第13話 耨歹・咬邵廟

——咎人狩り9日目、時刻は20:00


「後藤沙耶香さん……ですよね?」


 そうやって尋ねた璃子は抜き身の大刀を手にしていた。殺気を放っておきながら一声かけ確認を怠らぬ点。

 それが彼女の本性を表す。

 冷ややかで薄暗く、赤黒い光で照らされたこのフロアにその白刃はよく似合っていた。


(強い……)

 

 少し離れ対峙する沙耶香は口の渇きと首にひりつく圧を感じる。


 間合いにれば、さぱりと死ぬ。


 その予感と右手のマチェットの黒々の刀身を頼りに。

 刃渡り30センチ、片刃。

 向こうの刀にリーチで劣り、取り回しで有利。

 これはセーフハウスにストックしてあった一振り。軍用の払い下げで普段は後藤が使っていたもの。


 そして攻めあぐねて、遠くの方、上の階層?

 天井の向こうから何かなだれ込むような、濁流が押され流される音を聞いた。


(何が……?)


 ここは沙耶香にとって、敵の城。


 『耨歹・咬邵廟ぬがつ・こうしょうびょう


 その名の秘術を使い、舘脇六蔵たてわき ろくぞうがその手で産み落とした異界。


◆◆◆◆


 この時、この展開に至るまでの経緯を話そう。


 まず、咎人狩り1日目13:00から8日目まで。

 沙耶香はそれまで潜んでいたセーフハウスにケインだけ残し、別の場所を拠点としていた。


 一応、ケインにはセーフハウスを離れぬよう言い含め、そして何か異常に備え罠は張っておいたが、そうした訳。

 それは咎人狩りの標的が沙耶香だけだったから。

 沙耶香が標的となった理由は嘘が公布され、ケインについて何も触れず、何も公にされず、だから沙耶香はそれを最大限利用する。

 そもそもケインの存在を徳人が明かさないのは「他の魔術師の横槍を防ぐため」だろう。


『ケイン・レッシュ・マ』


 第7特異点。つまり魔術師垂涎すいぜんの品であり、更にはその始祖。下手に存在を明かせば、外様の魔術師どころか、他の『老人』の介入すら招きかねない。

 だから、咎人狩りはあくまで沙耶香の排除に注力し、その後ケインの回収に乗り出す手筈と沙耶香は見た。


 加え、これだけ魔術師が集まり、多く目がある状況がその説を後押しする。

 だから現状ケインの身柄は十中八九安全と言えて、逆に沙耶香がケインの側にいては『ケイン・レッシュ・マ』の存在が明らかになる危険性。


 よって、現状はケインと離れるのがベター——と考えた。


 そして、ここ数日沙耶香が精力的に進めたのは情報収集だ。

 ただ、かなり乱暴な方法を取っており、どこぞのチンピラより遥かにタチが悪い。


——その一部始終、咎人狩り4日目の夜


 駅近く、スクランブル交差点を望むビルの前に彼女は居た。

 格好は黒キャップにタートルネックとデニム、ダウンジャケットを羽織るカジュアルさ。腰にはベルトポーチ。

 口元にマスクを付け、人波に紛れるように、スマホに集中するよう見せつつ遠く、横断歩道中心の円柱型のオブジェを見ていた。


(アレ、明らかに魔術絡み……)


 そう思いつつ人の知覚でしか捉えられぬ性質で、アレは『悪魔』と見抜く。

 それなら、こんな人通り多い場所に召喚するのも頷ける。

 

 なぜなら、『悪魔』は人の知覚に存在する反面、誰からも観測されない場所で存在の維持は難しいから。

 だからこそ、誰の目にも映るこの場所は、絶好のスポット。

 加え街のさまざまな場所で似た物体の目撃情報がある。なら、アレらは複数に見えてその実、同一の個体。つまり、分体の1つが誰かに観測され続ければ、他の分体は人気の無い場所を好きにうろつける性質と見た。


(目的は捜索か……)


