第5話 先手
(……ゴミ出しゴミ出し)
ゴミ出しは私の仕事。
と、思いつつ沙耶香は玄関に急ぐ。
黒を基調としたセーラー服のスカートの、その頼りなさにはもう慣れた。というか、スースーするならタイツを履けば良い。それだけの話だった。
色は制服との統一感が欲しかったので黒にしてある。
そしてカバンを左肩に、ゴミ袋は右手に持って
「行って来ます」
「んー、いってらっしゃい」
玄関で見送るケインと言葉を交わし、その笑顔で見送られ部屋を出た。
これが平日の、今の所毎日続く光景。
ちょうど同時期に隣の部屋の玄関から出て来た専業主婦へ挨拶しつつ建物を出てゴミ出しスペースへゴミを置くと、団地の駐輪場へ急ぐ。
通い慣れた高校は団地から自転車で20分圏内にある。
(……慣れた。この二重生活にも)
昼間は高校3年生として過ごし、『処刑人』の仕事があれば夜は働く。
過密と言えば過密だが、その辺りの調整は後藤に任せていた。むしろ、頼りすぎではないかと思うことすらあったが、その辺について「このぐらいならいい。むしろ楽させてもらってる」と言われたので、そういう物かと沙耶香は納得している。
そして、今、後藤には徳人の捜索に専念してもらってるせいで夜の仕事はしばらく休みが続く。
そうなってから既に二週間が経っていた。
そんな、彼女の高校での1日だが、特にこれまでと変哲はない。休み時間、人とつるむ事は無く、そもそもそも仲の良い友達もいないので、基本的に1人で過ごす。
でも、必要なら同級生と話せる程度の立ち位置には居た。
教室に居ても居なくとも変わらない存在と沙耶香は自身のクラスカーストを自覚していたが、それは主観的すぎる。
何せ彼女、顔が良い。
顔の良い女が全く他者から興味を持たれないかと言えばそんなことは無く、1年生の頃何度か遠回しに誘われる事もあったがその全てを断っていたら、その手の輩は途絶えた。
まれに後藤から「学校、どうだ?」と、娘との会話に困った父親の様な質問をぶつけられる事はあったが、その度、特に話すこともないので「ぼちぼち」と答える。
そもそもの話、学校に通う様勧めたのが後藤。
「この稼業やりつつ一人暮らしするなら、表の顔が必要」
そう言われたのだ。
しかし、学校へ通い他人と関わるのは弱みを増やす様で都合が悪いのではと、沙耶香は尋ねたが、後藤はその辺うまく隠せるから問題無いと言ってのけた。
それでも面倒臭さから渋った沙耶香を無理に受験勉強の末高校へ突っ込んだのは後藤の厚意による物だったのだろう。
そんな後藤から呼び出しがかかったのはその日の放課後のこと。
◆◆◆◆
「ん、来たか」
後藤はくたびれたスーツを身に付けている。
ただしネクタイは付けておらず、ジャケットも前を開いていた。
後藤が呼び出した場所は沙耶香が普段、登下校に使う道半ばにある古びた喫茶店。
どこか懐古趣味の漂う木造の内装は木の色合いや、掛けられたレコードのノイズ混じりの音楽やら昔ながらの印象を醸す。
その中に入って入り口近く、表通りを行く人々が窓から見える席に彼は腰掛けており、丸テーブルを挟んだ対面の、装飾性の薄い椅子へ沙耶香は座る。
(ん?)
まず違和感を気取る。
後藤がいつもの落ち着き、ダルっとした余裕をやや欠いて見えた。
感情を分かりやすく表出する男では無い。
ただ、これは付き合いの長さから気付く。
「じゃあ単刀直入に……」
そう言ってジャケットのポケットを漁り。2冊のペラい黒手帳を後藤は差し出した。
菊の花のマークに篆書体の『日本国旅券』
『JAPAN PASSPORT』の文字。
まごう事なくパスポート。
沙耶香が2冊あるうち片方を開くと『後藤 沙耶香』の名で発行されていた。沙耶香は戸籍上、盧乃木沙耶香とは別の人間で、後藤の娘ということにしてあるので、これは沙耶香自身のパスポートということになる。
もう一方も開くと『後藤
「え、これ……」
訳がわからず回答を求めると、後藤はいつの間に取り出したのか紙タバコを吸っていた。
沙耶香とつるむ様になって滅多に吸うことは無くなっていたが、それでなお吸うのなら分かりやすい意思表示。
つまり余裕が無い。
「お前、しばらくケイン連れて海外行け」
「うん……は?どう……」
「色々まずい事分かったんだよ。順番に話す」
そして紫煙を吐いた。
「お前の弟の所在な、実を言えばすんなり分かった。それまで片手間で調べた時はまるで引っ掛からなかったのにな」
テーブルに備え付けられたガラスの灰皿へ後藤は短くなった吸い殻を押し付ける。
「むしろ向こうから所在を明かした形だ。あいつ、『老人』の1人の側近になりやがった。それも一番行動の読めねえ『悦楽の翁』。魔術師界隈はその噂で持ちきりだ。全くなめた真似しやがる」
