葉と同時に、背後の刑事や鑑識たちが一斉に工房内に踏み込んでいった。中にいた数名の作業員たちは、いきなりの事態にわけもわからず呆然としている。

「一体何のつもりなんだ! いきなりこんな……」

「殺人事件の捜査ですよ」

 里山の背後から声がかけられる。振り返ると、そこにはくたびれたスーツを着た四十代前後の男……私立探偵・榊原恵一が立っていた。里山は彼も警察関係者の一人と思ったらしく、激しく食って掛かる。

「殺人の捜査って……どうして俺がそんな疑いを……」

「……被害者はあの廃墟旅館のソファの上から見つかりました」

 唐突に榊原は自身の推理を語り始める。

「被害者は肝試しに行く旨を友人数名に告げており、遺体には動かされた形跡はありませんでした。状況から見て、彼女があの廃墟のソファの上で殺害されたようにも見えるのも無理はありません。しかし、それにしては妙な事があるのです」

 そう言うと、榊原はビニール袋に入った古新聞を示した。

「この新聞は遺体が発見されたソファの足の下に挟まっていた物です。しかし、だとすると妙な事になる。この新聞記事冒頭の記事は『洞爺湖サミット開会』というものですが、洞爺湖サミットが開会したのは二〇〇八年七月七日月曜日……すなわち、事件が発生する三日前の事です。廃墟なので一見すると見過ごされがちですが、当たり前ながら新聞が勝手にソファの足の下に挟まれる事などあり得ません。そのような事が発生するには、ソファを一度持ち上げて新聞の上に足を乗せる必要があります。しかも、挟まれていた新聞紙に書かれていた記事は事件のわずか三日前のもの。つまり、遺体が発見された問題のソファは、洞爺湖サミットが開会した七月七日から、事件が発生し、遺体発見後に警察が捜査するまでの間に一度持ち上がっていた事になるんです。そうでなければ新聞がソファの足の下に挟まれるなどという現象は絶対に発生しません」

 さらに榊原は続ける。

「しかもこの新聞、ソファの下にあった割に破けた痕跡などがありません。仮に……ソファの足の下に新聞が挟まれた状態でソファの上で被害者が殺害されたとなれば、被害者が抵抗する事によってソファは激しく揺れ、それによって足の下に挟まっていた新聞には少なからず破けるなりの損傷が生じるはずなのです。しかし、この新聞にはそれがない。それはすなわち、殺人が行われた時にこのソファの下にこの新聞記事は挟まっていなかった事の証明になります。つまり、ソファが持ち上げられて新聞紙が足の下に挟まったのは、被害者が殺害された後という事になってしまうのです。遺体に動かされた形跡がない以上、その際ソファの上にはすでに被害者の遺体があったはず。つまり、事件発生後に遺体が乗ったソファを持ち上げた何者かが確実に存在したはずなのです。言うまでもなく、それは犯人の仕業と考えて間違いないでしょう」

 そして榊原は里山の方をジッと見やる。

「では、犯人がそのような事をした目的とは何なのか? 私は先程、被害者が問題の廃墟で殺された事を証明する理由として二つの事実を挙げました。すなわち、『被害者が肝試しに行く旨を友人に伝えている事』、そして『被害者の遺体に動かされた形跡がない事』です。しかし、冷静に考えてみれば前者についてはあくまで被害者本人の自己申告に過ぎず、その後、遺体が現場の廃墟から見つかった事で『被害者が生前言った事は事実だった』と後付けで認定されたに過ぎません。さらに後者に関しても、確かに遺体に動かされた痕跡はありませんでしたが、それはあくまで『ソファから動かされた痕跡がない』だけで、例えば被害者を乗せたままソファごと移動されたとなれば、被害者に移動の痕跡を残す事無く遺体を動かす事は充分に可能となります」

「……」

 黙り込む里山。そんな中、榊原は容赦なく告げる。

「タネがわかれば簡単な話だったんです。被害者は確かに肝試しに行くと自己申告したがそれは嘘で、本当は別の場所で殺害された。被害者は確かにソファの上で殺害されたが、それは遺体が見つかった廃墟のソファの上ではなく、別の場所のソファの上で殺害された後にソファごとあの廃墟に移動させられ、元々廃墟にあったソファと入れ替えられた。そう考えれば、新聞の矛盾に説明がつく事になるんです。つまり……被害者はあの廃墟ではない別の場所で殺害され、そしてその後犯行現場を偽装するために廃墟に運び込まれた。これがこの事件の真の姿だったんです」

「……」

「仮にそうだとすれば、発見された証拠上におけるもう一つの矛盾点……すなわち、肝試しに来たはずにもかかわらず、現場の遺留品に本来なければならないはずの懐中電灯などの光源が存在しなかった事にも説明がつきます。仮にソファの入れ替えが事実であるなら、何度も言うように被害者は廃墟ではない別の場所で殺害された事になる。となれば、その場所が例えば屋内など明かりがある場所だったとするなら、被害者がわざわざ懐中電灯を持っていく必要性がないんです。殺害後、犯人はソファをこの廃墟に運び込んで肝試し中の殺人に偽装しましたが、元々被害者が持って来てもいなかったため肝試しに絶対必要であるはずの光源を遺棄する事ができず、それか結果的に『懐中電灯を持たないまま肝試しに来た』というおかしな状況を生み出してしまったわけです。もっとも、我々としても当初は『犯人がわざわざ犯行後に懐中電灯を回収した』という説明に困る推測をしていたわけですが……タネがわかれば何のことはない。懐中電灯は犯人が持ち去ったわけではなく、最初からこの場になかったんです」

 榊原は静かな口調のまま淡々と推理を告げていく。

「しかし、これらの推測が事実なら一つ見過ごせない点があります。それはすなわち『犯行が行われたソファと現場にあったソファは同じメーカーのものでなければならない』という点です。あの廃墟は旅館倒産後に様々な人間が出入りしていて、その状況で遺体が発見されたソファが別のものになってしまっていたらいくらなんでも入れ替えに気付く人間が出てきてしまいます。この偽造は被害者が廃墟マニアである事を知っていて、かつ殺害されたソファが廃墟にあるソファと同一であったという前提がなければ成立しないものなのです。普通なら同一メーカーのソファなど全国にいくらでもあるのでこの観点から犯人を特定するのは難しいのですが……今回ばかりは事情が異なりました。他でもない、あの廃墟旅館に使われていた調度品は、全て地元の業者のオーダーメイド品だった事で知られていたからです。だとすれば、同じソファを所持している人間は極めて限られる事となります」

 さらに榊原は畳みかける。

「しかも今回、犯人は殺害後すぐにこの偽造を思いつき、実行に移しています。となれば、犯人は自身が被害者を殺害したソファが廃墟旅館にあるソファと同一のものである事を犯行前から知っていた事になります。そうでなければここまで素早い偽造工作の実行はとてもではありませんが不可能です。では、果たして今まで挙げた条件に合致する人間は存在するのか? 普通に考えて、廃墟となって誰も近づかなくなった旅館にあるソファと犯行に使用したソファが同一である事を覚えていて、しかも犯行後に咄嗟に思い出せる人間などまず存在しないでしょう。しかし、たった一人それができる例外がいます。すなわち、このオーダーメイドのソファを作った張本人であり、それゆえに納品という形で問題のソファが廃墟旅館にある事を知っていて、また同一の形状のソファがおそらくは在庫として手元に多数存在するであろう人物……あの旅館の調度品であるソファを作ったという地元の工房の関係者です」

 そして、榊原は静かに無慈悲な一言を告げた。

「あなたですよ。里山金之助さん」

 里山は答えなかった。ただ、歯を食いしばって何かに耐えるような表情を浮かべている。昨日、榊原が言った謎のセリフ……すなわち「誰が犯人なのかはわからないが、犯人の正体はわかった」というのはまさにこの事だった。それはつまり、「犯人の具体的な名前はわからないが、現場の状況から犯人の正体がソファを作ったメーカーの関係者である事はわかる」という意味だったのである。そこまでわかってしまえば、後はそのメーカーならぬ工房について徹底的に調べれば、事件の真相が明らかになるのは時間の問題であった。

