第4話 悪魔と踊る
男が目を覚ますと消毒臭さのキツイ部屋。
鼻腔を突く微かな血の匂いも混ざって意識はぼんやりと。
(アレから……どうなった)
彼の名はこの際どうでも良い。
この先続く人生で、意味のある事は何1つ成せないから。
あらかじめ予告しておくが、男のこれより先の3年間。
それはただうわ言を漏らし、歪んだ笑みで時折観察される、それだけの人生になる。
詰まる所、男は敗北者と成り果てた。
ひとまず彼の現状を語るが、手術台そのものの硬いベッドで縛り付けられた男は真上からカッと当たる光を浴び、目を細める。
首が可動式の、それこそ腑分けや司法解剖、手術に使う照明が照らしている。
首はベルトで固定されて動かない。
だから眼球をゴロゴロ転がし周囲を見る。
すぐ脇には机、メス、ノコギリの乗った金属トレー、薄汚れた洗面台、薬品に標本を敷き詰めた戸棚、その戸棚に人の物と思しき脳のホルマリン漬けが
「イッ……」
ビビる。
そして付け加えるが、彼は魔術師の中でもエリート。
ただ、彼御自慢の魔術は試みても打ち消されるを繰り返し
(誰かの『工房』……)
自然とその発想に行き着く。
『工房』
高等魔術師が魔術補助のため空間丸ごと術者専用の異界へ作り変える運用法。
更に他の魔術師から身を守る『場』としても有効で、魔術の根源たる個々人の『内象世界』で染め上げた空間は、他者の異能を無効化する仕組み。
そのためには無効化する魔術へ充分な理解が必要だが。
仮にその空間に立ち入るなら、『工房』を解き崩す『分解』が不可欠。
めんどくさいなら部屋ごと破壊すれば良いが、どちらにせよ無理な話。
詰んでいた。
もはや、まな板に置かれた魚と自覚しつつもあえて現実を見ないでいた、その時、男は物音を聞きつける。
スニーカーが床を鳴らす軽い音。
「貴様……」
軋むドアから入る人間が2人。
両者共に、手術台へ向かう医者の様なグリーンキャップにゴム手袋と手術着。
一方は歳が二十歳前後の女。
表情はどこか無機質ながら、凍えるような美しさは人間臭さを匂わせず。
もう一方は子供と大人の中間の、あどけなさを残す少年。
しかし目元が暗く澱んで得体の知れぬ
男には、この内少年の方に見覚えがあった。
「
薬品でぼんやりする脳へ記憶が徐々に蘇る。
恨めしい人間を見て、その刺激が神経のパルスへ
『死』の魔術を操る盧乃木家の長男。
彼はこのベッドの上で横たわる男の部下——のはずだった。
しかし裏切ったのだ。
今にしてみれば、行動に些細な違和感はあった。元より誰かの手先だったのやも知れぬと男は計算高くも考えて。
「あれだけ目をかけてやったのにっ、恩知らずめっ、貴様、誰の手引きで……」
そこまで恨み言を聞きながら、なお冷たい眼差しで徳人は、人差し指を静かに立て沈黙を促すジェスチャー。
「……元より『老人』に逆らおうというのが無理があったと思いますよ……」
「だから私はっ」
聞く耳持たず。
「そんな風にまともだから死ぬんです。野心も程々にしないと……でも、安心してください。保存状態が良ければ後10年は……ね?」
と、告げられた男の恐怖はどれ程の物だったか。
「保存状態が良ければ」のくだりだ。
ここであえて「保存状態」という
男の総髪が逆立ち鳥肌が全身を覆い、冷や汗が溢れ出すようで、しかし、そのどの生理的現象も起こらないほど衰弱しきった体。
あれこれ捲し立てられたのが奇跡なほどで最期にはただ眼球のこぼれそうなほど目を見開いた男。
——そう、最期には
そして依然として落ち着き払った顔、アルカイックスマイルの微笑みが穏やかに見え始めた少年は、彼のその魔術。
盧乃木家伝来の『死』に加え、特異なカテゴリーを合わせて持つ『死』を『消失』させる魔術の準備を進めた。
◆◆◆◆
天井よりぶら下がるシャンデリアは眩しいまでの光を落とす。
本来、日の射す時間でも、この屋敷の窓は真紅のカーテンでいつも覆われていた。
朝だろうと夜だろうと閉じられ外界を遮断する閉塞した世界。さしあたり、この屋敷そのものの主人である、かの存在の出不精ぶりが窺える。
その当の主人は今、部屋の中で小躍り中。
これまた真紅のふくよかな絨毯で飛び跳ねた。
バレエの心得でもあるのか。
足の爪先から手の指先、頭部に至るまでのその機微は、全く既視感を感じさせないながら、確かな舞踊の心得、加えてそのオリジナリティを感じさせる。
手にはあるものを持ち、重量の感じさせぬ軽やかさ。
そんな彼女は完璧に整った少女だ。
黒と白を基調にしたゴシックドレスが似合い、どこか人形じみた白磁同然の肌。
プラチナブロンドのツインテール。
その造形は極みに達した彫刻家の作品に似ているものの、いくらか人間性は欠けている。
「いやー、これ、欲しかったんだ♪」
嬉々とした一声で喜びを告げる鈴に似た調べ。
