第18話 正着

——回想


「なぜあの女を生かした?俺に借りを作ってまで」


 この質問を受けたのは6年前。

 春が過ぎようとする時期だったと六蔵は覚えている。

 それを投げかけたのは兄である舘脇源次たてわき げんじ

 彼とは腹を割って話すことがあり、その折出た話だった。

 お互い取り繕う必要は無いが、相手を殺す必要があるなら躊躇うつもりも無い。

 そんな魔術師の兄弟としては良好な関係を築く2人。


 彼らが縁側に座り、見つめた先は舘脇家の敷地の中、練兵場に設えられたしつらえた空間。

 その脇には桜の木々が植えられて、満開の時期には花見の席が設けられるほどに咲き誇る。


 ただ、その当の花見は1ヶ月以上前に終わり、今はむさ苦しい男どもが葉桜の下で木刀を振るうのみ。

 その状況下、


——どう答えようか


 眺めつつ、思索に耽る六蔵。


 ふと、見つめる先で小柄で可憐な少女。

 つい先日、口利きし、謀殺を取り止めさせたばかりの璃子。

 彼女も男に混ざって木刀を振るい、傍目に見ても動作の機微は文句の付けようがない。


 この話は彼女が発端と言えば発端だが……


「珍しいですね。源次兄さんがそんなこと気にするなんて……」

 

 最初にやや茶化した六蔵を源次は不可解に見つめる。


 その視線が不意に上がり、六蔵と同じ方へ。

 あの場に似つかわしくなく、荒れ野に咲く花に見えた璃子は、しかし源次にとって触れれば侵す毒の花に見えた。

 