「犯人が一般個人ではなくメーカーもしくは工房の関係者であるという証拠はまだあります。例えば、遺体の乗ったソファ……さらに言えば現場近くで発見されたという被害者の自転車もですが、とにかくそれらの物を廃墟まで運ぶとなれば間違いなく何らかのトラックが必要となります。しかし、一般個人が都合よく軽トラックを持っている可能性はそこまで高くないし、百歩譲って持っていたとしても遺体が乗ったソファを軽トラの荷台に乗せて深夜に現場まで運ぶというのは、たとえソファにビニールシートなりをかぶせて隠すとしても、心理的に抵抗がある話です。なぜなら、その異常な行動をパトロール中の警察に見つかったらとがめられる可能性があり、それを乗り切れる算段がない以上はどうしても抵抗の方が勝ってしまうからです。しかし、それがメーカーだとすれば話は別。メーカーのトラックが商品のソファをトラックに乗せて運ぶのは普通の話ですし、警察に職務質問を受けてもシートを外す事なく追及を乗り切る事は充分に可能です。と言うより、家具工房なら輸送の際の風雨の事を考えて軽トラどころかコンテナ式のトラックを所有しているでしょうし、その中に入れて運べば不審に思われる事さえありません。当然、この工房にもその手のトラックはありますよね?」

 里山は答えなかったが、その沈黙そのものがもはや一つの答えとなっていた。と、そこへ鈴木が重苦しい表情で里山の所へ戻って来た。

「工房内を調べた結果、現場の廃墟にあったのと同じデザインのソファの在庫が三つほど見つかりました。今、鑑識が調べていますが、そのソファの一つに煙草の焼け焦げがあるものが見つかりました。在庫の商品に煙草の焼け焦げがあるというのは不自然な話ですね」

「……」

「多分、そのソファこそが現場から入れ替わりに持ち出したソファなんでしょう。まぁ、元は廃墟に放置されていたソファですから、あそこに出入りしていた良からぬ人間が煙草を押し付けたりしたんでしょうね。物が物だけに捨てるわけにもいかなかったんでしょう。家具工房が自社製品のソファを粗大ゴミで出すというのも不審な話ですし、だからと言って皮の張替えなどをするには五日という時間はあまりにも短すぎましたな。もっとも、『簡単にばれるわけがない』というおごりもあったんでしょうが」

「……」

「まぁ、あれが廃墟にあったかどうかはすぐにわかりますよ。今、鑑識がソファに付着した埃を採取しています。おそらく、廃墟の埃と一致するはずです。もしそうなら、廃墟にあったソファがなぜこの工房にあるのかという説明をあなたにはしてもらう必要が出てきます。それと、遺体が発見されたソファの方も今再鑑定をしていまして、そこから採取した埃をこの工房の埃と比較検討したいと思っています。我々の推測が正しいなら、現場にあったソファの埃の一部がこの工房の埃と一致するはずです。それだけでも、ソファの入れ替えが実行に移されたという動かぬ証拠になりえます」

「……」

「それと、工房脇に止めてあったトラックも調べさせてもらいましたよ。荷台のコンテナの中を調べた結果、中から女性のものと思しき数本の髪の毛が発見されました。また、同じ長さの髪の毛が問題のソファの傍からも何本か見つかっています。もちろん犯行後に掃除はしたんでしょうが……詰めが甘かったようですね。その髪の毛の毛根に残っているDNAが被害者のものと一致したら、決定的ですね」

 そこまで聞いて、里山はガクリと肩を落とした。が、榊原はさらに追い打ちをかける。

「さて……それはそれとして、共犯者の名前を言ってもらいましょうか」

「なっ……」

「当然でしょう。遺体が乗ったソファを一人で移動する事などできません。工房内なら最悪リフトなりを使えばいいのかもしれませんが、廃墟ではそうもいきませんからね。ソファを運ばなければならないという犯行の形態上、少なくとも二人の人間がこの犯行に加担しているのは明白です。犯行が深夜で、なおかつ犯人がトラックの鍵を持っていると考えると、犯人の一人は工房の経営者であるあなたで間違いないはず。さて……もう一人は誰ですか? 知らないとは言わせませんよ」

「そ……それは……」

 と、その時だった。不意に工房内が騒がしくなり、やがて刑事の一人が鈴木の元へ駆け寄って来た。

「警部! 工房の作業員の一人が逃亡を図りました!」

「逃亡だと?」

「工房を出たところで取り押さえましたが、その際抵抗したので、公務執行妨害で現行犯逮捕しました。今、パトカーで事情聴取をしていますが、栃崎濱江殺害を認めるような供述を少しずつ始めているようです」

