第五章 第二の真実

 栃崎濱江殺害事件が解決した翌日の七月十六日水曜日、榊原はある建物の前に立ってある人物が出てくるのを待っていた。そして、その人物が出てくるのを見ると、さりげなくその人物の前に立ちふさがり、小さく頭を下げた。

「どうも」

「あなたは……」

 榊原の挨拶に相手は困惑する。が、榊原は気にせぬ風にこう続けた。

「またお会いしましたね。改めてちゃんと自己紹介しますが、私は私立探偵の榊原恵一と言います。以後、お見知りおきを」

「探偵……ですか」

「はい。今回は、さる依頼で栃崎濱江さんの事件を調べていました。まぁ、ご承知の通りそれについては昨日解決をしたわけなのですがね。実はその件について、一つ納得できていない点があるのです。それについてあなたとお話したいと思い、失礼ですがこうして待っていたというわけですよ」

 そう言うと、榊原はこう続けた。

「立ち話もなんです。少し移動しませんか? それとも、私の話を聞くのが怖いですか?」

 そして、榊原はその人物の名前を告げる。

「御答えを聞きましょう。足利輝美さん」

 その言葉に、彼女……聖ルミナル女学院学生寮を出たばかりの足利輝美は、どこか困惑したような表情を浮かべていたのだった……。


「今回の事件は、終わってみれば至極単純な構造のものでした」

 榊原は輝美と一緒に寮の近くにある公園のベンチに並んで座り、当惑気味の表情を浮かべている輝美に淡々と話をしていた。

「被害者が肝試しに行くと嘘をついた上で犯人の工房を訪れ、その後工房内で殺害。犯行後、犯人が現場を偽造するために遺体をあの廃墟に運び込んだ。本来ならただそれだけの話で、事件がここまで複雑化する要素はなかったはずなのです。普通だったら被害者が行き先を誤魔化した可能性は当然警察も考慮できたはずですし、被害者の足取りをたどれば犯人を特定するのにここまで苦労する事はなかったはずです。しかし、今回事件がここまで複雑なものになってしまったのは『被害者が廃墟を訪れて殺害された』という仮説を立証する要素が複数存在してしまった事で、被害者が廃墟以外の場所で殺害された可能性を警察が考慮できなかった事にありました。それはもちろん、出かける際に被害者がついた嘘や犯人側が遺体を廃墟に移動したという偽装工作も大きかったのですが、それを補強するように存在した第三の要素……すなわち、『事件前後に自転車で廃墟へ向かっている聖ルミナル女学院の制服を着た女子高生を見たという第三者の目撃証言』がこの誤認に大きな役割を果たした事も事実です」

 榊原はチラリと輝美を見ながら言葉を紡いでいく。

「今回事件の真相がわかった事で、被害者が出かけに嘘をついていた事と、犯人が廃墟に遺体を運ぶ偽装工作をした事は明らかとなりました。ところがまだ一つ……『事件前後に廃墟に向かう女子高生を見た』というこの目撃証言は事件が解決した今となってもなお謎のまま残ったままです。私はね……探偵として、謎が残ったまま事件から手を引く事がどうしてもできないのですよ。なので、最後に残ったこの謎の目撃証言について考えてみる事にしました」

「そんなの……ただの見間違えとかじゃないんですか?」

 輝美が至極常識的な推論を返す。

「確かにそうかもしれません。ですが、そうではない可能性も存在するわけです。そこで私は、まずこの目撃証言が事実だったと仮定して推理を重ねてみる事にしました。それでもなお合理的な結論が出ないのであれば、前提となる過程そのものが間違いという事になり、すなわち目撃者の見間違い、もしくは悪意を持った偽証言である事が確定するという論理です。まぁ、数学的に言うなら一種の背理法という奴ですよ」

 そう前置きして、榊原は自身の推理を語り始めた。

「まず、その目撃された女子高生が被害者だったという推理は、事件の真相がこうして明らかになった今となっては完全に否定されます。被害者の栃崎濱江は事件当夜、あの廃墟には行っていなかった。真の現場である里山家具工房の工房を訪れ、そこで殺害されたんです。最初に廃墟に行ってから工房へ向かったという推理は成り立ちません。そんな事をする意味がありませんし、そもそも問題の工房は寮を挟んで廃墟と真反対にあり、所要時間はこちらも寮から自転車で三十分程度。彼女が最後に寮で目撃されたのが午後十時半で死亡推定時刻が午後十一時から零時の間である以上、時間的に辻褄が合わなくなってしまうからです」

 榊原はまず今まで考えられていたストーリーを潰した上で新たなストーリーを構築していく。

「では真実は何なのか? 廃墟付近で目撃された女子高生は被害者ではなかった。ならば結論は単純です。あの時、廃墟付近で目撃されたのは被害者ではなく同じ学校に通う別の女子高生だった。そう考えなければこの状況に説明がつきません。となれば、その女子高生は誰で、なぜあの時間に廃墟の傍をうろついていたのかという問題が発生します」

 そして、そのまま改めて輝美の方をジッと見やる。

「問題の人物がこの聖ルミナル女学院の制服を着ていた以上、その人物は寮の入寮者の誰かと考えるしかありません。君の通う聖ルミナル女学院は私生活でも制服の着用を義務付けられ、特に寮生は寝間着や体操服、各種クラブのユニホームといった例外的なもの以外の私服の寮への持ち込みを禁じられています。つまり、あの時間帯にもかかわらず制服でうろついていたとなれば、制服しか持っていない寮生以外に考えられない。仮にその人物が寮生以外なら、目立たないためにも元々家にあった私服を着ていたはずですからね。その上で、あの寮は基本的に二人で一部屋をルームシェアする形をとっており、つまりそれぞれに完璧なアリバイがある。確認したところ、午後十一時とはいえ宿題等をしている人間も多く、同じ部屋の人間がいなかったと証言する入寮者は存在しないようでした。……ただ一人、相部屋の人間が肝試し名目で外出してしまい、部屋に一人で残されていた君を除けば、ですがね」

