第6話 方針、そして

 ブルーのハイエースの中、2人は無言で座る。

 運転席に座る後藤はアクセルペダルの、その押し返す力を足裏に感じつつ、車を走らせた。


 そして先までの交渉……というより、ほぼ向こうの手のひらで転がされた顛末を苦々しく反芻はんすう


 とにかく、後藤は返答の猶予を3日、取り付けることに成功。

 『老人』からの要求は速やかに従わねばならない魔術師世界での常識、もとい生き残る上策からすれば、奇跡と言って良い僥倖。


(いや、想定してる風でもあった)


 正式な通達の書類一式を揃えて来たにしては、不可解なほど融通が効いた。


 とはいえ、これから先は一刻の猶予もない。だから、沙耶香が普段通学に利用している自転車は置き去りに、ケインの待つ団地へ車で急ぐ。

 そして徳人がいた状況では話し辛く、先延ばしにしていたが、今後の方針を決めねばならない。だから鎮痛な面持ちの後部座席の沙耶香へ後藤が口火を切る。


「これから——「渡しませんよ」」


 食い気味に差し込んだ沙耶香が鋭く、睨みつける眼差しになったことを、後藤はミラー越しに眺めた。

 だが思わず言ってしまっただけで、むしろ気まずくなったのは沙耶香の方らしい。

 だから、取り繕う様に、考えながら少しずつ、彼女は言葉を紡ぐ。


「……これが、どうにもならない状況だってのは……分かってます。でも、ケインをあいつらに差し出すのは嫌です……すみません」


 悪いことをして謝る子供の様な。その目を見ると、やはり彼女も年相応の女に過ぎぬ、いや、過去の経験のせいでむしろ精神的に未成熟になってしまった気配を後藤は感じた。

 だから、そんな彼女を見ていると、安易に否定する気になれない。

 だが、


「『老人』に逆らうのは、つまり魔術師の世界で、いや、そもそも表の社会でも居場所を無くすってことだ」


「……はい」


「お前は、分かってない、分かっちゃいない……クソっ」


 口の中で転がす様に、独り言の様に悪態をついて、ハンドルを握る最中不意に、沙耶香のその目が、過去の自分に重なって見えた。

 実を言えば、誰かに認めてもらいたかった過去、家を追い出され、必死に日々の生活に食らいついていたその過去を。


「クソっ……クソッたれっ!」


 その様に苛立たしげに喚いた挙句、大きく後藤は息を吐いて、


——プランを考え始めた


 今後2人が生き延びるプランを。


 そして数秒瞑目の後


「分かった……」


「え?」


「分かったっつってんだよ。聞こえなかったか?『老人』には従わねえ」


 吐き捨てる様に言った。


「え?でも……」


「今回、徳人にこっちの居場所嗅ぎつけられたのは、俺のせいかもしれない。ヘマしたつもりはないが、情報収集の段階でな」


 それは無い。

 というのが実の所、この2人の共通認識。

 敵は『老人』という最高峰の魔術師であり、世界を片手間に弄ぶ超越者オーバーロード

 今、この状況で2人が生き延びているのは、単に魔術師世界の掟、法律が尊重されているだけの、そのくびきに他ならぬ。


 で、結局この後藤の発言は、自分自身への言い訳の気が強い。

 沙耶香に協力する。

 その一点の為だけの。


「ありがとうございます」


「いや、いい。それより今後のことを話す」


 『老人』を敵に回し、この2人の—— 一介の『処刑人』とその仲介人に過ぎぬこの2人が生き延びる術はあるのか?


