花火、虚無と喪失感
「私の浴衣、可愛い?」
16時。浴衣を着るために出かけた紫苑と妹が帰ってきた。花火大会は19時半からだから、どう考えてもまだ早い。
真紅の浴衣を着た紫苑は、普段では見れない珍しい色で、ちょっと照れたような顔によく似合っていた。
「可愛いよ」
可愛い。とんでもなく可愛い。
「お兄ちゃん、彼女はもっと甘やかさないと駄目だよ」
ですよね、白川先輩!とか言う。うるさいやい。
「大丈夫、瀬戸君からはいっぱい甘やかされてるから」
紫苑が妹にニコニコで答える。で、デレデレし始める。何を想像してるのやら。
「そんなことより、まだ時間あるけどどうする?」
「え、瀬戸君もしかしてギリギリに行こうとしてる?」
「駄目なの?」
そう言うと紫苑が鬼の形相になった。
「駄目だよ!!駄目に決まってんじゃん!そんなんじゃ座れないしちゃんと見れないよ!」
かつてない勢いで迫られた僕はタジタジ。初めてこんな鬼気迫る感じの紫苑を見た気がする。
「花火は約一時間だからお腹すくと思うし、なんか買ってった方がいいと思うよ」
「でも始まったら食べる暇なんてないだろ」
「勿論、待ち時間に食べるんだよ」
菓子パン好きの紫苑が珍しくパン屋でパンを買う。あと、どこからか綿飴を入手してきていた。
「花火ってね、近くで見ると、とんでもなく綺麗に夜空に色を塗ったあと、儚い音で消えていくの。人生みたいじゃない?」
「何事も同じだよ」
僕はいつもの事のように聞くけど、妹はそうではなかった。普段の明るい無邪気な紫苑とは打って変わって、現実を見るような、俯瞰的に見るような話をする紫苑を見るのは初めてだから。
「白川先輩ってもの凄く大人ですね……」
「そんなことないよ。ただ、こういうことはよく考えちゃうんだよね。いつか私も消えてなくなる。一番美しく消えるには、ド派手に生きて儚く死ぬことなんじゃないかって。だから私はね、自分に濃い色を塗って自己を形成してるの。真っ白だったら、死んでるのと変わらないよ」
綿飴を食べながらする話ではないと思うけど、それが紫苑らしさで、話と何故かマッチする。妹は興味津々で紫苑の話を聞いて、影響されたかのように自分を見つめ直すとか言い出した。
紫苑を真似したって、思慮深いように見えて何も考えずに生きる人間になるだけなのに。
紫苑は紫苑だから、深い考えなり生死感を持っていても成り立ってるけど、同じように考えだしたらそれはただの真似事で、自分らしさでもなんでもない。人に看過されずに生きるのが紫苑の生き方だから。紫苑の真似をした時点で、紫苑にはなれない。
なんだかんだ前の方に陣取れた僕達は、今だけ入れてすぐに消すようなしょうもない携帯ゲームなんかをして待った。腐るほど人が集まってきて、僕が言ったようにギリギリに行けば、もう人混みに紛れて動けなかっただろう。
「あ、もうすぐ始めるよ!」
洒落た洋風の時計を見て、紫苑が言う。
「なんだかワクワクするな」
「私も毎年見てるけど、この時間が結構楽しいんだよね」
「白川先輩、来年も一緒に見てくれますか!?」
その話、まだ早くない?
か細い声で泣くように上がった花火が、夜空を美しく照り映える。
そして、火薬の匂いと共に、遅れて振動が儚い音を纏ってやってきた。
そして、夜空に残すのは虚構だけ。
あまりにも、美しかった。
今だけを懸命に生きる僕にはあまりにも、行き過ぎた理想。花火のように美しい人生なんて、無理だ。紫苑ならあるいはと思って、横を見る。
興奮するでもなく、冷めるでもなく花火を見つめる紫苑の顔は、薄く笑っているだけ。
紫苑はこの花火に、何を見出してるのか。
きっと僕には思いつかないような、深いことを考えてるのだろう。
あるいは何も考えていないのかもしれない。
最後の一発は、今までとは比べ物にならないほど大きな花火で、夜空すべてを埋め尽くした。
それでもこの世の理を守るべく、儚く、静かに、最後は夜空へと吸い込まれていった。
「初めての花火はどうだった?」
満足そうな紫苑が、歩きながら言う。
「毎年来たくなる気持ちがわかったよ。あの火薬の匂いと消えるときの音がもうすでに恋しい」
「でしょ!!来年も絶対来ようね!!」
「私はずっと興奮してました!白川先輩と花火が見れて、私もう死んじゃいそうです!」
あはは、死んじゃだめだし〜。なんて紫苑が言う。
「花火はね、この終わったあとの虚無感もいいんだよ。花火の終わりと夏の終わりを感じながら、この夏の思い出も振り返るの。そうすると喪失感が生まれて、より感傷に浸れるんだよ」
「それ、映画の終わりでも似たようなこと言ってたよな」
「雰囲気ぶち壊すのやめてくれない?」
紫苑が困ったような顔で言う。カッコつけたいだけなら言うなよ。
「私この夏、部活と課題で追われてましたけど、今日の花火のおかげで楽しい思い出で終わりそうです!」
「部活大変だね、私達天文部は何もないからそういうの懐かしいよ」
「週一のミーティングもサボってるしな」
それより、聞き捨てならないものが聞こえた。
「カオル、部活と何に追われてたって?」
「え、課題だけど」
この暑い中、冷や汗が出るのを感じた。
「紫苑、僕達って課題あったっけ?」
「う〜ん、なかったと思うよ〜」
紫苑が明後日の方向を向いている。これは、あるやつだ。
「どれぐらいある?」
「死ぬほどある」
「僕達やったっけ?」
「少なくとも私はやってない」
なら僕もやってない。
終わった。
花火と夏の終わりの儚さは、課題で消えそうだった。
でも、今日ぐらいは花火の余韻を楽しもうと思う。
僕の人生も、美しくあったいいのにな。
なんて、夜空に吸い込まれた花火に、抽象的なことを願う。
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