第33話 終結
古い魔術の修練法。
もう使われることもなくなったやり方に、自身の魔術属性にまつわる事象を体感するものがある。
例えば属性が『火』であったなら、何かを燃やしてみる。いや、何かを燃やすよりは自身を燃やし、その燃やされる苦痛を味わえば魔術への理解を深めてくれる。
魔術は内象世界、つまり精神より発せられる現象ゆえにその精神へ苦痛を刻む事で本能的に理解が深まる理屈。
といった具合で手段が過激ならざるを得なかったので廃れてしまったが、結局、沙耶香が短期間に自身の『死』の魔術運用の幅を押し広げたのは、こうした理由があった。
◆◆◆◆
結論から言えば、沙耶香とエイブス、2者の魔術の才は天と地ほどの差がある。
沙耶香が天で、エイブスが地だ。
かたや『咎人狩り』施行中たった数度——
六波羅舞美々に首を折られた1回、意識を失った間の6回、その後の1回。それに加えラフカンによる刺殺。
——計9度の死で属性へ理解を深め本質に迫る沙耶香に対し、エイブスは過酷な実験の日々の中、ほんの種火のような才能が目覚めただけ。
それをここまで焚き付けたのは、度重なる自死、数えることもおこがましき繰り返した自殺により無理矢理才能の扉をこじ開けたに過ぎない。
その度、彼女の脳は壊死を起こし、自身が盧乃木家を恨めしいと思う理由すら、ほぼ妄想の域に達している。
そうして長すぎる人生と記憶のほぼ全てを焚べて燃え上がらせた業火が今、盧乃木家当主たる沙耶香を何度も殺し、精神的凌辱を果たすことに喜び打ち震えていた。
結局、彼女の人生はこの瞬間のためにあったのだ。
そして、幾度目かの殺害の後、目覚めた直後、床に倒れる沙耶香の胸ぐらを掴んで引き寄せ眼孔へ唇を添え、その中にある
声にならない悲鳴で苦痛に悶え苦しむその顔は、やや飽き始めたこの状況に花を添えてくれた。
その沙耶香は何度も何度も死んで、死んで、怪我はその度に治ろうが、心がついていかなかった。
漠然と自分が死ねない事に理解は及ぶが、深く考えることはできない。
そうして、起き上がるのすら億劫になりつつあり、しかし無理矢理立ち上がる。
片目が無いので景色が見え辛く。
エイブスがその時吐き出し、丁寧に足ですり潰す自身の眼球だった物を曇った
——もう、何もかもが嫌だった
痛いのも、苦しいのも。
徳人を殺したけど、先の展望は無い。
後藤さんも死んでしまった。
大勢の罪のない人も殺した。
そうして、自分の人生にまとわりつく粘膜のようなドロドロした苦境が、心を締め上げ、ただ、唯一自分に残されたケイン・レッシュ・マという存在がこの状況から逃避を許さない。
逃げ出すことを自分自身が許せない。
だから、かろうじて心は折れず、何度も何度も立ち上がる。
もはやこれはそういう呪いに似ていた。
その様子に、やや疲れてきたエイブスが問いかける。
「……なんで折れないんですか」
挑発ではなく心の底からの疑問。
不可解。
理解できないものを見る、その目。
「ケインのため」
即答。
「ケイン……ケイン・レッシュ・マのためですか」
腑に落ちないエイブス。
「あなた、彼女に愛されてるんですね。すごく……とっても、……だったら……」
ふと思い起こす、こびりく記憶の残滓。
どれだけ手を伸ばし、助けを求めても見向きもされなかった光景。
「なんで、私は愛してくれなかったんですかね……」
疲れて、独り言をこぼすエイブスのその顔は少し子供のように見えた。
幼い少女のように。
「いや、疲れてるな。そんなこと言ってる場合じゃ……」
殺さないと。
一度もまだ死んでない以上、体に疲労は溜まる一方で、死んで蘇生時に隙を晒すのは何か負けた気がするのでやらない。
やらせてやらない。
一方的に殺し続ける。
何度でも。
しかし、もはや戦闘の
もはやその無駄と意味のなさ、不毛の2文字を頭から追い出すことができなくなり、しかし、これをやめれば、相手の心を折らなければ、自分のこれまでの人生はなんの意味があったのかと、自問せずにはいられないので、半ば焦りながら続ける現実逃避。
そんな彼女にある意味救いをもたらす形でその最期は訪れた。
視野の狭窄というべきか。
蘇ったばかりの沙耶香の手が、エイブスの胸の位置、ちょうど心臓の位置へ触れる。
もはや疲れ切ったエイブスの油断。
それに付け込む偶然の一手。
彼女は知らない。
盧乃木家がケイン・レッシュ・マを殺すまで至らずとも、その子供ならば殺せるまで達していた事に。
そして、実を言えば沙耶香もその手段を詳しくは知らなかった。父、美樹鷹が残した数々の魔導書はその殆どが実用的な魔術の運用方法を除き、その実験の過程を改竄している。
