第1話

「あかん、腹痛なってきた」


 漫才グランプリ決勝。お笑い芸人ならば誰もが夢見る、大舞台。

 牛島翔吾、もといハードパンチ牛島は、控え室にて、緊張による腹痛と死闘をくり広げていた。


──敵は他のコンビやない。ゲリや。


 これが、二年連続決勝まで勝ち進んで学んだ教訓である。どうやら俺は、過剰に緊張すると腹を下す質らしかった。これまで受験もしてこなかった男なもんで、人生を左右する緊張には巡り会ったことがない。その人生経験のなさが、この大会で露呈してしまったのだ。


 一昨年と去年と、俺はゲリに負けた。去年なんか、漫才中の記憶がない。結果はといえば、できれば言いたくないし、察して欲しいし、最下位やったし。


 ちなみに今、「言うんかい!」と心の中でツッコんだ奴は、お笑い芸人に向いている。

 実際に声を出してツッコんだ奴は……歌手とかがええんちゃう? 知らんけど。


 隣に座っている相方、山田啓治、もといJK山田は、目を閉じて静かに自分の出番を待っていた──っていうかなんやねん、JK山田て。お前もう喜寿やろ。


 そう。俺の相方は御年七十七歳である。いくらお笑いに年齢制限はないと言っても、限度があるはずだ。本来なら、《師匠》と呼ばれて尊敬されるはずの歳である。まあ、こういう型破りなところに惚れてコンビを組んだのだが。


 最近知ったが、山田によると、JKは、《常軌を逸した》《高齢者》の略らしい。いやあ、やはり俺の相方は、名前の付け方からしてセンスが溢れ出ている。


 彼はそれだけでなく、喋りもできる。一本頭のネジが外れたようなエピソードが、抜群に面白い。緩急の付け方も、完璧なのだ。


 センスもあれば、喋りもできる。山田はきっと、司会者クラスになれる逸材に違いなかった。


 控え室にあるモニターから、観客の笑い声が聞こえてきた。先に出番が来たコンビが、漫才を披露している。一応ライバルではあるが、ウケていると素直に嬉しい。


 お笑い芸人は、みんな仲がいい。昨日の敵は今日の友と言うが、お笑い芸人の場合、昨日も今日もズッ友やで、だ。その上、この厳しい戦いを勝ち抜いてきたコンビ同士なので、なおさら連帯感が生まれるわけである。


 俺たちが出場しているこの漫才グランプリは、毎年六千から七千組にのぼるコンビが応募してくるほどの、大きな大会である。


 それもそのはず、決勝戦は全国に生放送。さらに優勝すれば賞金一千万円。基本的に貧乏な芸人としては、目がくらむほどの大金だ。


 そしてその後もテレビに引っ張りだこ。一生食うに困らないほどの大金を稼げる。謂わばこの漫才グランプリは、売れっ子芸人に仲間入りするための登竜門なのである。


 そして俺たちは、一回戦、二回戦、三回戦、準々決勝、準決勝と勝ち上がり、見事決勝に残った。その数なんと十組。今年の応募数が過去最多の七千二百六十一組だったので、確率にすれば──ちょっと分からんけど、とにかく狭い門なのだ。そこを通過した俺は、まさにお笑い界のエリート。学歴にすれば、東大理三といったところか。


 うっ。調子乗ってたら波がボディーブローを。やるやんけ。ちょっとトイレ行こう。


「なぁ、俺トイレ行ってくるわ」

「おう」


 山田が簡潔に返事をする。その芸名にふさわしく、漫才衣装はセーラー服だ。しわっしわの肌にセーラー服が逆に映えて、いとをかし。

 ちなみに俺は学ラン。その見た目とは裏腹に、俺たちは本格しゃべくり漫才なので、そのギャップが評価されているようだった。


 アホみたいに震えている山田の手が目に付く。それは緊張から来んのか? それともただの歳のせいか? どっちにしろ、死にそうで怖い。


 ついでに言っておくと、彼の右手には小指がついていない。昔工場に勤務していた頃に事故で失ったらしい。カラオケに行っても、マイクを持ったときに立てる指がない。かわいそうだ。ワインを嗜む時も、やはり立てる指はない。


 山田がその話を自分でするときは、「下はまだ立つで」と冗談を言い、みんな(男性限定)を笑わせてくれる。小指が無いというのは、話のネタになる、謂わば彼のチャームポイントなのだった。


 まあいい。早く行かないと順番が来るかもしれへん。


 実はこの決勝、出場順はランダムである。司会者の隣の女優がおみくじを引いて、選ばれたコンビがすぐに漫才を披露する。しかも全国で生放送されるので、突然呼ばれて、ステージまで控え室からダッシュしなければならない。漫才をする側としては、最高に迷惑なシステムだ。どれぐらい迷惑かというと……あかん、腹痛い。


 下腹部を押さえて、席をゆっくりと立つ。その時──。


「次は、《三年B組》です!」


 モニターから、俺らのコンビ名が流れてきた。嘘やろ……終わった。今年も俺は、ゲリに悩まされんのか……。

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