一見すると無邪気にも見える、この屋敷の主は——ただ、それは手で弄ぶ物が人形など、女児の好む代物だったらの話で
「気に入って頂けたようで」
朗らかに、しかし、意図を滲ませぬ声。
声変わりしたばかりの少年の声。
それを発した盧乃木徳人は、この時、部屋の内装に似合う燕尾服を身につけ髪はワックスで整えていた。
少女と徳人。
部屋にはこの2人ばかりだ。
更に1人、徳人は側近の女をこの屋敷へ連れていたが、今は隣の部屋で待たせてある。
この正当なるヴィクトリア朝の時代を偲ばす屋敷に、この3人を除く
しかし、部屋は常に手入れが行き届き、徳人が勧められた2人用テーブルセットには紅茶と焼き菓子が用意されていた。
まさか、目の前の少女自ら用意したわけでもあるまい。
そして小躍りを終えた彼女は徳人と対面する席へ飛び乗って座り、ウズウズと、ずっと両手に抱えていたソレをテーブルへ丁寧に置いた。
白いレースの被さったソレは円筒形で、少女からすれば抱えるほどの大きさ。
「布、取って良いかな?良いかな?」
「どうぞ。それは貴方のものです。貴方様のためだけに仕立てましたゆえ」
その言葉を聞いて満足気にムフーと、息を吐いて興奮し、ついに少女は布を取り去った。
「わぁ」
歓喜の声。
そこにあったのは、首だ。
円柱型のアクリルケースに収められた男の生首。さながら透明な首桶と言える物体。
「あー……」とか「うー……」とか白痴の様にうわ言を漏らす生きた生首の、生きてるはずない生きてる超常。
時折「殺してくれ」とか「こんな事……」とか意味のある言葉を述べるだけの、おもちゃの様なゲテモノ。
気持ち悪いだけのそれを少女はウットリと、徳人はただ微笑を浮かべて見守る。
そんな光景。
その生首の持ち主は徳人にとって元々仕えていた相手だが、それはさるお方、つまり目の前の少女を喜ばすため道化として踊ったに過ぎぬ。
その様に遊びを片時おかず求めるゆえ、目の前の美少女に見える何かは『
そして彼女の実名、それは
アハト・アハト・オーグメント伯爵
かつて、世間を騒がした旅客機ハイジャックが、ただ片時少女を悦ばすための血の催しでしかなかった話ははあらゆる魔術師の間で有名。
それほどの権力、権威と加えて桁外れな魔術を誇る『老人』が1人。
『革新派』が強力な魔術師の揃う『伝統派』に勝ち得たのは、全部で5名いる『老人』の大半が味方したからという話は伊達では無い。
◆◆◆◆
「コレクションルームに行くから付いてきて」
無邪気な笑顔で告げた少女は未だ湯気の立つ紅茶とティースタンドを残し、早々に立ち去る。
それに着いて行く徳人はその小さな背中に付いて行き、部屋を出た瞬間、明らかに入室するまでに歩いてきた廊下ではない事に気が付く。
とはいえ、いつものこと。
そして、あの円筒形のケースは少女自ら大切に抱えて運んでいる。
人の頭部は本来頭蓋骨や脳の重量から少女の柔な体で長時間持ち歩き、小躍りできる物では無いが、そんな疑問はこの存在を前に意味は無い。
そして、2人は広い屋敷の中、入り組む複雑な廊下を歩くこと数十分。
少女に迷った気配はなく、ようやく着いた鋼鉄製の厳重な扉の前。
それが音もなく1人でに開き、通り抜けた先は嫌に明るく、まさに彼女の言った通りのコレクションルーム。
端の見えぬほど広大な空間に見上げても高さの分からぬ木製の精緻な彫りの施された棚の数々。
明らかに屋敷の外観を無視した広さ。
(異界化されてるな。『工房』より解釈の幅が広い『場』……いや、もっと凄まじい何かか)
徳人はその思考に加えてふと思う。
この目の前の少女が国を滅ぼそうなどと考えれば、どれほどその国は持ち堪えるのか。
そして少女は部屋に入り、たまたま目の前にあった棚の一段目に
「ここでいいか……」
と手に持ったソレを置いた。
手に入れた瞬間の狂喜は今や見る影もなく消え去る。
(手に入れた瞬間は嬉しいが、それを大事にする気は無いということか……)
徳人は彼女を少し理解して、整理。
手に入れた瞬間の喜びだけが大切で、それを愛でる気の無いガサツな人間性。
それこそが、この『老人』の本質と言えるのか。
そしてクルッと少女は勢いよく振り返ると、
「さて、じゃあ大っきめの仕事やってもらったし、うん。約束通り君を直属の部下にしてあげる」
徳人は恭しく、その場で膝を折って礼。
その動作は一朝一夕で身につけられる物ではない。
「ありがたき幸せ」
「いやいや、照れるねぇ。んで、じゃあ、もう1つの約束も叶えてあげる……んだけど、本当にいいの?その『ケイン・レッシュ・マ』だっけ?私が受け取って」
「無論です」
徳人の顔にこれまで隠していた
「ふーん。うん。楽しみにしてるね。子供は40体ぐらい持ってるけど、母体の方は全然見つからなかったし。『第7特異点:6匹の
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