第36話 バスの中のマリーさん
丸岡診療所の駐車場が旅行の出発地点。
参加費を出して頂く以上、一番乗りしてお手伝いをさせてもらうのがマナー。
茉莉子は置いてきた。
修行してないし、そもそも起きてなかったし、ハッキリ言ってお手伝いの邪魔だ。
1時間経っても反応がなかったら叩き起こしに帰る。
「悪いねー。秀亀くんはすぐに気を利かせてくれるもんだから、ついつい甘えちゃうんだよなー。荷物、結構あるけど平気かい?」
「とんでもない! 体が丈夫なことくらいしか取り柄はないので! 運び込みますね!」
旅行の参加者は16人。
自治会で毎年借りているバスに乗って、2時間半ほどかけて目的地の喜津音温泉郷へ向かう。
運転手は小林さんが引き受けてくれるらしい。
「やあやあ。おはようございます」
「小林さん。すまんね。毎年頼んでしまって」
「いえ。3年前まで一応ひとかどのプロとして運転手しとりましたからね。お役に立てるなら何よりですよ。おや、これは小松さん」
「おはようございます! お世話になります!」
小松さんとはうちのマリーさんがお漏らし案件でお世話になったご縁でそのままお付き合いが続いている。
奥さんはあまり旅行が好きではないらしく、不参加なのだとか。
「じゃあ、秀亀くん。ちょっと小林さんの診察して来るから。ここ、お願いね」
「どこかお悪いんですか?」
「バスの運転をするだろう? 皆さんの安全を預かる訳だから、出発前の身体検査だよ。勤めていた頃からの習慣でね。念には念をってヤツかな。私も定年しているから、特に注意をしたいんだよ」
小林さんは立派な人だった。
早期退職されたということで、まだ60になったばかりなのに。
そりゃあマリーさんがお漏らししそうになったら、手を差し伸べてくれるはずだ。
(……おじさんのお布団に今から牛乳撒きますからね!!)
茉莉子さんが起きたらしい。
(起きますよぉ!! あのですね! おじさん、デリカシーがなさ過ぎですよ! 何回目ですかぁ! お漏らしの話!! というか、してませんから!!)
準備できたらこっちおいでよ。
婦人会の皆さんが朝飯用意してくれてるぞ。
(わぁー! すぐ行きます!! あっ! 荷物がない! さてはおじさん、持って行ってくれたんですかぁ? もぉ! そーゆうとこで挽回してくるんですからぁ!!)
うちの茉莉子はチョロ可愛い。
数分でショートパンツにTシャツの茉莉子がやって来た。
小春ちゃんの衣装案が採用されて本当に良かった。
桃さんが持って来てくれたのは、レアピパパとレアピママの発案だったからな。
あれはね、日が高いうちにしちゃダメなファッション。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「おおおー! バス! いつか乗りたいと思ってました!! おっきいですねぇ!!」
「御亀村のバス、廃線になったもんな。俺が小3の頃だっけ? そりゃバスも初体験か。ほら、帽子かぶっとけ。日差し強いらしいから」
「あらあらあらー! おじさんったら! 急に大人のジェントルマンな紳士気取ってきちゃってー! さてはマリーさんに相応しい男になる決意を固めましたか?」
「1つのセリフで単語が重複しまくってるアホの子に相応しくなったら、俺たち終わりだぞ!? つーか。食べ過ぎじゃない? お前、バス初めてなんだからほどほどにしとけよ。慣れてないと酔うんだからな」
「バスってお酒が出るんですか!?」
「大丈夫そうだな。……お。出発だってよ。乗り込むか!」
こうして、俺と茉莉子の旅行が幕を開ける。
◆◇◆◇◆◇◆◇
出発して30分ほど、茉莉子は大はしゃぎだった。
そもそも車に乗る機会も少ないから、楽しそうに窓に張り付いている茉莉子を見ていると俺もちょっとだけテンションが上がる。
それから30分。
茉莉子さん、沈黙中。
(あたし、マリーさん)
ほらぁ!! 言ったじゃん!!
お前、俺の忠告聞かねぇでメリーさんバージョンのマリーさんになるの何回目!?
(あたし、マリーさん。おじさん。あのね)
気持ち悪くなったんなら、ほれ。フリスクあるぞ。
(あたし、マリーさん)
これ、違うな!
なに!? どうした!?
(あのね、おじさん。あばちゃんたちがね、あたしに柚のジュースくれたの)
ああ。婦人会で作ったヤツね。
美味しかったじゃん。子供舌のマリーさんには合わなかったか。
ほれ、フリスク。
(あたし、マリーさん。フリスクやたら食べる人は童貞だって桃さんが言ってました)
そうなんだ……。
いいじゃん、フリスク。スッとして、俺好きなのに。
まあ童貞だから別に良いけど、そんな風評被害あんの?
(あたし、マリーさん)
分かった、分かった。
何か飲み物出してやるよ。鞄の中に水筒あるから。
(あのね。おトイレってこのバスにないの?)
マジかよ!! お前! 嘘だろ!?
あんだけお漏らしネタでいじって来て、まさかまた同じ過ち犯したの!?
(あたし、マリーさん。おばちゃんたちが嬉しそうに差し出してくるから、断れなかったの)
マリーさんがいい子過ぎて泣けてくるわ!
今回はガチの悲劇じゃん! ええ、マジかよ!? 我慢できない?
(あたし、マリーさん。あと2分で着く?)
着かねぇよ!?
あと2時間かかるよ!?
(…………)
ヤメて! 黙んないで!! 不安になるから!!
よし、分かった! 気を紛らわせよう!
俺のスマホでゲームでもしたら?
(うん。そうする……)
それから10分ほど経った。
(ゔっ……。あだし、マリーざん……)
俺が悪かった!!
マリーさん、車酔いまで発症しちゃったよ!!
テレパシーで伝わって来る、このヤバい感じ!!
これね、ダメだ! マリーさんの尊厳が失われる!!
立ち上がろうとする俺の手を思い切り引っ張るマリーさん。
脱臼するかと思った。
(あたし、マリーさん。おじさんがデリカシーなさ過ぎてもう漏れそう)
だから、停めてもらおうぜ!
(は、恥ずかしいじゃないですかぁ!! あたし、15歳ですよ!? 子供じゃないんですからぁ!!)
子供なんだけどなぁ! けど分かった! 秀亀に任せとけ!!
俺は大きな声で発言しながら立ち上がった。
バスの中でのマナー違反フルコースである。
「すみません!! 俺、トイレに行きたくて死にそうです! もう、あと15秒くらいしか耐えられそうにありません!! 助けてください!! お願いします!!」
「ええ!? 秀亀くん、なんでそんなになるまで耐えてたの!? 言ってくれればすぐ停まるよ! 高速道路に入る前で良かった!! 小林さん!」
バスはたまたま近くにあった道の駅に停車した。
婦人会の皆さんが「私らもお手洗い行きたかったのよぉ」と気を遣ってくれる。
トイレの前で待っていると、茉莉子が戻って来た。
無言で俺の腕にすがりつく。
「ごめんな。もっと気を付けてやれば良かった。初めてだもんな、バス旅行」
「んーん。ありがと。おじさん」
「しょんぼりするなって! これから楽しいことばっかりだぞ!! なっ!!」
そう言って俺は茉莉子を励ました。
バスは再び動き始める。
「秀亀くん! そろそろ!」
「え? なんですか?」
「はは! 米津玄師メドレーを歌うって張り切ってたじゃない! とりあえず、アイポッドにシングル全部入れといたから!!」
茉莉子。
次に旅行に行く時は、バスじゃない移動手段にしような。
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