第三章 捜査

 翌七月十四日月曜日、榊原は早速電車を乗り継ぎ、事件の現場となった埼玉県春日部市を訪れていた。どことなくどんよりとした曇り空の中、榊原はくたびれたスーツに黒のアタッシュケースといういつもの格好で春日部駅の前に降り立つと、駅前のタクシー乗り場に足を運び、客待ちしていたタクシーの一台に乗り込んだ。

「どちらまで?」

 どこか眠そうな表情の運転手の問いに、榊原は現場となった廃墟旅館の場所を告げる。が、それを聞いて、運転手は胡散臭そうな表情を浮かべた。

「お客さん、マスコミの人ですか?」

「そう見えますか?」

「いやね、何日か前に殺人事件があったとかで、その廃墟に行きたがるマスコミ関係者が最近多くなりましてね。まぁ、こっちとしては料金さえ払ってもらえれば文句はないわけですが……」

「マスコミというわけではありませんが……仕事なのは間違いありませんね」

「はぁ……何の仕事かは知りませんが、大変ですね」

 そう言いながら、運転手はタクシーを発進させる。駅前の住宅街を抜け、幹線道路に乗り、やがて脇道に入って街の郊外にある問題の廃墟の近くに到着したのは、それから二十分ほどの事だった。

「ここまでです。廃墟はここから少し先に行った場所にありますけど、多分立入禁止だと思いますよ」

「近くまで行けるだけでもいいんです。どうもありがとう」

 代金を払い、榊原が車を降りると、タクシーは去っていった。榊原は周囲の状況をゆっくり見回す。

 そこは住宅地から少し離れた場所にある雑木林の一角だった。林の真ん中を一本の市道が走っていて、その市道から別れるように雑木林の奥へと続く舗装されていない道が一本つながっている。その道のすぐ横に、雑草に覆われ、何かよくわからない蔦が絡みついた『歓迎 紫苑観光旅館』と書かれた古い看板があるのが見えた。どうやらこの舗装されていない道が廃墟に続く道らしい。

「しかし、不用心だな……」

 一応、『歓迎~』と書かれた看板の横に『私有地につき関係者以外立ち入り禁止』と書かれた比較的新しい看板があるのだが、問題の道の入口は柵だのロープだので封鎖されているわけでもないので、看板を無視すれば誰でも自由に出入り可能という状態だった。周囲に人通りはなく、侵入自体は難しくなさそうである。

「ひとまず、行ってみるか」

 榊原はそう呟くと、廃墟へ続く道へと足を踏み入れた。ただでさえ周囲をうっそうとした木々に覆われた不気味な場所であるが、それから五分ほど歩くと、いよいよお目当てとなる旅館の廃墟が目の前に姿を現した。

「これは凄いな……」

 さすがに旅館には捜査が入っているらしく、入口にはドラマなどでおなじみの警察の黄色い進入禁止のテープが張られており、中には立ち入れないようになっている。ただ、それを除けば問題の建物は、まさに典型的な廃墟ともいうべき荒れ方と様相を呈していた。パッと見た限りだと、目につく窓ガラスはほとんど割られており、内部も雨風が吹き込んでいる上に瓦礫やゴミなどが散乱している。壁などには不気味な落書きがなされている状態で、お世辞にも人が長期間滞在できるような環境ではない事は確実だった。この旅館が廃業したのは五年ほど前という事だが、何をどうすればここまで荒れ果てる事ができるのか、榊原としてはそちらの方にも興味がわくほどである。いずれにせよ、昼間にもかかわらず相当不気味なのは間違いなさそうだった。

 中に入るわけにもいかないので、榊原は入口から覗き込むように正面ロビーを見やった。中は昼間にもかかわらず薄暗いが、尾崎からもらった見取り図によればその一角に遺体が発見されたソファが置かれていたらしい。ただ、ソファその物は警察に押収されたらしく、今その場所にそれらしきものはない様子だった。

「こんな所に、女子高生が一人で来るとはね。しかも真夜中に……。こう言っては何だが、自殺行為と言われても反論できないぞ」

 そう言いながら、榊原はなおも現場を確認しようとするが、入口からは少し距離がある上に、薄暗さもあって詳細が確認できない。どうしたものかと思い、何か方法がないかと周囲を見回そうとした……その時だった。

「おい、そこで何をしている!」

 突如、後ろから声をかけられ、榊原は反射的にそちらを振り返った。すると、榊原の背後にスーツ姿の険しい顔をした男が立っているのが見えた。向こうは明らかにこちらを警戒しているようだが、幸いな事に、榊原はその男の顔に見覚えがあった。

