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あれから一週間が経過した。

その間も雨はざあざあと降り続き昼も夜も薄暗い。

雪姫は辞書端末をパテラにも貸して最低限のやりとりはできるようにしようと彼女に積極的に話しかけた。

結果、今では店のちょっとした裏方作業ならスムーズに行えるくらいには意思疎通ができるようになっている。

パテラ自身も暇さえあれば辞書を見ているようで雪姫に聞いたりとかなりの自主性を見せていた。

雪姫が与えたノートにはびっしりと文字が書かれているようだった。


葉月はといえばそんなパテラの努力と雪姫の彼女に対する世話焼き具合を横目で見ているだけでいつものようにバーに入り浸り雪姫にどつかれている。


平和な日々が続いていた。

パテラも日に日に言葉を覚えいき、近頃ではよく微笑むようになっている。

しかし雪姫が気づいているかはわからないが葉月は時折パテラが辞書を見ながらひどく思い詰めた表情をしている事に気づいていた。

だからといって葉月はパテラに声をかけることはしない。

雪姫が彼女をここに置いているのだから。



「ユキ、ハキ、ハナシ、アル」


パテラから話しかけてきたのは初めてで、雪姫と葉月は作業をしていた手を止めて彼女の話を聞くことにした。

ちなみにヅ、が発音しづらいのか葉月はハキと呼ばれている。


今バーは準備中で店内には3人しかいなかった。

ボックス席でパテラに向かい合うように二人は腰掛ける。

パテラはノートを取り出すと、パラパラとページをめくり該当のページを見つけたのか口の中で小さくなにか呟くと呼吸を整えて顔をあげた。

その瞳にはひどく暗い色が浮かんでいる。

心なしか震えてもいるようだったが意を決したかのように拳を握りしめて話しだした。


「ワタシ、フタリ、ハナス」


「ワタシ、フタリ、スキ、タスケタ」


「ダカラ、イウ」






「ワタシ、ツミ、アル」 


それを絞り出すように発したパテラは俯いて小さな肩をはっきりと震わせていた。


「罪…?」


雪姫が眉を顰めるとパテラは震える手でテーブルの上に開いてあるノートをこちらに寄せてきた。

そこには拙い文字と単語だけで綴られた彼女の物語があった。



※※※


パテラはハヤ村というところで生まれ育った。

貧富の差が激しい村で裕福なものは衣食住に何も困ることはないが貧しいものはその日の食べ物にありつけるかもわからないくらいのありさまだった。

村の貧富は代々続くもので裕福なものは潤沢な資産をいつまでも独占し貧しいものはただただ地面を這いずり回るように生き続けるしかない。

パテラの家は後者で自身が食べられるかすら確証はないのに彼女には多くのきょうだいがいた。

パテラは自分のぶんを減らしてきょうだいたちに少しでも多く食事をわけてきたが、ある時どうしても足りなくなる事態が起きた。


悩みに悩んだ末彼女は裕福な家から僅かばかりの食料を盗むことにする。

大きい家だから忍び込みやすく逃げやすいと思ったのが運の尽きだった。


食料に手をかけた瞬間をその家の使用人に見つかり、処罰のために主人の前に引きずり出されたのだ。

パテラは罰は受けるから食料を家族に届けさせてくれと彼女は懇願したが主人は顔色一つ変えることなく使用人に命じて彼女を村の外へと連れて行かせた。


そこで彼女は思わず足が竦んでしまうようなものを目にした。

頑丈な檻の中で唸り声を上げながら赤く光る目をぎらつかせてうろつきまわる虎がいたからだ。

ここで彼女は虎の檻の中で共に暮らしながら世話をすることを強いられる。

見るからに獰猛な虎とその足元に転がる何かの骨のかけらに彼女は恐怖のあまり動けなくなってしまったが、使用人に背後から突き飛ばされ鍵をかけられてしまう。


