実はまだ3日目なんです

 目を覚まして、目の前にあった紫苑の腕時計で時間を確認すると、6時を指していた。眠い目をこすりながら、身体に絡みついてる紫苑ごと持ち上げて、外を見る。日差しが薄っすら入り込んでいて、その微小の光が床と反射し、確実に僕の目を射抜いてきた。

 眩しいし、なんだか眠いし、もう一度寝ることにした。

 紫苑の時計が6を指しているから、18時か6時の2択。ということは多分、今は9時。まさか今が21時なんてことはないだろう。紫苑、面倒くさいって言って腕時計の時差を直していなかったけど、それより計算の方が面倒くさい気がする。勝手にイジってやろうかと思った。

 日光なんかよりもっと眩しい美少女の寝顔を見ながら、もう一度眠りにつこうと思ったけどなかなか寝つけなくて、なんとなく、抱き枕みたいに脚を絡めて寝てみた。これがなんとまぁ寝れる寝れる。すぐに意識を飛ばして、仮死体験モードに入った。


「瀬戸君おはよ」

「起きてるんでしょ?」

 うっさい。寝かせてくれよ。

「今日はケンブリッジ大学植物園行くよ」

 仮死状態のまま、耳だけで情報を得る。だから半分、夢にいるような気分。暗闇の中で、ふわついている。紫苑と手を取り合って、暗闇の中を、何も怖がらずに進んでいくような。

「ちょっと、いい加減起きてよ」

 またまた無視していると、携帯のカメラモード起動音がして飛び起きた。

「やっと起きた」

「今、何時だよ」

「10時17分だよ」

 ベッドから出て、伸びをする。紫苑はそのままベッドに座って、携帯をイジっていた。

「そういえば、インスタに写真、あげてんの?」

 道中、大量に撮っていたことを思い出して、ふと聞いてみる。

「上げてるよ。瀬戸君が映ってるのは上げてないけど」

 紫苑は家庭の事情という理由で休んでいて、僕だけズル休み。バレたら怒られるのは、僕のみ。そんなところでオンリーワンの称号はいらないから、絶対バレたくない。そもそも、紫苑と来てるなんてバレたら学校中から殺される。その前に殺される以上の地獄が待ってるだろう。

「とりあえず朝ご飯食べに行こ」

「そうな」

 ベッドから飛び降りたかと思うと、なんの羞恥心もなく脱ぎだした。

「何今更照れてんのさ」

「そりゃだって、着替えてるとこ見るの、なんか恥ずかしいだろ」

 見てる僕の方が恥ずかしいという、異常事態。

「別に見てもいいんだよ」

 そう言う紫苑の身体が、カーテンの隙間から漏れ出る光と、白い肌の上に纏った白い下着が共鳴して、照り映える。思わず見とれて、動けなくなった。元々惚れてるのに、紫苑という人間の美しさを脳が勝手に再確認し、虜になる。僕は昨日、こんな人の誘いを断ったんだ。今すぐに、抱き締めたい。こんなに、外面は白く美しく、内面は黒紫に染まった人間を僕はまた、傷つけたんだ。

 でもそれは、僕が我慢しないといけないことなんだ。業を背負わないといけないことなんだ。紫苑の愛は日に日に、重くなっていっている。僕と過ごす時間が長くなればなるほど、重くなっている。今紫苑と身体を合わせると間違いなく、紫苑のタガが外れる。そうなると紫苑にはきっと、崩壊しかない。表面上の危うさが消えても、中身の危うさは消えないから。

「何見惚れてんのさ」

「え?」

「え、じゃないし。私の身体見て止まってたじゃん。早く着替えてモーニング行こうよ」

 紫苑が完全に着替え終わりそうなところで、一人の世界から呼び起こされた。危ない危ない。


「私、理系なら農学に進みたかったんだよね」

 街から歩いて15分くらいにある植物園。僕の前を変わらず歩く紫苑が、そんなことを言う。変わってるのは、町並みだけ。でもそれだけで、雰囲気はかなり違った。

「なんで急に農学なんだよ」

「だって、植物と話しておきたいじゃん」

 要するに、人間とは話したくない、ということ。

「そうな」

「助手は瀬戸君ね」

 それから一人で勝手にシチュエーションを想像し始めて、一人芝居が始まった。ここが英国で、良かった。日本でこんなこと聞かれたら、死にたくなる。


「まだ3日目っていう感覚、ある?」

 植物園について、噴水の横で座って話していた。日本と違って英国の公園はだだっ広い。芝生が、学校の校庭以上に広がってる。何個分だろう。3?4?

「ないね。もう5日目の気分。日付感覚がバグってる」

「時差ボケはせずに済んだのにね」

「そうな」

 二人でベンチに寄りかかって、だらしなく、伸びをする。水の音が心を癒やしてくれて、気持ちがいい。

「ニュートンのさ、りんごの木の子孫があるらしいよ」

 りんごが落ちて、重力の存在に気づいたという、あれ。

「可哀想だな」

「子孫っていうだけで、もてはやされるんだもんね」

 有名な人の子供だからって、特に何かあるわけでもないだろうに、自分とは違う異生物がよってたかって見に来る。地獄なんだろうな。というか、ニュートンが頑張ったのであって木は何も頑張ってないし。

「私達も、誰か有名な人の子孫だったら、もてはやされてたのかな」

「そうだろうな」

「嫌だな、そんな人生。私、自分ひとりで生きたいから。私の世界は、私が選んで作りたいから」

「決められた世界で生きるのなんて、つまらないからな」

「誰かの固定概念で動くの、嫌だしね。自分の娘だったらこうしろ、交際相手は金持ちにしろだの。そういう決められて生きてる人って、性癖がねじ曲がったりするらしいよ」

 どこ情報だよ、それ。紫苑は、いつも変な情報と知識ばかり持ってるけど、役立つ知識は持ってるのかな。今までそういった役立つ知識を聞いたことは、そういえばない。あ、持ってないんだ。

「そんな人生、捨てちゃえばいいのに」

 役立つのに興味のない知識も、面白くない人生も、すぐに捨ててしまうようなのが紫苑。だから、僕は怖いんだ。

「紫苑の人生は捨てるなよ」

「捨てないよ。瀬戸君がいる限り」

「そうな」

 植物園で、人生を考える僕達。

 それでこそ、僕達。

 生きてるって感じがする。

 まだ3日目なのに、雰囲気は終幕。

 明日から、何するんだろう。

 ある意味、生きてる人間の生活はしなさそうだった。シュレディンガーの猫箱状態。

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