第31話 断罪
——どこをどう歩いたのか
はどうでも良くて。
ふと気付いて、自分が車の後部座席に寝そべっていた状態から起き上がり、そして、運転席に誰もいないことが気にかかって外に出てみれば、後藤の、なぜか右腕のない死体が雨ざらしにされていた。
だから、生じた思考の空白をどうにかするために、しばらく、その側で呆然として、
なんでかは分からないが、車の中に戻って、ふと、着ているものがボロボロということに気付いて、着替えて、色々よく分からなくなって、口からよく分からない声が漏れて、死体を雨ざらしにしておくのが何かひどいことのようにかんじて、そしてやけに重たい、やや水を吸った死体を車中に運び込んで、なにをすればいいのか分からなくなって、半ば勢いのまま外に出て。
そして気付けば、徳人の根城の高層ビルの前まで来ていた。
車を使えば早かったけども、そうした思考すら頭に上らなくなって、自動ドアをくぐる。
◆◆◆◆
ビルの一階。
受付の女性が呼び止める声を無視し、エレベーターの前までおぼつかない足取りで歩く沙耶香は2人の警備員の男に呼び止められた。
その2人の詰問に、しかし耳を貸す気はなく彼らがトランシーバーで連絡を取ったその時、突如ビル全体に鳴り響いた火災報知器の音。
全階層で響く、その音のせいで慌てふためき誰もが外へ急ぐが結局、警備員2人は沙耶香へ対処してから避難する心づもりで。
一方が沙耶香の肩を掴み無理矢理避難を促そうとして、ただ、沙耶香はその腕を巻き上げる所作でバランスを崩し、その警備員特有のガタイの良さを、足払いをかけ体重そのままに床へ叩きつけ速やかな昏倒へ落とす。
残された1人は慌て、すかさず警棒を抜くが、その手を掴み引き寄せ様に合気の要領で
狙い通り相手の力を利用し肩の骨を抜いて、その痛みに耐えかね床にのたうち回る男。
その2人を残し、未だ稼働中のエレベーターが、まるでタイミングを測ったように開いた。
当然のことながら非難に急ぐ者は皆、階段を使う。
だから、これは、完全なる誘い。
上の階層にいる者が来いと誘っている。
「徳人……」
やや、冷静さを取り戻す沙耶香ではあるが、普段の彼女なら状況に感じるはずの違和を、この時完全に無視していた。
もとより、
その正義を胸に。
◆◆◆◆
沙耶香がビルへ到達したのと同じ時間。
ケイン・レッシュ・マもまた、行動を始めていた。
隠れ家にしていた部屋から外出。
だんだん駅の方へ歩き、沙耶香が居るであろう所へ近付くにつれ人通りは増えて、誰もが、その美しい
奪われつつも誰1人声をかけられなかった。
それは彼女が無邪気さを含みつつ近寄り難き神秘性を見せるため。
謎に満ちて神の様で、しかし興味を煽り、声をかけようにも格が違いすぎて、ケイン・レッシュ・マが美しすぎて必然、自分が見劣りすることを意識して躊躇ったまま見過ごす。
彼女の意を邪魔せぬよう人々は半ば無意識に行動し、人混みの中、聖者が海を割るように、彼女の闊歩する邪魔をしないよう群衆が割れて、その進む先へ道ができる。
それは彼女にとってありふれた光景。
彼女のこれまでの生い立ちは、大方このように成り立ったし、そうあれかしと彼女は産み出されたのだ。
◆◆◆◆
断続的に炸裂音が続く。
その階層で始まる銃撃戦。
銃撃戦ではあるが、火器など一切持たない沙耶香を標的に戦闘員が距離を取り、扉を開け放った部屋に半身を隠しつつ交代で絶え間なく射撃を繰り返す構図。
支給された火器は『FN P90』。
軽量かつコンパクト。
ブルパック構造のアサルトライフルは、装弾数50の物量を誇りつつ専用弾薬により高い貫通力、ストッピングパワーを両立。
戦闘に長ける魔術師相手でも火力不足に陥る事はないが、そもそも、弾が当たった瞬間粉状に砕けたら運動エネルギーは限りなく0に近く——
