第31話 さようなら、マリーさん
しんみりとした空気が流れる。
茉莉子は伏し目がちにカレーを見つめて、呟いた。
「あたし。御亀村にですね。もう帰ろうと思って。おじさんには最後の日まで伝えたくなかったんですけど。あははー。分かってたんですか」
「当たり前だろ。俺が茉莉子について知らねぇ事なんかあるかよ」
エプロンを外すと、俺の背後に回ってギュッと頭を拘束された。
これは前にも経験があるヤツ。
「おじさん。聞こえますか? 胸がドキドキしてる音」
「聞こえてるよ。あとすげぇ柔らかい」
「すけべー。……あの。伝わらないかなって思って。おじさんにはテレパシーがないですけど。こうして心臓の音を聞いてもらったら。……直接、触って確かめても良いんですよ?」
「茉莉子……。言ったな? 言葉には責任を持てよ?」
「あ、ええっ!? ひゃ、ひゃい!? おじさん!? あれ!? 心が読めない!?」
「よーし。そこのソファで良い! おら! 寝転がれ!!」
茉莉子が顔を手で隠す。
俺は構わずそれを力づくで払いのけた。
「うぇぇ!? あ、えと……。や、優しくして、ください……!!」
「そりゃ無理だな!!」
俺は茉莉子の顔を両手で掴んで、顔を近づけた。
これは侯爵令嬢の。表情
目をキュッと閉じたマリーさんもなかなか可愛い。
仕方がないから、言ってやろう。
「帰るんだな。茉莉子。……連休使って! 村に里帰り!! ばあちゃんに頼んで情報リークさせて! マリーの会のみんなにまで協力してもらって!! 知ってんだぞ!!」
「ほ、ほへぇー? な、なんのことですかぁー?」
バカな子だよ!! この子は!!
旅行用のトランクに荷造りして、部屋とかそのまんまじゃねぇか!!
夜逃げスタイルで村に帰る必要ねぇだろ!!
最初から全部気付いてたよ!!
「うっ。だってぇー!!」
「あわよくば、おじさんが本気になってワンチャン、良からぬ事を企んでくれるかもじゃないですかぁー!! じゃ、ねぇんだよ!! 人を試すようことしやがって!!」
「あ、あれー? おじさん、やっぱりテレパシーに目覚めてますかぁ!?」
「茉莉子の考えてることは何でも分かるの!! その手に乗るか!!」
「あ、あー! 大学で習ってる! メンタリズムってヤツですね!!」
「心理学じゃい!!」
ソファに放り投げると「んぎゃっ」と鳴いたマリーさん。
いい加減制服脱いで、バカな田舎娘に戻りなさい。
「ふぐぅぅぅ。なんですかぁー。良いじゃないですかぁ。ちょっとくらい、茉莉子がいなくなっちまう!! って、焦るおじさんが見たかったんですよぉー」
「マジで茉莉子がいなくなるんなら、俺も一緒に村に帰るくらいの心づもりは持っとるわい!! 舐めんな!!」
「えっ? 大学は?」
「休学する。場合によっては中退。だってそのケースだと、お前東京行ってるだろ? 独りで行かせるわけねえだろ! それこそ焦って準備するわ!!」
茉莉子がおどおどし始めた。
これはレア茉莉子さん。目に焼き付けておこう。
「……おじさん。あたしのこと、ホントはどう思ってるんですか?」
「ホントも何も、頭の中をちゃんと読めよ」
「やですよ! 怖いじゃないですか!!」
「すげぇ! 読みたい情報の指定までできるんだ!? 便利だなぁ、マジで!!」
「茶化さないでくださいぃー!!」
「大規模なドッキリ仕掛けてきたヤツに言われたくない。……まったく」
珍しく、俺が大きなため息をついた。
ここらでリアクション取るだけが秀亀じゃねぇってとこを、見せてやりたいと思ってたところだ。
「好きに決まってんだろ」
「妹的な感じですか?」
「異性として」
「妹も異性ですけど」
「恋愛対象として」
「ロリコンですか?」
「バカか!! 茉莉子が何才だろうと好きだよ! ババアになっても添い寝してやる!! 言わせんな! 頭ん中読め! くそっ! だから言いたくなかったんだよ!」
「……うぅぅ! おじさぁぁぁん!! あたし、あたしぃ!! 実は、おじさんの事が大好きなんですよぉぉぉ!!」
知ってんだけど!?
それ、もったいつけて言う事!?
同居始めた初日から知ってんだけど!!
