第20話 幕間:夢千夜

 彼女にとって現実とはフワフワ浮いて漂う夢の様なもの。

 どこまでも生っぽさがなく、しかし、その身に宿す五感はそれがどこまでも感ずることのできる現実であると主張し続ける矛盾。

 気持ち悪さ。


 そうした全てに飽いてはいるのだが、しかし、だからと言ってやめられるものではない。

 いや、つい最近までは必死こいて、体を張って、自身の体から生み出したその全てを犠牲にし辞めようとしていたが、しかし、それを辞めることを辞めようと、180度考えを翻したのは、おそらくその瞳を初めて見た瞬間からだろう。


 心の芯が熱くなる様に感じたのは、それと同時に脳によぎった閃きのせいでもあるのだが。

 そして……


『結局、君は他者の感情に共感ができない。それはおそらく欠陥ではなく、そうデザインされた、と見るべきかな。他者の思考に惑わされず、利己的に行動し、一方で他者を惑わすニンフェットの無邪気さと処女性を君に求めたんだろうね』


——はて?


『それが、怪物である所以ゆえんって所』


——誰だったか


 これをかつて私に言ったのは誰だったか。

 思い出せない。

 そもそも記憶というのが彼女にとって曖昧だ。

 全てが茫洋に感じられる現実はその一つ一つの記憶を許さない。

 だから、不意に浮上する閃きに頼るしかない。

 

◆◆◆◆


——咎人狩り開始の3ヶ月前


 モノクロームを基調としたゴシックロリィタドレスのその少女は見目の麗しさ、所作の優雅さから、その一般的な日本の団地のリビングに、あまりに不釣り合いだった。


「……久しぶり」


 その様に告げる。

 床の上で足を伸ばし、くつろぎ、そして出された市販の紅茶に口を付けた。

 ソーサーとカップは近場のショッピングモールで買われた一品だったが、シンプルなデザインから少女がそれを使う様はなかなか絵になる。


 その様子を、膝の高さのテーブルを挟み、真正面から眺めていた。


「まあ、覚えてないか。君と前に会った時と姿も形も違うからね。だから、一方的にこちらの伝えたいことを伝えるとしよう」


「近々、この街が物騒な事になる。君の存在をめぐってね」


 紅茶を口に含む。


「といっても君にとってはどうでも……いや、盧乃木沙耶香だったっけ、今、君が執心してる子。あの子にもね、このイベントに参加してもらうんだ」


 一呼吸。


「脚本は私、『悦楽の翁』たるアハト・アハト・オーグメントめが書かせていただきました。本筋は復讐劇。用意した復讐者は3人……かな?しかしこの物語のテーマは愛。親族の愛、恋人の愛。何より歪んだ愛。そしてこの物語の観客もまた私、アハト・アハト・オーグメント。どうぞ最後までご覧なられませい……ってとこ。ま、場合によっちゃ君の望む展開になるだろう。君もこのイベントの参加者なんだから……」


 アハトと名乗った少女は普段のわざとらしいまでの童女じみた振る舞いがまるでなく、ただ落ち着いて、淑女の様に話を終えた。


 そして、立ち上がると玄関の扉を開け出て行き、ちょうどそれとすれ違う形で


「ただいまー」


 愛しい人、愛しい……


 沙耶香女の子が帰ってきた。

 いつも、学校が終わった後は夕飯の買い出しだけしてまっすぐ帰ってくるので、今は、午後の18時ごろか。

 元々時計や暦なんて何も意味をなす概念ではなかったが、他者と生活を共にする上で、その辺りの感覚は身につけていた。


 そして、


「あれ?」


 靴を脱ぎ、台所の冷蔵庫まで行く道すがらで沙耶香はテーブルの上に置かれた1セットのカップとソーサーを見咎め、


「誰か……来てた?」


 声がやや低くなる。

 それは物騒なケースを想定してのことだろうが、


「んーん、私が飲んでただけ」


 そうやって言えば自然と警戒を解いてくれた。その表情の遷移をしばらく眺める。


◆◆◆◆


——咎人狩り開始から、10日目


「……夢」


 夢を見ていた。

 いや、いつぶりだろう。夢を見るのは。

 なんて感慨に耽りながら目を覚ます。

 ベッドから起き上がり……沙耶香のいない部屋はそれだけで色褪せてしまうが、この所数十年ぶりに寝たフリではなく、正真正銘熟睡ができる様になったのは、もうすぐ、自分の生に光が見えるから、だろうか。


 有体に言えばもう直ぐ夢が叶いそうだ。


 そんな予感にケイン・レッシュ・マは心を躍らせている。

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