 なら、こんな目立つ場所に立つのは進んで情報を流す行為と沙耶香は分かってやっている。

 誘い出すためだ。


 沙耶香が狙っているのは1ヶ月の逃げ切りではなく、主催者兼監督役たる徳人の殺害とそれに伴う終結。

 個人的な復讐もあるが、仮に1ヶ月逃げ延びた所で徳人がケイン入手のため次の手を打っていると考えるべき。

 だが、徳人を殺せばその背後に着く『悦楽の翁』の勢力が対応を考える隙が生まれる。

 そこに賭けるしか無い。


 だから、徳人の殺害に先立ち悪魔を使役できる明らかな高位の魔術師は、余力ある内に潰しておきたかった。


 だが、この時誘い出されたのは別の手勢。

 おもむろにスマホを上着のポケットへ押し込み、沙耶香はどこへなりと歩き始めた。

 付いてくるのは5人。

 ズブの素人、というわけでは無かろうが、歩くリズムがお粗末で。

 これではそれほど価値ある情報は望めないと思いつつ、歩むペースを早め、走る。


 それに追随する複数の気配、そして人気無い裏路地へ滑り込み、それから事が済んだのは数分後。

 リーダー格と認めた1人を残し、他全員は手で触れ吸い殺したが、それが傍目には一切外傷なく、目の開いたまま気絶してる様に見えることから「全員魔術で気絶させた」と嘘をつく。

