帰ってきた日常、返して日常

 目覚ましアラームを止めて飛び起きる。

 横に、誰もいない。

 それを確認してさっさと歯磨きをする。

 ミントの味が口の中にしみる。ミント好きの僕としてはこのまま飲み込みたいのをグッと我慢する。

 あ、グッと我慢して今少し飲み込んだ。

 それは結果論でいいとして、吐き出して、うがいをする。

 そして制服に着替えて菓子パン……ではない朝ご飯、そうつまり、まともな朝ご飯を食べる。

「旅行、どうだったの?」

 妹に恐る恐る問われた。

「京都、全体的に古風だった」

 当たり前の感想。

 至極当然。

 捻りがない表現の僕をぶっ飛ばしたい。

 あ、この表現も捻りはないか。

「そんなことより」

 キッチンにいる母親に聞こえないよう妹がヒソヒソ声で話す。

「白川先輩に手、だしてないよね?」

 食べていた目玉焼きを吹きかけた。

 どこかの大魔王みたいに。

「出してないよ!」

 そう言うと妹は安堵したようにその絶壁の胸を撫で下ろした。

「私達の理想の先輩をお兄ちゃんに汚されるかと思った」

「そうな」

「そうな、じゃないよ!そんなことしたら私だって、中学で火炙りにされたあと、土に埋められるんだから!」

 妹のせいではないのに妹もされるのかと哀れに思った。

「心配しなくても、僕達以外、僕達が付き合ってること知らないからそうはならないよ」

「バレるときはバレるから!」

 そう言われてバレる様子を想像する。

 確実に、僕じゃなくて紫苑のミスだろう。容易く想像出来た。

「まあ当てにするな、酷すぎる借金」

「イオン化傾向キモ。普通に当てにするなって言えばいいのに」

 こんな人のどこが好きなんだろ、とブツブツ言っている妹を無視して食器を片付ける。

 すると、インターホンが鳴った。

 嫌な予感しかしない。

「あ、私出るね」

「待て!出るな!」

「はーい」

 終わった。

「あ、えっとー、白川で〜す!」

 妹の叫び声が聞こえた。

「ちょ、白川先輩!ちょ、ちょっと待ってください!」

 インターホンをきった後、慌てて髪を整えようとしに行く妹を止める。

「おい、鍵閉めてる?」

「お父さんがさっき仕事行って開けっ放しだけど……」

 ガチャ、と音がする。

「お邪魔しま〜す&おはようございま〜す」

 当たり前のように入ってきた。朝から元気のいいやつ。ちゃんと防弾チョッキもしてきたみたいだ。

「あら〜紫苑ちゃん、いらっしゃい」

「白川先輩!おはようございます!」

「お義母様、おはようございます!」

「妹ちゃんもおは〜」

 軽く馴染んでるのが怖かった。

 流石、美少女だけある。

「せ、瀬戸君もおはよ〜」

 僕はゾッとした。

 朝から変な雰囲気を醸し出す。

 照れてるような、目を合わせにくいような。

 まるで仕出かしたあとの、気まずさのような。

「お兄ちゃん、ホントに先輩に何もしてない?」

「してないよ!おい紫苑!前髪イジって照れてるふりするな!」

「あの夜は、忘れないからね」

 親の前で何いってんだこいつ!

「宗次郎、後でお母さんからお話があります」

「違う!冤罪だ!それでも僕はやってない!」

「あ、ホントにヤってないんで気にしないでください」

 紫苑がニヤニヤしながら訂正する。

 僕はこいつだけは許したくなかった。

 でも、学校に入られると手出しが出来ない。

 それでもこれでも、こいつだけはやはり、許したくなかった。

「宗次郎に何かされたら、言うのよ?」

「大丈夫ですよ!瀬戸君に何かされるときは私も望んでやりますんで!」

 そういう問題じゃないと思う。

「お兄ちゃんを豚箱送りにしてでもいいんで、白川先輩だけは無事でいてくださいね?」

「おっけ〜、妹ちゃんもこれから仲良くしようね」

 シシシ、と笑いながら言われた妹は目がハートになっていた。

「瀬戸く〜ん、学校行くよ〜?」

「紫苑、僕の話聞いてた?」

「何さ」

「なるべくバレたくないって言っただろ!一緒に行ったらバレるじゃないか!」

「電車から別ならよくない?」

 ぐぅの音も出なかった。

 でもグーは出そうだった。

「わかったよ。そこまでだからな!絶対!」

「わ〜かってるって!用心深いったらありゃしない」

「この子が家出るまで時間あるから、紫苑ちゃんも朝ごはん一緒にどお?」

 紫苑は笑顔で元気よく「はい!」と答えた。

 紫苑のメンタルが強すぎて、僕は怖かった。


「そーなんです。竹林行ったんですよー竹林」

 食パンをかじりながらモゴモゴ喋る。

「白川先輩って、朝ごはん何食べるんですか?」

「あ、おい!」

 紫苑なんか菓子パンに決まってるだろ!

「鮭とご飯だよ」

 とんでもない大嘘つきかいる。

「それで可愛くなれますか!?」

「妹ちゃんは元々可愛いよ〜。ま、私ほどじゃないけどね。ところで、妹ちゃんって名前なんて言うの?」

 僕にも紫苑のありあまる自信を分けてほしかった。

「瀬戸香です!カオルって気軽に呼んでくれると悶絶します!」

「悶絶してるの見たいから呼ぶね!カオルちゃん」

 キャー!とか叫ぶ妹を横目に、紫苑はキョロキョロしていた。

「あの、お義父さんってもしかして漫画好きだったりします?」

「ええ、部屋にいっぱいおいてあるわよ?」

 やっぱりか〜、と紫苑は俯いて笑っていた。

 法則に気づいたらしい。

「朝ご飯美味しかったです!私達、そろそろ行かないといけないので!」

 そう言って僕の手を握り、家から連れ出された。全てが、急。

「なんで急に来たんだよ」

「家一人だと寂しくなっちゃって」

「それは、仕方ない、ね」

 そう言ったら毎日来そうだったけど、仕方ないかも、とも思った。

 このまま紫苑を一人ぼっちにするのも、可哀想だから。

「ありがと!瀬戸君ってたまに優しいよね」

「たまにが余計だよ」

 駅まで、手を繋ぐ。

 前にはこんなことはなかった。

 日常に戻ったようでまだ、夢みたいだった。

 いつか僕は、日常に戻るのかな。

 想像して、紫苑の手を無意識に、より強く握った。

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