「……私が、廃墟で目撃された女子高生だと、そう言うつもりなんですか?」

 輝美は振り絞るような声で聞き、榊原は黙って頷いた。

「該当者は君しかいません。実際の所、どうなのですか?」

「……答える必要性を感じません」

 輝美はそう切り返したが、榊原は容赦なかった。

「否定したところで無駄です。警察が改めてあの廃墟をちゃんと調べれば、君が廃墟を訪れた痕跡は必ず出てくるはずです。指紋に足跡……それに自転車で廃墟に行ったとなれば、おそらく自転車のタイヤ痕も」

「……」

「これまでの捜査では警察が事件に関係ないとされていた君の指紋や靴跡のサンプルを採取していなかったためそうした痕跡の比較検討ができていませんが、事情がわかれば警察が君からのサンプル採取を躊躇する事はないでしょう。君が拒否しても、さいたま地裁に令状請求すれば裁判官がこれを拒否する事はないでしょうね」

「……仮にそうした痕跡があったとしても、それがあの事件の日の夜だとは限らないのでは?」

 輝美のささやかな反撃に、榊原はジッと輝美を見据える。

「行った事は認めるのですか? だとすればなぜ? オカルト研でも何でもない君が、地元の人間でさえ危険という理由で近づかない廃墟に出入りしていた理由を論理的に説明できますか?」

「それは……」

 輝美が言葉に詰まる。

「もっとも、事件当夜に君があの廃墟に行った事は楽に証明できると思いますよ。何度も言うように事件当夜に廃墟に向かう聖ルミナル女学院の制服を着た女生徒が目撃されていて、状況から見てそれは君以外に考えられないのですからね。となれば、事件当夜に君が廃墟に行って各種痕跡をつけたと考えるのが自然でしょう」

「……」

「さて、そうなると一つ不思議な事があります。君があの日、あの時間帯にあの廃墟を訪れていたとなれば、あの廃墟で殺人事件がなかった事は君自身がよく知っていたはずです。何しろ君は、栃崎濱江が工房で殺害されたまさにその時間、何事も起こっていない問題の廃墟にいたはずだからです。ではなぜ、君はあの廃墟で殺人がなかった事を警察に言おうとしなかったのでしょうか? それを言いさえすれば、私が出るまでもなく事件はすぐに解決していたはずです」

 その問いかけに、輝美は答えようとしない。ただただ俯くばかりである。

「そもそもの話として、今回の事件、当初はあの廃墟に頻繁に出入りをしていたチンピラたちが容疑者扱いされていて、実際に事件当夜の死亡推定時刻前後に彼らがあの廃墟にいた事は様々な証拠から確実であるとされています。まぁもっとも、真犯人だった里山親子が遺体の乗ったソファを廃墟に運び込んだ際には廃墟に人影はなかったと自白しているようですので、その時点ではすでにあの場から去っていたようですが……仮にあの夜あの廃墟を訪れたのが君だとするなら、君は確実にこのチンピラたちにあの廃墟で遭遇しているはずです。本来であるなら、女子高生の君がチンピラのいる廃墟を訪れてただで済むとは思えない。チンピラからすればまさに『飛んで火にいる夏の虫』の状態なわけですからね。にもかかわらず、君は事件後も何事もなかったかのように振る舞い、実際、そんな状況にもかかわらず、あの廃墟内では彼らとの間で何もなかったようです。なぜなら廃墟内で暴力的な何かあったとすれば後に行われた鑑識の捜査でその痕跡が見つからなければおかしいですし、そもそもそんな事になったら一時間程度で帰れるわけがありません。ですが実際の所、その後遺体遺棄のためにあの廃墟を訪れた里山親子と君たちは鉢合わせをしていない。となれば、君とチンピラたちの接触は一時間以内という極めて短時間で終了した事になる」

「……」

「すでに言ったように、君はあの廃墟で確実にチンピラたちと遭遇している。しかしどうも単純にチンピラに襲われたとかそんな話ではないらしい。一体そこで何があったんですか?」

 榊原はあくまで静かに尋ねる。が、輝美は答えない。膝の上で拳を握りしめて俯いている。

「まぁ、答えたくないならそれはそれで構いません。大方の予想はできていますのでね」

「え……」

「廃墟内で暴力的な何かがなかった以上、あの廃墟において君とそのチンピラたちの間では何らかの合意、もしくは話し合いがあったとみるべきでしょう。となれば、君があの日、そもそもあの廃墟を訪れたのは、このチンピラたちと出会う事そのものが目的だったと推察せざるを得ません。その上で、チンピラのリーダー格だった大町銀太郎がかつて麻薬や拳銃の密売で検挙された前科があるという事実を踏まえれば、君の目的が何だったのかはおぼろげながら想像がつきます」

「それは……」

「君の今までの言動を見る限り中毒者特有の症状は確認できないので、麻薬の使用という線はなさそうです。君自身は売人で他の生徒に売りつけていたという恐ろしい可能性も考えましたが、今日、一通り寮から出てくる生徒たちを観察した限り、麻薬中毒に陥っているような生徒は確認できませんでした。これについては後々ちゃんとした検査は必要になるでしょうが、まぁ、問題はないと思います。となれば、君の目的は……」

 その瞬間だった。輝美は持っていた鞄から素早く何かを取り出すと、ベンチから立ち上がって榊原に何かを突き付けた。それを見て、榊原は特に取り乱す様子もなくベンチに座ったままゆっくりと彼女の方へ視線を向けると、あくまでも静かに、敬語を崩しながらも冷静な口調で言った。

