2話

急速に腐敗し排水溝へと流れていった謎の獣の痕跡はその後の実況見分でも発見することはできなかった。雨に混ざった腐敗臭だけが微かに漂っているだけである。


「臭うな」


腕を試しに嗅いでみれば鼻をつく匂いが感じとれ、葉月は眉を顰めた。

今のところ自分の出番は無いと踏んでその場を後にすることにし、向かうは馴染みの場所である。

雪姫のバーの入っているビルの2階の一室に備品を置いたりちょっとした休憩をとれる場所がある。一時期葉月もそこをねぐらとしていたことがあるのと一応下働き扱いなので合鍵を持っているのだ。葉月は施錠してあるドアに鍵を差し込んで部屋へと入る。まだ電気をつけなくてもいいくらいの部屋の内部はほぼ倉庫扱いで申し訳程度に座れるソファとシャワールームがある。雨に濡れた靴を脱いで葉月はシャワールームに直行した。今日は店も休みだし雪姫が使用しているはずはない。

ネクタイを緩めながらシャワールームのドアを開いた。



丸っこい瞳と目があった。褐色の肌にボサボサの赤毛、小ぶりながら胸もある。下も見てしまった。

この間僅か数秒。

葉月はドアを開けて、閉めた。


「…誰?」


葉月がドアノブに手をかけたまま固まっていると、後ろで玄関が開く音がした。

雪姫が手提げ袋を携えて入ってきたのだった。そしてシャワールーム前に突っ立っている葉月を見た。


「開けました?」


「…誰すか?」


はぁ、と雪姫は携えていた手提げ袋でぼすっと葉月を叩くと葉月を退かしてシャワールームの扉を少し開けた。


「すいません、ここに服置いておきます。…伝わるかな」


そしてシャワールーム内に袋を置くと、ドアを閉じてまたため息をついた。


「あなた自分ちのシャワー使いなさい」


「こっちのが近いんですよ。もう気持ち悪くて」


そこで雪姫が鼻をひくつかせて顔を顰めた。


「何の匂いです?雨に濡れただけじゃないんですか」


「ちょっといろいろありまして」


そこへシャワールームの扉が開き、中からおずおずといった感じに件の謎の人物が出てきた。

ワンピースTシャツを着て現れたのはやはり少女のようだった。


「良かった。丈もちょうどですね」


少女はそこで脇に突っ立っている葉月を見てびくりと肩を震わせた。逃げこそしないが瞳には十分怯えの色を浮かべている。

雪姫はそんな彼女の感情を感じ取ったのか至極優しい口調で彼女に話しかけた。


「この人なら大丈夫です…うーん」


雪姫は首を捻りながら手を葉月の方に向けて、片方の手でサムズアップしてみたり丸を作ってみたりしている。どうやら言葉が通じないようだ。

そこで葉月ははっ、とした。

少女の足首に拘束の痕を見つけたからだ。


「雪姫さん、その人」


葉月がぽそり、と指摘すると雪姫は分かっているといった風に小さく頷いた。


「奴隷ですね。言葉が通じないことから密猟でしょう」



この街でもそれは時々見かける存在だった。多くは身を持ち崩したものの成れの果てだったり貧しさ故に遠方から売られてくるが大抵は即戦力として働かせるために最低限の公用語を教え込まれる。彼らはそうして人の見えざる場所で働いたりしているのだ。しかし、ここまで全く通じないようなのを見ると正規ルートではないところからの流入が考えられる。

しばしばなかなか奴隷市場に並びにくい種族の需要がありそれらを確保するために密猟というかたちで誘拐されてくるのだ。その場合早く売り払うために公用語が教えられないことが多い。いずれも言語を介する必要性がない需要のためまずまともな労働目的ではない。


ソファに腰掛けさせた少女は体を縮こませるようにしている。

雪姫はそんな彼女をどこか遠くをみるような瞳で見ていた。

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