第34話 最後に彼女の物語
路線バスに大型スーツケースを持つ少女が乗り込んだ。
行き先は空港。
先日の高層ホテルの倒壊が未だ世間を騒がせる中、人々はその話題を口の端に登らせつつ、しかし、その少女が重そうな荷物を抱えバスへ乗り込もうとして苦労する様を見て、誰となく立ち上がりそれを助けた。
「ありがとうございます」
その鈴のような清涼な声で礼を言われると彼女の周りにいた人間は少し呆然とする。
それは人の本能に深く刺さるような歓喜を誘発したからだ。
喜びより、より尊いものを。
そうして、バスが出発するまでの間、彼らはその場に立ち尽くす。痴呆のように。
——バスが若干揺れつつアスファルトの上を走り始めた
1番後列の席を譲られ座った少女——ケイン・レッシュ・マは何をするでもなく、大事そうに足元へスーツケースを据えて、窓の外を眺める。
過ぎてゆく景色、人の波。
雑多と呼ぶには多すぎる、人々。
自分とは違う存在。
もう離れる街。
結局、沙耶香と共に過ごした団地のあの部屋から出たことはほとんど無く、感慨深さは薄い。出歩くにしても深夜、共に散歩をしたぐらいのもので。
「全ては君の思うまま……か」
思考の最中、横合い、すぐ隣で声が。
いつそこに座ったのか、その事に誰も気付けず、そもそもこの場にその人物が居てなお誰も関心を向けない。
存在を感じ取れないのか。
ただ、ケイン・レッシュ・マだけは気付いていた。
「
ケイン・レッシュ・マの横に座る少女——アハト・アハト・オーグメント伯爵は続ける。
「よく、1人の個人はどこからどこまでその個人なのか、なんて問いがあるけど君たちの場合はその心臓だけって事かもね。それを中心に欠損部も再生するし。だから、今の人間の科学的な知見——まあ、科学も魔術から生まれた概念だけど、その観点から心は脳にある風説が主流で、しかし君の創り手はそれが心臓にあると考えた……」
一方的に滔々と。
これだけ長く流れるように語るのに、誰も気付かない。
話しかけられたケイン・レッシュ・マですら一瞥も向けない。
ケイン・レッシュ・マはこの世のほとんどの事象に関心を持たない。
だから、
「大方予想は付くけど、少し、読ませてもらうよ」
その白く細い指にアハト卿の小さな手が触れて、その時、ようやくケイン・レッシュ・マは彼女を見た。
背が低いので見下ろす。
——ちょうどバスが信号で止まる
目が合う。
目が合って、覗き込まれた。
その全てを。
◆◆◆◆
自分の人生が終わる事なく続くものだと実感を得たのは、この世に創り出されてから、およそ80年過ぎた頃。
人のコミュニティに紛れて過ごし、過ごして、人が精々40年。
長くとも60年生きながらえる中で、自分の見た目が変わらず、生き続ける。
結局その生で楽しかったのは最初の50年くらいで。
西暦すら烏滸がましい程の、特異点により秘匿された太古。
カインがアベルを殺し、最初の殺人者となった頃。カインがリリスに呪われ原初の始祖たる吸血鬼へ変貌を遂げた頃。
神話に近しい原初の魔術の蔓延る時代。
神が太陽の様に君臨し、しかしその害悪も同然のあり方は魔王のそれに似ているが、人がどれだけ暑かろうと太陽に文句を言うことがない様に、それは当たり前のことだったのだ。
人とは所詮……
◆◆◆◆
「おっと!昔過ぎた」
そう言ってケラケラと笑う。
何がそんなに楽しいのか、という表情でもって、初めてケイン・レッシュ・マはアハト・アハト・オーグメント伯爵へ関心を向けた。
そして、それから引き続き読まれる。
◆◆◆◆
その時ケイン・レッシュ・マが一体何を考えていたのか、ということを探ることに意味はない。
そもそも思考が理屈立って行われると考える事自体ナンセンス。
全ては思いつきの産物とも言えるし、しかし思いつくための下地として渦の様な認識が人の思考の理屈その物だと言い換えることもできるのか。
しかし、その時彼女が得た天啓の如き閃きは、ある偶然が呼び寄せた。
「こんな事がっ!」
その時、盧乃木美樹鷹の精子とケイン・レッシュ・マの卵子によって作り出された赤児、まだ彼女の胎の中に居る胎児の存在を調べ上げ、観測されたその事実から驚愕つかぬ、驚愕以上の愕然たる事実を受け止めたその当時の盧乃木家当主
彼は盧乃木美樹鷹の父で高齢ゆえにもはやケイン・レッシュ・マと子供を作ることが叶わず、自身の息子である美樹鷹にそれを強要した。
長年を魔術師として生き、盧乃木家の薫陶を受け続けた彼のその一言の意図、それはケイン・レッシュ・マの胎の中にいた胎児が死んでいたからだ。