同じくして投げ込まれた塊の肉を見て彼女は自分の末路を予感したという。

幸いにして虎は肉に夢中で彼女のことなど眼中にないようだった。

それから彼女と虎の共同生活が始まったのである。


虎は恐ろしい見た目をしていたが意外と平素は大人しい性格をしていた。

空腹になるとやや気が立つがそれでも食べ物が投げ入れられればそれに夢中になりまるでパテラを意識するようではなかった。


パテラは檻の中を掃除したり、虎の毛並みを整えたりするのが役目でそれをせっせとこなしていた。

虎は近づけばやはり本能的な恐怖が身を竦ませるが震える手でブラッシングをすれば気持ちが良さそうに目を閉じた。


時折主人とその家族や客人らが虎を見にやってきた。

そして虎の美しさを見て満足したかと思えば檻の隅で震えるパテラを見ては嘲るような言葉を浴びせた。


「なんだ、生きているのかつまらない。あまりにもみすぼらしすぎて見向きもされないのか。明日から食べ物をもっと良いものにしてやろう。少しは肉づきが良くなればこいつの良い遊び相手になるだろう」


パテラは浴びせかけられる嘲笑をただただ耐え続けていた。

翌日から本当に食べ物が増えたときは背筋が凍ったものだ。


そのうち食事を差し入れにくる使用人が吐き捨てるように言い放った。


「罪人のくせにこんないい食事をしやがってなぁ。残された家族に恥ずかしくないのか。あっちは食うや食わず、なのにお前と来たら」


家族のことを聞かされるたび心臓を刺されたかのように痛みが走った。

家族はなんとか生きているようなのが救いだが自分が罪人となったことで浴びせられる視線は冷ややかだろうしきっともう関わりを持ちたくなどないだろう。

パテラはもうこのまま虎に殺されてしまいたいと考えるようになった。


しかし虎はパテラを殺すどころか彼女に懐き始めてしまったのだった。

言葉すら解するのか飼い主らにパテラが辱められると彼らが帰ったあと慰めるように舌で舐めてくるようになった。

パテラは虎を優しく撫でた。

あれだけ恐ろしかった柵の中だけが彼女の居場所になっていた。


ある日の夜、虎に寄り添って眠っているとピクリと虎が顔を上げて辺りを伺うような素振りを見せたかと思うと暗闇にぽつりぽつりと浮かび上がった明かりが近づいてきて何やら檻のまわりをうろついている。


そしてガチャガチャと何かを弄っていたかと思えば急に虎がひと鳴きしてどさりと倒れ込んだのだった。

パテラは声も出せず暗闇の中で体を縮こませていたがやがて檻の鍵が開けられて何者かが入ってくると虎と彼女を縛り上げて檻から連れ出し近くに停めてあった車に押し込むとすぐに発進したのだった。


目隠しをされていたからどこにどうやってつれて来られたのかはわからない。

虎とは離されて小部屋に監禁されていたがある日また虎と一緒に狭い檻に押し込まれた。


音と振動からどこかへ運ばれているようだった。

虎は蹲ったまま動くこともなくパテラは時折虎を撫でながらただひたすら流れに身を任せるしかなかった。


しかしある時急に虎が暴れ出して檻が壊れ乗っていたものが横転しその隙に逃げ出すことができた。


虎とは逃げる途中離れ離れになってしまった。


※※※


以上が彼女の記したノートからわかったことである。

パテラは俯いたまままるで罰せられるのを待っているようだった。

実際問題、罰せられたいのかもしれない。

逃げ出せたはいいけれど罪悪感が押し寄せてきて苦しめられているように見えた。


葉月は雪姫をちらりと横目で見る。

雪姫は静かにパテラを見つめていた。

そしてパテラの肩に手をかけると慰めるように擦りさも辛かったねなどと言いそうな声色で言い放った。




「そう、ならすぐに出ていってください。泥棒なんて置いていけませんから」

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