6

 翌日、パテラは雪姫たちの元を去った。

 雪姫が餞別にと出した食事を残さずきれいに食べて。

 あっさりしたものだ。

 パテラは拙い言葉でただ一言「さよなら、ありがとう」とだけ言うと振り返ることなくあてはないはずだがひたすら前へと歩きだしていった。

 葉月がちらり、と雪姫を見る。

 雪姫はただ静かにパテラの後ろ姿を見ていたが、すぐに店へと戻っていった。



「泥棒はここにはおいていけません」


 そう雪姫が言い放ったとき、パテラが膝の上に揃えた手にやや力を入れたように見えた。

 それがどんな感情だったのかはわからない。

 俯いているから表情も見えずどうするかと様子を伺っているとパテラはパッと顔を上げて明日出ていく旨を伝えた。

 泣きもせず怒りもせず、ただ悲しく微笑みながら。

 予測していたのだろう。

 それでもどこか万が一という期待もあったのかもしれない。

 今日は珍しく雨が止んでいた。

 しかし今にも降り出しそうな暗い雲が空を覆っている。


 雪姫はというと淡々と店の準備をしていた。

 まるでそもそもパテラという存在など居なかったように時折携帯を見たりして過ごしている。

 葉月もそんな雪姫を横目に、定位置であるカウンター席の奥でぼーっとテレビを眺めていた。






 久しぶりに袖を通した服は風を遮ることをしない。

 ぼろきれを纏い裸足で歩いているのが恥ずかしく人目につかぬよう狭く暗い路地裏を彷徨う。


 これから自分はどうすべきなのだろうか。

 帰る場所もなく体を休ませる場所もない。

 このままこの薄暗い路地で野垂れ死ぬのを待つだけなのだろうか。

 それでもいい気がした。


 共に逃げ出した虎はどうしただろうか。

 虎を心配する余裕がなくて考えられていなかった。

 最後に見た様子ではかなり危険な状態に見えたがあの力強さでなんとか生きていてほしいと思う。

 彼の持つ太く勇ましい爪を持った手足でならどこまでも駆けていけるだろうから。

 自分の細い足をみながらパテラは少し疲労感を覚えてゴミ箱の脇に座り込んだ。

 そして目を瞑る。

 このまませめて故郷の夢でも見ながら眠るように死ねたらいいと思いながら。

 瞼の裏に薄ぼんやりと家族の姿を思い浮かべたその時だった。


「失礼、少々お尋ねしたいのですが道を教えていただけないでしょうか」


 頭上からかけられた声に微睡みから引き上げられゆるゆると顔を上げる。

 サングラスとマスクをしていて顔のわからない二人組に見下されている。


「…?」


 よくわからずぼんやりと見上げていると二人は顔を見合わせて頷きあい懐から出したハンカチを口に押し当ててきた。


「!?」


「早く気を失ってくれよ」


 何か変わった匂いがすると思った瞬間に意識が朦朧とし始め、四肢から力が抜けていく。

 やがて完全にくたりと地面に倒れてしまった。


「よし眠ったな。全く手間をかけさせやがって」


 一人がパテラの軽い体を脇に抱えて走り出す。もう一人が周りを警戒しながら路地を駆け抜け、やがて路地を抜けたところに停めてあった車へと滑り込んだ。

 二人は後部座席にパテラを放ると、運転席と助手席に座りマスクとサングラスを外した。


 隠されたその下にはつやつやした鱗に覆われた皮膚と金色に光るギョロギョロした瞳だった。


「見つけてくるまで帰ってくんなって、ボスも真面目だよ」


「まぁこういう仕事は信用が大事だから分かるけどな。でも見つかってよかったぜ、とっとと向こうに渡してずらかろう」


 三人を載せた車はその場から走り去る。

 その場に残るものは何も無かった。





「動き出しましたね」


 雪姫の携帯端末に映し出されたマークが今までより遥かに速い速度で動き出したのを雪姫の紅い瞳が追う。


「こっちも準備始めますか」


 葉月も起き上がり共有された画面を眺める。

 バックヤードに入ろうとする雪姫に葉月が声をかけた。


「無理しないでくださいよ」


「わかってます。あなたこそよろしく頼みます」



 雪姫と葉月にはある計画があった。

 パテラの話のなかにあった虎、とはタイミングからみて恐らく葉月が遭遇した個体と同一だろう。

 許可のない猛獣を街に入れるのは治安の面でリスクとなり月光町を掌握、管理している因幡組としては対処が急がれていた。


 パテラ自身も珍しい存在であるから密猟犯としては放ってはおけないだろう。

 よって二人はパテラを囮、として街に放つことを決めた。

 それにより買い手を突き止めるために。



 二人はそれぞれの役割を果たすべく別々の方向へと歩みだした。




 パテラを載せた車が止まる。

 人気のない倉庫街の中にある一つの建物のドアを叩けば中から男が現れ、二人は何やら男に向かって話すと男は車の後部座席を覗き込み、二人に向かってパテラを中に運び込むよう指示をした。


 倉庫の奥にある事務所のようなスペースの床には扉がついており地下へと潜ることができる。

 そこへパテラを連れ込むと、二人は男から金を受け取りその場から立ち去って行った。


 そのうちに、パテラの意識が戻ってきたようでゆっくりと瞳を開けると指先が動くのをみとめてパテラは体を起こした。

 そして周りを見渡して声を失った。


 虚ろでお世辞にも壮健さを感じさせない体つきをした大人や子供たちが狭い部屋に体を小さくして押し込められていたのだった。

 部屋には換気口と、丸見えのトイレしかなくそれも最低限の稼働しかしておらず不快な空気が蔓延している。


 すると前方でがこん、と音がした。

 見れば壁のように思えたものがシャッターが開くように上がりその後ろには数人の屈強な男たちが控えている。

 男らは部屋に入ってくるなり部屋のなかにいた何人かを引きずり出していく。

 泣き叫びながら掴まれた腕を振り払おうと暴れるも全く敵わず、男らも何も意に介すことなく作業をこなしていく。

 やがて再びシャッターが閉まる。

 途端に部屋の中に残された者たちのすすり泣く声が聞こえた。


 なにがあの向こうで行われているだろうか。

 パテラはただ呆然と悲壮の部屋の中で体を固くするしかできなかった。


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月光町騒乱 佐楽 @sarasara554

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