しかし、胎の中の胎児は死んでいた。
死産。
死ぬ事のないはずだった赤児は不老不死でありつつ死んでいる。
死んではいたもののその存在は生まれた瞬間に蘇り、産声を上げた。
後に沙耶香と名付けられるその女の子は、生まれる前から死に深く接続されていた影響か、本来ならあり得ないほど望外に『死』の魔術の才覚に溢れていた。
生と死の狭間に生きる様な女の子。
その存在へ興味を覚えたのは、ソレが死に至るための実験材料として非常に価値があるものと見ていたからではなく、自身と同じ
自分にはできないことを平然とやってのけた。
それが興味の始まり。
それまで腐るほど生み出してきた実験体の数々とその女の子を
だから、ほんの気まぐれで大切に育ててみようと思った。
そう思ったから、その時の当主である盧乃木宏介には死んで欲しいと願った。
彼は人一倍嫉妬深い人物。
だが、それはケイン・レッシュ・マへの愛と比例する。
だから、何よりケイン・レッシュ・マの願望たる死を叶えようとする一方で、その興味が他者へ移る事を許せない妄執に駆られた老人。
そして、死んで欲しいと思ってしばらくして、盧乃木宏介は息子の盧乃木美樹鷹に殺された。
誠に都合が良かったが、美樹鷹としてはそんなケイン・レッシュ・マの心情などつゆ知らぬので、決死の思いで説得する様に、「死ぬことを諦めてくれ」と、伝えにきたが、それは無論ながら了承。
意外とすんなり受け入れられたことに彼は心底拍子抜けした様子。
それからの彼女の生は数千年ぶりの彩りに染まる。
その子が沙耶香と美樹鷹に名付けられ、そして、いたく可愛がり、しかし、その様子に何か並々ならぬ物を覚えてしまったのか、美樹鷹に一時期隔離され沙耶香と会えなくされてしまったこともあるが、しかし長過ぎた生と比べればほんの一時会えぬものと割り切ろうとして、しかし割り切れなかった。
会えなかった日々の苦しさ。
それが、この思いが恋であることに気づいてしまった。
離れたくない。
一生、ずっと自分の元にいて欲しい。
そして、自分のことだけを考えて欲しい。
自分の色に染まって、同情して欲しい。
同情して欲しい。
そうだ。
沙耶香にも自分と同じ、自分がこれまでの人生で味わったのと同じやるせなさと悲しみと絶望を味わってもらおう。
その傷をお互い舐め合い、癒し合う様な共生はそれはとてもとても幸せなことなんじゃないか?
という天啓。
美樹鷹はそれに勘付きつつあったから、彼には死んで欲しいと願った。
そしたら、かつて彼がやった様に自分の息子である
それからは転がる様に全てが順調にうまく行った。
彼女が直接手を下したことと言えば、沙耶香が幼いうちに、その脳みそに安全装置を仕込んだことぐらいだ。
万が一、死亡が度重なった時、敵を抹殺できる様、凶暴性を増す仕掛け。
やり方は簡単で、その脳を一部切り取った上で一度殺して蘇生。
その後、催眠術の要領で色々と刷り込む。
蘇生に伴い新しく再生した脳は、
いわば、親から子への凶悪なマインドコントロール。
その応用で、他にも都合よく動いてくれる様、色々仕掛けも施し、これは長年盧乃木家で実験に関わって来た中、培った副産物。
そんなこんなで、やはり、自分は死にたいという願望以外はすんなり叶ってしまうんだなぁ、と、夢の実現を童心に帰るワクワクで、事態の推移を眺めていた。
そして、今、この時に至る。
◆◆◆◆
「なるほど、刻みつけた絶望は脳ではなく心に宿る。だから、心臓だけ摘出して蘇生させても問題無いわけか。君達の心は心臓に宿るからね。加えて死を偽装するため、その子の他の部分は現場に残してきたと……」
興味深げな一言。
次は仏頂面ながら、どこか楽しそうな表情への遷移をアハト卿の表情は伝う。
「……やっぱり、よくよく考えてみたけど、私自身も君に都合よく動かされたことになるね。当て書きっていうのかな?脚本家が、役者の存在からインスピレーションを受け脚本書くやつ。今回、君の存在を知ってから、全ての種を蒔いたからね。ま、おかげで楽しかったけど」
それだけだ。
それだけ言って来た時と同じ前触れのなさと唐突さでアハト・アハト・オーグメント伯爵は消え去る。
後に残されたケイン・レッシュ・マは、視線を窓の外へと戻す途上、ふと、スーツケースに目を止めて、これからの暮らしのこと、きっと素晴らしいものになるその日々に想いを馳せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます