part4

第30話 3人目

 自分は、どんな人間だったか。


——そもそも誰


 ここはどこ


——私は歩いてる?


 空は狭い。高く無い雑居ビルの合間で雨に打たれ、寒い。

 服はボロボロで、人目を避けるべきと思って裏路地を歩いて、時折遠くから拳銃撃つ者切りかかる者、魔術を放つ者、飛び掛かる者、有耶無耶な数多くの存在を感じて、しかし、掌で作ったビー玉サイズの黒い球を高圧で細く撃ち出せば瞬く間に死んでゆく、その過程になんの呵責も生まれず、ぼんやり茫洋な世界のままを歩く。


 時折、撃ち漏らして接近を許し、押し倒されることもあったが、それも触れれば死んだ。


 足元に死体の山を築いて、歩いて、


 どこへ向かおうとしているのか。


 守りたい人間。


——ケイン・レッシュ・マ


 殺したい人間。


——盧乃木徳人


「……」


 本当に殺したかったんだろうか?


 いや、殺したいんだ。

 あれは殺さなきゃいけない。


「ああ……」


 うわごと。


 何か忘れてる気がする。

 でも、彼を殺すことを求めないと生きてはいけないから……それで、いや


——考えたらダメ


 誰かにそう言われた気がする。

 だから、歩いて。


——誰?


 裏路地の奥から歩いてくる男。

 雨の中でビニール傘をさして。

 ザンザンに降る豪雨をそれが弾いて。

 くたびれたスーツと、その上に羽織ったトレンチコート。


——誰?


 殺さないと、いけないのか?