 そして、その刑事は里山の方をチラリと見ながら告げた。

「被疑者は里山誠佑さとやませいすけ。里山金之助の息子でこの工房の専務です」

 それを聞いた瞬間、里山はガクリとその場に崩れ落ち、榊原と鈴木が見下ろす中、深くうなだれて嗚咽を漏らし始めたのだった……。


 同日、埼玉県警は栃崎濱江殺害容疑で里山家具工房経営者の里山金之助と、同専務の里山誠佑の親子を春日部署の捜査本部に任意同行し、その日の夜には逮捕状が執行された。予想外の犯人の正体に地元の人間は驚きを隠せないでいるようであったが、ばれるはずがないと思っていた犯行をいともあっさり暴かれた事ですっかり観念しているようで、両者とも比較的素直に自供を始めていた。

 榊原をはじめとする捜査陣がどうしてもわからなかったのは動機であった。遺体の着衣は乱れていたが、実際の性的暴行の痕跡が確認されなかった事からこれは「廃墟で襲われた」事を印象付けるための偽造工作の可能性が高いというのが榊原の判断で、実際の動機はもっと別なものであると推測されていた。そして実際に取り調べを進めた結果、思わぬ動機が浮かび上がってきたのである。

「二週間前に起こった事故だと?」

 春日部署の取調室で、取り調べを担当した鈴木が里山誠佑の言った言葉を繰り返した。対して、憔悴しきった様子の誠佑は、力なく頷いてぼそぼそと供述を始めていた。

「はい……路線バスと歩行者が接触して歩行者側が亡くなったという事故です」

 その事故なら、事件前後にこの周辺で起こった事件という事で一応調べていた事から鈴木も詳細をよく知っていた。

「それは七月三日木曜日に春日部市内の国道○○号線で起こった事故の事か? 被害者の名前は末次拓彦すえつぐたくひこ。仲間内からは『タク』と呼ばれていたようだが」

「相手の名前は知りませんが、その事故で間違いないと思います。……俺はあの日……あの男を歩道からバスの方へ突き飛ばして殺してしまったんです」

 どうやら、問題の事故はただの事故というわけではなかったようである。ただ、名前を知らないという事は、以前からの知り合いというわけではないようだった。

「あの日……俺は仕事上の用事を終えて、あの国道の歩道を歩いていました。ところがその時歩きながら携帯を見ていて前をよく見ていなかった事もあって、すれ違ったあの男とぶつかってしまって……それで因縁をつけられてしまったんです」

「因縁、ねぇ」

「はい。ぶつかった拍子に相手が持っていたジュースが相手の服にかかってしまって、それを弁償するように言われました。ただ、その額がとんでもなくて……一目見て、相手が堅気の人間でない事はすぐにわかりました。それで口論になってしまって……気付いたら、相手を道路の方へ突き飛ばしてしまったんです」

 そして、そこにタイミングが悪く路線バスが通りかかり、突き飛ばされた末次が跳ね飛ばされたというのが誠佑の主張だった。もちろん、彼の一方的な話なので鵜呑みにするのは危険だが、経緯はともかく事故の状況は概ねこれに近いものだったのではないかと鈴木は感じたようだった。

「突き飛ばしたところにちょうど看板があって、路線バスの運転手は看板の影にいた俺の存在に気付いていないようでした。俺は一瞬頭が真っ白になりましたが、気付いたらその場を逃げ出していました。結局、あの事故現場に俺がいた事はバスの運転手や乗客を含めて誰も気づかないままで、実際あの後の新聞でも事故扱いされていたんです。ところが……本当はその様子を、あの子に見られてしまっていたんです」

「あの子というのは、被害者の栃崎濱江の事だな?」

「はい……」

 誠佑の話によれば、あの日、肝試し目的で寮を抜け出して現場の国道近くにある廃墟を目指していた濱江は、偶然にも誠佑の犯行と、その後彼が逃げ出した光景を目撃してしまったのだという。そして実は、誠佑と濱江はそれ以前からの知り合いでもあった。

「俺は以前、地元の振興活動の一環としてボーイ&ガールスカウト活動のボランティアをしていた事があって、その時ガールスカウトとして当時小学生だった彼女がその活動に参加していたんです」

 そう言われて、鈴木は彼女の自室にガールスカウト活動に参加していた時の写真があったのを思い出していた。誠佑はさらにこう続ける。

「当時から彼女はそういう野外活動が好きな活発な性格で、廃墟巡りもその延長線上だったんだと思います。もっとも、それ以降は毎年年賀状を出し合う程度の関係で直接会ったりする事はなかったんですが、彼女は俺の顔をしっかり覚えていたようでした。あと、彼女がよく廃墟巡りをしているという話も、その年賀状に書かれていた話で知っていました。それがまさか……あんな事になるなんて……」

