第4話

満点の星空が頭上に広がる。ドーム型の屋根に投影された星々はまるで恋人たちの前途を祝福するように瞬いている。

紅玉のような瞳をもつかぐやと、鍋島組の下部組織リーダーであり額から金色の短いツノを生やしたテイは広々としたソファで肩を寄せ合いながら甘い雰囲気に浸っていた。テイが何を思っていたかは知らないがかぐやは彼との出会いに思いを馳せていた。


かぐやとテイはとあるクラブで知り合った。いくら自分が町の重要人物の娘で父親に束縛気味に愛情を注がれているとはいえ17歳だし門限には必ず帰るようにしていればある程度の自由は保証されている。友人たちとクラブで遊んでいると数人の男たちに声をかけられた。あまり柄の良くない男たちに見えたがたまにはいいかと彼らと話し始めたのだ。

最初は単純にかわいい、だとかきれいだとかそうやってこちらの気分を良くして場を盛り上げていた男たちだが段々打ち解けてきたかと思うと絡みだす男がいた。しかしそれを止めてかぐやらに触れたりしないようにしてくれたのがテイだった。

かぐやはテイに興味を持ち彼に話しかけ彼の人柄に触れると一気に彼を好きになっていった。クラブで会える短い時間を使って二人は距離を縮め、会えないときはメッセージアプリでやりとりを交わし続けた。かぐやの彼に対する思いは膨れ上がっていったのだった。彼とずっと一緒にいたいと。

そして意を決してかぐやは己の素性を彼に打ち明けたのだった。

テイは目を丸くしたがすぐに優しく彼女に微笑んでみせた。そして自身の素性も明かした。

そしてかぐやは思ったのだった。これは許されない恋だと。


やくざの組長の娘と、他の組のやくざの男だなんて父親なら絶対に認めないと。


そして二人は悩んだ末に駆け落ちすることを選んだ。許されなくてもこの想いは諦めることなど到底考えられなかったから!


「ずっとテイくんと一緒にいたい」


テイの温もりを求めてかぐやが身を捩る。

そんな恋人を愛しげに見つめるテイはかぐやのつややかな髪をそっと撫でた。


「…そろそろ行こうか」


静寂だけが二人を守るように包み込んでいた。



※※※


超高層ビル夢天タワーの上階に位置するホクトホテルは客室フロアへ行くのにカードキーが必要である。ホテルのフロントのあるフロアに到着したものの果たしてどうやって部屋に行くかを葉月は悩んでいた。しかし急がねばならないととりあえずカウンターに近づいた。にこやかに挨拶してくる係員に単刀直入に要件を切り出すことにした。


「天空スイートに行きたいんですけど」


「生憎そちらにはご宿泊のお客様がおりまして」


「そのお客さんに会いに行きたいんですよ。すぐに会わなければならない用がありまして」


「ではお部屋にお電話をしてみましょうか」


「ああ、それは結構です」


ううむ、と考えあぐねた挙げ句葉月はシャツの腕を少し捲ってそれを見せながら小声で言った。


「かわいい兎のお姫様とそのお友達に会いたいんですよね」


葉月の腕に彫られていたトライバルタトゥーをちらりと一瞥してまたにこやかな笑顔を浮かべた。


「申し訳ありません」


何をもってしても無理だという鉄壁の意志を感じさせる完璧な笑みに葉月は内心ため息をつきながら「ですよね」と大人しく引き下がることにした。やはりというか一般人相手の方がこういった交渉は難しい。

そのときだった。カシャン、と何かがすぐ側で床に落ちる音が聞こえたのだった。

見ればカードキーが、しかも天空スイートのキーが落ちている。なんということだろうか。

葉月は小さく口の端に笑みを浮かべて待たせていた雪姫を伴いエレベーターに乗り込んだのだった。


「見事なマジックをありがとう」



天空スイートのあるフロアはワンフロア全体が天空スイートになっている。

エレベーターを降りれば即部屋、なのだが。

エレベーターのドアが空いた瞬間、凄まじい風圧を感じて身構える。


「…ええー」


なんとリッチでロマンチックな逃避行だろうか。ドーム型の天井が割れた先に広がる星も見えない漆黒の空に浮かぶのはヘリコプターであった。


風圧でめちゃくちゃになる部屋などおかまいなしに飛び上がるヘリコプターを追って部屋の中央に進むもヘリコプターはどんどんと高度を増していく。まるで名残惜しさのかけらもないようだ。


