死の直前、貴方を想う。

笛路

死の直前、貴方を想う。




「リラ、お前の婚約者が決まったぞ」


 社交界デビューである、王城でのデビュタントボールが目前に迫っていたある日、お父様に婚約者を決めたと言われ、とうとうこの日が来てしまったのね、と心の中で溜め息を吐きました。


「ヨルマン伯爵家の次男ゼリアスだ。幼い頃から茶会でよく会っていただろう?」

「……はい」

「彼は優秀だな。婿入りして我がカルネウス伯爵家を継いでもらうことになった。全く、お前が男として産まれてくれればこんな苦労はなかったろうに」

「…………申し訳、ございません」


 最近、お父様がヨルマン伯爵様と手紙でのやり取りをしていらっしゃったので、こうなる事を予想してはいました。


 ゼリアス様について覚えているのは、嫌なことばかり――――。


 庭園の奥で誰それが私を呼んでいると言って連れていき、落とし穴に落としたり、「気持ち悪い薄紫の髪をきれいに染めてやる」などと言い、泥水を頭から掛けてきたりする方でした。

 何か反論したり、大人に何かを言おうとすると、人に見えないところを殴ったり蹴ったりもしてきました。


「そうそう。お前は友達もいないし、外にも出たがらないから、ゼリアスが心配していたぞ」

「……はい」


 そのゼリアス様や、彼のお友だちが怖くて外に出られなくなったのですが、誰かにそれを言ってしまうと、いつまた酷い目に合わされるかわかりません。

 素直に返事をし、笑顔で従うことが、一番被害が少なく終わるのだと幼いながらに学びました。




「やぁ、リラ。迎えに来たよ」

「お……お久しぶりです、ゼリアス様」


 笑顔を貼り付け、深々とカーテシーをすると、ゼリアス様はとても満足そうなお顔になられました。

 良かった、ご機嫌は損ねなかったようです。


「では、ゼリアス君、娘を頼むよ」

「はい。お任せください」


 お父様とお母様とゼリアス様がにこやかに握手を交わしていました。

 デビュタントボールへはゼリアス様がエスコートしてくださるようです。

 ゼリアス様と二人で馬車に乗り込むと、ゼリアス様が軽く頭を下げられました。


「あの頃はすまなかったね?」

「え……」

「幼稚な子供だったんだ。間違った愛情表現をしてしまっていた」


 ――――そう、なのでしょうか?


「君が、あまり外に出なくなっていると聞いてね。私のせいなのだろうと心を痛めていたんだよ」


 人を疑うのは、あまり好きではありません。

 ですが、どうにも信用できないのです。

 ゼリアス様の目が、あの頃と全く変わっていなくて……怖いです。


「これから、よろしく頼むよ」

「はい……」


 馬車の中はとても静かで、息苦しさを覚えました。




 王城に到着し、ゼリアス様にエスコートされ国王陛下の前でデビュタントの宣誓をいたしました。

 少し声は震えていたものの、ガヴァネスに太鼓判を押されたカーテシーは完璧な出来だったと思います。


 ゼリアス様にエスコートされ歩いていたのですが、彼がピタリと止まりました。

 彼は、煌めくような金色の髪を美しく纏めた女性の方を見つめていました。


「お知り合い、ですか?」

「あ? あぁ、ウォーゼック家のクリスティーヌ――――」

「ごきげんよう、


 ――――ゼリアス?