「やはり、そういう事だったか」

 榊原の視線の先……そこには震える手で拳銃を榊原につきつける足利輝美の姿があったのだった……。


「君の目的は拳銃の購入。売り手は拳銃密売の前科がある大町銀太郎で、彼はその取引のためにあの廃墟にいた。つまり、君と大町はあの日、あの廃墟で拳銃の取引をしていたという事だ。確かにそれが事実なら、それを警察に言う事などできなかっただろうな」

 榊原は彼女が自分に拳銃を突き付けている事など気にも留めないように淡々と告げる。一方、正体を暴かれた輝美は蒼ざめて引きつった顔をしながら、ガクガクと手を震わせながら拳銃を突き付け、榊原を威嚇していた。

「う、動かないでください! 動いたら撃ちます!」

「動くも何も、そんな事はさっきからしていないはずだがね。私はただ話をしているだけだ」

 あくまでも冷静な榊原に対し、思ったような反応がないのに苛立っているのか、輝美の拳銃を握る手に力がこもっているのが見えた。

「話を続けても構わないかね?」

「こ、これ以上何を話すっていうんですか!」

「言葉を返すようでなんだが、君こそこれからどうするつもりだね? 私にちょっと揺さぶりをかけられたくらいでこんな所で拳銃を取り出して、ただで済むとでも思っているのかね?」

「それは……」

「何の目的で拳銃を買ったにせよ、その目的は私を射殺する事ではなかったはずだ。ここで発砲すれば、私を殺そうが弾が外れようが、その時点で事件になる。銃声がした時点で事件を隠すなど不可能だし、そうなれば通報を受けた県警が威信をかけて君を捕まえにかかるはずだ。逃亡しても無駄だ。君が目的を達成する前に、警察は確実に君を逮捕するだろう。もっとも……このまま何もせずに逃亡したところで、私は即座に警察に通報するつもりだがね。要するに、拳銃をこんな所で出した時点で、君の目的はすでに破綻してしまっているという事だ」

「……」

 今の彼女は、まさに窮鼠猫を噛むの状態だった。とはいえ、榊原としても撃たれたくなどないので、ここから先は慎重に言葉を選んでいく。

「話は変わるが、その拳銃、いくらで買ったのかね?」

「……二〇〇万円」

 輝美はぼそりと呟いた。

「大金だな。察するに、先日事故死した銀行強盗が残した遺産でも使ったのかね?」

「っ! ど、どうしてそれを……」

 驚く輝美に榊原は淡々と説明する。

「女子高生の君が拳銃ないし麻薬を買うとなればそれ相応の金がいる。しかし君の財政状況を調べても、そんな大金が動いたような形跡はなかった。ならば何か臨時収入があったと考えるしかないが、それに該当しそうな話が、同じ春日部市内で事故死した銀行強盗の盗んだ金がまだ見つかっていないというあのニュースくらいしか思いつかなかった」

 事件の一週間前である七月三日発行の新聞の社会面に載っていた、春日部市内で銀行強盗が事故死したという記事を思い出しながら榊原は言う。日々発生する事件の情報を常になるべく頭に入れている榊原にとって、この事件を頭の奥から引き出してくる事など造作もない事だった。

「県警に聞いた結果、問題の事故が起こっていたのは聖ルミナル女学院と学生寮の間にある住宅地の一角で、その住宅地の傍には小さな雑木林があった。そこで私は考えた。もしや、強盗は事故直前にその雑木林に強奪した金を隠していて、事故後、それに気付いた君が雑木林からその金を回収する事に成功したんじゃないかと。そして、濡れ手に粟状態で手に入れたその金を使って拳銃を購入する事にしたのではないかとね」

「……」

「過去の裁判記録を調べたところ、前回検挙された際、大町銀太郎は飛ばしの携帯を使って拳銃や麻薬の売買を受け付けていたらしい。今回も手口は同じだろう。何らかの方法……おそらくはネットの裏サイトの類だとは思うが、それで大町への連絡先を知った君は、記録が残らないように公衆電話か何かで大町に連絡を取り、そしてあの日の夜、あの廃墟で実際に拳銃と現金の取引を行った。そういう事なんだろう?」

「……」

 どうやらドンピシャだったらしく、輝美の額に冷や汗が浮かぶのが見える。が、榊原はお構いなしに先を続けた。

「さて、そうなると問題は、なぜ女子高生の君が拳銃などという物騒なものを手に入れようとしたのか。そして、その拳銃で一体何をしようとしていたのかという点だ。実は、それについてもある程度の推測はできている」

 その言葉を聞いて、輝美はハッとしたような表情を浮かべた。

「何日か前に話を聞いた時、君は両親がすでに鉄道事故で死亡しているという旨の話をしていたね。失礼だが、君の経歴を詳しく調べたよ。君の両親は確かに九年前……つまり君がまだ八歳だった頃に事故死している。具体的には、君の元々の生まれ故郷でもある北海道の私鉄で発生した脱線事故が原因だ」

 そう言うと、顔を引きつらせている輝美に対し、榊原は静かに事故の詳細を告げた。

「九年前の一九九九年九月五日の夜、北海道中央部を走る短距離私鉄『北海鉄道』の線路を走行していた三両編成の電車が脱線・転覆し、そのまま線路近くにあった民家に突入。乗員乗客三十名のうち運転手を含む十二名と、突入された民家の住人二人が亡くなっている。そして、この突入された民家に住んでいたのが君を含めた足利家の家族で、亡くなった二人というのが君の両親だった」

