彼女と僕、それと夜

 諸君らに再び、質問がある。

 人生のターニングポイントとは、どこか。

 入試?

 入社?

 そんなのではない(僕は入社を経験していないから適当なことは言えないけど)。

 異性と、それも彼女との、二人だけの夜である。

 白川紫苑は、確かに可愛い。

 恐ろしく可愛い。

 少々、いやかなり哀れではあるが、確かに、可愛いのである。

 僕だって男だ。

 考えないわけではない。

 それを知っていて、敢えて、紫苑は煽ってくる。

「瀬戸君、一緒にお風呂入る?」

「入らないよ!」

「必死じゃん!」

 そう言ってゲラゲラ笑っている。

 僕としては全然冗談になってなかった。

 僕がそういうことをしようと、きっと紫苑は受け入れる。

 だけど僕は、それでは良くなかった。

 紫苑を大切にしたいから。

「あ、覗かないでね」

 そう言ってまた笑っている。

 呑気そうで、羨ましかった。


 何も考えないようにすることにして、僕はリビングでアイスを食べていた。

「瀬戸く〜ん、お風呂あがったよ〜」

 紫苑の声がして、僕も洗面所へ向かう。

 そこで出てきた紫苑とすれ違った。

「私の身体見てる?」

 ニヤニヤしながら聞いてくる。

 こっちは必死なのに、紫苑にはミリも伝わってなかった。

 やっぱりキャッチボール出来てないじゃないか!

「見てないよ」

「見ていいんだよ?」

 ほらほら、と胸元をヒラヒラさせて視界に入れようとしてくる。

 からかいたい気持ちはわかるけど、これをもう3日耐えて限界に近づいてるのも理解してほしかった。

「見ないから!」

「下着だから別にいいのに」

「よくないよ!」

 そう言って洗面所に飛び込んだ。

 これ以上は危険だったし。

「私ももう一回、一緒にお風呂入っていーい?」

「駄目に決まってるだろ!」

「冗談だよ!」

 紫苑の笑い声が遠のくのを感じて安堵する。

 お風呂でもまるでゆっくり出来ない。

 ある意味、地獄の5日間。

 この2日間は紫苑も疲れてか、からかってくることもなかったそれに、寝るときもソファーで二人で寝落ちしていたから、そんな大層なイベントが発生することもなかった。

 でも今日は、ホントに虚無だった日。

 要するに紫苑は遊びたれていない。

 子供みたいだな、と思った。

 そのとき、洗面所のドアが開く音がした。

「なんだよ」

「いや〜、身体でも洗ってあげようかと思って」

「嫌だよ!」

「何さ!私の身体見たくないわけぇ?」

「そういう問題じゃないよ!僕が恥ずかしいんだよ!」

 はぁ〜、と溜め息が聞こえた気がした。

「瀬戸君はクラスの有象無象共をもうちょっと見習って私の身体に興味もちなよ〜」

 ないわけじゃないよ!