 そして何か言おうとして、一度茶を啜った彼は、


「お前は……他人に興味が無いと思ってたからな」


 ずけずけとその様に。


「酷いなぁ……」


 と六蔵は言い返しつつ、源次の言い分も理解できていた。

 そして、こういう時、適当に相手の求めることを話すのが六蔵の処世術であったが、今はそういう気分じゃ無い。

 そもそも兄の源次はその手のものを見抜く洞察に長けている。


 真面目に文武へ励む一方、堅物ではなく、搦手も弄する源次。

 その為に源次は六蔵を気に掛け、裏で手を回し、この家を切り盛りする部品となる事を求めている。


 それを六蔵自身も渋々ながら良しとして、だから、この疑問にはなるべく誠実に答えようと……

 しかし理由が頭の中でまとまっていなかった。


「あの桜の木……」


 花はとうに散った練兵場の桜を六蔵は指差す。

 話しながら、自分の内にある何かを彫り出していく。


「あの桜は単に植物というだけでなく、その下に舘脇家をこの地位まで押し上げた、初代から3代までの当主の死体が埋まっている」


 綺麗な桜の樹の根元に死体が埋まっている——の逆説。

 死体の埋まった桜は綺麗な花を咲かせる。


「そのおかげか知りませんがあの桜は毎年、見事な花を決まった時期に咲かす。——あれは、この家の本質だ。舘脇という巨大な生物を生かすいしずえたれと命ずる……」


 そして、見る者が見れば穏やかで、どこまでも透き通る様な、しかし人間的で人間が好印象を感ずる笑顔の平均を取ったような気持ち悪さで


「ぶっ壊したくなるんですよ、そういうの。全部踏みつけて台無しにしたくなる」


 他の舘脇家の者が聞けば卒倒しそうなもので、しかし源次は変わらず黙り、数秒瞑目して、ようやく口を開き、


「だから従順でありながら、舘脇の家に異端過ぎる、あの女を……か」


 大方察した様だ。

 つまり自分と同類のものが欲しかったという——そんな理屈と理解した。


「異端とまで言えるかは疑問ですがね」


 六蔵は話し終えて茶に口を付け——少し冷めたか。


「……1つ聞くが」


「はい?」


「本当にそれだけか?」


「それだけ……とは?」


 源次はやや上を向く。

 言いづらいことを言う時分の癖。

 彼という人間の唯一分かりやすい部分。


「いや、お前があの女を見る目がな……」


 六蔵は首を傾げたが、しかし源次は聞きたいことは聞けたとばかりに空の湯呑みだけ残し、立ち去った。


◆◆◆◆


——咎人狩り9日目、20:18


 六蔵は腕の中に璃子の姿を抱えて心の内、


——半身が削がれた気がする


 のは気のせいだ。

 落ち着いて自分に言い聞かせていた。

 そういうことにした。

 ただ何と言うべきか、身体が妙に気怠く感じられた。


「璃子……」


 手元に虚な表情のまま転移させた璃子の、傷一つない顔。

 返り血に塗れているが、それでなお美しいと六蔵は感慨を心の内に抱いた。


 そして、改めて述べるが、六蔵が『耨歹・咬邵廟ぬがつ・こうしょうびょう』の転移で移動させうるのは、彼自身、彼の創造物、そして彼が愛用する物だ。


 魔術の理屈上、死体は物。


「……」


——切り替えよう


——ただ、指が震えて


 開いた璃子の目を閉じさせた。

 その間、六波羅舞美々はトコトコ歩いて斬り飛ばされた頭の下半分と上半分を回収。

 拾い上げて、雑にバーガーを作る手付きに似てベチャリと元あった箇所に順繰りに載せて、それはほんの少しのズレを1人でに修正して癒着。

 元通りのニヤケ面。

 人形じみた中性な美形が元通り。


 しばらく試す様に眼球をゴロゴロ。

 眉毛をピクピク、ピクピク。

 人形みたいだ。


「ちゃんと動く……ねぇ!」


 六波羅舞美々より、六蔵へ一声。

 もとより他者へ共感性を見せない振る舞いは変わらず。


「その娘さぁ、もう死んじゃってるでしょ。私にちょうだい。ねぇ、いいでしょう。私ならその腕治せるよ!」


 俯いた六蔵のその瞳が六波羅舞美々へ向けられ、それが、


「うわぁ」


 ああ、多分、六蔵自身も気づいていなかった。


「めっさ怒ってるよ……」


 ただ、静かに、殺意を込めて。

 全身の皮膚が粟立って、怒髪が天をつくようで、怒りに駆られ全身掻きむしって皮膚を剥がす様に、何より自分が許せないので衝動的に自分で自分の指を折ってしまうかの様に——


 そもそも他に手はあったのか、と、不意によぎった考えはおそらく自分を責めたいがためだろう。その思考は隙になる。


 だからそれを押し流し、落ち着くためには丁度良い八つ当たりの相手が目の前にいた。


 八つ当たり、全部八つ当たり。

 魔術師同士闘えばどちらか死ぬのは必定。 

 で、あるなら、相方の死にわざわざ心を揺り動かされるなんて、なってない。

 なってない。


 だが、あのふざけた女は殺す。


——それだけだ


 だから、一見では舘脇六蔵のこの時の顔は穏やかに見えた。

 ただ、底冷えする冷たさを孕んで。


 それを受けた六波羅舞美々は、唐突と言えば唐突だが彼女らしく


「めんどくさ」


 そうやって言い放ってしまった。

 もう全部が急に面倒臭い。

 なぜ、この人はこんなに怒っているのか。

 六波羅舞美々にはとんと分からぬ。

 生けとし生けるもの、皆死ぬのに。


 例えるなら、話し相手が急に気に障った様でキレてしまって、その対処に手を焼く想像をし、無性に帰りたくなる。

 そんな感じ。


(すでに収穫はあるしなぁ……)


 チラと床にぐったりと寝そべる沙耶香の方を見た。

 壁に強めに叩きつけたので、首の骨が折れてないかと、六波羅舞美々は最早それだけを心配し、なら、ここからさっさと出なきゃいけない。

 なら、この作られた『場』の術者を殺すのが手っ取り早い。


「やるかぁーー、あー!めんどくせっ、めんどくせーーー!」


 ひとしきり内心を吐露した挙句に


「へーんしん!」


 そうやって唱えたのは気まぐれだ。

 本来こんな掛け声なしで肉体は意のまま自在のまま。


——対する六蔵


 舘脇家に伝わる秘伝のさらなる1つ。


 『永楽心中』を解放。


 そう、解放するのだ。

 すでに術の用意は整っている。

 まず、『耨歹・咬邵廟』の中であるということ。

 あらかじめ仕込みを済ませた生贄が手元にあるということ。

 生贄は——璃子。

 彼女を使う。

 元より舘脇の魔術師を護衛するという事は有事の際、生贄となることも意味する。


 だから、後は舘脇六蔵の意のままに。

 そして、最後、彼が恐らくこれまで一度も発したことない静かな声音で、申し訳なさそうに。


「……璃子」


 呼びかける様にそれだけ言って『永楽心中』の解放。

 璃子の死体は不意に1人でに六蔵の腕の中を離れ立ち上がり


——しかし、そこに彼女の意思は無く


『耨歹・咬邵廟』の『場』に、ひいては舘脇六蔵の『内象世界』に呑み込まれ


——溶けて


 一体となって。

 そして、数度しか召喚されたことのない、舘脇家秘蔵の悪魔がこの場に現れた。

 本来なら舘脇六蔵の『内象世界』にいるはず無い、過去十代以上に渡り、血縁という繋がりの中で時に人柱を捧げ、時に当主の骸を捧げ、普段はあらゆる封印の中にありながら、しかし、悪魔として1人の魔術師が扱える範疇で最高峰の一角。


 それが今、ここに……


◆◆◆◆


 挽肉が2つ。

 それが戦闘の途中経過だ。

 いや、そもそもそれが戦闘と呼べたかどうかさえ、解釈の余地がない。


——あまりに一方的で


 容赦がなく


——残酷なのは、それが食事を目的として動いていたからだろう


 前回の使用から実に23年振りの目覚め。

 で、あれば術者である舘脇六蔵の許可のもと、それは胃を満たすただその一点の曇りなき目的のもと限られた自由を謳歌する。


 しかし、それは見た目の野蛮さに比して意外にもグルメだったのだ。


 ソレが背中から生やす6対の皮膜状の翼に似た翼手は各々異なる武器を持ち、その内一本の腕で握られていた石造の車輪でそれは六波羅舞美々だった肉塊と比較的人型だったそれを引き潰した。


