第32話 3人目の復讐者

 徳人をこの手で殺した。


 漠然と、その状況に現実味が追いついてくる。

 待ち望んでいたこと。

 ずっとそのために生きてきた。

 それをようやく果たした。


「や、やったんだ……」


 そうだ。

 笑えばいい。

 笑って、目の前に転がる死体でも踏みつけにしてやろうか。

 そうだ、そうしよう——と、思って結局その気になれず、口の奥から乾いて引き攣った笑みがこぼれた。


——徳人を殺して、殺して、で、結局、なに?


 沙耶香は、その全てを終えた今、色々とわけがわからなくなっている。

 ずっと見ないようにしてきた、目的を終えたその先のこと。


——これから、私はどうすればいい?


 と、働かない頭を必死に働かせ、いや、働かせるまでもなくて、


「そうだ、ケイン、ケインのところへ」


 ケインのところへ行かないといけない。

 そう思ってフラフラとした足取り。

 そうだ、事前に決めていたことだ。

 徳人を殺したんだから、『悦楽の翁』の手勢が動く前にケインを連れて街を出ないと。


 思考は妙にスッキリしていて。


 でも、感情が安定しない。

 無性に涙が出てきていることに、顔がグシャグシャに泣き崩れていることに沙耶香自身は気付けなかった。


 そして、入ってきた扉へ戻ろうとして、背後から


「復讐は生きる糧になる。傷ついた心を埋め合わせてくれる。そうは思いませんか?」


 声が。

 すぐさま振り返ると、金髪の、整った顔立ちの女が立っていた。


「……だれ」


 沙耶香にはまるで見覚えがない。


「ああ、そういえば初対面でしたね。どうも、私が徳人の付き人を務めております。エイブスと申します……いや、」


 異国の顔立ちながら、流暢な日本語


「務めさせていただきました。と言うべきですね」


 過去形で言い直し、恭しく礼。

 身なりは飾り気のないスーツ。


「で、質問の回答は?」


 自分のペースで話を続ける彼女を前に、沙耶香は無言で状況への戸惑いの中、回らない頭を回そうとする。

 主人を殺され、今更何をしにきたか。

 そもそもどこから現れた、と考え部屋の奥、右側に隣の部屋へ通じる扉を見つけた。


「無言……まあ、いいでしょう。では、あなたはあなたの復讐を果たした。だから、あなたは私の復讐に付き合っていただく義務がある。そう思いませんか?」


 やや、発言の意図を掴みかねる。

 だが、すぐ理解して


「それは……徳人の——」


「違います。違いますよ」


 表情が微動だにせず仮面のようだった、それが、ほんの少し、ほころびを、


「私のです——」


 ——初動


 速い、というより動作の起こりを悟らせず、反応をワンテンポ遅らせる身のこなし。

 明らかな訓練と実践で磨き抜かれ既に気の抜ける沙耶香に反応できる代物ではない。


「え」


 首を掴まれ、その瞬間、速やかに命を吸い取られた。

 体重そのままに背中から倒れ


——10秒後


「……あ」


 覗き込むエイブス。

 挨拶代わりの殺害。


「目覚めましたか、目覚めましたね?……そういえば、あなたは何も知らないんでしたっけ。私も、あなたも、同じように盧乃木家当主とケイン・レッシュ・マの子供であることを」


 ぼんやりした頭で沙耶香は聞いている。

 耳に入っても意味が読み取れない感じ。


「ただ、私の場合、100年以上前の当主、盧乃木蔵一郎とケイン・レッシュ・マの子供……ですけどね」


 事実を淡々と告げた。

 エイブスは未だケイン・レッシュ・マと盧乃木家の関係が浅かりし頃。

 盧乃木家の人間が容姿に白人の要素を多く残していた時代。

 その頃に実験台マウスとして産み出された子供の1人。

 なればその恨みの根源は明白。


「ふふっ……」


 笑った。

 エイブスが笑った。

 彼女自身笑っておきながら、その事実に彼女自身が1番驚く。

 思えば沙耶香に話し始めてから発言も、やけに饒舌で。


「久しぶり……久しぶりです。笑ったの。心が沸き立つ感じ」


 破顔。

 微動もせず静かな水面の如き感情の波が大きくうねる。


「ふは、あっはっ」


 そこから先は濁流の如く、笑いが止められなかった。

 待っていた。

 待っていたんだ。ずっと。

 ずっと……ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと……待っていたんだから。

 この状況を。


 盧乃木家での実験の日々から抜け出して、

不老不死を殺す目的の、実を結ぶか分からない実験でいじくり回された心と体を抱えて。

 そして『悦楽の翁』に拾われ100年以上。

 この時を待っていた。

 

