英国へ向けて

「それで、休みの日じゃなくても毎日いるのかよ」

「当たり前じゃん」

 濡れた髪を拭きながら、横目で僕に言う紫苑。ちなみにこの美少女がボブヘアーのあの髪をブルブルさせた瞬間、僕のベットはびしょ濡れになる。

「ドライアー、下にあるよ」

「当ててくれないの?」

 当てたことないだろ。

「それより、瀬戸君も入ってきなよ」

「わかったよ」

 妙に紫苑に急かされ、お風呂に入る。普段はもっと、遅いのに。人が一人増えるだけで、僕という世界が簡単に崩れる。簡単で安易なことだけど、それが意外に大きい。だってこれはつまり、僕達二人の世界も簡単に壊れる、ということ。

「なんだこれ」

 一人でボヤく。この時間が一番虚しい。それはともかくとして、知らないシャンプーがあった。とりあえず、手にする。未知のものに手を出すのは人間として新しいことへ取り組むということ。これはつまり、そう、人間の進化の過程。勝利の過程。織田信長は鉄砲という新兵器に着手したからこそ、勝ったのだから。

 どこかで匂ったことのある、いい匂い。透き通るような、女性ものの……。

 あ、これもしかして、紫苑の?

 よく考えればわかった話だろ!自分が情けない。何してんだよ僕は!バカだ。ただのバカだ。どうせ紫苑に「あれ、私の匂いするじゃん!お揃いだね!ドキドキするよ!」なんてデレデレしながら言う未来がよく見える。あぁ、僕は、バカだ。


「瀬戸君、いつもと匂い違うね」

 逆に覚えられてるのが怖い。気づくなよ。

「私のシャンプー使ったでしょ」

「そうだよ」

「やっぱり!お揃いだね!匂わせてよ」

 紫苑の想定外の行動。僕の頭を掴んで、鼻を突っ込む。

「やっぱり。私の匂いだ。なんだか、いいね」

 思ったのとやっぱり違う反応で、僕が戸惑う。顔が赤くなるのが、自分でわかる。

「紫苑の匂いも嗅がせてくれるなよ」

 何いってんだよ、僕。キモすぎる。それでも、紫苑は受け止めてくれるから余計、罪悪感が増す。

「いいよ。ほら、匂って。瀬戸君と同じ匂いだから」

 紫苑が、喜んで後ろを向く。そこまで喜ばれるとなんだか僕も、引き下がれない。自分でも最低だってわかるから、辛くなってくる。

「同じ匂いって、皆にバレるかもね」

「そんなに覚えてるやついないだろ」

「わかんないよ?」

「わかるよ」

 紫苑の髪に、そっと、触れる。一本一本がサラサラで、艶がいい。よく手入れされてると、誰もが理解出来る。

「私の髪、どう?」

「すごい、キレイだよ」

 僕の語彙力は、死んでいた。紫苑の髪に、殺されていた。

「イギリスに行ったらさ、部屋の中では一週間ずっと、二人っきりだよ」

「なら、紫苑とずっと同じ匂いってこと?」

「そういうこと。私のこと、全部覚えてもらうから。髪の匂い、手触り、肌触りまで。全部瀬戸君に、覚えてもらうから」

 わざわざイギリスに行かなくても、覚えられそう。ここまでして覚えてもらいたいのはきっと、自分がいた証明が欲しいから。彼氏という僕の存在の中で、生きてるっていう存在証明と、自分という存在への肯定。この2つを多分、欲してる。勝手にそう、解釈する。

「もう多分、覚えられるよ。少なくとも髪の手触りはもう、覚えた」

 紫苑の髪をなぞる。指が絡まることなく、サラサラの髪を通り抜ける。その僕の手を紫苑はとって、顔をすりつける。気持ちよさそうな紫苑の顔が、僕を刺激する。可愛いな。それにこの行動を可愛いとわかっててやってそうなのが、それをバレてないと思ってるのが、哀れで可愛い。

「紫苑、そろそろ……」

「やだ。瀬戸君の手、気持ちいいから」

 そして紫苑は、目を瞑る。

「それ以上は駄目だ」

「私はいつでも、待ってるから。我慢出来なくなっても、私は受け入れるよ。瀬戸君といると、幸せだから。何をしてても、幸せだから」

 そう言って紫苑は目を開けて、少し立ち上がって僕にハグをした。

「おやすみ!」

 22時。僕の部屋の電気は、勝手に消された。


「行ってきまーす!」

 同じ家から出て学校へ行く。この行動が習慣化されてるのが、怖い。

「私達の髪から同じ匂いすること、誰か気づくかな?」

「誰も気づかないだろ。心配する必要ないよ」

 珍しく僕が、楽観的。


「瀬戸、シャンプー変えた?」

 野性的な須藤が気づいた。なんでこいつは鼻までいいんだよ。というか、僕のシャンプーの匂いを覚えてるの、普通に怖いぞ。こいつは前世が犬なのかもしれない。

「変えたよ。妹と同じやつを間違えて使っただけ」

「でもこの匂いって……」

「須藤。世界には気づかないほうがいいこともあるんだ」

 チラッと紫苑の方を見る須藤。あ、目があったらしい。震え上がってる。

「白川、気づいてほしそうな顔してるけど」

「そうな」

「気づかないほうがいいよな?」

「いいな」

 ひょこひょこと退散していった。こえー、とか言いながら。


「瀬戸君、白川さんと同じ匂いしません?」

 ゾクッとした。背筋が凍る。いや、もう凍ってる。振り返ると、いたのは委員長。

「気のせいだろ」

「そうですか……」

 何かが不満そうな顔をして、紫苑の元へ行ったけど、余計まずい。委員長が何かを紫苑に言って、デレデレしだす紫苑。駄目だ、怖すぎる。ていうか、危険すぎる。

 紫苑の言うイギリスまでの道のりは、意外と遠い。だってまず、同時に学校を休むことになるから。それにはやっぱり、委員長を、どうにかしないといけない。絶対、バレルから。先の問題に、思いやられる。




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