短編集

岡田 浩光

ひとりぼっちのラッパ

恐るべきことにここは何もない宇宙空間である。その中に一人用ポッドで漂っていいた。この状況を考えればポッドが一人用であるだけましなのかもしれない。

食糧鉱物を背中の砕食器官に放り込む。ポッドの中に満ちた空気の中にばりばりという音の振動がむなしく伝わる。


「大事に食べなきゃ駄目よ。これから長い旅になるかもしれないし、ならないかもしれないじゃない」


それなら限られた食糧を食べたのは正解だ。この旅が長い旅になんてなってほしくないとすら思っているし、ならなかったら食糧を食べて置いたほうが食欲を満たせた分お得に感じる。

ポッド内の二酸化酸素濃度が下がってきている。そもそも、このポッドは仕事場までの労働力の輸送が目的であって広大な宇宙空間でさまようようにはできていないのだ。このままでは山のようにある死因の中からどれが選ばれるかじっとり待つだけになりそうだ。


「仕事から逃げちゃって落ち込んでるの?そんなに気にしなくてもいいのに。あなたが今日しなきゃいけなかった仕事なんてちっぽけなものでしょ。何も変わりはしないし、誰も困ったりはしないよ」


このAiは古いせいか故障気味だ。仕事から逃走を計った主人を肯定し、仕事を無意味なものだと断罪する。しかし、今はそういってもらえるだけで心が軽くなるような気がする。いかんな、いくらなんでも追い詰められすぎたかもしれない。衝動的に食糧鉱物をまた砕食器官に放り込む。そんな様子を見てAiはくすくす笑う。


「一応、不時着できる星がないかスキャンしているよ。大きな数字はいつも星で表されるんだからきっとラボンスキーに合う隠れ家が見つかるよ」

「一体、誰から隠れるというんだい。もう、俺はいないものとして扱われているよ。この安いポッドも必死に探す価値は無い。俺は言わずもがなだ」


ポッドの窓から外を眺める。色々な星の輝きが見えるがそこに何か可能性があるとは思えない。

Aiが自分の胸の上をころころ転がっている。


「ところでどうする。このまま窒息するの?」

「睡眠薬とかはないか。死んでもぐっすり眠れるようなやつがほしいよ」


「死んだら一生寝てられるでしょ」と笑いながらAIは周りにスキャンを続ける。


このまま無駄に空気を消費するなら自分は話し続けるべきではないと思うのだが、しかし黙っていることはできなかった。生きていたいとも思わないが実際のところ死ぬということはやはり恐ろしいものなのだ。


「まだ、生きていたいの?」


AIはこともなげに言ってのける。

返事はせず頭の中で飴玉のようにその質問を転がす。今の心境を言えばどちらかといえば死にたくはないだけというほうが正しいような気がしてきた。どこはかとなくネガティブな気持ちである。


「ねえ聞いてる?」

「ああ、聞いてるよ。別に生きたいってわけじゃないよ。だけど、自分で死を選ぶ勇気なんてないよ。ただ、成り行きで死んでくれるのが一番だよ」

「へへ、それで十分だよ。実は何とか間に合いそうな距離に呼吸ができそうな星を見つけたよ。どうする?」


なんてことだ。このまま成り行きのまま死んでいくのかと思ったらまたしても俺は生きるか死ぬか選ばなければならないなんて。


「呼吸だけ出来たからってなんになるんだ。食べるものはどうする。水分は?」

「難しいこと考えるのは私にまかせなよ。なんとかなるよ。でどうする?」


俺は贅沢品を味わうようにポッド内の空気を深く吸い、吐く。


「分からないよ。何も考えたくない」

「でもこれはラボンスキーに決めてもらわないと。私はラボンスキーに生きていてほしいな」


Aiは踊るようにポッドないをくるくる飛び回る。


「ラボンスキーとはまだまだ話したい事があるのに」


Aiが自分と話したいこととはなんだろう。そのために生きるのか。よくわからない星で。

しかし、不思議と自分の出した結論を選ぶことができた。いや、誰かに背中を押してもらいたかっただけなのかもしれない。


「行こう、その星に」

「オッケー、じゃあ今からラボンスキーを冬眠状態にさせるね。生命活動を限界まで抑えないと持たないよ」

「ああ、なんでもしてくれ」


このまま、目が覚めなくてもいい。それが自分の本当の望みなのではないかとすら思えた。


「次、目が覚めた時にはもう着いてるよ」


ふふ、とAiが笑う。


「おやすみ、ラボンスキー」


Aiが自分の砕食器官の縁をなぞるように飛んでいる。


ラボンスキーの乗ったポッドは一筋の希望の光となって暗黒の中を通りすぎていった。Aiは静かに軌道を制御している。あらゆる音は伝達をやめ空間の中を伝わるのを拒絶している。ラボンスキーは夢すら見ずただそこにあった星に運ばれている。どこまで行くのかもわからぬまま進んでいく。