「これは……鈴木警部ですか」

 相手はこの辺りを管轄する埼玉県警の刑事……埼玉県警刑事部捜査一課の鈴木章弘すずきあきひろ警部であった。榊原が刑事だった時代から何度か一緒に捜査をした事がある顔見知りで、榊原が刑事を辞めた今でも難しい事件があると榊原に捜査協力を依頼する事があるという関係である。向こうもすぐにこちらが榊原である事に気付いたようだった。

「そういうあなたは……榊原さんですか?」

「どうも、お久しぶりです」

「いや……驚きました」

 鈴木は少し警戒を緩め、榊原の元へ歩み寄る。が、とはいえその顔には未だ訝しげな表情が浮かんでいる。まぁ無理もない話ではあり、実際、鈴木はすぐに榊原にこう尋ねてきた。

「しかし、一体どうして? なぜ榊原さんがこんな場所にいるんですか?」

 当然とも言える問いに、榊原はこう答えた。

「仕事です。ある筋から依頼を受けましてね。その関係でこの事件を調べる必要が出てきただけですよ」

「依頼、ですか……」

「そういう鈴木警部はどうしてここに?」

「私は、担当する事件の現場をもう一度確認しようと思って来たのですが……」

 どうやら、この事件の担当は鈴木だったらしい。

「誰の依頼でここに来たのか……と聞くわけにはいかないのでしょうね」

「えぇ。こちらにも探偵としての守秘義務がありますのでね」

「とはいえ、榊原さんがこの事件に介入しようとしているのは間違いない、と」

「そうなりますね」

 互いに受け答えをしながら、榊原と鈴木は互いの腹の内を探り合うように相手の観察を続ける。が、榊原としては警察相手にこんな腹の探り合いをするような趣味はなく、またそんな事をしている時間がもったいないというのが正直なところだった。それだけに、榊原は無駄な駆け引きをやめて、単刀直入にいつも通り警察への協力を申し出る事にした。

「さて……これからどうしましょうかね。私としても、県警と情報共有ができるのなら、依頼を遂行するのに都合がいいわけですが」

「我々と協力したい、と?」

「無駄を省きたいだけですよ。その方が互いにメリットがあると思いますが」

「そうですね……」

 そう言うと、鈴木は少しの間考え込む仕草を見せた。鈴木からしてみればいきなりの話ではあるが、榊原に協力を頼むべきかどうか、真剣に考えている様子である。榊原は黙ったままそんな鈴木の様子を観察していた。

 だが、最終的に鈴木が出した結論は明白だった。

「……まぁ、いいでしょう。別に我々もこの場で榊原さんとわざわざ敵対する意味もありません。それにこちらとしても榊原さんに協力してもらえるのなら事件を解決するための大きな武器となります。それに、どうせ今ここで拒否したところで、榊原さんの事ですから結局は捜査に介入してくるのでしょう。だったら、最初から協力体制を取っておいた方が賢明というものです」

「わかってもらえるなら、こちらとしてもありがたいですね」

 榊原が苦笑する。

「現段階では私の独断という形ではありますが、いつも通り、アドバイザーとして協力してもらえればと思います。それでよろしいですか?」

「決まりですね」

 鈴木の提案に榊原は頷いた。

「それで、何を知りたいんですか? この廃墟の中でも調べますか?」

「いえ、それはもう充分です。それより、現場はすでに鑑識が調べていますよね?」

「もちろんです」

「その遺留品は?」

「捜査本部が設置されている春日部署に」

「……では、まずそちらを確認させてください。それと、現時点での捜査本部の方針や動きについても把握しておきたいのですが」

「わかりました。では、私の乗ってきたパトカーで署にお連れします。現在の捜査の進捗についてはそこでお話しましょう」

「私としては助かりますが、鈴木警部は現場を確認しなくてもいいんですか? そのためにここに来たのでしょう」

「構いません。正直、捜査が煮詰まっていて確認のために来ただけですし、この場で榊原さんの協力を得る事ができたのは大きな収穫でもありますから」

 かくして、二人は現場となった廃墟を後にすると、入口脇に停めてあったパトカーに乗り込んで早速捜査本部が置かれている春日部署へ向かった。その道中、運転している鈴木が助手席の榊原に改めて捜査の状況を説明する。そのほとんどはあらかじめ尾崎から聞いた話と一致していたが、やがて榊原が把握していない情報が飛び出した。それは、警察が現段階で誰を疑っているのかという話だった。

