第3話 ケイン・レッシュ・マ



——人を殺す事で報われる人間がこの世にはいる


 沙耶香にその素養を見出した時、途方に暮れた日を後藤は覚えている。

 この子はまともな道を歩めない。

 そういう確信があった。


 だから後藤は沙耶香の面倒を見ることにした。


(ここまでやれると思わなかったが……)


 沙耶香は後藤が直々に鍛えた。

 体術、戦闘における魔術運用初め、世渡り、金勘定に(裏社会の)近所付き合い、何から何までetc.etc.エトセトラエトセトラ……


 少し怖いぐらいに沙耶香はそのどれも吸収し、見ようによっては神童のようですらあって、しかし、それなりの護身ができるようになってくれればそれで良かった。


(むしろ挫折してもらった方が……)


 だが、復讐心が彼女を駆り立てた。

 弟の盧乃木徳人を殺したいという復讐心が。


 姉が弟を殺したいという異常。

 これは、当の弟が親殺しを成したからに他ならぬ。

 6年前、盧乃木徳人は実の父、盧乃木美樹鷹を姉の目の前で刺し殺し、失踪した。


(よくある話ではある……)


 その思考の中小雨がフロントガラスを叩き始め、後藤は車のワイパーを始動。

 カーブミラー越しに覗き見た沙耶香は獰猛とも化生とも呼ぶべきあの表情を潜め、外をボウっと眺める。

 靴を脱ぎ膝を抱える姿は、後藤から見ても絵になった。


(しかし一番謎なのは、徳人が美樹鷹を殺す理由がまるで分からんってことだ)


 どれだけ調べても理由が見当たらない。

 むしろ、美樹鷹は魔術師特有の闇を嫌った達で、2人の子供共々魔術師の世界から身を引こうとすらしていた。

 加え、家族仲も魔術師であること抜きにして良好だったと聞く。


(結局、魔術師なんてそんなものか。ま、因果なものだ)


 そして、訳の分からない親殺しを為す少年が、その矛先を姉の沙耶香へ向けぬ保証は無い。

 

 だから後藤は、沙耶香自ら『処刑人』として魔術師の世界へ沈んで行くのを結果として止めなかった。


 加え、『処刑人』という立場は仕事を完遂すれば情報を手にしやすい上、フリーランスならどの勢力とも距離が置ける。

 盧乃木徳人の情報を得るため大変好都合で、この生活を彼女と共に続け既に6年。

 沙耶香も18歳と年頃の娘になり、更に今回の仕事を通じ沙耶香が『処刑人』としてやっていけることは分かった。


 だから、後藤はこれより沙耶香専属のサポートを離れ、徳人の捜索に専念する。

 これまで沙耶香のこなした仕事を元に根を張り網を張り、築き上げたツテを駆使すれば何かしら引っ掛かるだろう。

 かつて沙耶香と交わした契約がそれだ。


 そんな事を考え運転してるうち、車はある団地へ辿り着く。

 12階建て4棟で構成され、真ん中の公園を囲み配置された集合住宅は、実は後ろ暗い連中が住むにはちょうど良い。


 昼夜問わず人目があるからだ。

 加えて不審者や新入居者の情報も人伝で手に入る。


「じゃあな」


 そう言って後藤は車を降りる沙耶香を見送った。

 沙耶香と後藤は別居しており、あくまで仕事上の付き合いを徹底する。これは後藤からの提案。


「じゃ、諸々お願いしますね……叔父さん」


 少し間を置き、おどけた口調で言い残した沙耶香に後藤は苦笑いを向けた。

 事実として後藤は沙耶香の父親、美樹鷹の弟だが、この呼び方を嫌う。

 だから苦笑気味に


「『彼女』にもよろしくな」

 

