ディナーは続くよどこまでも
「スープってさ、太宰治の作品だと、スゥプになってるんだよ」
気が狂って逆立ちブリッジをかまし、そのまま後ろに走っていきそうになるぐらいにどうでもいい雑学を、突然ぶっこんでくる美少女。
「なんでそれ今なんだよ」
「お母さんの食べ方見てるとさ、斜陽に書かれてた下級貴族の、主人公のお母さんにしか見えないんだよね」
馬鹿にしてるのか褒めてるのかよくわからない。あ、何も考えてないが正解か。
「紫苑ちゃんはまず、音がならないように食べないとね」
さっきから大工レベルで音を鳴らしてる僕の前でそれを言うってことは、多分皮肉。将来、こんなにお金持ちになる予定ないし、いいか。
「瀬戸君は将来、なりたいこととかあるのかい?」
「何も、考えられてません。今を生きることで、精一杯なので」
「やりたいことがなかったら、うちの病院においで。何かしら紹介してあげるからさ」
とんでもないところに転がり込んできた僕の人生の抜け道。
やったー!!!!僕は勝ち組だーー!!こんなことを思ってる時点で負け組だーー!!
「地下室の手記って、ドストエフスキーが書いたから面白いんだと思うんだよ。あの皮肉めいた、社会への恨み方が好き。共感出来る」
「さっきからどうしたんだよ」
妙に畏まって怖い。そんな文学的な人間じゃないだろうに。
「瀬戸君のメインディッシュ、私に頂戴」
「絶対嫌だけど」
「私っていうメインディッシュ上げるから」
「いらないよ」
「え?」
「え?」
こんなところで欲しいです〜なんて言えるはずないだろ!恐る恐る正面を見ると、楽しそうにニコニコしているお義父さんと、どうでも良さそうに食事を続けるお義母さんが目に映る。殺されずに済みそう。あ、紫苑の冗談を冗談としっかり流してくれてるのか!感謝しかありません!
「紫苑ちゃん、瀬戸君が困ってるからやめてあげましょう?」
特に表情も変えず、言うお義母様。お義母さんなんて呼ぶのは失礼だ。様だろ、様。
「わかってらい!」
そう言ってジンジャーエールを空にして、机の上にそっと置いておく紫苑。すると、すぐさまおかわりが入れられた。そしてそれを、軽く飲む。手慣れてて、怖い。
「実際、紫苑は可愛いから戸惑うこともあるだろ?」
お義父様が軽口を叩くようにおっしゃられる。
「かなり戸惑いますよ。誘惑に負けそうで、怖いです」
「卒業に関わるようなことがなければ、負けても全然いいんだぞ」
何いってんだこの人。実の娘の目の前で、襲うことを許可した。紫苑の家、どうなってんだよ。全く家に帰ってこない時点で、ぶっ飛んでるのは確定してるか……。
「ところで、瀬戸君と紫苑はどこまで行ったの?」
紫苑に変わって、今度は僕がジンジャーエールを吹きかけた。しかも、鼻から。ナイヤガラの滝ならぬハナイヤガラの滝。こんなしょうもないことを思いつく僕を誰か殺してくれ。
「どこまでも、別に行ってませんよ」
「キスまで」
サラッと言うなよ!!紫苑とは、だいたい全部、お互い分かり合えてるつもりだったけど、僕の痛みだけはわかってくれてないらしい。
「何回ぐらいしたの?」
興奮するようにお義母さんが聞いてくる。
「そんなにしてませんよ」
「もう数えきれないや」
僕が喋らないのが正解か、紫苑を喋らせないのが正解か。紫苑を喋らせないのは不可能。よって僕は黙秘モードに入った。
「それならもう、ゴールインは近いわね!」
「それがさ、瀬戸君なかなかしてくれないんだよ」
今日のメインディッシュは、ローストビーフ。
「それだけ紫苑は大事にしてもらえてるってことさ」
僕はビーフが肉系の中で最も好きだから、運ばれてきたときから楽しみにしていた。ゆっくりと噛んでその味を味わおうとしたら、口の中で消えてしまった。
「私は誘ったりしてるんだけどね」
なんということでしょう!美味しくてたまりません!これだけでイギリスに来てよかったと思える。フィッシュ・アンド・チップスばかりで死にかけていた舌が、今、蘇った。
「紫苑ちゃんのパワーが足りないんじゃないの?」
「足りないよ。お母さんだって、言うほどパワーないから家系だよ家系」
「こらこら紫苑」
パワー!僕は必死で脳を殺す。考えるな、考えたら負けだ。
「温泉旅行のチケット取ってあげるから、二人で行ったらどうかしら?」
「いいの!?ちょうだい!」
「予約しておくわね」
あぁ、何も話さなかったら僕の冬休みの予定が勝手に決められた。紫苑以外も、十分勝手な人間しかいないじゃないか。それに、僕の予定も聞かずに予約するということは、ボッチ認定されているということ。別に、ボッチじゃないのに。
「瀬戸君、ところで……」
「はい、何でしょうか」
機械みたいに答える僕。最新A.I.Seto.
「君の家と言ったけれど、別に僕達の家にいてもらっても構わないんだ。とりあえず、後で合鍵を渡しておくから好きに使ってほしい」
「ありがとうございます」
最新A.I.は感情なんて動かさない。事実を淡々と受け入れる。
合鍵かー。
合鍵か……。
合鍵?
Yes,合鍵!
A☆I☆K☆A☆G☆I!
I am a key!(私は鍵です)
I am a key!(私は鍵です)
「あの、合鍵なんて貰っていいんですか?」
「僕達は君のことを、それなりに評価しているんだ。信用の証と思っていいんだよ」
目に見える信用を得られて、ありがたいと言えばありがたい。でも、僕の中での疑問は消えるわけじゃない。これで、いいのだろうか。目の前のローストビーフをナイフも使わずに適当に食べるこんな僕に渡して。
このディナーで再確認したけど、紫苑はかなりのお嬢様。本人は何ら気にしてないけど。そんな人相手に、僕といえば普通の人間。これっぽっちも何か優れたところのない、ある意味普通でもなんでもない人間。
「僕達はね、瀬戸君の思ってるより、型にこだわる人間じゃないんだ。君が特別な人間かなんて、関係ないんだよ。大抵の人間は何も生み出せないから、世間から見た特別な人間なんて、そもそも数少ない。それでも、僕達親にとっては、紫苑の心と共に生きてくれている特別な人なんだ。僕達が紫苑を見てあげられない分、ね」
「僕は紫苑に、それ以外、何もしてあげられませんよ」
「それだけで、いいんだよ。瀬戸君はきっと、自分を小さく見すぎているんだ。もっと世界を、小さく見てみなよ。君は思ったより、特別な人間だ」
そう言って立ち上がる紫苑の父親の背中は、世界を達観視するような、人間として完成しているような、僕達が嫌いな人間像のハズなのになぜか、大きく見えた。この世界がまるで、生きづらくなさそうな。
「これから、よろしくおねがいします」
思わず、頭を下げる。これが、器の広さというのかもしれない。優しいだけが、器の広さの基準なんかじゃない。
「こちらこそ、よろしくね」
ニコッと笑うその顔はどこか、紫苑を思わせる顔つきだった。
いずれ紫苑も、こんな人間になるのだろうか。
いずれ僕は、こんな人間と並んで歩くのだろうか。
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