「あー、クリスティーヌとは家族ぐるみの付き合いだ。少し家のことで相談がある、君はバルコニーで涼んでいてくれ」

「はい……承知しました」


 わずかばかりの違和感は覚えたものの、真顔でそう言われれば嫌だと断れるわけもなく、言われたとおりにバルコニーへと重たい足を運びました。




 どのくらいこの場にいるのでしょうか。

 春先とはいえ夜はまだ肌寒く、少しでも動いていないと震えがきそうです。

 バルコニーから階段を使い庭園に降りられるようになっており、そこは色鮮やかなキャンドルで幻想的に装飾されていました。

 少しだけ散策をしてみようと思い階段を降りていると、急に後ろから肩を掴まれてしまいました。


「っ! 申し訳ありませ――――キャッ⁉」


 ゼリアス様だと思い、急いで振り返った瞬間、階段から足を踏み外してしまいました。

 グラリと傾く体。

 目を瞑り、激痛を覚悟しましたが、一向に訪れません。

 あるのは妙な暖かさのみです……。


「大丈夫か?」

「へ?」


 そろりと目蓋を押し上げると、白の騎士服を着た男性に抱きとめられていました。


「驚かせてしまったようだな」

「い、いえ」


 バルコニーにあるベンチへと騎士様に運ばれ、足はくじいてないか、怪我はないかと心配されました。

 大丈夫ですと答えると、一度ニカッと笑い、少し乱れていた濃い茶色の髪の毛をかき上げて更にグシャグシャにすると、なぜか怒ったような顔になられました。


「君は、デビュタントだろう?」

「はい」

「パートナーは?」

「婚約者が。……その、お知り合いと話すから、ここで待っておくようにと」

「……」


 騎士様は眉間に皺を寄せると、深い青の瞳を伏せてゆっくりと深呼吸をされました。


「ふぅ…………。こういった夜会では、絶対に一人で庭園には出ないように。婚約者に行こうと誘われても、を望んでいないのならば、ついて行かないように」

「そういうこと?」

「グッ……」


 騎士様がなぜか頭を抱えてしまいました。


「あの……大丈夫でしょうか? 申し訳ございません、私……何かしてしまいましたか? その……」

「ハァ。君……ん? 君は…………リラか?」

「え?」


 なぜ、騎士様が私の名前を知っているのでしょうか?


「やっぱり、リラだ! 大きくなったなぁ!」


 頭をワシワシと撫でられました。

 あら? なんとなく、この感覚に覚えがあります。

 ゼリアス様たちに酷いいたずらをされては、木陰に隠れて一人でこっそりと泣いているとき、いつも側にいてくれた――――。


「マティアス……お兄様?」

「ん!」


 更にワシワシと頭を撫でられました。

 とても懐かしいです。

 いつもいつも、こうやって私の頭を撫でて慰めてくれていました。

 太陽のような笑顔で「本当の兄だと思って甘えていいぞ!」なんて言って笑わせてもくださいました。

 お兄様は私の心の拠り所でした。


「お兄様、お久しぶりです」

「ん、私もだ。元気だったか? 病気や怪我はしてないか?」

「見ての通り、元気ですわ」


 ベンチから立ち上がり、くるりと回転してみせました。


「ははは! 良かった。が、また転けるといけない、座りなさい」

「はぁい」

「こら、いじけた顔をするな」


 お兄様があの頃のように頭をわしわしと撫でてくださいます。


「お兄様は、騎士様になられたのですね。式典用の服、お似合いですわ」

「ん。リラは可愛いなぁ。だが……まだまだ子供かなぁ?」

「む! 社交界デビューした淑女に向かって、それは駄目ですわ」


 頬を膨らませて不服を訴えると、マティアスお兄様が妖艶な笑みを浮かべ、ゆっくりと顔を近付けてこられました。

 耳に、熱い息が当たります。


「夜会の庭園に誘われる意味を知らないのに? 手とり足取り、私が教えてやろうか?」

「――――っ⁉」


 庭園の意味は全くわかりませんでしたが、取り敢えずなんだか破廉恥なことだけは理解できました。


「ブフッ! 破廉恥!」


 マティアスお兄様がケタケタと笑い始めてしまいました。


「もしかして! からかったのですか⁉」

「ははは! あー、リラはあの頃と全く変わらないなぁ。泣いたり笑ったり、騒いだり。本当に忙しい子だ」

「今は泣いてませんっ」

「ん。だが、夜会の庭園は本当に気をつけるんだよ? 例え婚…………あぁ、そうだった………………」


 マティアスお兄様が何かを言おうとしていたのですが、急に真面目なお顔で考え込まれました。


「…………リラには、婚約者ができたんだったな。もう、こんなふうに撫ではやれないのか」


 頭からマティアスお兄様の大きな手がするりと滑り落ちてしまいました。


「お兄様……」

「幸せになるんだよ?」

「……っ」


 お兄様は私の初恋の人でした。

 あの頃はお兄様と結婚するとずっと言っていました。

 でももう、お兄様との未来はないのですね。


 お兄様が少し寂しそうなお顔で、私からそっと距離を取ってしまいました。


「リラ! 何を、している……」

「あ、ゼリアス様」

「あぁ、君が。婚約者をこんな場所に一人で待たせるのはいただけないな」

「で、殿…………」


 ゼリアス様が何かを言いかけたのですが、お兄様が唇に人差し指をあてて、『言うな』という仕草をされました。

 いったい何なのでしょうか?