——ある。ただ、ある事にはある程度のもの


「奴、盧乃木徳人は3日以内に返答がなかった場合、そしてケインを渡さなかった場合の処罰を『咎人狩り』と言っていた」


 『咎人狩り』


 それは魔術師という人種の最も酷薄で、他者を弄ぶ気質を表す趣味の悪い風習。

 希望を目の前にちらつかせ、それをむざむざ摘み取る流れをもってして。


 しかし、事実として希望はあるのだ。


「『咎人狩り』……事実上『老人』の後ろ盾を備えてのみ主催できる、罪人を狩るための趣味の悪いイベント……ですよね」


 この処罰における『咎人』に選定された罪人は、しばらくの間ありとあらゆる魔術師から命を狙われる。

 それは罪人を殺した者に主催者当人から多大なる報酬と名誉が与えられるからだ。

 これは、そういうイベント。

 しかし大方は、『老人』の退屈を紛らわす遊びでしか無い。 


 ただ、これには罪人側にも処刑を逃れるすべがある。

 『咎人狩り』開始から1ヶ月の間、罪人が逃げ延びる、または主催者兼監督役の死亡が確認された時点で無罪放免となるのだ。

 そんな救いが用意されている。


 そして、今回の主催者兼監督役は、盧乃木徳人ののぎ のりひと——


「過去に『咎人狩り』で生き残った罪人は、少ないが、いる。それこそ何百回やって数人程度だがな。だから……」


「覚悟は……大丈夫です」


 沙耶香の決意の目。

 キチンと状況を理解した上で、己の死を加味し向き合った上で、その覚悟。

 それを見て後藤は罪悪感に駆られた。

 沙耶香をその様に育てたのは他ならぬ後藤だ。

 自分は子供を育てるのに向かない——と、彼は思っている。

 だから距離を取った。

 あくまで仕事上の関係に徹した。

 だから、ケインという、唯一残された家族に沙耶香はここまで執着を見せるのだろう。

 それが歪んで……いや、この時はこの思考と感情を飲み込む。


「『咎人狩り』1番の特徴は手荒で派手なことやっても主催者が責任持って隠蔽してくれること」


 だから、主催者兼監督役には『老人』の後ろ盾が必須。


「それでも心象悪くしないため余程馬鹿じゃない限り明るい内は……」


 その時。

 夕方の帰り道急ぐ人々がやや掃けてきた住宅街で、車体を揺らす衝撃が真上から降ってきた。


 いや、降ってきたという表現は適切では無いか。


 重量物が叩きつけられたも同然の揺れに、両者咄嗟に上を向き、


(気の早い馬鹿共がっ……)


 内心悪態を吐く後藤。

 真上の気配は明らかに人だ。

 音からして2人、どこから情報が漏れたのか、意図的に誰か漏らしたのか知れないが、予め『ケイン・レッシュ・マ』を奪えば後はどうとでも言い訳がつくと考えたのか。


 そして2人の視界から見えない刺客。

 その2人はアサルトライフルを抱え明らかに対魔術師を意識した装備の上でアーマーを着込まない身軽さ。

 それは正規の戦力ではなく、フリーランスの身軽さを見せて、体幹の良さで屋根に取り付き、直下。

 2人の座る車内へ銃弾の雨を


「沙耶香アっ!」


 叫ぶより早く。

 沙耶香は両手を屋根へ当て魔術を起動。

 ただ、これは彼女特有オーソドックスな『死』の『内象魔術』の発展系。

 触れて死をもたらし屋根を破壊するのでなく、むしろ死の魔力孕む物を彼女の肉体から拡張させた。


 この瞬間、車の屋根まで沙耶香の『内象世界』に繋がり同義のものへ変貌を遂げて。

 『死』の魔力が伝搬され、それは降り注ぐ銃弾を触れた側から瓦解させる盾と化す。


——発射音がただうるさく、

——しかし着弾時に灰へ転じて


 強力無比な分、融通が効かない。

 車の屋根まで瓦解を始め、その頃、向こうは弾薬を撃ち尽くした。


 屈強な2人の男が崩れた屋根と共に車内へ落ち、沙耶香はその一方の肌に触れ吸い殺し、もう一方は後藤が一瞬ハンドルを離した隙に手早く首を折る。


 こうして車内に沙耶香と後藤に加え、2人の死体が残り、だがその瞬間、車のタイヤが破裂。

 上への対処に手間取り、路面のスパイクに気付けなかった。


 「いぎっ」


 後藤が怯みながらも掴んだハンドル捌きで横滑りした車を制御、狭い道に関わらず、どこにもぶつけず止めて見せた彼が、さらに車窓から覗く先に2人の若い男。


 一方はパーカーを着て、髪を金髪に染め、バチバチにピアスを開けて気怠げで、しかしその目だけは爛々と輝きガラが悪い。


 もう一方は黒髪で、しかし顔付きが異国風の浅黒い肌。

 黒スーツでキメたこちらは整った顔立ち。


「こっちが本命か」


 そう言いつつ、後藤は脇下のガンホルダーから黒く輝く半自動拳銃グロックを抜く。


 そんな後藤を見て取り思考を研ぎ澄ませ、どうすれば効率よく狩れるのか集中する沙耶香へ後藤が水を差した。


「沙耶香、お前、隙作って先行け」


「……でも、相手2人とも魔術師ですよ」


 沙耶香がそう判断したのは前方の2人が共に腰からサーベルを吊るしていたから。


 魔術師はこの様な時代錯誤の武器にこだわる気が強い。

 それは、先に沙耶香がやって見せた物へ魔力を流し込む『内象魔術』を駆使し、魔術効果を載せた『魔剣』と呼ばれる使い方ができるから。

 術者の魔力で染め上げ、性質を捻じ曲げた武器は使い手の練達と性質次第で強力無比な兵器となる。

 だから、魔術文化へ染まる奴ほど銃器を始め現代兵器を軽視する。


 そして、沙耶香自身、後藤の実力を疑うわけではない。事実、沙耶香の知る戦闘技術は全て後藤から叩き込まれたわけで、ただ後藤が戦う姿を一度も見たことが無かった。

 けれど、不思議と後藤があの2人に負けるビジョンは浮かばない。


「分かりました」


「よし、じゃあ……」


 2人は簡単な打ち合わせを済ませ、車を出た。

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