——疑問


 見知った顔。

 そんな気がして。


「沙耶香……」


 聞き覚えのある声。傘を捨てて走り寄ってくる。なんで捨てたんだろう。濡れてしまうのに。

 でも、わたしに近づいて……


——そうだ、私は盧乃木沙耶香


 茫洋とした世界が少しハッキリとする。

 状況を徐々に理解し始める。

 そして、目の前にいるこの男は


「後藤さん……」


 転びかけた所、両腕で支えられて、抱きしめられる。

 暖かい。

 お互いずぶ濡れなのにそう感じた。


「……ボロボロだな」


 申し訳なさそうな声。

 耳に響く。


「どこに……行ってたんですか」


 嗚咽が混じって、上手く話せない。

 まだ状況は切羽詰まってるのに。

 でも、安心してしまう。


「死んだのかと、」


 呟いて、


「色々とな……悪い。これでも急ピッチで来たんだ」


 極度の疲労と張り詰めた神経の糸がほつれて、沙耶香はそのまま意識が沈んでいった。


◆◆◆◆


 フロントガラスが雨粒を受け小気味良く音を立てる。

 適当に用意した足のつかない車。

 黒い軽自動車を走らせる後藤は、つい1ヶ月前にも沙耶香をこうして後部座席に乗せ、雨の中を走ったなぁ——なんて事を思い出す。


 そうだ。

 こんな状況になってからずいぶん長く感じるが、まだその程度しか経っていない。


 そんな風に感慨深げに思考する中、後部座席で寝息をたてる沙耶香へ少し視線を向ける。

 いくら彼女の着てるものがボロボロとはいえ、年頃の娘の服を後藤の手で着替えさせるわけにもいかない。

 だから簡単に汚れや水気だけ拭き取り、車の暖房をガンガンにかけ、後は毛布を被せてある。

 そして、ひとまず沙耶香を乗せ、こうして移動できたことへの安心と、落ち着きを感じつつ、蘇る罪悪感。


——そうだ、俺が間違っていたんだ


 後藤は前に向き直りつつ、自分への叱咤を続けた。

 結局の所、沙耶香をこんなドス黒い界隈に踏み入らせるべきではなかったと。

 今回、これだけの事態になって、ようやく彼女が自分の心へどれだけ位置を占めるかよく分かった。


 だから、どんな手を使ってでも復讐など止めさせるべきだったと、今では思う。

 だから、これからはそうしよう。

 そうして、普通に。

 どこか誰にも知られない場所で普通に暮らしてもらう。

 そんな夢みたいな展望を胸に抱いたことへ皮肉げな笑みを浮かべ、車通りの少ない高速道路を走る。


 今、この瞬間、彼は沙耶香を連れ街から逃げようとしている。


 ケイン・レッシュ・マを置いて。


 その事を、沙耶香にどう言い含めるかは見通しが立たない。

 でも、それが、この子のためになると、そうやって自分を納得させる。


 多分、この子はケイン・レッシュ・マに関わり続ける限り、魔術師の世界から縁が切れない。


 そんな予感があった。

 徳人の話を全て信じたわけではないが、しかし、その点では漠然とした同意をする。


 ただ、それと同じく徳人の件で後ろ髪を引かれてもいた。


 元が正常だから歪む


 結局、父を殺したのは


——母のため


 しかし、それでは父を殺した自分が許せず、何か都合の良い大義を求めた。


 だから、魔術師とそれにまつわる存在を憎む。


 白々しく、嘘臭く、ただ、父を殺した罪悪から逃れようと足掻く1人の少年が居ただけ。


 そんな彼が再び部屋に訪れ、解放を告げたのが、一昨日のこと。

 直接訪れた徳人は、いくつか後藤と言葉を交わした。

 そして、ケイン・レッシュ・マを置いていくなら、街から脱出する協力をする——そんな丁寧なアフターサービスも添え、送り出された。


「アイツもアイツで……いや、」


 同情するのはやめよう、と切り替える。

 ただ、最終的に徳人をいくらか信用する気になったのは別れ際の言葉のせい。


「ひとつ、警告を……ケイン・レッシュ・マ、あの怪物にだけは気をつけてください。あれは何も手を回してない様で、全てを紐解けば中心に必ずアレが居る。それにね、アレは見ていたんですよ」


 「何を?」と、その時、後藤は尋ねた。


「僕が父さんを刺すところ。扉の隙間からジッと。何一つ責めるわけでも、喜ぶわけでも無い。ただ、予想通り起こるべくして起こったことを淡々と見届ける様に。それがね、怖かった。怖かったんです。だから、せめてアレだけは葬り去りたかった……」


 その発言はこちらを慮ったおもんばかったものではなく、純粋なる恐怖の吐露。

 彼がこれまで隠してきたのだろう弱みをわざわざ見せた、その態度を疑う気になれなかった。


 だから警戒はしつつも、雨の降り続く中、車を走らせ、その視線の先で——ポツンと細長い影。


 最初は何か標識やら、トラックから落ちた荷物がその場に野晒しにされているのかと思いきや、人の形をしていると気付いて、そして警戒を最大限に高め後藤は車を止めた。


 幸い他に走る車がないのを確認し、ザンザン降りの中外に出るが、しかし、目の前の人物を見てそう仕組まれてる疑いを抱いた。


「徳人から聞いてないのかっ。俺たちを見逃せってな」


 後藤はやや声を張り上げる。

 雨のせいで聞こえづらかろうと気を使ったのではなく、むしろ威圧のため。


 そして、威圧を要したのはなるべく戦いたくないため。


 道のド真ん中に、透明なレインコートを着た人物。

 金髪のブロンド。

 女性にしてはやや高めの身長。

 無機質で微動だにしない表情の、身も凍る美しさ。


 徳人のりひとの付き人であるはずのエイブス。


 存在を見咎め、依然として無言のままの彼女を前にどうしたものかと思索。

 状況の不明。

 徳人の言ったことが嘘だったと考えにくいが状況から、そう断じるしか……


「1つ、教えて差し上げます」


 よく通る声。

 しかし声量が強いわけではない。


「私がここに来たのは、誰からの指示でもなく私個人として、です。私自身のためにここへ来ました」


「……そりゃあ、なんでだ」


「『咎人狩り』を続けていただくためです」


「……『悦楽の翁』の指示でもなく?」


「はい」


 ますます、状況が分からない。

 なぜ、徳人に従うはずのあの女が個人的な事情でここに来ているのか。


 ただ、この場を切り抜ける、シンプルな方法。目の前の女を後藤が殺す——という事。


 沙耶香は戦力として当てにできない。


 そもそも後藤はそうしたくない。

 しかし、武装は至急調達した使い慣れないリボルバー1丁に装填済みの弾薬六発に加え、ナイフが一振りのみ。


 一度、目の前の女に不意打ちを許してる点を加味して、格上は向こう。

 何ひとつ芳しくないが、車中の沙耶香を思えば引き返す選択は無い。


 だから、命を賭してでも。


◆◆◆◆


 対峙する二者の向き合う時間は短く、互いが体を濡らす中で先に動いたのは、後藤。


 初手、拳銃を抜きざまに放つ。

 2射。

 牽制がそれ以上に意味を持ったのは狙いが正確だったからに他ならぬ。


 誤たず捉え、しかし、片方を避けてなお、もう1発が逃げ道を塞ぐ弾道のいやらしさをスリ抜け迫るエイブス。


(……だろうな)