「チッ。リラ! 行くぞ!」

「え、あ、はい」


 ゼリアス様に腕を掴まれ、引き摺るように連れられて、馬車に押し込められてしまいました。

 ゼリアス様は、屋敷に着くまでずっと不機嫌なお顔でした。


「おや? もう帰ってきたのかい?」

「はい。リラが人酔いしたようで……。ね?」

「…………はい、申し訳ございません」


 こちらを振り向き、笑顔で同意を求めてきたゼリアス様の目を、見ることができません。

 疲れたので休みますと言い部屋に戻りました。


 ベッドに体を投げ出し、先程のことや幼かったころのことに思いを馳せます。

 私が泣いていると庭園ひょっこり現れていたマティアスお兄様。いつからだったか、会えない日々が続くようになりました。

 成長するにつれ、両親に連れられお茶会に行く機会が減り、淑女教育が本格的に始まると、両親とガヴァネス以外に会うことがほぼなくなりました。

 勉強に打ち込んでいれば、外出しないで済む。ゼリアス様たちにいじめられることもないのだと気付いてからは、より一層外出することを拒んで室内で勉強ばかりしていました。


 ――――マティアスお兄様。


 大好きだったお兄様。

 吸い込まれそうなほどに深い青の瞳。

 あの頃と全然変わっていませんでした。


 紳士的な態度を崩さず、心配して下さったり、諭して下さったり、相変わらず優しいです。

 今は騎士様をされているのですね。

 式典用の白い騎士服、とても似合っていました。


『そうか、リラには婚約者ができたのか。おっと、それならこうやって気安く撫でていたらいけないな』


 先程のマティアスお兄様の声が、頭の中で何度も何度も繰り返されます。


「っ……」


 私はゼリアス様の婚約者。

 だから、この気持ちは…………思い出してしまったこの気持ちは、捨てないといけないのです。

 幼い頃に言った『大きくなったら、およめさんにしてね?』なんてお願いは、もう忘れられていることでしょう。


 目蓋と一緒に、淡く開いてしまった甘い思い出が詰まった宝箱の蓋も、きつく閉じました。


 ――――さようなら、お兄様。




 ◆◆◆◆◆




 側妃から産まれた第三王子で、兄上たちとも年齢が離れていた。そのため、王族の教育を受けさせるかどうかという話し合いが行われたのだが、その結果がなかなか出ずに宙ぶらりんな時期があった。


 何もない毎日はとてもつまらない。

 部屋を抜け出して散策していた王城庭園の奥でグスリグスリと鼻を啜りながら泣く女の子を見つけた。

 淡いライラックのような髪をしたその子は、頭から泥水を被っていた。

 誰かにいじめられたらしい。

 とても珍しくて綺麗な髪だから嫉妬されているのだろう。


 下に弟も妹もいなかった私は、少女を慰めながら良い案を思いついた。


「本当の兄だと思って甘えていいぞ!」

「おにいさま?」

「ん!」


 泣き腫らしていた顔がみるみるうちに花咲いた。

 名前は『リラ』、やっぱりライラックだった。

 うん、笑っていたほうが可愛い! 




 それから私は様々な家で開催されるお茶会に顔を出した。

 リラは私の妹だから、守ってやらないと。

 庭園や建物の隙間などで泣くリラを見つけては、頭を撫で抱きしめた。


「おにいさま、だいすき」


 彼女の無垢であどけない笑顔は、王族として常に作り物の笑顔を貼り付け、疲れ果てていた私の心を癒やした。


「大きくなったら、およめさんにしてね?」

「ん! もちろんだよ」


 ――――そう、約束したのに。


 いつの頃からか、お茶会でリラを見かけなくなった。

 淑女教育が少しずつ始まったと言っていたので、両親についてお茶会に参加する暇がなくなったのだろう。

 大丈夫だろうか。

 またどこかで泣いてはいないだろうか?


 幼い頃の約束は…………きっと忘れてしまっているだろうな。 

 お兄様は、いつでも君の幸せを願っているからね。

 幸せになるんだよ?