飛翔する弾全て灰に変える黒い液状障壁は、エレベータから降り立つ沙耶香の目前に展開され歩みと共に宙に浮いたまま前進。
一度、関係無い人々を殺してしまった、この魔術を具現化さす運用。
その使用を躊躇う気もとうに失せ、ただ1人、徳人を殺すため突き進む。
結局、警備を任された彼らの応戦はさして時間稼ぎにならず、奥へ追い詰められ1人、また1人と殺され、それから焦らず扉の中を1つ1つ沙耶香があらためて行くうち、目的の場所、つまり徳人の居室へと遂に辿り着く。
早速踏み込んだその部屋。
懐かしくなる匂い。
ヴィンテージ家具で統一された内装。
天井の白熱電球が煌々と照らし、そこはかつて12歳まで幸せに暮らしていた生家の、その雰囲気を偲ばせる。
(なんで……)
なんで、あいつはこんな部屋に住んでいるんだ。
盧乃木徳人は過去と家族を切り捨てた男。
そう思っていたのに。
そう思っていたのに、少し、それ以上前へ進むのを沙耶香は躊躇った。
躊躇ったが部屋の奥で、重厚な樫のデスクの奥。
木製の椅子に座り天井を見上げる弟をしかと視線に捉え戸惑いつつ奥へ。
一歩、二歩、進んでいくうちに、その様子に違和感を。
漠然とした違和。
ただ、今はそれを無視して、
そうして、徐々に徳人が見上げる視線を下ろし沙耶香に合わせ、目を合わせ。
沙耶香は自分の中に彼へとかける言葉が見つからなかったことに戸惑う。
恨み言を言いたかったような……なぜ、父、美樹鷹を殺したのか、そして後藤も——実際には違うが——手にかけたのか。
それを問いただしたかった気もするが。
それをどうやって言えば良いのか。
唾を飲む。
そして、デスクを挟み、すぐ近く、顔を合わせ、ありし日のその姿を思い出して。
静かに見つめ合う、そんな時間が長い。
「殺しに来たんだね」
ふと、確認のように徳人が述べた。
穏やかな口調。
疲れきっているとも言える。
ただ、その言い方は『咎人狩り』実施を告げに来たあの日の芝居掛かった微笑みが抜け、憑き物が落ちたように朗らかで。
むしろ殺されることを心から待ち望んでいたような気さえした。
——いや、そんなはずはない
「そんなはずは……」
そんなわけが無い。
「そんなわけ……そんなわけ無いっ!そんなわけっ!!」
気付けば喉の奥から思考が
だって、徳人は父を殺したし、ケインも危険な目に合わせし、そして後藤さんを殺した。そんな人間はもっと人でなしでなきゃいけない。
もっと悪い人間で、良心の呵責を覚えなくて。そして、今、この瞬間を切り抜けるために、私を殺す手段を考えている様な、いかにも魔術師らしい狡猾さの、人でなしで無いといけない。
——これが沙耶香の思考
なんで、なんで、自分は殺したく無いと思っているんだ。
なんで、殺したく無いんだ。
なんで、あの時みたいに裏の見えないような、いかにも腹黒い人間を演じてくれないんだ。
——いや、演じて……
本当は分かっていたのか。
全部。
『咎人狩り』の実施を告げに来たあの日の態度が演技臭く感じたこと。
盧乃木徳人が本当はどういう人間か。
たぶん、分かっていたのか。
分かっていたんだ——と、だから、沙耶香は俯き、その時、徳人の手が伸びて、自分の隣に彼が移動していたと、この時、沙耶香は初めて気付き、その手が自分の右手を掴んで、そして、そっと添えるように徳人自身の手で徳人自身の首へ添えさせられていた。
沙耶香の手が徳人の首筋に当てられていた。
——いつでも殺せてしまう
使い慣れた魔術で、ほんの少し念じてやるだけで徳人は死ぬ。死んでしまう。
間近で、見つめ合って、不思議とその意図が手に取るようにわかる気がして、そして、そして沙耶香は遂に待ち望んでいたはずのその展開へと。
沙耶香は徳人を魔術で吸い殺した。
ただ、その動機は結局、徳人がそうして欲しそうだと思ったから。
