第12話 1日目:観測

 思い出が時に脳味噌の奥から湧いて出る。

 それが一際美しければ良いことだ。

 辛い今を生きるため、誰しも感傷に浸りたくなる。

 人生は辛いから。


 だが、沙耶香がその時浸った思い出は、確かに美しくはある。

 でも、あまり思い出したく無い物だった。


 かつて西洋趣味の屋敷で過ごした日々。

 父と過ごした優しい思い出。

 そして、父の目を盗みつつ、時折ケインに会いに行く事もあった。

 父は案外物を隠すのが下手で、ケインの住まう地下室の鍵はいつも簡単に見つかった。


 そして、いつも自分の後をつけて来た彼の存在。ケインに会いに行く時、彼を撒くのにとても苦労した。

 でも、自分に従順で、聞き分けが良く素直で、言葉少なに好意を示してくれた彼の、徳人の笑顔は


——違うだろ


 思い出にノイズが走る。


 足元の絨毯に血のシミが広がってゆく。

 徳人の手には刃物。確か盧乃木家保管のアンティークナイフ。

 窓から差し込む斜陽はその様を照らし、口を開き何も理解つかぬまま死んだ形相の父。


「あえ……徳人、え?」


 困惑が心を埋め尽くしていった。

 床が非現実で沈んでいくような。

 でも困惑はあっても恨みは無かった。

 父を失った悲しみはもちろんあった。

 でも弟へ向けた愛情も本物だったから……


——違うだろ


 え?


——あれは、あいつは殺さなきゃいけない


 困惑が恨みに、愛情が憎悪に転じたのはいつだったか?

 その記憶はいつも曖昧だ。

 そもそも、この一連の記憶は何かおかしい。


 何かが。


 いや、これはもっと常識的な話。


 だって、父と娘と息子がいたら、家族にはもう1人いるはずじゃ無いのか?


 でも……なんで、


——起きて


 ああ、温かい声だ。

 ずっと聴いていたいと思ってしまう。

 ずっとそばにいたいと思ってしまう。

 だから、起きないと。

 そうだ。

 これは夢の中だ。


◆◆◆◆


——咎人狩り1日目、時刻は11:00


「うあっ……」


 眩しい。

 開け放たれたカーテンから、直射で日の光が目を焼く様に差し込み、沙耶香は思わず顔を背けた。


 背けた先では、まさしく目と鼻の先にケインの顔。

 白く、美しい少女の顔が目の前に。

 ややまどろんでいたらしく、彼女はゆっくりと目を開き、


「おはよう」


 そう言って微笑む。


「えっと、おはよう……」


 ボヤつく頭。

 沙耶香はベッドに寝ていた。その脇で膝立ちで前のめりにもたれかかるケインがこちらを見つめている。

 しかし少しずつ曇りが晴れる様に、思考のキレを取り戻し、そして、キュッと心臓が締めつけるような焦りが不意に湧き出て、


(あれ、私、寝て……)


 昨晩は貸し倉庫に行ってから、帰って、そして


(……)


 ケインに抱き止められたのだ。

 そして疲れと安心感に任せ、それはもうぐっすりと眠ってしまった。


(やってしまった)


 この間に襲撃があれば、それで詰みだった。

 そして、壁のデジタル時計を見ればもう11時。既に咎人狩りが始まって11 時間。

 ここ数日、この場所が見つからなかったとはいえ、気が抜けて、


——不意にケインが沙耶香の頭を撫でた


「大丈夫、大丈夫だから」


 慈しむ声。

 心にスッと沁みてゆく。

 そしてほっそりと白い腕が正面から首元へ回された。

 細くはあるが、肉付きは良い。温かい胸で抱き締められ、対極的に沙耶香の細く筋肉質な体へ押し当てられると、そのやわさと温もりが身に染みる。

 その上でケインはソッと頬に口付けして、そうして立ち上がると、


「ご飯にしよっか。もうお昼だね」


 そう言った。

 彼女達の今いる場所。

 後藤と沙耶香で管理するセーフハウスの1つ。


 どこからどう探りを入れても、辿られない、巧妙に持ち主を偽装したアパートの一室。別の部屋に住人はいない。

 立地は都心部を離れ寂れたシャッター街の裏路地、錆びた階段からしか入れぬ2階の角部屋。


 大勢から手荒な手で命を狙われるこの状況で、重要なのは人目の付かなさ。


 ケインにはここを拠点にしてもらうつもりでいた。


◆◆◆◆


——咎人狩り1日目、沙耶香が起きたのと同時刻


 都内、スクランブル交差点。

 高層ビルが十字型の広い道路を囲み、駅に近いことから日夜問わず常に人通りのある、人の群れでごった返す場所。

 その中心、つまり横断歩道が『×』に交差する点で、午前9:00頃から奇妙なものが目撃され続けていた。

 そう、目撃されておきながら、撤去される、警察が対処する等々、そのような事はまるでない。

 ただ通り行く人々皆訝しげいぶかしげに見つつ、すれ違ってゆくだけ。

 時折スマホ片手に撮影を試みる者も居たが、何も映らず、ただ茫洋として音も立てずソレはそこにあるだけで、だから暫くしばらくそれに困惑しても、いずれはどこかへ去っていく。