 と続け、後藤は、その当の『彼女』から逃げおおせるように、自分の寝ぐらへ車を発進。


 雨音だけが響く。


「……」


 以前、沙耶香が怪我を負った際、治療し動ける様になった沙耶香を直々に部屋まで送ったことがあった。その時『彼女』と久々に会い、少し言葉を交わしたが、その印象は初めて目にした時から変わらない。


——関わるな


 いつだって脳のサイレンが告げる。


(沙耶香にゃ悪いが、結局はアレ。人と呼んで良いかすら分からない『彼女』こそ盧乃木家1番の厄ネタだ)


 後藤自身、盧乃木の家に才の無さで見限られ知る事はなかったが、あんな物を実家が代々管理し隠していたと想像すらしなかった。


 アレと同居できる沙耶香の精神も、ちょっとどうかしてるんじゃないかと運転の最中、後藤は思う。 


◆◆◆◆


 団地の、後藤名義で借りてる部屋に帰った沙耶香は、いの一番にシャワーを浴びた。

 浴室はこの手の団地にしちゃ広い方で、ゆったり贅沢な使い方ができる。


 加えて掃除の行き届いた真っ白の床や壁、天井のタイル。

 まさに至上のくつろぎスペースと言えた。


 そうしてひと通りシャワーで体を洗い流し風呂椅子に座って、ふと、正面の鏡を見つめる。

 曇りにくい作りで、自分の姿が反射されクッキリと映る。

 顔の良し悪しはピンと来ない。

 身長は女にしては高く170センチ近く、座高も相応に高い。

 身体は無駄な脂肪を削って引き締まり、しかし後藤からは細過ぎと度々言われる。


 例えば自分が男であったなら、その問題とも無縁でいられただろうかと思わなく無いが、さほど小さく無い胸と腰の丸みを帯びたラインが性別を告げる。


(ま、考えても仕方ない)


 徳人あの男を殺すには、等身大の自分が持てる手札を鍛え上げ臨むしか無い。

 その様に思考が転げ落ちていく中、その表情に形容しがたく不気味なものが宿る事を彼女自身は実感していない。

 だが、後藤から指摘されたことはあるのでなるべく人には見せないように。


 で、そんな復讐の思いを胸にたぎらす度、同時に浮かべるのは『彼女』の事。

 後藤は復讐には必ず不利益が伴うと言う。

 それがもし『彼女』の身に降りかかったなら、自分はそれでも父の仇を取るのか。

 それとも……


 と、その時。


「着替え、置いておくよー」


 その当の『彼女』の間延びした声が背後の扉一枚挟んで届く。

 『彼女』との、この部屋での同居は既に6年目だが、初めて出会ったのは父が死ぬ前、屋敷に住んでいた頃。

 その声は聞き慣れていたが、鼓膜を透き通り脳をとろかす響きはいつでも聞いていたいと思ってしまう。


「ん、ありがと」


 あくまで素っ気なく、それだけ返し鏡脇のシャンプーを手に取ろうとしたその時、背後の扉がガラリと開き、湿気と熱気がそちらへ流れるのを感知。


 驚き振り向くと、その『彼女』が笑顔で立っていた。


 腰の位置まで伸びた黒髪は艶めいてサラサラと。

 その顔はこの世のありとあらゆる彫刻家が苦心した所で一生創り上げられないような、しかし女性的で生物的な艶を併せ持つ美しさで、それでいて14~16歳にしか見えず、その未成熟な様が返って完成させている矛盾の体現。

 