そのように見えたから、だ。
◆◆◆◆
結局、僕は何がしたかったのか。
死の間際にふと思った。
全てどうでも良かった気がするし、成り行きに任せたかったような気もする。
——多分、ここから先は走馬灯
その生の始まりは母の呪詛で占められる。
生まれた瞬間から与えられたその言葉が結局自分の人生の行先を示していたようだ。
その内容は母、盧乃木和架がその家で感じていたこと。
おそらく母は、盧乃木美樹鷹という男に愛憎入り混じる感情を覚えていた。
語るところによると、一般的な魔術師の家の三女として生まれた彼女は、生まれながらに他家との関係を結ぶ道具として扱われ、そして、そのような扱いを受けたことから愛情に飢えていたのだろう。
だから、盧乃木家という、格としてはそれほど悪く無い家に嫁ぎ、当主、盧乃木美樹鷹からきちんと妻として愛情を注がれていた、その時は生まれて初めての幸福の絶頂だった。
だが、生い立ちが助長した自己肯定感の無さ、そして、盧乃木家がケイン・レッシュ・マという存在を管理し、その怪物を中心に成り立つその特異性から、彼女は美樹鷹の愛が信用できなくなってしまった。
ケイン・レッシュ・マの容姿が美しすぎる故の劣等感もそれを助長。
そもそも、魔術師の夫婦に愛などある方が珍しいが、その辺りの分別がつかなかった彼女は、生まれたばかりの僕を一日中そばに置き、過ごすことが多かったという。
そんな母が僕に盧乃木家への呪詛を吹き込んだ。
それが具体的にどんな口調の、どんな言い方のものだったかは実は具体的に覚えていない。
というのも、ある程度自分で歩けるようになった僕は母が一日中眠ることが多くなってから、部屋を抜け出し、沙耶香と遊ぶことが多くなった。
彼女は、僕に光を与えてくれた。
呪詛しか教えてくれなかった母に変わって、外の世界を教えてくれた。
そんな彼女を母に紹介しようとして、部屋に招き入れて、その次の日だ。
母が首を吊ったのは。
最終的に首を吊った母のプラプラぶら下がるその姿を見て、それに原因が欲しかった。
自分が、沙耶香と母を引き合わせたから死んだのだと思いたくなかった。
だから、その時、僕のうちに盧乃木の家へ漠然とした殺意が目覚めたのだと、理解している。
それを発端とした僕の一生。
なんと無益で無価値だろう。
なんて馬鹿馬鹿しい。
父を殺した罪悪感から逃れようとして、その父を殺した日に——
「君、私と一緒に来ない?」
——『悦楽の翁』の手を取った
父を殺して、呆然と街を歩いて、そして、その街の往来でかの存在と出会った。
『悦楽の翁』アハト卿は30年周期で生まれ変わるから、その時は妙齢の品のある女性の姿をしていたけれど、当時の僕は縋るものがなかったから、それに縋るしかなかった。
でも、どうでもいい。
そう思ってるうちに、部屋へ姉さんが僕を殺しにやってきて——なんだろう。
自分が何をしたかったのか、分かりかけてきた気がする。
——そうか
僕は、ただ、裁かれたかったんだ。
だから、安心した。
「殺しに来たんだね」
いつか、僕に外の世界を。
呪詛に満ちた部屋の外へと導いて、教えてくれた光。
その光に焼かれて僕は死ぬ。
そうなりたかったんだ。
父の、驚くようで、しかし、どこか諦め、納得して全てを受け入れたあの死の間際の目。
「徳人……」
最期のその言葉。
それを受けたその日から、ただ、姉さんに殺して欲しかった。
それだけ、それだけだったんだ。
全ての虚飾を剥ぎ取った切なる願い。
だから、その手を取って、自分の首筋に当てて、
——ああ、優しい
ようやく死ねる。
ようやく。
でも、この先も死ぬことのできない姉さんのことをただ、哀れんだ。
それだけが心残りだった。
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