「あくまで現時点での話となりますが、我々はあの廃墟に出入りしていた不良やチンピラ、または暴走族といった面々を第一容疑者として調べている状況です」

「まぁ、当然そうなるでしょうね」

 元々得体の知れない人間が多く出入りしていたと言われている廃墟である。捜査の第一段階として、廃墟に出入りしていた不良なりを疑うのは当然とも言える話である。

「何しろ数が多いもので、それぞれのアリバイ確認などに時間がかかっていますが、何人か怪しい人間をピックアップするところまではできている状態です」

「有力容疑者がいると?」

「えぇ。最近この廃墟を根城にしていた三人組のチンピラが確認されていて、現状では彼らが最有力容疑者となっています」

 そう言うと鈴木はちょうど信号で停車したところで、ポケットから三枚の写真を取り出して榊原に示した。

「一枚目から順番に、『ギン』こと大町銀太郎おおまちぎんたろう、『ケン』こと堂林健介どうばやしけんすけ、『タケ』こと竹澤時夫たけざわときおの三人です。全員前科持ちのチンピラで、特にリーダー格の大町銀太郎はかつて拳銃や麻薬の密売で検挙された事もあるようです。現状、我々は彼らを最有力容疑者として疑っています」

「その三人の身柄は?」

「それなんですが、竹澤以外の二人については今もわかっていません。有体に言えば、失踪しています。その点がますます彼らが怪しいという疑惑を補強しているわけですがね」

「……逆に言えば、竹澤の身柄は確保できているという事ですか?」

 どうもその辺の事情がよくわからなかった。

「実は事件当夜、三人は問題の廃墟に集まるつもりだったようなのですが、竹澤時夫だけは熱を出して寝込んでしまい、結局現場に行く事ができなかったと主張しているのです。実際、我々が彼らの情報を掴んでそれぞれの自宅に踏み込んだ時、竹澤だけは自宅アパートで唸りながらパジャマ姿で寝込んでいる状態で、熱も37.5度ほどありました」

「仮病という可能性は?」

「ありません。事件当日の朝……つまり事件が起こるよりも前の段階で彼は最寄りの医者を受診しており、その時点で熱が39.0度。診察でもたちの悪い風邪だと診断され、薬を処方されたのち、警察が来るまでほとんど布団の上で過ごしていたようです。まぁ、無理をすれば犯行ができなくはないかもしれませんが……正直、熱を出して瀕死の状態であの犯行ができるかと言われれば怪しいと言わざるを得ませんね」

 もっとも、と鈴木は言い添えた。

「事情聴取がてら家宅捜索も行った結果、自室からは違法薬物だのなんだのがたくさん見つかって、そのまま麻薬取締法違反で逮捕。今は警察病院に収容されて、回復を待ち次第取り調べが始まる事になっています」

「それはまぁ……何とも不運な話ですね」

 榊原としてはそういう他なかった。

「従って竹澤が犯人である可能性は低いのですが、実際にあの夜に廃墟にいたと思われ、現在失踪している残りの二人についてはかなり怪しいと言わざるを得ません」

「……廃墟に集まるつもりだったとの事ですが、その目的は?」

 榊原の指摘に鈴木は首を振った。

「わかりません。竹澤の携帯に呼び出しのメールが残っていましたが、そこにも集合場所と時間が書かれていただけで、呼び出す理由は書かれていませんでした。まぁ、竹澤曰くいつもの事なので気にしていなかったという事ですが」

「メールの時刻は?」

「事件当日の正午頃ですね。集合時刻は同じく事件当夜の午後十一時頃。被害者の死亡推定時刻が同日午後十一時から翌日午前零時までの一時間ですので、犯行時刻には合致します。事件に関係あるかどうかは不明ですが、限りなく怪しいのは事実です」

「ふむ……」

 そんな事を話しているうちに、パトカーは春日部署に到着した。ロビーで少し待たされた後、鈴木がホッとした表情で戻って来る。

「本部長に話を通してきました。榊原さんの捜査への協力、喜んで許可をするとの事です」

 そのまま、二人は証拠品が保管されている部屋に移動する。そこには、被害者が遺棄されていたというソファの他に、周囲で発見された遺留品なども机の上に並べられていた。

「かなり凝った作りのソファですね。廃墟にあった割には破損もかなり少ない」

「元々は地元の工房が一つ一つ手作りで造ったオーダーメイド品らしいです。廃墟になる前のあの旅館は、徹底して地元産の物を使う事にこだわっていた旅館だったようですから」

 確かにそのような事を尾崎も言っていた気がする。

「遺体はどのような体勢で?」

「こちら側に頭を向ける形であおむけに倒れていました。発見した警察官の話だと、一見すると眠っているようにも見えたようです」

 鈴木はソファの向かって左手側を示しながら言う。

「抵抗の痕跡は?」

「着衣等はかなり乱れていましたが、性的暴行の痕跡はないので、純粋に首を絞められる事に抵抗した結果着衣が乱れたと考えるべきでしょう。いずれにせよ、被害者がかなり激しく抵抗したのは間違いなさそうです」