 ――――私の、ライラック 




 ◇◇◇◇◇




 あのデビュタントボールの日以来、ゼリアス様とは毎週カフェテリアの個室でデートを重ねています。

 ゼリアス様おすすめの妙に苦いハーブティーを無言でいただきます。

 とても苦手な味なのですか、そのうち慣れるからこれを飲むように、と言われてしまいます。

 飲み終わるまで、ずっと睨み続けて来るので、飲まざるを得ません。


 クリスティーヌ様も馴染みのお店らしく、偶然来店されていた際は、折角だからとのことで同席されます。

 彼女がいると、ゼリアス様は私の方を一切見なくなるので、少しだけホッとしています。ゼリアス様のギラリとした目は、少し怖いのです。


「貴女、本当に顔色が悪いわねぇ」

「申し訳ございません」

「別に責めちゃいないわよ。このハーブティー、体に良いからもっと飲みなさいな?」

「はい、ありがとうございます」


 今日のはいつもより苦渋く飲み干せそうにありません。味をどうにかしようと蜂蜜をティースプーン一杯入れました。


「あら、はちみつなんて入れて! 折角の調合が台無しじゃない」

「調合、ですか?」

「君がいつも青白い顔をしているからね、体を温められるようなハーブティーを特注していたんだよ」

「そうなんですね……ありがとう存じます」


 飲むといつも身体が冷えるような気がしているのですが…………きっと、気のせいですわよね?




 ゼリアス様との結婚式が目前に迫り、婚前契約を我が家とゼリアス様とで結びました。

 近頃は、三日に一回の頻度でゼリアス様が会いに来られます。

 このところ本当に体調が悪く、出来ればベッドに臥せっていたいのですが、ゼリアス様が有無を言わせない笑顔で、またあのカフェテリアに行こうと言われるのです。


 化粧では隠しきれない程に顔色が悪く、頬も痩けてしまっているのですが、誰も気にしません。

 時々、思い出したように、ゼリアス様が心配の言葉とハーブティーを下さいます。

 あれを飲むと、本当に体調が悪くなるので、最近はなるべく飲まないようにしています。


 ――――あぁ、またあのハーブティーを飲まされるのね。

 

「リラ?」

「あ、おにぃ……さま…………」


 カフェテリアの前でマティアスお兄様に会いました。

 馬車に揺られていたせいで、更に気分が悪くなって、うまく言葉が出てきません。


「何なんだこの顔色は! リラ、大丈夫なのか⁉」

「あ――――」

「大丈夫ですよ。結婚式が目前に迫っているので、ナーバスになっているだけです。失礼いたします」


 お兄様に挨拶をしたかったのですが、ゼリアス様が一気に捲し立てて話を打ち切ってしまわれました。

 腕を掴まれ、引きずられながらカフェテリアに入ると、いつもの個室へと通されました。


 いつもよりかなり濃いハーブティーを出されてしまい、一口で飲みやめてしまいました。

 喉を通らないのです。

 身体が、これ以上コレを飲むなと言っている気がするのです。


「どうした? 飲まないのか? せっかく用意したんだぞ?」

「…………はい、ありがとう存じます」


 ゆっくり、ゆっくりと…………ハーブティーという名の何かを飲み干しました。


「う……ぐ…………ゴホッ」


 ゴフリと肺から変な音がして、口から血が溢れ出てきました。


 苦しいです。

 息が、うまく出来ません。


 ガタリとイスから落ち、床に倒れ込んで藻掻きながら、カフェテリアの個室から這い出そうとしました。


 ――――助けて。


「ぃぎっ……」

「…………逃げるなよ。お前はここで死ぬんだ」


 ゼリアス様に後ろ髪を鷲掴みにされ、上半身を引っ張りあげられました。


 ――――あぁ、やっぱりそうなのね。


 痛い。

 痛い痛い痛い。

 苦しい。

 誰か。

 …………


「リラァァァァ!」


 目の前が真っ暗になる直前、微かに見えたのは…………マティアスお兄様でした。


 ――――最後に逢えて、良かった。




 ◆◆◆◆◆




 何故だ⁉

 何故、リラをいじめていたやつが婚約者になっている。

 伯爵は何を考えているんだ!