 驚きはない。


 あの女へ銃撃したとして、それが真正面で銃口の向きと発射タイミングを掴めるものだったなら軌道を見切るのは容易かろうと予測。

 そういう意味で誤魔化しの効かない武器だコレは。


 だから、銃把を支える手のうち、左をコート内に潜り込ませ引き抜いた刃物。


 早急に調達した全長30cmのナイフは、値段の割に手に馴染み、結局、銃撃はその隙を作るためだけのもの。


 対し迫り来るエイブスは、無手——いや、


 やや前傾のまま彼女を振り下ろすナイフで捉えにかかった瞬間に隙間を縫うように躱され、その手が、撫でる様に、後藤の首へ伸びて、


「っ、」


 無理矢理倒れる様に。

 飛び退きつつ、逃れた後藤は、仕切り直すため、更に数歩の距離を要した。

 そして、首筋を生暖かく伝う血の不快。


 エイブスの手に隠された全長3cmに満たぬ刃物。それが後藤の首筋を撫でたのだ。


 ただ、かすり傷に留まり、一度見切ればそれ以降捌くのは簡単な一撃。


 だから初見殺しに過ぎぬ攻撃に、はなから頼る気は彼女になく。

 それを地面に放るとエイブスは正真正銘無手の構えを取った。


 徒手空拳。

 

 素手による殺害を意図しているなら、決め手に内象魔術の運用を考えている。


 そう読んだ後藤。


 徳人の付き人をやっていた以上、魔術師の可能性は頭にあったが、それをなぜ最初から使わなかったのか。


 その答えは


「本当は、使いたくないんですよね、魔術……」


 と、彼女自身がボヤく。


「しかし……あなたは強そうなのでっ」


 言葉の切れ目に前へ、飛ぶように。


 それになお右手の銃で応戦した後藤は、躱される前提。


 彼は、こういう闘い方を好む。

 銃撃で相手が死ぬなら良し。

 躱すなら、その動作を利用し出鼻をくじき、攻撃を加えてくるタイミングを誘導。

 誘導して隙をつき本命の刃物で仕留めるコンビネーション。

 ざっくり言えばそうなるが、そもそもこの時、彼の目の前で躱す事なく弾をその身で受けつつ、なおも突進する彼女。

 特攻と呼べる傷を顧みぬ挙動は魔術による回復を前提とするより、もっと根本的に死を恐れてない様な、


 結果として、心臓に1発。


 更にドテっ腹に銃口を捩じ込み残弾全てぶち撒けてなお止まらずに


(不老不死者ノスフェラトゥっ……)


 解釈がよぎり、

 しかし、顔を数センチの距離で突き合わせ、その1に満たない秒の分割の、そのわずかな時間の中、考えるより先。

 反射的にナイフを突き上げ顎下から脳天直撃コースに捻じ込んだ後藤。それは確実な手応えだが、それとほぼ同時、エイブスの手が後藤の手首を掴んで、


——どこか覚えのある悪寒


 後藤が何よりも身近に見てきた魔術とほぼ同質のもので命を吸い取られ、そして、彼の命運は尽きた。


◆◆◆◆


 一度、死の状態に陥ったエイブスが蘇ったのは10秒後のこと。

 顎と首の隙間から脳天へ突き上げられたナイフは、不老不死者ノスフェラトゥの蘇生時の特性により刃は消え失せ、突き出た持ち手だけがカラカラと音を立て濡れたアスファルトに転がった。


 そして立ち上がる彼女に気怠げな様子がないのは、何度も、何度も何度も繰り返し死んできたからで、一度死んだだけで苦しいとか気持ち悪いとか、そういった苦痛を覚えることはない。


 全て慣れきっている。


 慣れきっているが、この頭がぼんやりする感じだけはどうにかならないかと、彼女は毎回考える。

 不老不死者ノスフェラトゥの始祖、ケイン・レッシュ・マの子孫であるところの彼女は死亡時に脳が欠落したぶん記憶に影響する。

 それが原因だろうと聞いていたが、果たして。

 完璧な忘却は忘却した記憶すら残さず、彼女自身に判断が付かない。


 で、それほど死を身近にしてきた彼女は、足元に転がる男の骸の右手が、自身の足首をヒシと掴んでいるのを目に止めた。


 そして引き剥がそうにも剥がせず、結局魔術を使って腕まるまる灰にして外す。

 生物にしろ、物にしろ平等に『死』をもたらすその魔術を使って。


 そして雨の中ストストと、静かに歩いて、


 道半ばにエンジンのかかったまま止まる軽自動車の中、後部座席を覗き、未だ意識を失ったまま毛布に包まる沙耶香の姿を、しばらく眺めていた。

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