「抵抗したとなれば、犯人の痕跡が残りそうなものですが」

「残念ながら被害者の爪などからは何も検出されませんでした。皮膚片でも出ればよかったんですが……」

 どうやら被害者は暴れはしたものの、犯人を引っかいたりする事はなかったようである。

「それで……これが遺留品ですか」

 続いて、榊原は机の上に並べられた遺留品に目を向けた。その中に、被害者のものと思しき持ち物が確認できた。

「それが被害者の持ち物です。ソファのすぐ傍に落ちてたか、あるいは彼女自身が身に着けていました」

「財布に腕時計、ハンカチ、ポケットティッシュ、リップクリーム、それにこれは手帳……か」

「財布の中には現金八千円と学生証、その他各種ポイントカードなどが入っていました。まぁ、高校生としては妥当な金額でしょう。何かが抜き取られたような形跡は確認できませんでした」

「携帯電話が見当たらないようですが……」

 今どきの高校生ならそれくらい持っているだろうと考えての質問だったが、鈴木はこう答えた。

「それなんですが、ルームメイトの話では、彼女は携帯を事件の三日ほど前に壊していたそうです」

「壊した?」

「何でも誤って学校の階段で落としてしまい、電源が入らなくなってしまったとの事です。このため、ここ数日彼女は携帯電話を所持していませんでした。さすがに不便だったので近々買い直す予定だったようですが、その前に事件に巻き込まれたようです。彼女の行方がわからなくなった時も、これが原因で直接連絡を取る事ができない状態でした。なお、問題の壊れた携帯は彼女の自室の机の引き出しにしまわれていたのが見つかっています」

「携帯内のデータに不自然な点は?」

「令状請求をした上で、電話会社に故障するまでの彼女の携帯の通話やメールの内容確認をしましたが、特に目ぼしいものはありませんでした」

「ふむ……」

 榊原は手袋をすると、気になっていた手帳を開いた。だが、その中には本当に学校の予定程度しか書かれておらず、少なくともイレギュラーな行動予定については一切触れられていなかった。

「どうやら彼女、廃墟体験など秘密にせねばならない予定については手帳に書かないようにしていたようです」

「……あまり役に立ちそうにないですね。他の遺品にも手懸りになりそうなものはなさそうです」

 榊原はため息をついて手帳を閉じる。と、そこで鈴木がこう言い添えた。

「ただ、彼女の持ち物について一つ気になる点が」

「というと?」

「もし、彼女が夜間にあの廃墟旅館に行ったのなら、少なくとも懐中電灯やライターなど何らかの光源が必須のはずです。あの廃墟周辺には明かりの類など一切ないわけですからね。ところが、周囲からそれらしきものが発見されていないんです」

「光源が見つからない?」

「えぇ。状況から見て犯人が持ち去ったと考えるしかないのですが……」

 しかし、そうなるとなぜ犯人がわざわざ光源だけを持ち去ったりしたのかという疑問にぶつかってしまう。それ以外の荷物は放置されたままなので、この点がなおさら目立つのも事実だった。

「そしてこっちは……現場で採取されたその他の遺留品ですか」

「はい。とはいえ、大半は元々あの廃墟に転がっていたゴミばかりのようですが」

 確かに、そこにあるのは空き缶だの割れた瓶だの古新聞だの古雑誌だのコンクリートの瓦礫だのと言ったものばかりで、こちらも何か手掛かりになりそうなものはなかった。一応詳細を述べておくと、空き缶は全部で五個あり、それぞれ清涼飲料水だのお茶だのコーラだのバラエティ豊かなラインナップであったが、それぞれ潰れたりへしゃげたり錆びたり変な液体の跡が残ったりと、よく廃墟にある空き缶そのものと言った感じであった。瓶も同じような状態であるが、健在なのは底の方だけで上部は粉々に砕け散っており、元々これが何の瓶だったのかはわかりかねず、新聞紙は汚れたり破れたりした跡もなく比較的綺麗で、冒頭に『洞爺湖サミット開会』と大きく見出しが書かれているのが見えるが、逆に血や足跡なども付着していないため全く手懸りになりそうもない。雑誌は表紙にあられもない恰好をした女性が写っているエロ雑誌と思しきものだったが、上部を空き缶から漏れたと思しき液体がシミを作っており、それがちょうど顔の部分を隠しているので、その表紙の女性がどのような女性だったのかは全く把握できなかった。