一瞬の油断だった。
結局リアクションを取らされた俺の頬に、柔らかい感触が襲いかかる。
慌てて振り返ると、茉莉子の唇が俺の頬から離れた。
「んふふー」と満足気な表情がそこにあった。
「おじさん! あたしたち、両想いなんですね!! という事は!! ねっ!! ちょっと恥ずかしいですけど! 今のは先払いです! さぁ! おじさん! 続きを!!」
茉莉子が抱きついてきた。
体が程よく柔らかくて結構だが、それどころではない。
「よいしょ」
「えっ。なんでそんな、荷物どける感じであたしをソファに置くんですか?」
「すまん。茉莉子の唇が濃厚接触して来たから、なんか具合悪い。ちょっと俺、部屋に行って寝るわ。マジか。頬っぺたにキスされると、こんなに動悸がするんだ。やべ。丸岡先生に救心持って来てもら……お……。ダメだ。茉莉子、おやすみ……」
「ええ……。嘘ですよね? あたし、まだほっぺにチューしただけですよ? ねぇ! おじさん!? あの、新菜さんに色々聞いて! 桃さんと可愛い下着買いに行って! あ゛っ! ちょっと! まさか気を失ってますか!? 思考が途絶えてる!! ひどい! 拗らせすぎですよ!? 応答してくださいよぉー!!」
翌日。
俺は高熱を出して寝込んだ。
茉莉子が学校を休んで看病をしてくれたが、終日ジト目で見られていた。
俺のそういうところも愛してくれよ。
ヒジキにそんな、燃えるような熱情求めんなよ。
準備に3年くらいかかるんだって。
◆◇◆◇◆◇◆◇
ゴールデンウイーク初日がやって来た。
これから茉莉子が御亀村に帰省する。
「ねぇ。茉莉子さんや?」
「なんですかー。ヘタレ童貞拗らせメンタル小学生おじさん」
「いつまで引っ張んるだよ! ごめんって言ったじゃん!!」
「女子に恥をかかせてぇ! しかも! まだ3日前なんですけどぉ!? なに、もう過去の事にしてるんですか!? あーもぉ! 信じられないです!!」
「それはそれとして」
「それはそれとしてぇ!?」
「なんで俺、一緒に電車待ってるの?」
「一緒に御亀村に帰省するからでしょ?」
お前が帰るって話だったじゃん!!
「おじさん……。はー。ですよ。もう。はー」
「よく見たら俺のトランクもある!! 頑張って持って来たの!? 偉いね!!」
「でしょー? 重たかったんですからね! ちゃんと、綺麗なパンツを選んで入れときました! いいお嫁さんになりますよー! あたし!!」
「うん。それで?」
「それでぇ!?」
「なんか当たりが強いな、今日の茉莉子は。いや、俺、バイトがあるんだけど」
「ぼっち警察に動いてもらいました!!」
「マジかよ! あいつ、ついに俺の許可なく仕事の管理まで!? 分かった! それは分かった!! で、なんで俺は村に帰らにゃならんのよ!?」
ぷくーっと膨らむ茉莉子のほっぺた。
久しぶりの釣り上げられたフグサイズ。
これは超レア茉莉子。
よく見ておこう。
「あたしが独りで電車乗り継いで御亀村に帰れると思うんですかぁ!? 8時間もかかるんですよ!? 絶対にどこかで迷子になるでしょ!!」
「堂々と胸を張るなよ! 鞄たすき掛けしてさぁ!! それは俺に効くんだから!! じゃあ、お前! 初めて喜津音市に来たときどうしたの!?」
茉莉子は不思議そうに小首を傾げた。
ちゃんと可愛い傾げ方覚えやがって。学習能力が高くなってんな。
「おばあちゃんにヘリコプターで送ってもらいましたけど? 隣のおっきい病院のヘリポートまで。そこから電車に乗って、おじさんには頑張って田舎から出て来たマリーさんアピールしましたけど?」
「マジかよ!! おかしいと思ってたんだよ!! じゃあ、ばあちゃんに頼んでヘリコプター呼ぼうぜ!? 俺も乗ってみたい!!」
茉莉子の頬っぺたがさらに膨らむ。
SSR茉莉子じゃん。
写真撮って良いかな。
そのふくれっ面な茉莉子は、顔を赤くして叫んだ。
「おじさんと!! ちょっとした旅行がしたいからに決まってるじゃないですかぁ!! なーにが茉莉子の事なら分かる! ですかぁ! この口から先に生まれてきた童貞!!」
「あ。そうなの? おう。じゃあ、帰ろうかな。……駅弁買う?」
ぶすっとしたまま、茉莉子は答える。
「マリー・フォン・フランソワが口にするに相応しいものを所望しますわ。おじ様」
「はいはい。仰せのままに。……安いなー。マリーさんのご機嫌。助かる!」
見栄っ張りで都会に憧れる夢見がちな、ちょっとアホのマリーさん。
その正体は、小松茉莉子。
俺にとって、唯一無二の女子なのである。
こういう時だけしっかりと頭の中を読み取られて、にんまりとご満悦な表情を見せられると、もう守ってやらない理由を探すのは困難を極める。
だから、これから先も、ずっと。
俺はこいつの傍にいる。
————完。
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