「え?何?」


「背中流してあげようかなー……と」


「いや……」


 恥ずかしさから断ろうとする。

 同性ではあるが『彼女』に裸を見られるのはちょっと……何というか……


「良いから良いから。昔はよくやってあげたでしょ」


 そう言って返答を聞く前にズカズカ入ってきた。

 ちなみに『彼女』自身素足だったが、薄手のワンピースはちゃんと着ている。


 そして手を伸ばしシャンプーを掌に出すと、充分に泡立ててから『彼女』の手は揉む様に、沙耶香の頭皮と髪へそれを馴染ませていった。


 だが手の小さい彼女は苦労している様だ。


「昔はあんなにちっちゃかったのに、ここ数年でどんどんおっきくなって……」


 そんなボヤキが漏れ聞こえる。


「良い物食べてるから、かな」


「それは、私としても……作り甲斐が……あります」


 言葉が途切れ途切れになったのは洗うのに一生懸命だからだろう。


 12年前、沙耶香が6歳で初めて『彼女』と出会った時は、その艶めき、大人びた風情が憧れと、どこか胸の奥でうずく感覚を呼び起こした。


 今でもその気持ちはさほど変わっていないが、『大人びた風情への憧れ』というのは少し変わったかもしれない。

 そう思ってこっそり口元で笑う。


「あ、今笑った。なにー?何かおかしなことあった?」


 どうやら隠せていなかった様だ。


◆◆◆◆


『ケイン・レッシュ・マ』


 およそ人間的とは言えないその呼称こそ沙耶香と同居する『彼女』の実名。

 少し長い上、呼びづらいので沙耶香は『ケイン』と呼んでいる。

 それならかろうじて人間の名に聞こえなく無いからだ。


 そして、彼女の肉体にはある特色があり、即ち『不老不死』の四文字で表される。


——彼女はいつまでも歳を取らず、生き続ける。


 きっと宇宙の終わりまでだって生き続けるだろう。


 そんな彼女は沙耶香の5代前の当主、盧乃木蔵一郎とのある契約の元、盧乃木家へ身を寄せた。


 その契約とは——ケイン・レッシュ・マを殺し、この世から永遠に消し去ることだ。


◆◆◆◆


 ケインが盧乃木家で過ごすに至った経緯はそのようなものと、昔、父から教わった。

 それから代々、盧乃木家に生まれた者は通常の手段にしろ超常の手段にしろまるで死ぬことのない彼女を殺す事に苦心する過程でその魔術の知識を積み上げ、洗練を重ねたと言う。


(……)


 どうやら昔の彼女は死にたかったらしい。

 長い時の中で生きる事にんでいたのか。


 そんな事をベッドに横たわる沙耶香は思う。

 夜は遅く。既に布団に潜り込み、暗闇の中自分の真横、同じベッドで寄り添い眠るケインに目を向け、それとなく彼女の黒髪を撫でた。

 感触が絹の様で心地よい。


 彼女のこの安らかな寝顔を見ているだけで、安心できる。


 だから、今も「死にたいとか」そんなことを考えていたら……と心配になり、だから、それとなくケインへ聞いてみたことがあった。


 「死にたいのか?」と直に聞くわけにはいかないので、「何か悩み事は無いのか」と、カウンセラーが鬱病患者に聞く曖昧さをはらんでしまったが。


 だが、それですべて察してくれたのか、


「今は沙耶香ちゃんのおかげで毎日楽しいよ」


と言ってくれた。


 誰かに求められる。

 それだけで沙耶香は救われた気持ちになれるのだ。


 結局、自分はそれほど強い人間では無い。

 鋼の心に程遠く、人を殺す時はいつでも遠くで見ている様な、心と体が切り離されてる風。

 

 人は余程の異常者でなければ人を殺すストレスに耐えられないと後藤からは聞いた。

 だから、心と体を切り離し、あくまで機械的に殺す。


 だが、「心を切り離すのは簡単だ。ただその心をまた取り戻すのが難しい」とか。

 だから、日常的に周囲の人間や魔術師を潜在的な敵と見做し、いつでも殺せる様手を尽くす魔術師はその大半が境界線エッジを超えたヒトでなしに他ならぬ。


(私はどうなのか)


 ネガティブな思考は悪い癖かもしれないと、沙耶香は思う。


——しかし、父を殺した徳人あの男は憎い


 それでもケインが傷つくことがあれば、自分の腕がもがれた様に痛むだろう。

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