 さらに机には、被害者が事件当夜に来ていた衣服も袋に入れて置かれていた。どうやら遺体解剖後に鑑識が押収したようなのだが、それを見て榊原の目が険しくなった。

「これは……制服ですか」

 そこには、彼女の通っていた聖ルミナル女学院のものと思しきブレザーが置かれていたのだ。

「えぇ、彼女は学校の制服を着た状態で発見されました。ルームメイトも、彼女がその姿で出て行ったと証言しています」

「理解できませんね。真夜中に女子高生が制服なんか着てうろついていたら、廃墟に着く前に深夜徘徊で補導される可能性が出てきてしまうはずです。普通なら学生である事を隠すためにも私服で行くものじゃないでしょうか」

 確かに常識的に考えて、人目を忍んで廃墟探検に行く人間がするとは思えない格好である。だが、これに対して鈴木はこう答えた。

「それが、彼女が通っていた聖ルミナル女学院はかなり厳格な学校で、品位を正すために私生活においても制服の着用を義務付けているんだそうです。それでも自宅通学の生徒は自宅に私服を持っていたりはするんですが、学生寮の入寮者ともなればその辺もかなり厳格で、制服と一部許可された衣服以外はそもそも寮内に持ち込む事さえ禁止されているんだそうです。被害者の栃崎濱江はこの学生寮の入寮者でしたから、より正確には『制服を着ざるを得なかった』というのが正しいと思われます」

「なんとまぁ……」

 随分と時代錯誤な校風ではある。

「ちなみに、その一部許可された衣服というのは?」

「学校指定の体操服やコート類、寝間着、それに部活のユニホームと言った類のものですね。なお、被害者はオカルト研の所属なので特定のユニホームのような物は持っていません。また、自室を捜索しましたが、学校側に隠れて私服を隠し持っていたというような事もなさそうでした」

「……確かに、そのラインナップの中では制服がまだましな部類ではありますね」

 とはいえ、真夜中に制服を着て廃墟に向かったのであればかなり目立つはずである。目撃者がいなかったのかというような事を聞くと、これに対して鈴木は肯定の返事をした。

「事件当夜の午後十時五十分頃、学生寮と現場の廃墟の中間地点にある住宅街の辺りで、彼女と思しき聖ルミナル女学院の制服を着た女生徒が廃墟方面へ自転車で走っているのを見たという目撃証言がありました。目撃者は鳥沢松彦とりざわまつひこという証券会社勤務のサラリーマンで、残業からの帰宅途中に目の前の交差点を自転車で横切っていく聖ルミナル女学院の制服を着た少女を目撃し、こんな時間に少女が自転車で走っていることに不信感を覚え、印象に残っていたという事でした。被害者が廃墟に到着したのが午後十一時過ぎと見るならば、この目撃証言の時間に矛盾はありません」

「その時間に間違いはありませんか?」

「本人は目撃時、咄嗟に自分の腕時計を見て時刻を確認したと言っています。また、鳥沢は目撃の十分前に最寄り駅の電車を降りており、そこから目撃地点まで歩いて十分前後となりますので、時間的な矛盾はありません」

 最後に榊原は、部屋の隅に置かれていた自転車に歩み寄った。これがおそらく、現場に放置されていたという被害者の自転車だろう。

「この自転車はどこに?」

「あの廃墟に入る脇道の入口近くに放置されていました。自転車の登録番号も確認しましたが、間違いなく被害者の自転車です」

「何か不審な点は?」

「鑑識が調べましたが、特に不審な点は発見されなかったという事です。壊れた部分や破損も確認できなかったとか」

「ふむ……」

 榊原はそれら遺留品を見ながら少し何かを考えていたが、しばらくしてこんな問いを発する。

「遺体発見当時の状況はわかりますか?」

「鑑識が撮影した写真があります。御覧になられますか?」

「お願いします」

 そう言われて、鈴木は一枚の写真を榊原に見せた。そこには虚空を虚ろな視線で見上げながら制服姿でソファに転がる被害者の姿がしっかりと映し出されていた。ソファの周りは先程見た遺留品やがらくたが散乱しており、空き缶から正体不明の液体がこぼれ出て床や近くのエロ雑誌に何とも言えない色のシミを作っていたり、割れた瓶から飛び散った細かいガラス片が鑑識のカメラのフラッシュに反射して光っているように見えたたり、果ては古新聞の上にソファの足のうちの一本が乗ってしまっている有様であった。

 それを見ながら、榊原はさらに何かを考えているようだったが、唐突にこんな事を言い始めた。

「……被害者の部屋を見る事はできますか?」

 一瞬鈴木も戸惑った様子だったが、榊原の事だから何か考えがあるのだろうと考え直したのかすぐに頷いた。

「可能です。現状、寮の部屋は事件解決まで保存するよう学校側に要請していますので、ほぼ事件当夜そのままの状態を見る事ができるはずです。ルームシェアをしていた子も、一時的に他の部屋に移ってもらっています」

「では、お願いできますか。それと、そのルームシェアしていた子にも話を聞いてみたいのですが」

「……わかりました」

 鈴木は頷き、二人は部屋を後にしたのだった……。


 それから約三十分後、榊原と鈴木は被害者が住んでいたという聖ルミナル女学院の学生寮の前に立っていた。ちょうど帰宅時間である事もあってかここに住んでいると思しき女生徒の出入りが多く、誰もが建物の前に立つ榊原たちの姿を不審げに見つめていた。その女学生たちが着ているのは、間違いなく被害者が着ていたのと同じブレザーである。

「被害者は幼い頃に両親が離婚していて、父子家庭で育ちました。その父親も数年前に病死し、現在法的な保護者は父方の叔父夫婦になっていますが、その叔父夫婦との折り合いが悪く、この辺の生まれにもかかわらずこうして寮生活を送っていたようです。実際、遺体確認のためにその叔父夫婦も呼ばれましたが、随分冷めたものでしたよ。さすがに遺体の受け入れや栃崎家の墓への納骨はしてくれましたが、遺品については学校か警察で処分してほしいと言っていました」

 そう言いながら、鈴木は玄関入ってすぐの場所にある管理人室に声をかけた。顔を出した中年の女性管理人は鈴木の顔を覚えていたらしく、すぐに出てきて心配そうな顔を向けた。

「刑事さん、何かわかったんですか?」

「いえ、現在も鋭意捜査中です。それで、もう一度被害者の部屋を見せてもらいたいと思って来たのですが……」

「はぁ、それは構いませんが……」

 そう言いながら、彼女の視線は後ろに控える榊原に向く。

「大丈夫です。警察の捜査に協力して頂いている方ですので、身元は我々が保証します」

「そうですか……まぁ、刑事さんがそう言うなら私は何も言いませんけど……」

 ひとまず話はついたようで、彼女の案内で、榊原たちは二階にあるという被害者の部屋の前に到着した。管理人が鍵を開け、ドアが開く。

「ここで結構です。捜査が終わったら声をかけますので、戻ってもらって構いません」

「はぁ、わかりました」

 そう言うと、彼女は鍵を鈴木に預けて管理人室に戻っていく。それを見届けると、榊原たちは手袋をした上で部屋の中に入り込み、鈴木がドアの脇にある電気のスイッチを入れた。

「見た限り、一般的な学生寮の部屋という感じですね」

 パッと見て、榊原はそんな感想を見らした。食事や入浴は一階にある共用の食堂や浴場で行われるため、メインとなる部屋と入口脇のトイレだけしかないシンプルな部屋である。部屋を入って左手の壁に机が二つ並び、右手側の壁に二段ベッドやタンスや本棚、テレビなど。部屋の奥にはベランダに続くガラス戸があるようだが、現在はカーテンが閉められていて外の様子はわからなくなっていた。部屋の中心には床に直接座るタイプの共用と思しき丸テーブルが置かれており、その丸テーブルの上にファッション雑誌が無造作に置かれている。

「こっちが被害者の机です」

 鈴木が示したのは、左側の壁に並んだ机のうち手前の方の机だった。榊原が近づくと、机の上には宿題なのか多種多様なプリントの他に各種参考書やワークなどが乱雑に置かれているが、それに交じってオカルト関連の書籍が多数積み上げられているのがわかった。また、それに紛れる形で何枚か同じ女性アイドルグループのCDとイヤホンがついたポータブルCDプレイヤーも置かれており、オカルト好きという点を除けばどこにでもいる一般的な少女だという事がわかる机であった。

 ちなみに、ルームシェアの相手となるもう一人の机はきちんと整理整頓がなされており、参考書類がきっちりと机の脇に積まれている他、濱江とは逆に、同じ男性人気アイドルグループのCDが何枚も積まれているのが印象的だった。

 榊原はそれを確認すると、今度は反対側の本棚の方を確認する。こちらも二つあり、一方の本棚には真面目そうな文学作品ばかり並んでいたが、もう一方の本棚にはオカルト系の書籍やホラー小説がこれでもかと並んでおり、どっちがどっちの本棚なのかは一目瞭然であった。ただ、そうしたオカルト系の書籍に紛れてたまに少女漫画やファッション雑誌があるのが何ともミスマッチである。また、被害者の本棚の一角に一枚写真立があって、そこにはガールスカウトの格好をした小学生の頃の被害者と思しき人物の写った集合写真があったりした。

 そうした部屋の様子を確認した後、榊原は黙ってカーテンを開け、その向こうにあるガラス戸も開けてベランダに出た。ベランダは寮の裏手にある聖ルミナル女学院の校庭に面しており、校庭の向こう側に校舎と思しき建物が見える。また、校庭と寮の間には花壇があり、いくつかの種類の花が咲いているのが見えた。

「なるほど、こういう位置関係か」

 榊原はそう言ってベランダを見回す。本来なら布団や洗濯物を干すために使う場所なのだろうが、今はベランダには何も干されておらず、ベランダの両隣にはおなじみの火災の時などに突き破れる仕切りがあるのがわかる。もちろん、その仕切りに破損部分があったりはしなかった。

 それを確認すると、榊原は再び部屋の中に戻り、最後に入口横のトイレの中を確認する。トイレは一般的な洋式タイプで、こちらも特に気になるようなものはないようだった。

「……どうですか?」

「ひとまず見たいものはすべて見られました。あとは、ルームメイトの子の話ですね」

 部屋を出ると、二人はいったん受付に戻り、被害者のルームメイトが戻っているかどうかを尋ねた。すると、さっき学校から帰って来たばかりで、たった今仮の部屋に戻った所らしい。鈴木が管理人に彼女と話す許可を求めると、いくつか交渉があった上で、一階の食堂でなら話をしても構わないという事で落ち着いたようだった。榊原たちは先に食堂に向かい、問題のルームメイトがやって来るのを待つ。

「先に基本的な情報を言っておきますが、ルームメイトの名前は足利輝美あしかがてるみ。被害者とは同学年で、校内では書道部に所属しているそうです」

「被害者との仲は?」

「聞き込みの限りだと普通に良かったという事で、特に怪しい情報はありませんでした」

「ふむ……」

 と、そこへ食堂のドアが開き、一人の少女が姿を見せた。小柄でどことなく小動物めいた風貌のおとなしそうな少女で、彼女は榊原たちに気付くと、遠慮がちに頭を下げて近づいてきた。

「あの、刑事さんから呼ばれていると聞いてきたんですが……まだ何かあるんですか?」

 少女……足利輝美の言葉に、すでに彼女とは取り調べで面識のある鈴木が応じた。

「いえ、捜査を進めていくにあたって、どうしても君に聞きたい事ができましてね。ご迷惑は承知でしたが、こうして話を聞きに来たというわけですよ」

「はぁ……」

 輝美は戸惑い気味ではあったが、そのまま帰るつもりはないらしく、鈴木に勧められるままに正面の椅子に腰かけた。それを確認すると鈴木は榊原に目配せし、榊原もそれに応じる形で口火を切った。

「では、早速ですが聞きたい事があります」

 輝美は初対面の榊原の事も刑事か何かだと思ったらしく、特に抵抗する様子もなく素直にそれに応じた。

「何でしょうか?」

「まず、確認の意味を込めていくつか聞きますが、君は被害者の栃崎濱江さんのルームメイトという事で間違いありませんね?」

 榊原の問いに輝美は頷く。

「はい。この学校に入学した時から一緒に住んでいます。この寮は基本的に数余りでもない限りは二人で一部屋を使う決まりなんです」

「なるほど……ちなみに現在、その数余りは起っていないんですか? もちろん、栃崎さんが亡くなる前、という事ですが」

「ありません。全員二人部屋でした」

 つまり、事件当時まで寮内に一人部屋は存在しないという事だ。

「その組み合わせはどうやって決まるんですか?」

「基本的にはランダムで、その上で性格が一致しないとか細かい理由を寮監さんが聞き入れて調整します。私と濱江はそういうのはなかったんですけど……」

「という事は、栃崎さんとは仲良かったんですか?」

「ルームメイトですからそれなりに仲は良かったです。少なくとも私に不満はありませんでした」

 と、ここで榊原は不意に質問の角度を変えた。

「聞くところによれば、ここはかなり規則の厳しい寮のようですね」

「え、えぇ、そうですね……」

「自宅通いは考えなかったんですか? あぁもちろん、あなたの本籍地がどこかを知らずに聞いているので、失礼な質問なら謝罪しますが……」

 榊原はそう言うが、彼女は少し顔を曇らせてこう言った。

「調べたらわかると思うから言いますけど、私、小さい頃に電車の事故で両親を亡くしているんです。その後、東京の叔母夫婦に引き取られたんですけど何だか腫物を扱うみたいな関係で……だから寮があるここに入学して、叔母たちの負担を少しでも減らそうと思ったんです」

「そういう事情でしたか。いや、失礼。立ち入った事をお聞きしました」

 榊原はそう言って頭を下げる。思えば、被害者も両親を亡くし、引き取られた叔父夫婦との仲が悪化したが故の入寮だったはずで、そのような境遇の人間がここには多いのかもしれないと榊原は思った。