「……」

「一般的には『北海鉄道脱線事故』と呼ばれる事件で、現在でも国交省の事故調査委員会を中心に継続調査は続いているがね。県警を通じて事故調査委員会が暫定的に作成した事故調査報告書を読ませてもらったが、事故の結果、君の両親は二人とも亡くなり、さらに君自身も全身打撲の大怪我で一週間以上生死の境をさまよっている。何とか一命はとりとめたが、事故後、君は東京に住んでいた母方の叔母の家に引き取られ、今はこうして寮で一人暮らしをしているわけだ。ここまでで何か間違っている事はあるかね?」

 榊原の問いに輝美は答えない。榊原はそれを肯定と解釈して先へ進んだ。

「さて……事故後、当然ながら国の事故調査委員会は事故の原因を調査したわけだが、その結果、脱線した電車が走っていた線路から粉砕された拳大の石の痕跡を複数発見。車両自体の不備なども発見されなかったため、これによりこの事故の原因が第三者による悪質な置石によるものだという事が判明した。つまり、この事故は鉄道会社側の不備とかではなく、第三者が人為的に引き起こした悪質な犯罪だったというわけだ。もっとも……その後警察も捜査に加わって置石を仕組んだ人物の特定が進められたが、元々線路周囲が被害に遭った足利家以外に人家がほとんどない田園地帯だった事もあって目撃者もおらず、結局今に至るまでその置石犯が誰だったのかについてははっきりしていないそうだがね」

 そこで、榊原は突きつけられる拳銃にひるむことなく輝美を睨みつけた。

「ここまで来れば私が何を言いたいのかはわかるはずだ。今回、君が危険を冒してまで拳銃を入手した理由……それはおそらく、自分の人生を狂わせ、両親を死に追いやったこの鉄道事故に対する復讐だったのではないかと私は考えている。もっと言えば……君は当局ですらいまだに明らかにできていない置石犯の正体にどういうわけか独力でたどり着き、そしてその犯人に対して自ら鉄槌を下そうとした……そう言う事ではないのかね?」

 榊原の問いかけに、その場にしばらく沈黙が漂った。が、その緊迫した状況を打ち破ったのは、輝美の方だった。

「私……許せなかったんです……」

 それは、事実上榊原の推理を認めたともとれる発言だった。

「つまり、認めるわけかね? 君の動機が、私が言ったように九前の鉄道事故に対する復讐であったと」

「……その通りです」

 もはやここまでくると隠すつもりもないようだった。

「具体的に誰を狙っていたのかね? ……まぁもっとも、それについても薄々これではないかという推理を考えてはいるのだがね」

「……どういう意味ですか?」

 輝美の問いに、榊原は首を振って答えた。

「被害者の自室……つまり、君の部屋でもあるわけだが、そこを見せてもらった時に気になる事があった。君の机の辺りに男性アイドルグループのCDが何枚か散らばっていたが、こう言っては何だ、君のキャラに対して何だかそれがイメージ的にしっくりこなかった。まるで、好きでもないのにそのアイドルグループのCDを買っているように思えた」

「そんな……ただの印象ですよね?」

「いや、それはきっかけで、その後よく観察してみると違和感の正体に気が付いた。そして、私は君が別の目的でCDを買っている事に確信を抱く事となった」

「違和感、ですか?」

「あぁ。もっとも、言ってしまえば単純な話でね……。何しろ、同じグループのCDが何枚もあるにもかかわらず、そのCDを聞くための再生機器が君の机の周辺に見当たらないというのは、どう考えてもおかしな話だろう」

 そう言われて、輝美はハッとした表情を浮かべた。

「厳密に言えば、被害者の机には小型のポータブルCDプレイヤーがあったが、CDを何枚も買うほど入れ込んでいるとすれば、聞くたびにわざわざ友人のプレイヤーを借りるというのもおかしな話だ。好きな時に好きな曲を聞くためにも、普通は自分のプレイヤーを買うはずだろう。それを用意していなかった時点で、あのCDを買った目的が音楽を聴くためではないのは明らかだった。しかも、プレイヤーを用意していなかった事から考えても買い始めたのはかなり最近だ。では、君はなぜ聞くつもりもないアイドルグループのCDを大量に購入していたのか」

 榊原は自分でその答えを告げる。

「狙いは、あのCDに付属していたコンサートチケットの応募特典だったんじゃないか?」

「っ!」

「実は、気になって同じCDを柄にもなく一枚購入してみたわけなのだがね。で、中を見てみたところ、CDや歌詞カードに交じって一枚の応募券が入っていた。それによれば、このアイドルグループのCDに付属している応募券五枚を所定日時までに事務所側に送ると、二週間後にさいたまスーパーアリーナで開かれる彼らのコンサートのチケットを進呈する旨のキャンペーンを行っていたらしい。しかも座席はステージ最前列。さらに、コンサート後のサイン会で優先的にサインをしてもらえるというおまけつきだ」

 榊原はジッと輝美を見やる。

「君の目的は、このサイン会だったのではないかね? もっと言えば……普段はボディガードがたくさんいて簡単に近づけないグループメンバーの一人に近づき、その瞬間を狙って相手を射殺するつもりだった。そうでもなければ聞きもしないアイドルグループのCDを大量購入するなどという行為に説明がつかないのも事実だ。となると、君が復讐相手と認識していた相手は……」

「その通りです」

 不意に輝美は、榊原の言葉を遮るように言った。

「私が狙っていたのは、アイドルグループ『モンキー・カラーズ』のリーダー……藍染時哉あおぞめときやという男です」

「……つまり、君はその藍染という男が九年前の置石事件の犯人だと考えているわけかね?」

 榊原の問いに、輝美は迷う事なく無言で頷いた。

「しかしなぜだね? この一件は警察や事故調査委員会が長年調べ続けているが、それでもなお犯人像が浮かび上がらない状況が続いている。にもかかわらず、君はなぜ藍染時哉なる男が置石犯だと確信する事ができた? 実際に拳銃を手に入れて具体的な犯行計画を実行に移そうとしていた以上、かなり強い確信があったはずだが」