 僕が恥ずかしいんだって言ってるのにまるで聞いていなかった。

「あの男共は私の身体見ようと必死だよ?」

「そんな機会あったっけ?」

「なんか、体育でも見てくるしニヤけてくるし」

 なんだかんだ言って、話したくなって来たのかなと気づいた。

 紫苑は孤高だけど、孤独を好いているわけじゃない。ただ、周りが紫苑に、ついてこれていないだけ。

「そんなの無視しなよ」

「自分の彼女がイヤらしい目で見られてて気にならないの?」

「なるけど、僕でどうにかできる問題じゃないよ」

 熱くなってきて浴槽から出る。

 寒くなりそうだからシャワーを浴びた。

「上書きなら出来るよ」

「どうせすぐにまた見られて、上書きされるんじゃないの?」

 そう言うと不貞腐れたような声が返ってきた。

「こんな美少女が誘ってるのに、なかなか屈しないね」

 僕からすると今にも乱入してきそうで怖かった。

「紫苑だから大切にしてるんだよ」

「照れること言うんじゃない!入りにくくなったじゃん」

 やっぱり入るつもりだったのか、と思うと、入ってこられたときのことを想像して身震いした。

「あ、それなら私が何も脱がずに入ったらいいじゃん」

「でも濡れるよ?」

「何それ下ネタ?」

「どうすればそう変換されるんだよ!」

 僕をからかうように笑う紫苑。

 心底紫苑を憎む僕。

「冗談だって!両方の意味で濡れるかもしれないのは事実だけど、寂しくなって話したくなったんだから仕方ないじゃん」

 紫苑の下ネタを軽く無視する。

「今こうして話してるだろ」

「なんか、隔絶された世界みたいで、落ち着かないんだよね」

「だめ?」と弱々しい声が聞こえてきて同情した。

 こんな悲しいような寂しいような声を出しているのに、実は裏でニヤけてるのをバレていないと思っていそうなのが哀れで哀れでならなかった。

 可愛い。

「もうちょっとでシャワー終わるから、ちょっと待ってて」

 そう言うと、返事がなかった。

 紫苑の今の顔が容易に想像出来る。

「私、椅子持ってくるよ!」

 ドタドタと走ってリビングに戻っていった。

 僕はその隙に湯船に戻って、浴槽を閉じていた蓋で、半分だけ隠した。

 首だけ出しておこうかと思ったけど、それはそれで「全部めくりたくなった」とか言ってめくりそうで、逆効果な気がした。

「開けていーい?」

「いいよ」

 そう言うと、デカイ椅子片手にニヤニヤデレデレな顔の紫苑が入ってきた。

「なんだ、隠すんだ」

「当たり前だろ!」

 何を期待してるんだよ。

「なんか、顔見て話すと安心するね」

 足を組んで手の甲に顎を置き、薄く笑う紫苑。

「そうな」

「なんか、急に話すことなくなったや」

 多分直接話して、安心したんだろう。

「僕はなんだか恥ずかしいよ」

 そう言うと覗き込もうとしてきたので慌てて止めた。

「私の身体見たかった?」

「いいよ、紫苑も恥ずかしいだろ」

「瀬戸君にお願いされたら、どこでも好きなとこ、見せるよ」

 なんか恥ずかしいね、と薄く笑った。

 何分かの、見つめ合うだけの沈黙が流れる。

 その後、なんだか面白くなって笑った。

「僕、そろそろ上がりたいんだけど」

 そう言うと紫苑は、ニヤニヤして僕を見続けた。

 まさか……。

「いいよ、上がりなよ」

「どいてくれないと上がれないだろ?」

「私、見たいからどかないよ」

 それから15分ぐらいギャーギャー言い合って、紫苑が折れてくれた。

「何さ、そんなに自信ないわけ?」

 椅子を片付けながら紫苑が言った。

「そう言うんじゃなくて恥ずかしいんだよ!」

「照れんなし。いつか見るんだから変わらないでしょ?」

 サラッと宣言しないでほしい。

 お風呂場から紫苑が出ていって僕も上がろうとして気づいた。

「洗面所からも出てくれよ!」

 そう言うと、紫苑の影がビクッとしたように見えた。

「はいはい!わかってるわかってる!」

 そう言って足早に出ていった。

 何をしてたのか気になりながらも僕はお風呂場を出て、タオルを手に取った。


「ドライヤー、ここにあるよ?」

「紫苑さっき洗面台あたりで何してた?」

「ドライヤーしない派だった?」

「紫苑さっき」

「ドライヤーしないなら私がしてあげるよ!!」

 何かを誤魔化すように声を大にして紫苑が叫ぶ。

 妙だと気づいて顔をよく見ると、赤くなっていた。

「大丈夫?熱、あるんじゃない?」

「そんなのじゃないやい!」

「ならドライヤー貸して」

「私がするから大丈夫」

「何も大丈夫じゃないよ」

「人の髪、触ってみたくない?」

 言い出したら聞かないから素直に聞くことにした。

「自分の彼氏の頭から私の匂いがするって、なんか、気恥ずかしいね」

「僕は普段こんなにドライヤーしないから熱い」

「瀬戸君ってよく見たら髪もサラサラでイケメンなのになんでモテないのかな」

 モテられても困るんだけど。と呟きながら僕の髪をいじる。

「それは紫苑の目の補正がかかってるからだよ」

「なるほど、必要以上にカッコよく見えちゃうってことだね」

 かれこれ10分、ドライヤーを当てられ続けた。

 僕の短い髪にはその時間は長すぎた。

 でもなんだか、なんとなく、紫苑が実は寂しがってるんじゃないかな、とか思った。

 いつもならまるで触れ合ってこない、強いて言うならたまに手を繋ぐぐらいなのに。

 今日は必要以上にベタベタしてきた。

 スキンシップが多くて、疲れた。

 今日もよく寝れそう。

 時計は22時17分を指していた。

 そう、明確に覚えている。

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