違う世界があったなら

「話したいことがあるんだけど」

 なんて言う勇気はない。イギリスに行くまでに委員長をなんとかしようと思っている僕と、「別にイギリス行くまでに言わなくても、インフルエンザって言って休めば大丈夫じゃない?」なんて逃げてる僕が共存している。紫苑は、早く何とかした方がいいって言ってる日もあれば、ほっといていいって言ってる日もある。流石紫苑。とんでもなく、アバウト。

 今日も朝から元気なこの美少女は、僕が悩んでるなんて気も知らず、ニコニコしながら妹と話してる。そういえば紫苑が前、全部僕に任せるって言ってた。だからやらなきゃいけないのは僕なのに、頼りたくなる。それでも、頼るのは頼るのでなんだか癪。葛藤。

「何さ、朝から気難しい顔して」

 心配そうにするでもなく、キョトンとして聞いてくる。

「なんでもないよ」

「私の制服姿が可愛すぎて悩んでるわけぇ?」

 ピーナッツジャムをふんだんに塗りたくりながら言うこの美少女。残りの全てのジャムを顔面に食らわせてやりたい。

「そんなんじゃないよ。もっとこう、まともなこと」

「じゃあ、学校行くときに聞いてあげる」

 やっぱり、紫苑はいざってときは頼りになるよね。解決するのは自分だけど。そこだけは絶対、揺るがないようにもう一度、心に留める。


「それで、こんな美少女の前で何悩んでたの?」

 ご機嫌取りにアイス買ったほうがいいんじゃな〜い?なんて言ってくるから、コンビニで二人分のアイスを買った。すぐに、僕のアイスは取られることになったのだけど。相変わらず、傲慢。全てを自分のモノにしたいこの性格なのに、よく美少女なんて名乗れるよ。

「委員長、どうしようかと思ってね」

「なんだか瀬戸君が告白するみたいだね」

「断るほうが普通、気まずいんだよ」

「私、全然気まずくないよ?」

 それは紫苑がイかれてるからだろ。なんて言うとまた調子に乗るから無視しておく。

「私なら、普通に呼び出して、話し合うよ。あ、これ、真面目な話ね?」

「告白の返事なんだけど、みたいに?」

「そうそう。それでいいと思うよ。あ、私と付き合ってることは黙ってても言ってもどっちでもいいよ。とりあえず今は付き合えない、とかがベストじゃないかな」

「それもそうかもね。そうしてみるよ」

 そんなこと言ってる間にもずっと食べてるアイスを、紫苑が僕の分まで食べ切ったのを確てから、学校に向かった。いつになく、緊張して。


「話したいことが、あるんだけど」

 こんなこと言える勇気なんて無いと思ってたのに、意外と言ってる自分に驚きつつも、一息で言えない自分に呆れる。

「わかりました。いつがいいですか?」

「放課後がいい」

 そう言うと、丁寧にお辞儀までしてくれて、友達の元まで戻っていった。緊張したように。僕も同じく、だけど。今頃委員長は期待しているのかそれとも、覚悟しているのか。僕には到底想像できないけど、何かしらの感情を、抱いているはず。そういえば、二人っきりで話したことはないかもしれない。屋上のときだって、何気に紫苑がいたし。今度は、落ち着いて話せるだろうか。自分を、信じきれなさった。


 あの日と違って、乾いた風が世界を切り裂いていく。これから更に冷たくなっていくこの風は、いったいどこから、暖かくなって行くのだろう。世界は僕達の感知できないところでも、動いている。そういうことが、天候で、再認識出来る。

 僕達の世界はと言うと、風も立っていない、静かな世界だった。背中を見せる委員長に、僕は何を感じているのだろう。自分が自分でわからなくなるのに、身体だけは前に進む。これが厄介極まりなくて、自我を取り戻そうと頭をフル回転させる。きっと、今の屋上にいるというこの状況がさらに、僕の自我の復活を邪魔しているのだろう。

「それで瀬戸君、話って?」

 ゆっくりと振り返る委員長。澄んだような瞳が、僕を刺す。でもそれは紫苑の僕のどこを見てるのかわからない目とは違っていて、僕をぐっと、見るような目。つまり、様子を見ている目。

「委員長の想いには、答えられない」

 そう言っても変わらない表情を貫く、委員長。出来た人なんだな、と関心する。

「理由をお聞きしても?」

「僕はやっぱり、白川紫苑という人間に、魅入られているから」

「そう言えばあのとき、しっかりと聞いていませんでしたね。あの子の、何がそんなに好きなんですか?」

「僕は白川の、あの哀れな人間性が好きだ。自分を強く持ち、何にもなびかれない。そんな強い人間なのに、脆くて、繊細で危なっかしいところが。白川紫苑という人間を見ていけば見ていくほど、どんどん、その沼にハマって沈んでいく。彼女にゆっくり、どっぷりと、沈んでいく。そんな感触が、好きなんだ。だからこそ僕は、彼女を支えて、彼女の精神的支柱となって、生きていきたい」

 僕がそう言うと、委員長は僕から視線を外して、遠く離れたところに見える、海を見つめた。大きな風が吹き込む。まるで委員長の心理を表している比喩表現のように。委員長の心理を、この世界に現しているように。

「もし、仮に」

 風が、収まった。委員長が、僕の方を向き直して、すがるような、諦めたような、さっぱりしたような、そんな笑顔で、ギリギリの笑顔で、僕を見つめる。

「もし仮に違う世界があったなら私達は、愛し合えていたと、思いますか?」

 どうなんだろう。もし仮に、なんてない。この世界はこの世界で、この現実はこの現実で。だからもし紫苑と出会わなかったら、なんてないだろう。運命なんてものはない。紫苑は自分の意思で選び、僕の元へ現れた。だから仮に違う世界があったとて、きっと、紫苑は僕の前へ必ず現れて、僕は同じように、紫苑に惹かれていただろう。でも、それより先に、委員長に惚れていた可能性だって、捨てきれないとは言い切れない。

「そんなこと、わからない。仮にそんな世界があったとて、これが現実だから。僕達はどんな辛いことがあっても、受け止めて生きていくしかないんだ」

 それが生きるということで、それが現実ということ。どんなに頑張っても、逃げられない。

「そうかも、しれませんね」

「そうな」

「私はこれから、どうなると思いますか?」

「僕よりいい人を見つけて、幸せになると思うよ」

 僕がそう言うとなんだか、委員長は安堵したような顔をした。

「今まで、ありがとうございました。これからは是非、ご友人として、時間を一緒にさせて下さい」

「僕も、それがいい」

「最後に、一つだけお願いしたいことがあります」

「瀬戸君、どうか、死なないで下さい」

 あぁ、そうか。委員長も、この世界が、生きにくくて仕方ないんだ。

 僕は去っていく委員長を振り向きもせず見送って、ようやくそのことに気づいた自分を恨む。よく考えれば、紫苑が仲良くするということは、そういうこと。生きにくくて生きにくくて、仕方ないんだ。

 いい人が、損する社会。

 紫苑みたいな自由な人が何故か上手く行って、周りと順応し、我慢する人が損をする。

 人類は、不平等だ。

 世界は、不平等だ。

 現実は、不平等だ。

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