 さらなる榊原の問いに対し、彼女はこう答えた。

「自白がありました」

「本人が自白した、と?」

「違います。『共犯者』が自白したんです」

 榊原は眉をひそめる。

「あの置石には共犯者がいた、と?」

「はい。あの事故調査報告書を読んだのなら、その可能性は書いてあったはずです」

 確かに、榊原が実際の事故調査報告書を読んだ際にも、その可能性を示唆する記述はあった。実は問題の電車が通り過ぎる十分前に別の電車が同じ場所を通過しており、その際には何もなかった事から、置石が実行に移されたのはその十分間の間と推測された。しかし、実際に置石に使用された石の分量から考えると、たった十分でそれだけの石を線路上に一人で置くのは無理があり、少なくとも置石犯が二人以上いたのではないかという推察がなされていたのである。

「この推測は探偵さんが読んだという内部向けに書かれた暫定的な事故調査報告書にしか書かれていません。一般には公開されていないこの報告書を、私は被害者遺族という立場から情報公開法を利用して特別に読む許可を得ました。だから……事故の原因になった置石に共犯者がいたかもしれないという情報は、一般には流れていないはずなんです。なのに、もしその情報を知っている人がいたら……事故調査の関係者以外なら、当の犯人以外いないじゃないですか」

「……共犯者を名乗って君に接触した人間がいた。そう言う事か?」

 榊原の推測に、輝美は小さく頷いた。

「先月の末頃の事です。学校からの帰り道に声をかけられました。その人は、私があの事故の遺族である事を知っていました。そしてその事について私に話したい事があると言ってきたんです。私は半信半疑でしたが、近くの喫茶店で話を聞くうちに、彼の話が事実である事を確信しました」

「なぜだね?」

「彼の話す内容がことごとく事故調査報告書に書かれていた内容……それも外部の人間では絶対にわからない内容と一致していて、実際にあの場所にいて置石をやっていないと説明がつかない事ばかりだったからです。多分向こうも、それを狙ってそう言う話を中心にしたんだと思いますけど、とにかく私は彼が置き石の実行犯である事を認めざるを得ませんでした。彼は……私に対して何度も頭を下げて謝罪しました。そしてその時に、彼は自分と一緒に置き石をした男の名前が今はアイドルグループのリーダーをしている『藍染時哉』だという事も話してくれたんです」

「君はそれを信じた?」

「彼の話を総合したら信じるしかありませんでしたし、わざわざ嘘を言う理由もその人にはないと思いました」

「その自白した共犯者の名前は?」

 榊原の静かな問いに対し、輝美はしっかり答えた。

戸嶋平祐とじまへいすけという人です」

「戸嶋……」

 榊原には、その名前に聞き覚えがあった。

「それは確か……栃崎濱江殺害一週間前の新聞に載っていた、さいたま市内で首を吊ったという闇金業者の名前だったはずだが」

 確かその七月三日の新聞には、例の銀行強盗の事故死や国道のバス事故のニュースに混ざって、闇金融『トジマファイナンス』社長が首を吊って死亡し、事件・自殺の両面で捜査が進められている、というような事が書かれていたはずだ。

「はい……正直、私はその戸嶋という人の事も許せませんでした。でも、自分の罪を私に告白した彼の事をどう扱ったらいいのかもわからなかったんです。でもそしたら……告白から少しして、あの人はいきなり死んでしまいました。新聞では自殺か事件かわからないと言っていましたけど、私には正直どちらでもよかった。自殺だったとしたら、あの人は罪の呵責に耐えきれなくなったからだと思いますし、事件だったとしたら、その犯人は私に罪を告白した彼を許せなかった共犯者……藍染時哉しかあり得ません。どっちにしても、自分だけ罪を逃れてのうのうと人気アイドルとして生き続けているあいつが許せなかったんです!」

 輝美は激高しながらかすれた声で叫ぶ。

「私はもう、自分で自分を押さえる事ができませんでした。人の人生を狂わせておきながらのうのうとアイドルだなんて呼ばれているあの男の姿をテレビで見る度に憎悪が募っていきました。でも、彼が九年前に置石をしたなんて証拠はどこにもない。共犯者が自白したなんて言っても警察が取り合ってくれるはずがないし、第一、その共犯者の戸嶋平祐も死んでしてしまっているんです。このままだと、あいつは誰にも追及される事なく逃げてしまう。それだけは絶対許せない。だから私は……藍染時哉に復讐をする事にしました」

 輝美は憎悪に満ちた目で吐き捨てるように告白を続けていく。

「人気アイドルで警備も厳重な藍染時哉に近づくには、コンサートの瞬間を狙うしかありませんでした。それもできるだけ近い場所じゃないと。だから、聞きもしないあいつのCDをたくさん買って、確実に奴に近づける特別招待のキャンペーンに応募しようとしました。でも、それでもあいつを確実に殺せる保証はない。あいつを確実に殺すには、一撃必殺の飛び道具が必要だったんです。そんな時です……近所で銀行強盗が事故死して、その強盗が盗んだ現金が行方不明になっているというニュースを見たのは。私は事故があった辺りに土地勘がありました。そして、もしかしたら強盗はあの雑木林にお金を埋めたんじゃないかと思いました。正直、半分以上は賭けだったんですけど……学校帰りに実際に探してみたら、アタッシュケースに詰められたそのお金が見つかってしまったんです。それを見て……私は最後のピースがそろったと感じました」