 呻くようにそう言いながら誠佑は、いよいよ事件当夜の事を語り始めた。

「あの日……あの子がいきなり俺に話したい事があると公衆電話から連絡をしてきました。携帯が壊れたから公衆電話からかけていると言っていましたが、わざわざそこまでして連絡を取ってくるなんて、正直、悪い予感しかしませんでした。でも無視するわけにもいかず、夜にうちの工房にくるように言ったんです。誰にも気づかれないように在庫の置かれている倉庫に案内して話を聞いたら……彼女はあの事故の時に肝試し目的で現場にいた事、そして俺が起こした事をすべて見てしまったという事、そしてその上で俺に自首してほしいと言ってきました。俺は……そんな事はできないと言ったんです。そしたら、あの子は自分が警察に通報すると言い出して、それで……」

 誠佑はそこで一度言葉を切ると、振り絞るように言った。

「それで……気付いたら俺は……彼女を倉庫にあった在庫のソファの上に押し倒して首を……」

「馬鹿な事を……」

 鈴木が思わず呻く。どうもこの里山誠佑という男は、自分にとって予想外の事が発生してしまうと自分を制御できなくなってしまう性格らしい。

「我に返った時には、ソファの上で彼女は息絶えていました。そしたらその時……異変を感じた親父が倉庫に顔を出したんです」

 倉庫内の惨劇を見て、当然、父親の里山金之助は息子を問い詰め、誠佑は事の次第を全て白状したのだという。だが、その後金之助は息子を警察に突き出すのではなく、事件を隠蔽する事を選んでしまったのだ。

「女房が病気で死んだ今となっては、息子は俺に残された唯一の宝だった。そんな息子を突き出す事など……俺にはできなかった……」

 別室で行われた取り調べで、金之助はそう自供した。その自供によれば、金之助は息子から被害者が肝試しのために廃墟をうろつく事が多かったという事を聞き、あの廃墟旅館に残されたままになっていたソファと実際の犯行に使用されたソファを入れ替えて犯行現場を誤認させ、罪を逃れる手法を思いついたのだという。

「彼女が携帯を壊していて公衆電話から息子に連絡を取ってきたという事を聞いて、天は俺たちに味方していると思った。携帯を持っていないなら、後から携帯の位置情報で本当の犯行現場を悟られる危険性もないと思ったからな」

 そして、二人は遺体をソファに乗せたまま仕事用のトラックの荷台コンテナに乗せ、そのまま廃墟にソファごと運び込んだのだという。この時点で時刻は確実に零時を回っていたという事だった。なお、この時同時に被害者の乗ってきた自転車や所持品も同時に運び込み、自転車は廃墟の敷地に入る脇道の入口にさも彼女が駐輪したかのように放置し、また、被害者の持ち物もソファの近くに放置しておいたのだという。ただこの時床に落ちていた古新聞をソファの足で踏んでしまい、しかも暗闇の中での作業だったため二人ともこれに気付かなかった事が、結果的に榊原にソファの入れ替えの可能性を気付かせる致命的なミスとなってしまった。また、元々肝試し目的ではなかった事から被害者が懐中電灯のような肝試しに必須の光源を所持していなかった事も誤算だった。とはいえどうする事もできず、不自然である事を覚悟で懐中電灯の遺棄を諦めねばならなかったのだという。

 そして、廃墟での細工が全て終わると、二人は元々廃墟に置かれていたソファをトラックの荷台に積み込み、工房へと帰還したのだという。廃墟から回収したソファはパッと見た限り破損らしい破損もなく、何よりこの時期に捨ててしまうといらぬ疑いを抱かせる結果になってしまうため現場の倉庫に保管されていたのだが、結局それが大きな証拠を残す事に繋がってしまったのである。

「まさかこんなにあっさりばれるとは……」

 よほどこの入れ替えトリックに自信があったのだろう。今まで明らかに容疑者圏外にいたはずの自分たちの正体がこうもあっさり見破られてしまった事に里山親子はそれぞれの取調室で肩を落とす事になったが、その裏に「真の探偵」と呼ばれる名探偵の存在がある事は、二人とも最後まで気付く事はなかったのだという……。


 ……こうして、栃崎濱江殺害事件については解決した。だが実は、この期に及んでも解決していない問題が一つだけあったのである。そして、それを見過ごすような榊原ではないのは、もはや自明な事であった……。

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