第2話
案の定というべきか。くじ運の悪い女優に殺意を覚えた。
なんでこのタイミングやねん。そもそも俺の好きな感じの顔じゃないし。俺はショートカットでもっと丸顔の子が好きなんや! きつねみたいな顔しやがって! 美人か!
突然ドアがバタンッと開き、汗を滲ませたスタッフが叫んだ。
「三年B組さん! 出番です! 急いで下さい!」
山田が、はいっ! と大きな返事をして、俺の肩に手を置く。
「さあ、行くぞ」
その目は、JKらしからぬ、キリッとした顔だった。漫才の前だけは、歳が三十歳は若返る。いっちょ前な顔してやんと、俺の腹の調子を心配してくれへんか?
立ち上がる俺たちに、控え室にいた他のコンビから、激励の声が飛び交った。
「頑張れよ! 三年!」
「行ってこい! B組!」
どっちかに統一してくれ。
三年B組──金八先生好きが高じてこのコンビ名になったが、俺の腸の悪玉菌は、いくら金八先生でも教育できないだろう。超悪い子やからな。
俺は弱々しく手を振って、控え室を後にした。本来はダッシュしなければならないが、俺は今にも漏れそうやし、相方はおじいちゃんやしで、のろのろとしか移動できない。スタッフにケツを蹴り飛ばされながらも、(ケツ蹴ったら漏れるって!)なんとかステージの袖まで辿り着いた。
今年もゲリに悩まされんのか。憂鬱な気分になる。今年こそは三度目の正直やと思ってたのに。でも、仏の顔も三度までって言うか。いや、俺はまだ二度しか失敗してへんのか。
日本語っていうのはうまくできてんねんな、と考えていると、司会者がコンビ名を叫んだ。いよいよだ。大丈夫。漫才はたかだか四分ほど。なんとかなるはずや。少し波が収まってきた気がする。よし、いける。
隣で深く呼吸をしている山田を見る。ステージの上にあるであろうマイクスタンドを睨むその姿は、人生の全てを懸ける老戦士さながらだ。全く衣装と合っていない。
「さあ、勝負やで牛島。爆笑かっさらったろうや」
山田がこっちを見て、にやりと笑った。
かっこよすぎて、涙がちょちょぎれた。ついでに、ちょっと漏れた。
「ああ。日本一の漫才師になろう」
出囃子が鳴る。スタッフの合図と共に、俺たちはステージに上がった。ものすごい量の煙と、高揚感を煽る光の演出。これよこれ。
万雷の拍手とは、これのことだろう。全国が俺たちの漫才を見て、笑顔になる。この四分間だけは、俺たちが主人公だ。この快感のために、俺は漫才師をやっていると言ってもいい。
マイクスタンドを挟み、観客と向かい合う。さあ、笑かすぞ。
滑り出しは順調だった。俺たち三年B組のツカみ、山田のパンチラは、全国を大いに沸かせた。テレビカメラをとおして、笑い声が届いてくるようだ。その後も、異様にウケる。今日は調子がいい。おそらく、会場があったまっているのだろう。小さなボケでも、会場が揺れるほどの笑いが起きた。これはいけるぞ!
そしていよいよクライマックス。頭をこねくり回して考えた珠玉のボケたちを一斉に並べる。山田のボケと、俺のツッコミ。右に出る者などいない。少なくとも今夜だけは。
最後のボケ。ここで俺が、なんでやねん! とツッコミながら山田の頭をひっぱたく。いい音がすればするほど面白い。気合いを入れて、俺は腕を大きく振りかぶった。山田のハゲた頭に、俺の手の平がクリーンヒットする。パーンッ! と爽快で大きな音が響いた。と同時に、山田がぶっ倒れた。
「……え?」
やばい、力みすぎた。アドレナリンのせいだ。力加減がバグってしまった。
手の平に、じんじんとした感触が残る。審査員の顔が曇っている様子が、とてもクリアに見えた。
ふと下を見ると、山田が痙攣している。訳が分からなくなって、その場で息をのむことしか出来ない。さっきまで聞こえていた笑い声がピタリと止み、会場がざわざわしている。観客は、これがネタなのかどうか判断しかねているようだ。
しばらくすると(実際は一秒ほどだったに違いない)、観客の叫び声が会場を貫いた。ついでに俺の肛門と膀胱も。俺はその瞬間、漏らした。前から、後ろから。
マイクを冥土の土産にでもしようとしているのか、山田の手は、スタンドを握りしめている。その手に、俺の茶色が忍び寄っていく。せめて個体やったら──。
でもまあ、赤色じゃなくて茶色で良かったな、と見当外れなことを思いながら、俺は涙を流した。涙だけは、綺麗なはずだった。
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