 貴族街を視察していたら、あまりいい噂を聞かないカフェテリアの前にヨルマン家の馬車が停まった。

 中からあの男と痩せこけ青白い顔色のリラが降りてきた。

 

「何なんだこの顔色は! リラ、大丈夫なのか⁉」

「あ――――」

「大丈夫ですよ。結婚式が目前に迫っているので、ナーバスになっているだけです。失礼いたします」


 怪しい。怪しすぎる。

 カフェテリアの黒い噂と、リラの顔色。


 ――――嫌な予感がする。




 ◇◇◇◇◇




「う…………」


 喉が、灼けるように痛い。


「みぅ……」

「水? ゆっくりと飲むんだよ?」


 柔らかく優しい声の主が渡してくださったお水をゆっくりと飲み干しました。


「リラ」

「…………まてぃ、おに…………ここ」


 ふかふかのベッドに、見たこともないような豪奢な飾りたちが置かれた部屋。

 明らかに私の部屋ではありません。


「ここ? 王城だよ」


 ――――王城⁉ なぜ⁉


「私の権限でね」

「おにい、さまの…………けんげん?」

「ん」


 訳が分からずぼんやりとマティアスお兄様のお顔を見つめていましたら、お兄様の深い青の瞳から雫がボロリと零れ落ちました。


「っ……良かった。本当に良かった。生きててくれてありがとう」


 ふわりと抱きしめられて、徐々に目覚める前のことを思い出してきました。

 私…………生きてた。


「一週間だ。一週間も目覚めなかったんだ」


 お兄様がぽつりぽつりとこの一週間であったことを教えて下さいました。


 ゼリアス様と私の家は、爵位は同じですが財力が格段に違いました。

 ゼリアス様は、お付き合いされていたクリスティーヌ様と別れて、カルネウス家の財産目当てで私の婚約者になったそうです。

 そして、婚前契約の内容の、私が『子供を産めなかったり、病気などで早世してしまった場合は、外から妻を娶ってもいい』という文言に目をつけ、クリスティーヌ様と私の殺害計画を立てたとのことでした。


「愚かにも、君に毒を飲ませ…………クソッ」


 マティアスお兄様がギリリと歯を食いしばりながらも、柔らかく抱きしめ続けて下さいます。


 私が寝ている間に、ゼリアス様の処刑は終わったと言われました。


 ――――処刑。


「私に剣を向けたからね。それでなくとも、私の愛しいリラをこんな目に遭わせたんだ。相応の罰だよ」


 お兄様に剣を向けたから。

 お兄様の権限で、王城の部屋で、私は寝ている。

 お兄様は――――。


「おに、さまは……」

「マティアスと」

「おうぞく、なの?」


 そうとしか、考えられません。


「…………マティアス、と呼んで」


 マティアスお兄様が泣きそうなお顔でそう言われましたが、王族の方のお名前を呼ぶなどできるはずもなく、口を噤んでしまいました。


「……リラ」

「んっ⁉」


 マティアスお兄様の唇が、私のそれを柔らかく塞ぎました。


「リラ、リラ…………逃げないで。私のリラ……」

「だめ……んっ⁉」

「駄目じゃない」

「だめなの」

「リラ、愛してる」

「――――っ!」


 王族の方なのに。

 伯爵家じゃ地位が合わないのに。 


「あきらめて?」

「っ…………はい」


 何度も唇を重ねられるうちに、気づけば自からマティアスお兄様に応えていました。


「リラ」

「おにいさま」

「マティアスと」

「……」

「呼んでよ、リラ」

「マティアス、さま、っん――!」


 このあと、私が酸欠で気絶してしまうまで、何度も何度もキスを続けてしまい、マティアス様はお医者様に酷く怒られてしまったそうです。




 マティアス様は王国騎士団の団長をつとめており、王位継承権は返上しているそうなのですが、爵位は公爵様でした。

 それを知ったときは、公爵夫人にふさわしくない……と思ったのですが、マティアス様があまりにも泣きそうなお顔をされるので、これは頑張らないと! と奮い立ちました。


 そして、今回のことに衝撃を受けたお父様は、カルネウス家を遠縁に譲り、領地の隅でお母様とひっそりと暮らすことを決められました。

 お父様にもお母様にも泣いて謝られてしまい、申し訳ない気持ちがとても大きかったのですが、マティアス様は「カルネウス家のためにも、それが一番いい判断だ」と頷かれていました。