それは、盧乃木家がケイン・レッシュ・マの子供を実験に使ってきたその歴史を秘匿するための父から子への気遣いではあったが、その中で不死殺しの秘儀を示唆する内容だけは残されていた。
——その意図はともかく
それを汲み取った沙耶香は魔術を極める一助としてその方法を身につけたが、
そのあらましは、接触も、死の具象化による攻撃も必要としない、ただ、念じるだけで障害物も、距離すら超越して即座の呪殺を果たす
しかし戦闘中、即時の使用を前提とした改造を施したため代償も大きく、不確定。
それは対象の死ににくさに応じて嵩張るのだ。
代償とは即ち触媒。
触媒で足りなければ術者自身の身体を捧げ、灰に転じさせる必要がある。
加えて、死ににくさという条件が厄介だ。
概ね、その存在を物理的に殺すのにかかる手間が基準と見るべきで、だから、第一に距離が離れていれば死ににくいと判断され、後は対象の魔術、肉体の性質が加味される。
そして、ケイン・レッシュ・マの子供の『不老不死者』であれば、最低限触れるほどの距離で、そして、相性が究極に良い触媒を要する。
相性の良い触媒は、この状況ではすぐ近くに転がっていた。
血縁者の、それも弟の死体であればまず過不足ない相性の良さ。
それを躊躇う正気もとっくの昔に消え失せて。
ただ、この苦しみから逃れたいがためだけに、エイブスを徳人の死体のすぐ近くまで誘導した。
そして、術は成された。
◆◆◆◆
結局、沙耶香はその術の効果をよく理解していたわけでは無い。実際に使われた記録は美樹鷹の残した魔導書では仄めかされていただけ。
一度、潤沢に触媒を用意し、標的の暗殺に使ったことはあっただけだが、その時は触媒全てと、死ぬ寸前ギリギリの量の沙耶香の血液に加え、腎臓の片方が消えたので、そう滅多なことでは使わないつもりでいた。
そして結果は、
「生きてる……」
床に横たわった沙耶香は天井を見上げていた。
そして数秒かけ、首を巡らせ見てみれば、すぐ近くでさっきまで、あんなにも苦しそうにしていたエイブスが安らかな顔で床に倒れ伏す。
10秒、蘇生が始まる時間は当に過ぎ、見るからに息はなく、血の気もなく、死んでいることは明白。
そして、さらに周りを見れば徳人の死体があった場所にはおよそ同じだけの体積の灰の山が積もっていた。
結局のところ、エイブスという『
ただ、沙耶香の『
終わった。ようやく、終わった。
漠然とその事実が頭に浮かび始めた矢先、パタパタと急ぐような足音が聞こえて、ただ、それは沙耶香にとって警戒に値しなかった。
なぜならそれは何よりも聞き慣れた足音だからだ。
「ケイン……」
その、何より見慣れて、何より大切に思う彼女の顔が覗き込んでくる。
両手を背中に回して、しゃがみ込み、やがて右手だけを前に、頭を撫でてくれる。
なんだか、泣きたくなるような気分だ。
ようやく安らぎを感じられる、そんな時間。
「大丈夫?」
「……大丈夫」
嘘をつく。
そして起きあがろうとする沙耶香を止めるように、そのまま寝そべることを促すようにケインは軽く右手で押さえた。
そして、顔を近付けて、じっと覗き込む。
その顔が少し、ニヤけるがあくまでそれは慈母の笑み。
「あの、すぐ、ここから離れないと……」
困ったように、子供を宥めすかすような口調で述べる沙耶香に対し、あくまでケインは
「大丈夫、大丈夫だから……」
の一点張り。
一体何が大丈夫なのかと、沙耶香が疑問に感じ始めたそのとき、終始、背中側に回されていたケインの左手が前へ、その手には黒いガンメタルの半自動拳銃が握られ、
「え?」
3発、銃声が鳴り響いた。
◆◆◆◆
その日、広域にまたがり降り続いた雨は、山間部では土砂崩れを、都市部では渋滞を引き起こしたものの、夕方ごろには全て嘘だったかのように止んでしまった。
全て、嘘だったように。
そして、盧乃木徳人主催で始められたその『咎人狩り』は、約半月という異例の早さ。
それも罪人と主催者の戦闘による相打ちという、史上稀に見ない結果で終えられた。
その後には、魔術師とその手先達があくまでその存在を一般社会へ明かさぬため、数々の隠蔽工作を走らせる。
そして、回収された罪人の遺体。
それがやや奇妙で、死因は額に撃ち込まれた銃弾3発。
ただ、その死後に胸部が抉られたようで、そこに収まっていたはずの心臓が綺麗さっぱり抜き取られていた。
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