ムラサキ

「はて? ゼロエス帝国とな? そんな国あったかのう……もしや小国か? 矮小な国は覚えてないのでな」

「……小国ではない。別の大陸だ」


 アリスは苛立ちを抑えながら話す。無意識にでも自分がだと見られている事が心底腹立たしかった。

 

「……別の大陸。して。この国には何用だ?」


 小さな目がアリスを捉える。

 対するアリスのこめかみには青筋が浮かぶ。


 ……一国の皇帝に対して、だと?


 アリスは一度深呼吸をして苛立ちを腹の底へと押し込める。ただの苛立ちで情報収集を怠る事はできない。そんな事をしたら目の前の肉塊と同じような愚か者になる。


「……何用か。国には用などない。私はこの大陸を覆う魔界を滅ぼしにきた」


 ニナの言葉を借りて言い放った。しかし王は首を傾げてアリスの想定していなかった言葉を吐き出した。

 

「魔界……? 何を言っておるのだ?」


 アリスは目を細めた。


 ……終域を知らない?


 嘘か真か。確かめる必要がある。


「国の外にバケモノがうじゃうじゃいるだろう? 知らないとは言わせないぞ」

「何を言うておる。そんな物がおったら国が襲われておるだろう」


 王は顔を醜悪に歪めて気色の悪い笑い声を上げる。

 確かにその通りなのだが、それを言って仕舞えばそもそもなぜ国の周囲にバケモノがいないのかが引っかかる。

 それはまるでこの国を――。


「王よ。お時間です」


 ゾッ――と、心胆寒からしめる悪寒がした。

 その人物はいつの間にか玉座の前に立っていた。


 ……なんだこいつは……?


 喉が急速に干上がっていくのを感じる。

 アリスは【皇】となってから久しく感じていなかった感覚を覚えた。

 即ち――。


 ――死の気配。


 アリスは瞬時に察した。邪悪なる気配は部屋全体に満ちていた。だから気が付かなかった。

 初めはこの王が発しているのだと思っていた。

 しかし違う。


 ……こいつだ。


 アリスはその人物の一挙手一投足を一時も見逃しはしないと見つめる。

 しかしその人物は気にした様子もなく王と会話をし始めた。


「ふむ。もうその様な時間かのう。しばしまて」


 すると王は自分の腹の肉を掴み、引きちぎった。


「――なっ!」

 

 飛び散った血液が玉座を濡らす。しかし王は気にした様子もなく、また自分の肉体を引きちぎる。


 ……まて。


 ニナの言葉が思い出される。

 国は存続していると。

 そうだ。外がこの様な状況なら食糧が枯渇する。しかしこの国は祭りをできるほどに食糧に余裕がある。


 ……まさか。


 アリスは血の気が引いていくのを感じた。

 確かに屋台ではを焼いていた。少女も串を持っていた。やけに肉の出店が多いとも感じた。

 アリスの考えが事実だとするなら。


 ……なんと悍ましい。


 その後も王は次々に肉体を引きちぎる。

 自身の血に塗れながら。そうしてになった王が玉座の前に佇む人物に言った。


「明日もだったかのう?」

「はい。明日は隣国のシルトヘイスでございます」

「あいわかった。そうだムラサキ。この者が魔界とかバケモノとか言うておるが汝は何か知っておるか?」

「魔物ですか? ええ。もちろん存じていますよ。ですが王が気になさることではございません。私にお任せください」

「あいわかった」


 ムラサキと呼ばれた人物が大仰に頭を下げると王は満足そうに頷いた。


「貴様何者だ?」


 アリスは殺気を含めて問いかける。

 ムラサキは振り返り、アリスと対峙した。

 ここでアリスは初めてムラサキの顔を見た。信じられないほどの美形だった。しかし作り物めいた違和感を覚える。

 ムラサキは名前の通り紫色の長い髪をしていた。背も高い。

 気配は邪悪な魔力以外はなんら人と変わらない。


「これはこれはお初にお目にかかります【混沌皇】」

「開闢終焉の剣――!」


 アリスは手に混沌の剣を作り出し、ムラサキに斬りかかった。こいつは生かしては置けないと瞬時にそう判断した。

 しかし、ムラサキは混沌属性の剣を素手で受け止めた。

 アリスは内心の動揺を押し殺し問いかける。


「なぜ?」


 言うまでもなくアリスとムラサキは初対面だ。アリスがムラサキのことを知らないように別大陸にいるムラサキがアリスのことを知りえるはずがない。

 

「なぜ、ですか。それは貴女が脅威だからですよ」

「脅威だと?」


 ……混沌を素手で受け止めておいてどの口がほざく!


 アリスは内心で悪態をついた。

 

「先程の質問にお答えしましょう。私は【無尽ノ紫】。神の眷属です。まあ、この王の様にムラサキとお呼びください」

「神の眷属……だと?」


 アリスが眉を顰める。

 神は天恵を与えるもの。それ以外に人々に干渉する事はなく、天上から見守っているとされる。


 ……そんな神がこんなにも邪悪な存在を眷属に?


 疑問は尽きないがたとえ神の眷属であろうとも野放しにできないとアリスは判断した。


「闇よ」


 アリスは後退しながら腕を振り上げる。


「影剣乱舞」


 伸びた影から剣が突き出し、王の魔を埋め尽くす。

 ムラサキは手を振るうと自分の周りに出現した影の剣を叩き折った。


「ギィヤアアアアアアアアアア!!!」


 耳を劈く絶叫が迸る。玉座の上で王が全身を剣に貫かれのたうち回っていた。

 その様子をムラサキが冷ややかに見ている。


「……貴方。それでも王ですか?」


 ムラサキがため息をつきながら王に向かって手を翳した。

 すると王の傷がみるみる塞がっていく。


「王よ。ここはお任せしてもよろしいですか?」


 ムラサキはアリスに背を向けながら先程の様子とは打って変わって丁寧な口調で言った。


「…………んあ? …………ああ、そうだった。良いぞ。この【暴食王】オストロスがお相手しよう」


 そんな王をアリスは無視する。このような小物に用はない。


「逃すと思うか?」

「キサマァアアアアアア!!! 余を無視したなァアアアア」


 オストロスが激昂する。対してアリスは極寒の視線を向ける。この程度で怒るとは些か沸点が低い様に感じる。


「コロス!!!」

 

 オルトロスの肉体が膨張する。細身だった身体は瞬時に元に戻りそれでも膨張は止まらない。

 オストロスは見上げるほどに巨大になり、王の間の天井を突き破ってなお巨大化する。

 それはまるで巨人の様だったが――。


「――局地終極」


 アリスの手から放たれた光と闇がオストロスの腹部を突き破る。


「そんな攻撃ィイイイイイイイ!?!?!?」

「うるさい」


 言った瞬間オストロスの体内で混沌が顕現した。そうして瞬く間に混沌に飲まれ消滅した。


「おや。一撃ですか。これは想定外です。それに……」


 ムラサキが顎に手を当てて考える。


「私とは相性が悪いですねぇ。大人しくお暇させていただき……」


 アリスが言葉の途中で斬りかかる。


「もう一度言う。……逃すと思うか?」

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