「リラ」

「……」

「リラ、怒っているのかい?」


 体調が戻るまでは王城にいてほしいと言われて頷きました。

 侍医の先生もそうした方がいいと言われましたので。


 体調がほぼ回復しましたので、両親が領地に隠居してしまう前に共に過ごす時間を、と思っていたのです。

 まさか、療養中に私の荷物を移動させ終わっていて、両親は既に領地に下がってしまっているなんて。


「父君も母君も、君に合わせる顔がないと言われてね」

「…………はい」


 なんとなく気付いていました。

 先日、謝られた際にお母様が私を抱きしめながら「幸せになってね」と呟かれたので、もしかすると……と思っていたのです。だからこそ、急いで家に帰りたかった。


「リラ、君はそうやって、言いたいことをずっと我慢していたんだろう?」

「……」

「それは、君や誰かを守るためだったのかもしれない」

「……っ」

「私には話して? 全部、話して?」


 狡いです。

 マティアス様はとっても狡い方です。

 いつも私の心を柔らかく包み込んで、解してしまいます。


「両親と、もっと話したかったです。謝りたかったです」 


 話すことを、伝えることを、諦めてしまったから、こんなことになってしまったのです。


「それは違う」


 マティアス様が頬にゆっくりとキスをしてくださいました。


「君は何も悪くない」

「っ……両親と、また話したいです」

「うん。落ち着いたら会いに行こう」

「はいっ」




 会えなかった時間を取り戻すかのように、マティアス様と私は濃密な時を過ごしました。

 貴族街で手を繋いでデートしたり、スイーツを食べさせ合ったり――――。


「リラ、唇にクリームが付いているよ」

「んむっ⁉」

「ははは、顔が真っ赤だ」

「っ!」




 王族のみが入れる庭園のガゼボでのんびりとお茶をしたり――――。


「リーラー? またクリーム付けて。またキスされたいのかい?」

「ちがっ!」

「あはははは! ほら、こっち向いて?」




 馬で遠乗りして、小高い丘の上でピクニック――――。


「リラ、膝枕して?」

「はい」


 目をつぶり、穏やかな呼吸を繰り返すマティアス様。

 目にかかりそうになった髪の毛を横に避けつつ頭を撫で、頬を撫で、ゆっくりと唇を重ねました。


「――――ん、もっとして?」

「っ! 起きていらっしゃったのですか⁉」

「ん! もっと!」

「むむむむむりですっ」

「ふうん?」


 ドサリと押し倒されてしまいました。

 妖艶な笑みをお顔に貼り付けたマティアス様は、とてつもなく危険な香りがしました。




 二人で夜会にも参加しました。

 皆様から祝福のお言葉を沢山いただきました。


「ふぅ。バルコニーで涼もうか?」

「はい」


 あの日、マティアス様と王城で再開してから、一年が経ちました。

 春の夜は、やっぱり少し肌寒いです。


「庭園でも散歩する?」

「…………、したいのですか?」


 あの日のマティアス様の忠告は、今ならばわかります。

 最近は、私だって翻弄できるのです!


「ん? 当たり前だろう?」


 マティアス様が前屈みになり、私の耳もとでポソリとつぶやかれました。


「いつも、

「――――っ⁉」


 前言撤回です。

 マティアス様の方が、何枚も上手でした。


「結婚式の夜に、存分に、教えてあげるよ」

「っ! だだだだだだいじょうぶですっ!」

「あははは!」


 結婚式が、ちょっと怖くなりました。




 ◇◇◇◇◇




 王城のチャペルで、白いドレスを着て、マティアス様と向かい合います。


「――――誓いのキスを」

「「はい」」


 ゆっくりとベールを捲られました。

 マティアス様の甘い笑顔がゆっくりと近づいてきて――――。


「んんーっ! 誓いのキスは、軽くで終わらせてください」

「ふっ、失敬?」


 マティアス様が私の唇を親指で撫でながら妖艶に笑われました。


「私のライラック。そんな蕩けた顔を皆に見せないで? 夜に取っておいて?」

「っ⁉ ひゃいっ」


 衝撃の言葉に声はひっくり返り、腰が抜けてしまいました。


「おっと! んはははは! 可愛い――――」


 また、濃厚なキスが降ってきました。

 これは誓いのキスでいいのでしょうか?


「ん。何度でも。君を幸せにすると誓うよ」




 ―― fin ――



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