「……その金を使い、裏サイトにアクセスして拳銃を購入しようとした」

 輝美は引きつった表情で頷いた。

「見つけたお金は寮の裏の花壇に埋めて隠しておきました。そして裏サイトで拳銃を購入できるサイトを見つけて、探偵さんが想像したように公衆電話から申し込みをしました。そしたら、あの事件の夜にあの廃墟旅館で取引をしたいと言われたんです。寮を抜け出すには相部屋の濱江が邪魔ですけど、濱江はよく肝試しのために寮を抜け出す事があったし、あの日は寮監が不在だったから、濱江もこの機を逃さずに肝試しに行くと思いました。案の定、あの子は肝試しに出かけた。ただその時、私は受け渡しになっていたあの廃墟旅館に彼女が行くつもりはない事をさりげなく確認しておいたんです。鉢合わせをするのは嫌でしたし、そうなったら口封じのために殺す事を考えなければなりませんでしたから。私も、そんな事はしたくなかった。だからちゃんと確かめた上で、私もあの子が寮を出てから少しして寮を抜け出したんです。もちろん、埋めておいたお金を持って」

 そして、彼女は三十分後にあの廃墟旅館に到着した。榊原の予想通り、問題の目撃証言はこの時の輝美を目撃したものだったらしい。

「そして……午前十一時頃、君はあの廃墟旅館で大町銀太郎と堂林健介に会った。……そこで何があった?」

「……」

「大町も堂林もその所在がわかっていない。栃崎濱江殺しの真相がわかった今となっては、当初疑わしいと思われていたこの二人が栃崎殺しに一切関与していないのは明白になったが、そうなるとなぜ失踪したのかという点が問題になる。そして、栃崎殺しに関係がないとした場合、関係あるのは君との拳銃取引の方だと考えるしかないのだがね」

「……」

「改めて聞かせてほしい。里山親子があの廃墟旅館に遺体を運び込む前、あそこで一体何があったんだ? さっきも言ったように痕跡や時間の問題があるから『廃墟内』では何もなかったんだろうが……」

 榊原のその言葉に、輝美は険しい目をしていたが、やがて銃を構えたままポツポツと語り始めた。

「全部……あいつが悪いんです……」


 ……時はさかのぼり、事件当日となる七月十日の夜。ギンこと大町銀太郎と、ケンこと堂林健介の二人は、廃墟旅館の柱の陰に隠れながら。懐中電灯を点けた何者かが玄関のドアの前に姿を見せ、ためらったような仕草を見せながらも中に入るのを見ていた。その正体を見て、堂林が思わずヒュウと口笛を吹きそうになる。

「ギンの兄貴」

「あぁ、これはとんだお客様だ」

 二人の視線の先……玄関から入ってすぐの所に懐中電灯を点けて立っている人物……それはどこかの学校の制服を着た、女子高生と思しき少女だったのである。

「上玉っすね」

「そうだな。こんな時間に何しに来たかは知らねぇが、あまりにも不用心ってもんだ」

「やるッスか?」

「当然だろ。不用心にこんな所にくるあのお嬢ちゃんの方が悪い」

 大町は舌なめずりするように言い、堂林も興奮した風に頷く。そしてその直後、二人は暗闇から飛び出し、驚愕の表情を浮かべる女子高生の前に立ちはだかった。

「おう、お嬢ちゃん。こんな夜中に何の用だ?」

 凄みながら少女にそんな事を言う大町と、後ろでニヤニヤした笑みを浮かべる堂林。しかし、そんな二人に対し、最初驚いたような表情を浮かべていた少女は、すぐに毅然とした表情でこんな事を言い始めたのだった。

「あなたが『ギン』さんですか?」

「あん?」

「私、電話で取引を申し込んだ『シャイン』です。あなたが取引相手で間違いありませんか?」

 その言葉に、今度は大町が呆気にとられた表情を浮かべた。

「まさか……あんたが『シャイン』だって?」

「はい。それとも、女子高生だと取引してもらえないという決まりでもあるんですか?」

「いや、それは……」

 話がわかっていないのは傍らにいる堂林である。

「兄貴、どういう事ッスか?」

「……今日、ここにお前を呼んだのはさっきの話を聞かせるためと、もう一つ理由があってな。ここで、チャカ(拳銃)の取引をしたいとかいう奴がいたんだよ。そんで、何かあった時のためにおめぇらにも一緒に立ち会ってもらおうと思っていたんだけどよ」

「まさか……この嬢ちゃんがその客?」

「みてぇだな」

 打って変わって大町はドスの効いた声を少女……否、足利輝美にかける。

「おい、嬢ちゃん。何のつもりかは知らねぇが、おふざけのつもりなら痛い目に……」

 と、そんな大町の目の前に、輝美はドサッと持っていたアタッシュケースを放り投げた。

「お金ならあります。約束通り、二百万円です」

 その言葉に、大町と堂林は顔を見合わせ、警戒しつつも慌ててケースを確認する。中を見ると、確かにそこには二百万円が詰め込まれていた。

「この金は……」

 明らかに女子高生という身分には不釣り合いな金にさすがの大町も警戒心を見せる。が、輝美は青白い顔ながらも毅然とした態度で告げた。

「お金の出所は詮索しない。そういう約束だったはずです。それでも聞くというなら、この取引は中止しても構いません」

「嬢ちゃん、俺らをからかうのもいい加減に……」

 大町はなおもそう言おうとしたが、懐中電灯に照らされた彼女の顔を見た瞬間、何を思ったのか言葉を濁した。

「どうかしたッスか、兄貴?」

「……一つ聞いてもいいか?」

「何ですか?」

 輝美は体を震わせながらもしっかりとした声で聞き返す。

「あんた、拳銃なんか買って何するつもりだよ?」

「……復讐です」

 その短く、しかしどす黒い憎悪のこもった返事に、修羅場をくぐり続けてきた大町は何か危ういものを感じて思わず口を閉ざしてしまう。その辺はさすがに長年裏社会に身を置き続けた男の嗅覚がなせる業あり、この時点で大町は目の前の少女が見かけに反して本気かつ危険な存在であると認識するに至った。