 盧乃木家という恨めしい家に復讐をもたらすその時を。鬼畜の家には鬼畜の所業をもって罰を下す。つまりは根切り。族滅を果たす。

 だから、盧乃木沙耶香には盧乃木徳人を殺してもらう必要があった。


 盧乃木徳人は『死』を『消失』させる。

 自他問わず究極的に死を遠ざけ、彼はいかなる手段でも死ななくなり、あろうことか他者が自分へ向ける殺意すら消してしまう。


 それを唯一打破しうる存在の盧乃木沙耶香が不可欠だった。逃してはならなかった。


 少し想定と違ったが徳人は殺され、この世に残る盧乃木家の人間は残す所ただ1人。


 その1人を自分の手で殺せないまでも嬲り放題に嬲り尽くせる。

 それも実質的に現当主たる盧乃木沙耶香を。


「復讐が心を埋めてくれるか、教えてくれないなら試させてください。あなたも散々人を殺したんでしょ?なら、それぐらいされても文句は言えないはずですよ」


 あえて、攻めるような口調で言い放つ。

 彼女は今人生の絶頂にある。

 完全にハイになっている。

 ハイになっているが、心湧き立つエイブスに対し、沙耶香は仰向け、無言で天井を見上げていた。

 話を聞いているのか聞いていないのか。


——イラつく


「なんか言えよ……」


 情緒不安定に口調を荒くし、静かに呟き、


「なんか言えよッッ!」


 次はヒステリックに足を沙耶香の腹に叩き込む。

 押し込むようにめり込ませ。

 苦しげなその顔を楽しむように、再び振り下ろし、何度も何度も飽き足らず。

 その度に呻き、口から唾を吐く沙耶香の苦悶。

 自分の中にあったはずの恨みを奮い立たせ、遂には内臓を破裂させ血を吐かせながら、1度殺したところで、蘇生を待つ間エイブスは足を止めた。


 そして、感情のコントロールが効かない自分にようやく気づいて、冷静さを取り戻し、感情を正常に、凪のように。


「……時間はまだありますし……」


 そう言って、この状況。

 不毛を感じ始める自分の冷静な部分を打破する手を思いつく。

 そして、蘇生した沙耶香へ開口一番


「あの男、後藤でしたっけ」


 沙耶香が『後藤』という単語にピクッと身を震わせ反応


「殺した後、雨の中で放置したので、水吸って膨らみはしないまでも皮膚なんかふやけてデロデロになったんじゃないかなぁ。どうでした?ね?教えてくださいよ」


 数秒、ヒリつくような空気の中、見下し、そして沙耶香はバネのように飛び起き、エイブスの首へ掴みかかって押し倒す。

 それにあくまで抵抗せずそのままに。

 背中が叩きつけられても、その沙耶香の顔をジッと見つめ、そのまま沙耶香が首を締めキリキリと気道を塞ぎ怒りのまま縊り殺そうとして、


「いい表情……いい表情、し始めたじゃないですか」


 挑発になお無言で返し、その目で意図を訴える。

 純然たる殺意と躊躇いのなさ。

 おそらくいろんな皮を剥いた本質こそこれだと、純然たる殺意だと、その事実を刃物で突きつけるような眼差し。


 ただ、それを数秒続けた矢先、沙耶香がパタリと前のめりに倒れエイブスにもたれ掛かり——死んでいる。

 そのエイブスは空気を求め咳き込みながら、一言。呆れたように。


「本当に殺したいなら魔術使わないと……ま、お互い死なないんですけどね」


 首を締められてる間に魔術で命を吸い取った。


◆◆◆◆


 沙耶香とエイブス。

 2人は奇しくも同じ『死』を『流転』させる魔術を保有。

 同世代では血縁関係があろうと同じ魔術カテゴリーの目覚めることなど滅多にない。

 しかし、いくらか世代を挟めばこういうことは起こりうる。


 そして、距離を取れば遠距離の撃ち合い。

 互いが互いに己の周りに形成しうる最大数の『死』の具象たる黒い液状球を出現させ、間髪入れず撃ち込むが、その全てが決定打にならない。


 銃声の無い静かな機関銃を撃ち合う様に似た光景は、死と破壊の権化のように、正確にばら撒く様で、射線で互いを捉え合う。

 的を安定させないため互いに脚力で弾道を振り切り機動を続けるが、それでなお狙いは正確。

 元より空気抵抗を無視し、死の概念として飛ぶから、それが的を捉えないなどあるはずはなく。

 ただ、どれだけ撃ち込むところで液状障壁を展開し防げばそれは容易く相殺され、どちらの身体にも一滴たりとも飛沫は届かず、

いかなる物体も生物も区別なく『死』をもたらす魔術は、全く同じ魔術にさえ平等に『死』をもたらした。


 となれば戦闘は至近の格闘戦にもつれ込む。

 この『死』の具象化より素手から直接命を吸い殺す『死』の『内象魔術』の方が幾分か強力で即効性もある。


 だから、相殺されないよう相手の無防備な部位に触れ、殺す。

 その意図のもと、互いに相手の掌、および皮膚に長時間触れないよう捌きつつ、自身の手で触れにかかる徒手空拳の戦闘。


 さながら決まった手順を踏むような捌き合い。そう見えたのはそれが必殺をぶつけ合う速さ故、それを互いに完全なアドリブでやってる様に見えなかったからだろう。

 互いに先を読み合い手を打つ中の拮抗。


 こうなればもはや魔術の良し悪しでなく、素手の戦闘技術の高い方が勝つのは明白。その点でエイブスが優れてた。

 年の功というやつか。


 そして見事に一度吸い殺しはしたが、その10秒後に沙耶香が目覚めて繰り返し。


 繰り返し繰り返し。


 死ぬことは無く何度も生き返るので繰り返し。


——不毛


 その2文字をエイブスは努めて頭の中から追い出すが、事実、全くもって不毛な戦いだった。

 エイブスは一度も死なず、沙耶香は死が積み重なっていく。

 だから、エイブスの目的は沙耶香を殺すことではなくその心をへし折ること。

 何度でも死を味合わせ、それに慣れない沙耶香の心を削り取ってゆく。

 人間と同じ心を持つ存在がそう簡単に死亡に慣れるはずもない。

 その度に死を恐れ、命というかけがえないものが潰える苦痛。

 この世のいかなる苦痛より苦痛。


 そこへ行き着くまで。

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