2本目を自前のシガレットケースから取り出した。
沙耶香は後藤のその話をただ黙って聞く。
結局のところ
が、懸念が1つ。
「んで、『ケイン・レッシュ・マ』。彼女の存在を知ってるのは俺とお前、そんで盧乃木徳人。後は分かるな」
「ケインを獲りに来る……」
徳人がどの様な行動原理で動くのかは読めない。
だが、魔術師の世界で最高位と呼べる『老人』の側近にたった6年で、少年と呼べる若さで上り詰めたのだ。
それが出世のチャンスをみすみす逃すとは考え難い。
いや、そもそもこの情報を垂れ込む事で取り入った可能性すらある。
「その通り。要は『特異点』の一種である彼女が、魔術師からすりゃどれだけ貴重かって話」
『特異点』
それは超常の具現でありながら、世に根差す特異的概念。
魔術によって生成されたものが時と共に消え去るのに対し、同じ制限を受けず在り続けられる。
その希少性は言わずもがなだ。
「だから、一旦高飛びしろってこと。これはあんまりにも状況が悪い。休学の連絡は既にしといたから、今晩中に荷物まとめ……」
後藤は2本目のタバコを口に加え火を付けようとした……のだが、それが直前でポロッと机へ落ちる。
「後藤さん?」
「……」
少し、彼らの位置を確認しよう。
この喫茶店の入り口に近い席に2人は向き合って座る。後藤の席から入り口が常に目に入り、逆に沙耶香は入口を背にしている。
だから、ある入店者を見て後藤はこの反応。
「なんで……」
かろうじてその一言が……
その
「久しぶり、姉さん」
爽やかな風の通る様な、相手を安心させる響きの男の声
(「ネエサン」?)
そうやって自分のことを呼ぶのはこの世にただ1人。声の高さは成長に伴い変わっても、その話し方はかつて、共に過ごした穏やかな日々を想起させる様で
——気分が悪い
瞬間、体内の『内象世界』より『死』の魔力を練り上げ両手から必殺の魔術を起動。
術式無しの、ただ精緻にして瞬発的な魔力コントロールのみで効果を固着させ、神がかりの高速起動は普段の当人のスペックの数割り増しに整い、振り向く動作に合わせ伸びあがろうとした、その足を、しかし後藤が渾身の力で踏み付けた。
ややつんのめりつつ、鬼気迫る表情で後藤を睨んだ沙耶香へ返された視線は狂犬を大人しくさせる様な、つまり「もっと考えて、慎重に動け」と心の底から訴える後藤の主張。
「あまり物騒な真似はしないで下さいね」
空気を読んでるのか、読んでいないのか、そもそも読んだ上で言ってるなら性格の悪い言葉を発す、ここに突如現れた少年。
かくして今、魔術師界隈で騒がれる少年はあろう事か、自身をこの世の誰より恨む女の前へ意気揚々と姿を現す。
◆◆◆◆
——先手を打たれた
後藤が無表情でありつつ内心冷や汗を垂れ流したのは、そのせいだ。
咄嗟にテーブル上のパスポートはジャケットへしまい込んだが、後の祭り。
後を付けられた?
(いや、そもそも何故姿を現す?)
護衛の1人も連れず。
そんな風に相手の腹を探ろうとする後藤を尻目、盧乃木徳人は隣の空いていた席から椅子を一つ拝借し、ちょうど沙耶香と後藤を合わせ3人でテーブルを囲む様に、椅子を置き腰掛けた。
その所作はどこと無く優雅だ。
後藤はチラと沙耶香を見た。
殺気を隠そうともしない。
これでは周囲を威圧し悪目立ちすると思ったが、何故か先まで居たはずの数人の客は姿無く、ただ1人の店員たるマスターさえも奥の厨房へ引っ込んだらしい。
そんな仕掛けを事前に施したとしても、おかしく無い。
で、後藤はとにかくこの場を切り抜ける事、徳人の来訪の目的を探ることに焦点を当てた。
「えー……言葉遣いは」
「タメ口で良いですよ」
胡散臭い笑顔だ。そう思わずにいられない。
一介の『処刑人』とその専属仲介人、そしてここに現れた『老人』の側近。その地位の差は天と地ほどある。
下手すりゃ言葉遣い一つで首が飛びかねないが、それなら勝手に口を利いた時点で後藤の首は飛んでるはずだ。
そういう意味でこの発言は賭けだった。
こんな場所にわざわざ足を運んだ時点で向こうにその気のないことは薄々分かっていたが。
「じゃあ、聞かせて欲しい。何しに来た。さっきから物騒な気配飛ばしまくってるお前の姉貴がどれほどお前を嫌ってるか知ってるだろ」
自分で言っておいて、後藤は「なんて間抜けな質問してる」と自嘲気味に笑ってしまう。
こうも状況が整っては考えられる相手の目的はただ1つ。
「『第7特異点』の一角の始祖である『ケイン・レッシュ・マ』を渡していただきたい。これはアハト・アハト・オーグメント伯爵からの正式な通達です」
「……」
後藤は考えあぐねた。
想定できた発言。だが状況は最悪だ。
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