 大町はしばらく考え込んだ後、ポケットから紙袋に包まれた拳銃を取り出して彼女に渡した。

「……お望みのブツだ。弾は六発。一緒に包んであるから装填してから使え。装填できないなら諦めるこった」

「用心深いんですね」

「取引した瞬間にそのままその銃で撃たれたら話にならねぇからな。そいつを何に使おうと知ったこっちゃねぇが、俺らは何も関係ねぇぞ」

「ありがとうございます」

「もう行け。俺らの気が変わらねぇうちに帰っちまえよ」

 大町のその言葉に、輝美は黙って頷くと、そのまま踵を返して廃墟から去っていった。

「兄貴、何でそんなあっさり拳銃を……」

「うるせぇ! あいつはやべぇ。目が本気だった。正直、関わらねぇ方がいい」

「いや、意味がわかんねぇッスが……」

「おめぇもこの世界で生きていく気だったら、外見で相手を判断するんじゃねぇ。いいな!」

「はぁ……」

「とにかく、取引は成立したんだ。その金、どっかに隠してこい。どうせまともな金じゃなさそうだし、当面使えそうにもねぇからな。言っておくが、ネコババなんかするんじゃねぇぞ」

「そんな事しねえッスよ」

「ならいい。後でどこに隠したか報告してくれ」

「はぁ、了解したッス。んじゃ、お先に失礼するッス」

 そう言うと、堂林はケースを持って廃墟から出て行った。残った大町は手近な柱にもたれかかって煙草に火を点けると、煙を吐きながら呟いた。その手が震えているのに気づき、大町は頭を振りながら呟く。

「いるもんだな、あんなどす黒い目をした奴が。思いつめた奴っていうのは、下手な鉄砲玉よりたちがわりぃ。関わらねぇのが一番だ」

 とにかく、取引は終わった。もうこれ以上あの少女とかかわる事もない……この時、大町はそう思っていたのである。


 だがこの時、大町にも想定できなかった事があった。それは、まだこうした修羅場の経験の浅い堂林が輝美の発していた悪意を感じる事ができず、今を以てなお彼女を侮ったままだったという事である……。


 十分ほどした後、そろそろ自分も帰ろうかと思って大町が床に捨てた煙草の火を踏み消していた時だった。突如として、廃墟の外の森の向こうから低くくぐもった呻き声のような声が聞こえ、大町はハッとした様子で外を見やった。

「今のは……」

 反射的に外に飛び出し、声のした方を見やる。視線の先には明かり一つない森が広がっているが、大町は何か嫌な予感がした。

「まさか……あの野郎!」

 大町はそう叫ぶと、声のした方へ向かって森を突き進んでいく。そして、しばらく進むと、森の一角でそれを見つける事になった。

「ケン!」

 そこには、先程別れたばかりの堂林が呻きながら倒れており、その傍らで、青白い顔の輝美が冷ややかな目で堂林を見下ろしていた。そして、堂林の腹部にはナイフが突き立てられており、その堂林の横に血が飛び散ったアタッシュケースが転がっていた。

「てめぇ、一体何を!」

 大町が激昂して輝美を睨みつけるが、逆に輝美は青白い表情ではあったが大町の方を睨み返した。

「そ、それはこっちのセリフです。帰り道にこの人に襲われました」

「襲われた……」

「何をするつもりだったのかは知りませんけど、私を追いかけてきて捕まえようとしたんです。だから……反撃しました」

「反撃って、これはあんたが……」

「私だって、あなたたちみたいな人と会うのに丸腰で来たりなんかしません! 護身用にナイフくらいは持ってきています! 文句ありますか!」

 どうやら、堂林が大町に隠れて勝手に暴走し、帰る途中の輝美を襲おうとしたようである。が、相手を少女だと舐めきっていたのが命取りとなり、手痛い反撃を受ける事になってしまったらしい。

「今の話、本当か?」

 大町は堂林に尋ねるが、堂林は脂汗を流しながら小さく頷いて肯定した。

「馬鹿野郎が……」

 大町は呻くように言った。この少女の抱える闇を感じて穏便な取引に済まそうとしていたのに、勝手に暴走して最悪の状況になってしまった。

「そ、それで……私をどうするつもりですか? まだ、私を襲うつもりですか?」

 輝美は体を震わせながらも、表向きは相変わらず毅然とした表情で大町に対峙する。それだけでも、この少女の抱える闇の大きさと覚悟が並大抵でない事が大町にはよくわかった。自分の勘が外れていなかった事を再確認しつつ、大町は慎重に言葉を繋ぐ。

「いや、そんな事はしねぇよ」

 この少女が持っているナイフが一本とは限らないし、何より相手はさっき自分が渡した拳銃を持っているのである。さらに言えば、この件に関しては明らかに取引を裏切ったこちら側が悪い。裏の取引であるがゆえにこの世界は信用が物を言い、それだけにたとえ相手が一般人であったとしても取引を裏切ったとなれば後々他の裏社会の人間から非難されるのは大町たちの方だった。

 そうなれば自分たちの命にもかかわる。この件に対する『落とし前』をつける必要があった。

「もういい、あんたはさっさとここを離れな。これは俺らの落ち度だ。後始末は俺が責任を持ってやる」

「な、何をするつもりですか」

「知らねぇ方がいい事だ。行きな!」

 輝美は一瞬不審そうな視線を大町に向けたが、やがて納得したのか、ゆっくりと後ずさりながらその場を離れていった。そしてその後、大町は未だに地面で呻き声を上げている堂林に近づいていく。