空に昇っていくヘリコプターを見上げながら葉月は頭を掻いた。ここで取り逃がすわけにはいかない。しかしどうやって?と思ったところで雪姫が声をかける。


「ヘリ、逃すわけにはいかないんでしょ。だったらちょっといいですか?よいしょ」


雪姫がおもむろに葉月の体を抱えようとする。


「雪姫さん?まさか」


「口閉じて。舌噛まないように」




ヘリコプターの内部ではこれからのことについてあれこれ楽しげに会話が交わされている。


「やっとこの町から離れられるんだ…パパからももう自由なんだ…」


「そうだよ。もっとずっと遠くに行かなきゃ。誰にも追いつかれないところまで」


「星がきれいに見えるとこがいいな。ここからじゃ星よく見えなかったし」


「だったら空気のきれいなとこがいいね。田舎とかいいかも」


「いいね!どこがいいかキャー!!」


甘々な雰囲気を粉砕するがごとく転がり込んできたそれにかぐやが悲鳴を上げた。


「な、何??誰!?」


それはゆるゆると体勢を立て直すと、いててと体中を擦りながら口を開いた。


「因幡のモンです。帰りましょう姫さん」


途端にかぐやが声を荒らげた。


「あんたうちの組の…!?パパの差し金ね!嫌よ、戻るわけ無いでしょ!」


テイも呆気に取られていたのもようやく事態を把握したと見えて声を出す。


「ここまで来たら戻る場所は無いんだよ!俺だって覚悟してきてんだからな!」


テイが後ろに手を回した。


「この狭い空間で発砲する気?」


怯える操縦手を見とめてテイは舌打ちをしながらも手を戻した。


「とりあえず地に足をつけて話しましょうよ。ヘリ降ろしてください」


「何勝手に話進めてんの!降ろさないで」


かぐやもピシャリと命令するものだから操縦手は混乱しているようだった。


「操縦手さん」


しかし葉月の放ったそれはなんの感情ものせていないフラットさをもちながらも


「降ろして」


絶対に逆らえない、喉元に刃先を突きつけられているかのような威圧感を放つ一言だった。


「下降します…」


ヘリコプターは高度を下げ始めた。




適当な広さのある野原に3人を降ろすとヘリコプターは逃げるように飛び去っていった。

町外れの寂しげな野原は少しだけ喧騒や強いネオンの光からは遠ざかって見える。

かぐやは腕を組み、テイも身構えるようにこちらを睨み据えていた。


「言っとくけど。ヘリじゃなくたって逃げ方はいろいろあるんだからね」


「ここでならあんたとタイマンできるな?」


敵意むき出しの二人に最高に面倒くさいといった体で口を開く。


「今ここからどっかへ逃げようがタイマンしようが構わないけど逃げれば俺らはあんたらを追うよ。どこまでも、ずっと」


まるで見えない紫煙を目で追うように話し続ける。


「ずっと追われる。ずっと逃げる。その繰り返しになるよ。こっちが諦めるとか期待しないでね」


父親の、やくざの男の執念深さはかぐやもよく知っているだろう。かぐやは拳を握りしめテイも苦々しげに目をそらす。


「じゃあどうすればいいの…」


かぐやの語気が弱くなった。


「親父さんと話し合えばいいんじゃない」


さも簡単な答えとばかりに発せられた言葉にかぐやは唇を噛んだ。


「話し合ってパパが許してくれると思う?無理でしょ…」


「じゃあ一生逃げる?子供ができたり病気したりしても?」


「無理だよ…」


かぐやの目から涙が伝う。それをテイが拭い取った。


「あんたもやくざの末端なら逃げることの大変さ分かるだろう。因幡だけじゃなくて鍋島にも追われるんだぞ」


「…」


ようやく恋の熱が引いてきたのだろうか。テイはかぐやの肩を掴んで自分に向き合わせた。


「テイくん…」


「かぐや、親父さんと話をしよう。俺も一緒に行くから」


かぐやは俯いた。それでもテイは言葉を尽くして語りかける。


「俺はどうなってもいいけどかぐやを、いつか出来る子供を辛い目にあわせたくないよ。考えが浅かった…ごめん」


「そんな!私が逃げようって言い出したのに」


「いや、俺が止められなかったのが悪い。ごめん…」


テイがかぐやを抱きしめる。しばらく手をだらんと下げていたかぐやだったがやがてゆっくりとテイの背中に腕を回した。

そして二人はお互いを離して見つめあい葉月に向かいあったのだった。


「パパと話すわ」



※※※


「げぷ。胸焼けしそう」


まだ半分以上残るお菓子たちを恨めしげに眺めながら雪姫は紅茶のカップに口をつけた。


「その場にいる俺の立場にも立場にもなってください。ずっとかぶりつきで見せられてるんですよ」


葉月がセイボリーのキッシュを口に運ぶ。

あれから数日後葉月は約束通りホクトホテルのラウンジで行われているアフタヌーンティーに雪姫を伴って来ていた。


「それでお姫様は王子様とお父様に話をつけに行き、現在交渉真っ最中、私らが鍋島の事務所で色々やった件もなぁなぁで終わりってことでいいでしょうか?」


「話が早いですね。そ、鍋島も事を大きくしたくないから末端がちょっとボコられたくらいは目を瞑ってくれたみたい」


ずず、と葉月もティーポットから自分のカップに注いだ茶を飲む。因幡の威光を借りることはあまり好きではないがこういうときは役立つものだ。それもこれも自分が因幡の構成員だからこそ。


なんでこうなったかといえばあの人の、アニキのおかげというかせいというか。

葉月はカップの水面をぼうっと眺めた。



幼い葉月を拾い上げたのは確かにアニキだったが、因幡組に所属したのはアニキが望んだわけではなかった。組に入ったことを彼に伝えたとき彼はただ一言「そうか」とだけ言った。どこか寂しげな表情がだったことは覚えている。

自分としてはアニキの所属していた組に入るのは憧れだったし、アニキも喜んでくれるだろうと漠然と考えていたのを肩透かしを食らったようでなんともモヤモヤする気分になったことを覚えている。


組に入ったことであんな風になるのなら、その立場を自分が優位になるように使っている今の自分を見たらどう思われるのか。


「でも他人のお金で食べるアフタヌーンティーは問答無用で最高です!それにお店の掃除もやっていただけるなんて!」


雪姫の明るい声にハッ、とさせられた葉月はじとりと雪姫を横目でみたが雪姫はルンルンと次に食べるケーキを選んでいた。


「胸焼けしたって…?」


「あんなのすぐ治まりますよ!」


葉月ははぁ、とカップに口をつけて大きな窓の外を眺めた。


どこまでも広がる灰色の町はあと数時間すればあらゆる欲望のネオンによって怪しい光を放つ。人を惹きつけてやまず、人を捕えてはなさない。


それが月光町だ。

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