「では、もう少し具体的に聞きましょう」

 話をそう切り替えて、榊原は質問を続行する。

「事件当夜、彼女を最後に見たのはいつですか?」

「そっちの刑事さんにも言いましたけど、午後十時半頃です。寮監がたまたま用事でいなかったので、『肝試しに行ってくる』と言って出ていきました」

「止めなかったんですか?」

「彼女の廃墟巡りの癖は彼女と親しい人間ならみんな知っていましたし、私もいつもの事だと思ったんです」

「ふむ……もう少し細かく聞きますが、出て行った時の彼女の服装は?」

「制服でした。本当はちゃんとした探検用の服を着たいとは言っていたんですけど、ここ、私服の持ち込みが禁止なので仕方なくだったらしいです」

「出て行った時の彼女に何か変わった様子は?」

「さぁ……私は宿題をしていましたし、正直いつもの事だったのでそこまで気に留めていませんでした。あ、でも、部屋を出たところで誰かと話しているようでした」

 その相手が浴場に行くために部屋から出てきた隣部屋の生徒二人であるという事はすでに確認済みで、警察の聞き込みで、彼女たちも午後十時半に彼女が肝試し目的で出かける事を本人から聞いている事は裏付けが取れていた。

「彼女が出て行った後、あなたは?」

「そのまましばらく宿題を続けて、午後十一時半過ぎくらいには寝ました。でも、朝になっても濱江が戻ってきていなくって、少し迷いましたけど心配になったから、学校の先生に思い切って話したんです」

「それで彼女の失踪が発覚し、捜索の末、あの廃墟で遺体が見つかった」

「はい……正直、今でも信じられません」

 輝美は顔を俯かせる。

「あの廃墟の事について、彼女が何か言っていたというような事は?」

「いえ……そういう廃墟があるって事と、いつかは行きたいとは言っていましたけど、それがあの日だったなんて……」

「話題自体にはしていたんですね?」

「は、はい。でも、正直私はあまり興味がなくて、何か言っていても聞き流している事が多かったですし……それにあの日も、具体的にどこの廃墟に行くなんて事までは言っていなかったと思います……」

「当然、君自身は行った事がない?」

「もちろんです」

 輝美の答えに榊原は少し考え込むと、改めてこう尋ねた。

「さっき彼女の部屋を見てきたのですが、彼女の本棚にガールスカウトの写真があったようですが、あれは?」

「聞いた話だと、小学生の頃に地元のグループに入っていたそうです。それ以上はよく知りませんけど……」

 何ともつかみどころのない話だった。

「最近、彼女が何か悩んでいるとか、そんな事はありませんでしたか?」

「……すみません、わからないです。あまり自分の事を話す子じゃなかったので」

 それからいくつか質問が重ねられたが、どれも曖昧な答えが続く。しばらく同じような答えが何度か続いたのを見て榊原は少し何事か考え込んでいたが、やがて小さく頷いて告げた。

「……いいでしょう。ここまでで結構です。お忙しい中、ありがとうございました」

 その言葉に、輝美は少し拍子抜けしたような表情を浮かべる。もっといろいろ聞かれると思っていたのだろう。だが、話が終わりだとわかると、慌てたように立ち上がって一礼した。

「あの……」

「ん?」

「私が言うのもなんですけど……今のお話で本当に濱江の事件を解決してもらえるんですか?」

 輝美のそんな問いに、しかし榊原はすました表情でこう告げたのだった。

「もちろんそのつもりです。そのために、私はここにいるわけでしてね」

 榊原の言葉に、輝美は少し口ごもった後、そのままもう一度深く頭を下げたのだった。


 話を聞き終えると、榊原と鈴木は寮を出てパトカーに乗り込んだ。そのまま少し走ったところで、おもむろに鈴木はこう尋ねた。

「どうですか? これまでの情報で、何かわかった事はありませんか?」

 鈴木の問いに榊原は少し考え込む仕草を見せたが、やがてため息をついて小さく首を振りつつこう言った。

「正直な所、今の情報だけでは誰が犯人なのかというところまではわかりません。残念ですが……」

「そうですか……」

 鈴木はややがっかりする。あの榊原にそう言われてしまっては、この事件の解決も長期化するのではないかと思ったからだ。

 だが、その直後、榊原が付け加えた言葉に、鈴木は打って変わって驚愕する事となった。


「ただし、誰が犯人なのかはわかりませんが、犯人の正体はわかりました」


「は?」

 意味のわからない事を言われて混乱する鈴木に対し、榊原は小さく不敵な笑みを浮かべながらこう言った。

「ニ、三、調べてほしい事があります。それがはっきりすれば、この事件、解決は充分に可能だと判断します」

 そんな事を言う榊原に対し、鈴木は思わず息を飲んだのだった……。

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