「あ、兄貴……」

「この馬鹿が。信用を台無しにしやがって、どう落とし前つけるつもりだよ」

 そう言って冷たい目を向ける大町に、堂林は顔を青くしたのだった……。


「……なるほど、ね」

 時は戻って現在、榊原は輝美から拳銃を突き付けられながら、彼女の話を聞いて納得したような声を出していた。

「その後の事は私も知りません。ただ、あの辺りで他に何も見つかっていないなら、その後二人でどこかに逃げたんだと思います」

「……そうだといいんだがね」

 とはいえ、裏社会での信用を保つためにも、失態を犯した堂林を大町がそのまま放置するとも思えない。念のため、あの辺の森をもう一度再捜索する必要はあるようだった。

「まぁ、それについては今はもういい。それよりも、だ。これからどうするね。さっきも言ったように、こうして私に銃を突きつけた時点で、藍染時哉を殺害するという君の計画は破綻してしまっているわけだが……」

 だが、それでも彼女は必死だった。

「私をここから逃がしてもらいます」

「……逃げてどうするつもりだね? 目的がはっきりした以上、逃げたところでもう藍染時哉を殺すのは不可能だ。警察は彼を徹底して守るだろうし、未成年者ゆえに名前こそ出せないが君に対する指名手配もかかる。第一、いきなりこんな状況に追い込まれた今の君には今後生活していけるだけの所持金もないはずだ。逃亡生活も長くは続かないはずだがね」

「うるさいです……」

「それに、そもそもの話としてだ」

 榊原は静かに告げる。

「私がそれを許すはずがないだろう」

 その瞬間、二人の間に火花が散る。

「だったらあなたを撃つだけです」

「無駄に罪が重くなるだけだと思うがね」

「私は目的を果たすまで捕まるわけにはいきません!」

「……そうかね。残念だよ」

 榊原がそう言ってため息をついた……その瞬間だった。

 ヒュン、と何かの風を切る音が響いたと同時に、彼女が持っていた拳銃が手元からはじけ飛んだ。

「え……?」

 輝美が絶句する。が、その隙を逃すような榊原ではない。即座にベンチから立ち上がると地面を蹴って輝美の方へ突っ込み、そのまま呆然としている彼女の両手を後ろ手にねじ上げて拘束した。

「あっ……」

 彼女の顔が苦痛で歪む。弾き飛ばされた拳銃はベンチのすぐ横に転がっており、輝美は何が起こったのかいまだにわからないでいた。

「……君も甘いね。何度も言うが、私は君に会う以前の段階で、君が拳銃を購入した可能性がある事はすでに推理していたわけだ。そんな私が、拳銃を持っているかもしれない相手に何の対策もなしに立つわけがないだろう」

「……まさか」

 輝美は苦痛に顔を歪めながらも反射的に周囲を見回す。が、榊原は厳しい声で告げた。

「そう簡単に見つかるわけがないだろう。彼らはプロだからね。もう説明するまでもないと思うが、万が一に備えて県警警備部の狙撃手に出動してもらっていた。君が銃を出したら、機会を伺った上で拳銃だけ弾き飛ばしてほしい、とね。ここは日本だ。未成年者だろうが何だろうが、銃が事件に関わった時点でそんな人間が出てくるという事を、君は自覚しておくべきだったね」

「……」

「もっとも、君が銃を乱射し始めるような事になったら、その時は治安維持のためにも容赦なく腕なり足なりを撃ち抜くと言っていたから、安易に発砲しなかったのは賢明な判断だと言っておこう。まぁ、もっとも……それもできなかっただろうけどね」

「ど、どういう事ですか」

「所詮、君は素人だという事だ。ベタな話だが、その拳銃、安全装置が入ったままだ」

 え、という表情を輝美は浮かべる。

「それじゃあ、いくら引き金を引いても弾は出ない。それがわかっていたからこそ私も落ち着いて対応ができたし、狙撃手もギリギリまで発砲する事はなかった。まぁ、私も万が一を考えての備えはしておいたわけなのだが、無駄になってよかったよ」

 そう言って榊原はスーツの内側を少し見せる。輝美はそこには防弾ジャケットが仕込まれていた事を知って絶句した。

「まぁ、そう言うわけだ。入手直後に事件の捜査で警察が周りにいて試し撃ちすらできなかったというのは不運だが……君の計画もこれで終わりだ」

 その言葉に、輝美はガクリとその場でうなだれた。相手がそれ以上抵抗の素振りを見せないと確認すると、榊原はしばらくの沈黙した後に静かに宣告する。

「今さらではあるが、君のやった行為は、遺棄された現金を勝手に自分のものにした占有離脱物横領罪、及び銃砲刀剣類所持刀取締法違反に該当する。また、現在消息不明の堂林健介の状況にもよるが、君が彼を刺した件については良くて過剰防衛、最悪の場合は殺人未遂や殺人罪に該当する可能性がある。いずれにせよ、君の身柄はこのまま警察に拘束される事になる。残念だが、学校も退学となる可能性が高いだろう」

 すでにこうなった時点で覚悟を決めていたのか、輝美は無言のまま頷いた。それを合図に榊原がどこかに携帯電話をかけると、数分もしないうちに鈴木警部とその部下たちが公園に姿を見せた。どうやら事前に近場で待機をしていたらしい。

「ご無事ですか?」

「えぇ。後は頼みます」

 そう言いながら、榊原は拳銃を鈴木に渡し、輝美に背を向けその場を去ろうとする。それと入れ替わりに刑事たちが輝美に駆け寄り、その身柄を拘束した。輝美はうなだれながらも、刑事に手を引かれてその場にのろのろと立ち上がる。

「……ただ、探偵として一つだけ約束しておこう」

 と、不意に榊原は足を止めると、俯く輝美に背を向けたままこう言った。

「君が法を犯してまでも晴らそうとした無念……それを止めた身として、この件をこのまま終わらせる事だけは絶対にしない。君とは違うやり方で、必ず決着をつけると約束する」

 そして榊原は告げる。

「探偵としての信念に賭けて、必ずだ」

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