part3

第21話 目覚め

——咎人狩り開始から12日目、8:00


 土曜日の朝。

 外に面した壁一面を1枚の窓ガラスとしたために、その部屋は朝日が差し込んでいた。


「……盧乃木家はケイン・レッシュ・マに取り憑かれた家。アレを殺す為にあらゆる手を尽くし……それで、その影響で大陸を追われ、この極東の日本まで逃げたわけ。だから、実は僕の血にも白人の血が混ざってる……もう、純粋な日本人と見た目は変わらないけどね」


「ふーん……お、この肉美味い」


「当時の当主も蔵一郎って、名前だけ日本風に変えて……って聞いてる?」


 内装はシンプルで、2人が挟み、座る白いクロスのテーブルと椅子。

 他に家具らしきものはない。


 そんな中、ラフカン・A・ハーンは、黙々とステーキを頬張る。

 その食い意地を呆れまなこで見つめる盧乃木徳人は、今、この時ばかりは顔に年相応の少年の色を宿していた。

 だから側目には高校生男子2人が不釣り合いに高級レストランに来たかの様に見える。

 ただし食事を取っているのはラフカンだけ。徳人は手元に水の入ったコップのみを置いている。


「君ね、急に朝食を集りたかりに来て、盧乃木家について教えてくれって言うからその通りにしてるのに……」


「すまんすまん。話は続けてくれ。それと、あれよ。世間では他人ひとの金で食う飯が美味いのが『普通』らしいからさ、やりたくなったんだよ。それに、ちゃんと用事もある」


「用事……ね」


 少し、沈黙が横たわる。

 盧乃木徳人はラフカンが再び口を開くのを待っていたし、ラフカンはちょうどその時、肉を咀嚼していた。


「美味しい?」


 噛みながら首を縦に振るラフカン。

 彼ら2人が居るのは盧乃木徳人の居室。

 咎人狩りに際し買い取った高層ビルの3フロアの中の一室。

 早朝にラフカンが押しかけてきた。


「お前の姉貴、六波羅舞美々に連れてかれたぞ」


「へぇ……」


 手元の水を徳人は少し口に含んだ。


「反応薄いなぁ。あの六波羅舞美々だぜ。こっち裏切って盧乃木沙耶香逃がす可能性すらある。そんときゃ、追っかけて殺してこいなんて普通に嫌だぜ」


「……でも、わざわざ標的のことを聞きにきたってことはやる気あるんだろ?」


「……俺はねえよ。やる気があるのはこっち」


 そう言ってラフカンは食事の手を止め、学ランの右袖を捲った。

 

 その下にあったのはごく普通の、中肉中背の少年に生えているそのものの腕。

 しかし、それをラフカンが左手で軽く叩いてみせた時、まるで陶器を鳴らす様な高音が小さく、聞こえた。


——そして変形


 いや、どちらかと言えば、物理的な変化ではなく、あくまで変化は視覚情報だけの様でスッと間をおかずに幻影の様に切り変わる。


 それは、何と言えばいいのか。

 一見では白い義手。

 白くツヤツヤし、よく研磨した大理石の様な造り。

 しかし、所々無骨に尖り、凹凸も付いていることから……そう、背骨だ。

 背骨と腕を掛け合わせたデザインという表現が1番相応しい。


「『兄貴』は何かを殺したり壊すこと、後は殺す相手の情報を集めるのが趣味だからな。それに付き合わされる普通の高校生の俺としちゃ災難だよ」


 徳人はわざとらしく揶揄からかうように、腹黒い笑みを浮かべて見せ、


「そのアハト卿の傑作の弱点は所有者の意に沿わないってとこかもしれないね」


「傑作?失敗作だよ。俺らは。アハト卿は『双頭の翁』みたいな2種属性、2種カテゴリーの多次元魔術運用を求めていた。でも、俺の方に魔術の才はなく、切り離された兄貴だけがそれを持ってた。俺はただ『兄貴』を使えるだけのごく『普通』の人間だよ」


 『普通』……また『普通』か


 と、徳人は思う。

 ラフカンが時折会話に混ぜるこの単語が気にかかることがあった。

 

 このラフカンは、『老人』の派閥に属す人間には珍しく、いかにも『普通』っぽい山田幸太郎という名を使って、一般的な偏差値の公立高校に通っている。

 成績もちょうど中間くらいらしい。


 まるで、『普通』である事を自分に強いているかの様だ。


◆◆◆◆


——場面は移り、沙耶香

——途絶えた意識の中の回想


 前にもがあった気がする。


 と、ふとその思考を浮かべたが、肝心のが具体的に何なのか分からず、私の記憶は何というかフワフワしている。

 だから、少しばかり夢の中で思い出してみようと思った。


 たぶん……お母さん。

 遠い昔、そう、お母さんのいる部屋に、その日、その時は徳人に言われて連れて行かれたんだ。

 徳人はお母さんが大好きみたいで、で、だから、私に紹介したかったのだという。


 2人がまだ幼くて、罪悪感や世界の残酷さを知らなかった時分の話。


 そして、部屋に入って、いや……確か先に徳人が入って、しばらくして笑顔で招き入れられて、その中。ベッドの上で上半身を起こし口元で笑みを浮かべるその少しやつれた黒髪の女性。