 加え、「こちらの知りたい事全て話たら解放する」ともう1つの嘘を。


 そうして聞き出したのが、


・主催者の盧乃木徳人は咎人狩り始まって以来、一度も拠点を離れていないこと


・盧乃木徳人が今回の咎人狩りに際し、直々に刺客を呼んだこと


 の2点。

 その整合性は何度か同じ事を繰り返し、ゆくゆく取っていくとして、で、この男を生かすデメリットがメリットを上回った。

 だから剥き出しの首に触れ、吸い殺す。


「……」


 沙耶香はここ数日のうち殺人への抵抗が減っていると自覚する。

 咎人狩りという特殊な状況下で、それでいてケインを守る使命感がそうさせるのか。

 だとしたら、もう普通の日常へは戻れないだろう。そんな予感を意識しつつ、しかし、「ケインだけは何としても……」と決意改め、淡々と事を進めた。


 当たり前だが、魔術で殺した死体は、死因から多く情報を与えてしまう。

 つまり「どう殺したか」から魔術の性質を割り出される恐れがあるのだ。

 特に今回の様な敵がどこにいるのか分からない状況では徹底した処分が望ましく、沙耶香の魔術はそれにも秀でていた。


 彼女の魔術は生き物は即死させ、物は灰に変える。

 そして、死体は物、だ。

 ここ数日、標的を始末した後はいつもそうしてきた。


 だから、沙耶香が去った後の裏路地には地面に散らされ、砂や砂利と区別付かなくなった灰だけがいつも残されていた。


◆◆◆◆


「相手、隠れる気が無いなぁ」


 六蔵と璃子は例の四畳半の庵に集まって、ここ数日の情報を吟味していた。

 元来、咎人狩りの罪人は隠れ、逃げに徹する定石が、当てが外れた。


 そうなれば標的の目的は何か。

 簡単に察しはつく。


「誘われてますね。なんと言うか好戦的です」


「それは嬉しい限りだけど、手の内を徹底して隠してるな」


 六蔵が召喚したあの円柱は、標的の存在を度々捉えつつも、その戦闘場面に立ち会えていない。

 まず標的の女が徹底し、隠れ戦闘を行うこと、かといって無理に寄れば相手の魔術次第で被害が及ぶこと。

 この2点が理由。

 だが、指を咥え続けるのは避けたい。

 他の刺客に獲られる。

 六蔵の魔術で漁夫の利を攫うのは難しく、そも舘脇の魔術は奇襲に向かず、誘い込み仕留める罠に似た性質。


「後、数日粘って……仕掛けようか」


 だから、護衛の役目も兼ねながら、罠に追い込むための璃子。

 彼女はいわば狐狩りの猟犬。

 獲物を追い立て、主人の元へ運ぶ忠実なしもべ


◆◆◆◆


——咎人狩り9日目、時刻は19:55


 その日はやけに空気が乾いていた。

 それでも生来の体質なのか、スキンケアなどしなくても肌のカサつきを感じたことのない沙耶香は、その日も獲物を探す。


 既に以前得た情報の整合性は取れていた。だが、それでも続けるのは、全く動きのない刺客が気にかかる事、後は自分を狙う有象無象の魔術師へ心理効果を狙ってのこと。


 これまで、沙耶香は獲物を釣っては殺し死体を残さぬ一連の流れを繰り返していた。


 この死体が残らないというのがミソだ。


 死体が残っていれば、それは標的が手強いことを表す。

 しかし、死体すら残さず側から忽然と消えてしまったように見えるなら、それは何も情報が無く不気味でしかない。


 そうした無知からくる恐怖の牽制。


(しかし、問題は例の刺客か……)


 後顧の憂いを断つため全員始末はしておきたい。

 質を考えると、あの堂々手勢を召喚する悪魔召喚士デビルサマナーがその1人と考えられるが、少なくともそれ以外に2人いると情報は得た。


 場合によっては戦闘を避けることも……


 そう思いつつやって来たのは数日前、獲物を誘ったスクランブル交差点。


 行動を予測させないため場所と時間はランダムに決めていたので、これは本当に偶然。

 だが、近くのビルにもたれかかった瞬間、遠目に見ていた交差点中央のグロテスクな円柱が元から何も無かったようにスッと消え、


(……)


 それにざわつき眺めに集まる群衆。

 その余波が徐々に広がり皆そちらへ注目する中、沙耶香へ向けゆっくり歩む少女が1人。


 歳の頃は16か。

 ワイシャツにロングスカート。

 洋装でありながら奥ゆかしい雰囲気。


 しかし何より目立つのは左手に提げた日本刀。

 いや、正しくは刃渡り80センチの大刀か。

 鞘におさまったそれが、小柄な体に不釣り合いに大きいそれが、収まるべき所に収まる一致を感じさせるのは何故か。


(まずい)


 と思った瞬間には身を翻し疾走を始めていた。

 振り返るまで無い。

 背中にヒシッと悍ましいおぞましいまでの殺気と鬼気迫る気配が離れない。

 大して温まってないはずの身体に嫌な汗が伝う。


 人々がスクランブル交差点へ向かう中、それに反する2人。

 それを横目で見る者はいてもわざわざ注目する者はいなくて、


(あれは、何)


 さして沙耶香と歳の変わらぬ少女。

 なのに、あれを目にすると何故寒気がするのか。悪魔とか化け物とか、そんな呼称はむしろ生優しく。

 言うなれば剥き出しの刃物、あれに殺気を向けられた瞬間、どうしようもなく死を突き付けられる。


 そして、何故逃げたのか沙耶香は自分でも説明がつけられなくて、ただ、戦闘を避けろと本能が囁いて……


——その瞬間に沙耶香は胃の内容物を全て吐き出した

 

 しゃがみ込み口元のマスクは引きちぎり、

急に空間の上下左右が反転し、内臓がシェイクされる不快感を味わった。

 口の端から涎が垂れ、涙が意図せず漏れて、口の中が酸っぱい。気持ちが悪い。

 えずく。


 しかし、そうした感覚が鈍くなる程遠くに来た様な光景。

 つい数秒前まで人通りある道を走っていたのに、視界に広がるのはどこまでも広がる赤黒い空間。


 だが構造には見覚えがあった。

 駅から離れた場所にあり、客足途絶えて数年前潰れた百貨店。


 けれど、人はおらず、商品すらない伽藍堂がらんどうゆえ気付くのが遅れた。


 そして、背後でわざとらしい足音が。


 沙耶香は速やかに背中、ダウンジャケットの内からマチェットを抜き、振り向く。

 目の前には上層へ続くエスカレータ。

 その手前に先まで追いかけてきた少女が手の内で抜き身の刀を引っ提げて、


——咎人狩り9日目、20:00


「後藤沙耶香さん……ですよね?」


 尋ねた。

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