 そして、別の腕で握られた、対象を何ら防御手段のない白い炎で焼くことを可能とする金剛杵で発せられた火炎放射で炙って、後は腹部に開いたすり鉢状の腹に押し込んで、ミキサーの様にバラバラにして食べた。


 そして、この間六波羅舞美々がしたことと言えば、引き潰される前の


「うわ、ちょっ、待っ」


 という断末魔だけという始末。

 事の苦労の割にはあまりにあっけなく、そして、ただ舘脇六蔵の心中に虚しさと徒労だけを残していった——かに思われた戦況が割合容易くひっくり返されたのは、その『耨歹・咬邵廟ぬがつ・こうしょうびょう』の内に新たに、3つ、パッションピンクのスーツケースが、一階の広間に出現したことを舘脇六蔵が認めたその瞬間からの出来事。


「なに……」


 『耨歹・咬邵廟ぬがつ・こうしょうびょう』は閉じ込め、抹殺することに特化した『場』。

 つまり、それに特化している分、侵入という行為自体はそこまで難しくない、とも言える。

 ただ、それは脱出という行為に比べて、という意味だ。

 伊達に数百年続いた魔術師の家系ではない。

 いや、そもそも


「……まさか、解析に当てていた?」


 六波羅舞美々は先の戦闘の時点でこの『場』の中に2人いた。

 なら、仮にそれよりさらに居たとして、そいつらがこの『場』の解析を進めていたという推論に辿り着き、

 

「「「御名察」」」


 3人の全く同一の声が各スーツケースの、1人でに半ば空いたジッパーの奥から響いた。


◆◆◆◆


 舘脇六蔵、璃子のペア、そして六波羅舞美々が戦闘を繰り広げる百貨店の、道路を挟んだ向かいの雑居ビルの屋上。

 夜風が吹き荒ぶ。


「どうやら、勝負は付いたみたいですね」


 網状の柵にもたれて双眼鏡を除いていた女、徳人の付き人たるエイブスは一言、そう言った。

 ふだん、無口な彼女だ。

 思ったことを必要な時以外に話さないという1人好きな人間の典型例の彼女がその様に言ったということは、その隣に、別の人間がいるということを意味する。


 それは無言で携帯ゲーム機のボタンを叩く学ランを着た少年。

 黒学ランは夜の闇に溶けそうであり、しかし、その姿は典型的な男子高校生のそれであった。

 そして、


「やっぱポケットWi-Fiじゃラグいな」


 それだけ言って電源を落とし、彼のものと思しきスポーツバッグに仕舞い込む。


「ゲーム、ですか?」


 ブロンドの金髪で、青い瞳の典型的な白人である彼女は悠長な日本語で話す。

 

「ん、ああ面白いよ。……んで、なんだっけ。結局どっちが勝ったの?いや、3つの勢力が戦ったから、どの、って聞いた方が良いか」


「六波羅舞美々です」


「……だろーね、俺だってあのババア相手したくないもん。どーせ、最後まで待って漁夫の利掻っ攫ったんでしょ?情報戦じゃぁやっぱネクロマンサーにゃ勝てないよ」


 そう言いつつ少年は立ち上がって、エイブスと同じ様に、彼女の双眼鏡を借りて目の前の潰れた百貨店の一階、自動ドアをしばらく眺めていた。


 そうして、


「お、出てきた」


 自動ドアを無理やり、その腕力でこじ開けた小柄な女。それに続く各々違って個性的な見た目の女性達。計3人。後から続いた2人のうち、一方が人1人は入りそうなほど大型のスーツケースを引いている。

 不意にその3人がピタリと、呼吸を合わせたかの様に立ち止まり、視線を、上げて、


——目が合った


 特に笑うでも、睨みつけるでもなく、学ランの少年とそうしてしばらく視線を交わし、そして少年は立ち去る姿を見届けた。

 双眼鏡から目を離して、

 

「……やっぱ、年の功ってやつかね。持ってる手数が違うわ」


「仮に……」


「ん?」


 エイブスが唐突に問う。


「仮に、彼女、六波羅舞美々とやれって言われたら、どうします?」


「無理、かな。だって今回呼ばれた刺客の中じゃ俺が1番弱いし」


「弱気ですね。ラフカン・A・ハーン……」


「……その名前、やめてくんないかなぁ。ゲームのキャラでつけるんじゃなかった……それと、まぁ、俺は、あれよ。『兄貴』の調子次第だけど、精々死骸を貪るハイエナみたく全部終わった後に手を出すさ」


 そう言って少年は右腕を、何か大切なものをいたわるかの様に袖の上からさすった。

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