「お母さん?」


 自分が無意識のうちに抱える母親の像とは違って見えたけれど、でも、弟の徳人がお母さんと呼ぶのだから、それは私のお母さんでもある事は幼くてもちゃんと理解できていた。


 そして、手招きされて近寄って、ベッドの上によじ登って、その笑顔の顔を真正面に捉え……そこに、何か、よこしまな……


「ちがっ……」


 この時、自分が何を口走ろうとしたのかは覚えていない。

 ただ、何か喋ろうとする前に、その肉のそげ落ちたような細い手で首が締められた。

 その『お母さん』の歓喜の顔をなぜ忘れていたのだろう。

 遠くでわんわん泣く徳人の声が響いていた。


——そして意識が途絶えて、目覚めた時


 カーペットの敷かれた床に寝そべっていた。

 そんな私を徳人が必死に泣きながら揺り起こそうとしている。

 その顔は、悲しみと状況の不理解と、後の大半は罪悪感。


 そして、『お母さん』は、何かを早口で捲し立てていた。その内容は結局意味がよく分からなかったので、何も理解ができず、


「徳人も私から……」とか、「奪うのか」とか、そんなことが断片的に聞き取れた。


 でも、そんな中、唯一はっきり覚えている単語がひとつ。


 『化け物』


 『お母さん』は私を指さしてそう言ったのだ。


◆◆◆◆


——咎人狩り13日目、14:00


 沙耶香は長い夢を見ていた。

 昔のこと。

 しかし、なぜこんな忘れていた事を今更、思い出したのかはよくわからない。

 いや、思い出そうとしたのか。


 しかし、徳人の気遣う様な顔だけは努めて忘れようとする。


 忘れよう。忘れないと、


——自分を正当化できなくなる


「6回、6回もやって同じ結果だよ。じゃあ、本物だ」


「……そうですね。これはお姉様に報告しないと」


 少女?

 突如すぐ前方から響いた少女の声。

 沙耶香は目を開き……

 瞼の隙間から差し込んだ部屋の光。

 しかし、薄暗いため久々に光を浴びた瞳孔は順応をすぐに果たした。

 その光景は……広い一室。

 どこかのホテルだろうか。

 ゆったりとしたスペースの使い方は、家具の間取りから窺える。

 清潔なベッド、しかし、衣服や宝飾店の紙袋がごちゃごちゃと散らばっている。

 床や机の上に至るまで。

 その上で楽しげに小躍りを繰り広げる2人の少女。

 歳の頃は10にかろうじて満ちる程度。

 一方はピンクだったり、柄物だったり、小さな女児がいかにも好みそうなあれこれをごちゃごちゃと身につけた可愛らし気な服装。


 しかし、もう一方はやや異様で。

 お医者さんごっこと呼ぶには実用的過ぎるグリーンの手術着にキャップとゴム手袋。

 丁寧な口調の少女がこちら。


——そして、血の匂い。


「うっ……」


 臭い。


「わっ、目が覚めた」


「目が覚めてしまいましたよ。これはいけない場所を変えないと」


 そう言って手術着の少女が背後に周つて、車椅子を押す。

 そう、沙耶香は車椅子に座らされていた。


 その上、凍り付くように体の自由が効かない。

 正確には首から下だけ。


「え、ちょっ」


「大丈夫っ!」


「大丈夫ですよ。あなたを傷付けるつもりはありませんから。ちょっと抵抗されたら困るので薬は打ちましたけど……」


 そう言って部屋を出て廊下へ。

 車椅子が揺れて、肘掛けに乗せられていた腕が両脇から力無く垂れる。

 照明はことごとく落ちて、廊下は遠くに見えるぼんやりした非常口の灯り以外に光は無い。


 そもそも、この少女たちは何なのか。

 そう思って最後の記憶を探り、ぼんやりとした脳が今のこの状況について導き出せる推論を……


——かなり、まずい状況


 強力な『場』を作り、攻め立ててきたペアの刺客から逃げて、そこから先が思い出せない。


——たぶん記憶が欠けている


 頭を強く打ったのか。

 しかし、この状況で、この少女たちがカタギの人間と結論づけるのは不可能な話。


 何より、この生臭い血の匂いは2人の少女から香っていた。

 大人向けの香水で隠せないほど濃いめで。


「……目的は、何?」


 ガラガラと車椅子で進む中聞いた。

 ホテルの廊下と思しき視界の中、部屋から出てくる人影は無く。

 フロアを丸々借りているのか。


「目的?んっとねぇ、お姉ちゃんと話がしたいんだって」


 意外にも応答があった。

 派手な格好の少女がやや舌っ足らずに話す。

 『お姉ちゃん』というのは沙耶香のことか。


「誰が……私と?」


「私達のお姉様ですよ。六波羅舞美々お姉様」


 車椅子を押す手術着の少女は見た目に反し大人びた声。


——六波羅舞美々……


『ペトル・ゲネシュカ』

傀儡師クイレィシー

『死蔵伯爵』


 かの人物に与えられた異名のうちとびきり有名なのはこの3つ。


 そして、その名と記憶にあった人物との情報が結びついた時、この状況が考えていた以上にまずいこと、そしてこの状況に至るまでの経緯に沙耶香は察しがついた。


 六波羅舞美々があの戦闘に首を突っ込んで、漁夫の利を掻っ攫っていった。


 大方そんなところ。


(たかだか刺客にそんな大物まで……)


 とすると、あの襲いかかってきたペアは


「……殺されたか」


 そして沙耶香だけ、なぜか生きたまま連れてこられた。


 


 


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