 ソレの見た目を強いて言うなら現代アートだろうか。

 立体物の、どこか軟体のタコのような皮膚。しかし滑るぬめるような感触には見えず、厚いゴムに似たモスグリーンの表面。

 形状は一言で言えば円柱だ。

 高さはあろうことか3メートルに達し、直径は50センチと遠目に見れば細長い。


 そして高さのせいで誰も見なかったが、その円柱の上の面には無数の、玉虫色の瞳の眼球が剥き出しに張り付き、ゴロゴロ無規則な回転を繰り返していた。


 そして、この場所がソレの出現した地点の中、最も人が多く、最も目立ったので文面でSNS上に共有されたが、これと同じものが実は都内6箇所に同時期に現れていた。


 時折それに触れてみようとする者もいたが、まるで空気を掴むみたいで感触が無い。


 人の視界においてのみ観測できるそれらは、種族という区分で『悪魔』と呼ばれる。

 魔術師の世界では。


 『第7特異点:6匹の怪物フリークス』が一角、『悪魔』。

 その性質は人の精神に寄生し、人の知覚でのみ存在が保てること。

 であれば、自身の精神、つまり『内象世界』で現実を捻じ曲げる魔術師達にとって隷属させる事すら可能。


 そしてこの時、これら奇怪なる円柱を操るのは……


◆◆◆◆


「うん、7体設置が終わった」


 よく通る男の声だ。


 都内だが、郊外。山間やまあい近く、自然の多く残る場所にポツンと佇むいおり

 上から見て正方形、四畳半の畳敷の部屋の中、満足げに頷くのは舘脇六蔵。


 部屋の四隅の燭台が日中なのに灯され、そして彼は正座で、目の前の膳の盃に手を付け、薬酒を口に流し込んだ。

 そしてエグい物を飲み干した後の顔。


「お疲れ様です。六蔵様」


 そのすぐ脇、正座して見守るのは付き人兼護衛の璃子。ワイシャツとロングスカートの出立ちは昨日着たものとよく似ている。


 だがこの時ばかり、左手で掴む鞘とそれに収まる刀剣がやや物騒で。

 黒漆くろうるしの滑らかな鞘は細かな傷がチラホラ、つかさやつばすらも飾り気に程遠く、ただ使い込まれた日々を偲ばせたしのばせた


「この薬酒……どうにかならないかなぁ、いつも思うけど」


 『薬酒』、と呼ばれたそれは、己が『内象世界』に数多あまた住まわす悪魔を解き放った際、自然、心身に現れる穢れを祓うためのものと父からは教わったが、舘脇家の魔術、即ち『悪魔』を己の『内象世界』に飼い、隷属させ、更には交配させ増やし、必要な時に放つ、この一連の魔術の天才たる六蔵にとって術の反動など無きに等しい。


 だから、璃子はしばし返答を考え、


「私には、解りかねますが、その、いつも通り手順を踏むことで、験を担ぐげんをかつぐ意味があるのではないかと……」


 そんな風に2人は言葉を交わしていた。

 そして、


「さて、標的の捜索はアレらに任せ、ちょっと休憩しようか」


 その言葉と共に2人は狭いいおりを出る。


◆◆◆◆


——更に同時刻


 都内、高級ホテルの一室にて。

 六波羅舞美々ろくはら まみみはベッドの上でスマホを片手に画面をスワイプ。

 続々と映るSNSの投稿を眺めていた。

 ほとんどが文面の情報の中、稀に混ざる画像はなんら変哲のない風景、いや、強いて言うなら、人混みが不自然に割れてるスクランブル交差点。

 それらを見て一言、


「派手なことするなぁ……んっ」


 感心する言葉と嬌声の混ざり。


「なにがー?」


 モソモソと舞美々の下腹部の上、すなわち同じベッドの布団の中で動くものがあった。


 女だ。


 なお、その女は全裸で若い肌を剥き出しにし、六波羅舞美々も同じく。


「んー?何も何も、ちょっとSNS見てただけだよー」


 どこか甘ったるい響きを載せた声。

 猫撫で声というやつか。

 彼女達はつい数時間前まで互いの欲望に身を任せ盛りあっていたが、それが一旦落ち着き、舞美々の相手を務めたその女はスヤスヤ眠りに落ちていた。

 それがたった今、起きていたらしい。


 なお、彼女と舞美々とは昨夜知り合ったばかり。

 六波羅舞美々は盧乃木徳人の話を途中で聞き飽きて抜け出した後、ブラブラと街の観光を始めていた。

 夜遅くだろうと都会は店が開いている。


 そしてぶらつき、寄り道した挙句適当なガールズバーに入って、で、目が大きく小動物っぽい好みの女の子を見つけ、今はこの通り。


 そして舞美々はスマホの電源ボタンを押しスリープに、近くの机に投げつけ、そして勢いに任せる様に、唇を小柄な女の子の口に触れさせ、舌をねじ込み、しかし拒まれる事はなく、そうして10秒ばかしはそれを続け、相手がまだ求める様な動きを見せ、小柄な割に大きい胸を押し付けたその瞬間に、わざと離れる。


 可愛く不満げな顔をする彼女に、舞美々はイタズラな笑みを浮かべ、近くの机の上から、錠剤の入ったビニール袋を取る。

 20粒ぐらいのピルが入っていた。


「なあに?それ」


「これはねぇ、気持ちよくなる自作のクスリ♪」


 そして取り出し、相手の女の子に渡すと、彼女はさして迷うことなく口に含み、その瞬間を見定め舞美々は再び舌を入れ、互いの口の中の粘膜で錠剤を溶かす様に、擦りつけ熱っぽくヴェーゼ。舌が絡み独立した生き物の様に。

 頭の中がぼんやりする心地の中で、互いの肉を貪り合った。


 

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