デジャヴのデジャヴ

@cactas

第1話

 中学生の夏休み。


 おそらくは多くの人間が学校から出された課題を棚に上げ、部活動あるいは遊びに時間を費やすだろう。


 さすがに課題に全く手をつけないということはなかったが、『私』も多分に漏れず、部活動のある日は部活動を、休みの日には友人の家に入り浸り、正午から夕方まで遊び倒すという日常を送っていた。


 夏の暑さゆえに外で遊ぶことは少なかった。小学生の頃はさして気にもせず、汗だくになりながら遊んでいたが、中学生になってからは夏や冬といった気温が極端な季節は誰かの家に集まり、遊ぶことが多くなった。


 その頃、私たちの間で流行っていた遊びがカードゲームであったことも大きいだろう。一学年に一クラスしかないような田舎の学校では、流行の影響は大きかった。


 流されやすい性分であった『私』もまた、その流行に乗り、カードゲームにのめり込んだ。遊びに行くとなれば、必ずデッキを持っていたほどだ。


 とはいえ、カードゲームというのはとかくお金がかかる。勝ちを目指せば尚更。お金をかけられる人間は強くなり、かけられない人間は停滞する。ある意味、社会の縮図のような環境だ。


 後者であった私はいつも遊ぶメンバーの中では弱い方だった。


 最初はそうでなかったが、周りがお金をかけて強くなっていくのに対して、私はついていくことができなかった。貧乏なわけではなかったが、裕福なわけでもなく、部活動や他の趣味がある以上、カードゲームにもお金をかけるのは不可能だった。


 もちろん、それは私だけではなかった。そして、ついていけなくなった人間は負けることが多くなり、次第にカードゲームで遊ばなくなるようになった。


 その代わりとして、家庭用ゲーム機で遊ぶことが多くなった。


 プレイ時間によって腕前に差は出るものの、個人の金銭的余裕による差は出ず、ゲームジャンルによっては対戦ではなく、協力してプレイすることもあったからだろう。


 最初は余った人間の時間つぶしでしかなかったが、いつの間にか家庭用ゲーム機で遊ぶ方が主流になっていた。


 特に基本さえ覚えれば、後は直感的な操作でプレイできる格闘系やFPS系のゲームはよく遊んだ。複数人で遊べることもそうだが、カードゲームで戦うより勝てる可能性が高いことも理由の一つとしてあったのだと、今の『私』は思う。


 言葉にこそしなかったが、誰だって負け続けるのは嫌だ。子どもであれば一層その気持ちが強かっただろう。『私』もその一人だった。


 そうして一つの流行が終わり、新しい流行が定着していた時のことだった。


 その日は部活仲間であり、お互いの家に泊まったりするほど仲の良い友人の家に遊びに行った。


 いつもは四人から八人ほど集まって遊ぶのだが、この日は珍しく私とその友人だけ。


 かといって、遊ぶ内容が変わるでもなく、いつもと同じように家庭用ゲーム機で遊んでいた。


 一人よりも誰かと遊ぶのが好きだった『私』からすれば、二人でも誰かと遊べれば良かったし、当時の『私』の家にはなかった家庭用ゲーム機ということもあって、それだけで十分に楽しめた。


 友人の家に着くなり、『私』も友人もそのゲームをプレイし始めた。友人もまた、私が来るのを待っていてくれたのだろう。私が家に上がるなり、一緒に部屋に向かい、すぐにゲームを起動してコントローラーを握っていた。


 ゲームをプレイし始めて二時間ほど経過し、何度かゲームオーバーになりながらも、ようやく最初のボスと遭遇した時だった。


 ふと『私』は違和感を覚えた。


 初めて見るはずのボス。初めて見るはずのフィールド。


 だというのに、私はその光景を見たことがあるという感覚――いわゆる既視感を覚えた。


 そのゲームはシリーズものであった為、前作をプレイしたことはあるが、その時プレイした作品はその日プレイするのが初めてだった。プレイできる環境がないから当然のことである。


 では、ネットに挙げられている動画を見たのか? その答えは否だ。


 今でこそプレイ動画を見る機会はあるが、当時の私は他人がプレイしているゲームに興味がなかった。他人が遊んでいるのを見ても面白いと感じなかったし、自分が遊びたいという欲が強かったからだ。


 そして既視感を覚えたのは、ゲーム画面だけではなかった。


 隣に座る友人の位置、テレビの角度、開いたカーテンなども含め、今自分が座っている位置から見える光景に既視感があったのだ。


 今思えば、人生で初めてデジャヴというものを感じた瞬間であった。


 私はすぐに友人に聞いた。


 『以前、このゲームを一緒にプレイし、このボスと戦ったことはないか』と。


 なにしろ頻繁に遊びに訪れる家だ。初めてプレイすると自分では思っていたが、単に忘れていただけで、以前遊びに来た際にプレイしたのかもしれないと考えたからだ。


 そう思って、友人に問うと、友人は首を横に振った。


 『このゲームをお前とするのは初めてだし、そもそも協力プレイをするのもお前が初めてだ』。


 その答えを聞いた時、『私』は納得するよりも先に更なる既視感に襲われた。


 というのも、『私』が友人に投げかけた問いと、友人の返してきた答え。


 そのどちらも以前行ったという感覚があったからだ。それも全く同じシチュエーションで。


 そもそも、こんな問答をすること自体が早々ない。にも関わらず、全く同じシチュエーションで同じ問答をしていたという感覚に襲われ、『私』は返す言葉で『こんなやり取りを前にしなかったか』と友人に聞いた。


 それほど、あの時の『私』には確信めいたものがあったのだ。


 しかし、友人は『知らない。別の誰かとやっていたんじゃないか』とやや不機嫌そうに答えた。


 こんなことで、と思うかもしれないが、友人からすれば身に覚えのないこと。


 それを『前にもあった』と言い張られても、気分が悪くなるのは当たり前だ。


 そう思った『私』は、当時その友人以外にそのゲームを持っていた友人がいないことをわかっていたが、『そうかもしれない』と答えて、ゲームの続きをすることにした。


 結局クリアするまでプレイしたが、既視感を覚えたのはその時きり。


 それ以降、今日に至るまで既視感を覚えることは幾度となくあったものの、あの時のような連続的な既視感と確信めいた感覚を抱いたことはない。

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