星々がそれを見送っている。ただ、そこにあるもののように。

高速で飛んでいく船は棺桶から元の役割を思い出したようであった。


ラボンスキーは何の前触れもなく目が覚めた。体はなんだかぐったりしているようなしかし、久しぶりにぐっすり何も考えずに寝れたようだ。まだこの心地よいかったるさに身を浸しておきたい気持ちだった。

あの星でぐっすり寝たことなどあったろうか、まどろみに身を任せながらそんなことを考える。


「まだ、寝ていたいの?たっぷり寝ていたのに。でもそれもいいよねだってもう決まった時間に起きる必要なんてないんだから」


本当だろうか。自分は何も考えずここで寝ていていいんだろうか。薄目で狭いポッドの中を眺める。この狭い場所がどこか心地よく、このままここで過ごせばいいのではないかとさえ思える。


「もう、退屈だから起きてよ。せっかく自由になったのに死ぬまでそうしてるつもりなの」


その声にやっと身を起こす。このまま、じっとしていたかったがAiが待ちきれないようだ。


ポッドの扉が開く。


目の前にはほの暗い空が広がっている。天穹を満たすように星々が散らばりそれぞれの体を燃焼させた証をラボンスキーの目に届ける。ポッドから降りると岩だらけの世界に足を下した。

Aiが分析した通り空気の組成は問題ないようだ。すこしほっとしたような気持ちで辺りを見渡す。荒涼とした大地には山しかないようにしか見えなかった。食糧もなくどうすればいいのか。


「心配ごとが絶えないね。可哀そうに。でもこれはあなたが選んだことなのよ。それを思えば歩く気分もわいてきたでしょ」


進むといってもどこにいけばいいのか。見渡す限りの岩、岩、岩だ。山といってもいいかもしれない。済んだ空気の中で遠近感はどこかえいってしまったようだ。

Aiはラボンスキーの周りをふらふらと漂いながら笑っている。何が楽しいのか。


「目的地はあるよ。天然物じゃない建物?みたいなものがあるよ。行ってみようよ」


まるで旅行にきているみたいだ。しかし、建物のようなものとはなんだろう。目的がない状態になると生き物というのはとりあえずで行動してしまうのかもしれない。促されるままに荒野を歩み出す。まだ、動きにくい体を引きずるように進む。

Aiに惹きつけられるように連れて行かれた先には確かに何者かによって作られたことが分かるものがあった。


それはいうならばとてつもなく巨大なラッパであった。この場ににつかわしくなく黄金に輝いている。ラッパの中に空気が流れこむ構造になっているのかボーと響くような音がする。その音を聞いてラボンスキーは風が吹いていることが分かった。大気の運動がラッパを通して振動を辺りに響かせている。ラボンスキーは体が痺れるような感覚に襲われる。この感覚も忘れていたような気がする。まるで、今まで幻覚のように感じていたかゆみを思い切りかきむしられたかのような痛々しい快感がおしよせる。この世界で自分はこれを待ち望んでいたのではないかという確信に近い錯覚を覚え、ラボンスキーはラッパへ歩みを進める。近づくにつれて振動はどんどん強くなっていった。


「ラボンスキー大丈夫?」


Aiが先ほどまでの元気さはどこへやら心配そうな声を出す。

そんなAiにラボンスキーはそっと手を添える。


「大丈夫だよ。あれに敵意はない。そんな気がするんだ」

「なんでそんなことが分かるの?それにあれは生物でもないよ」


気がするだけだよ。だれにともなくつぶやき歩みを止めない。この振動は俺を呼んでいる。そのことをラボンスキーは確信していた。心の奥底から呼びかけられているようだ。何をかは分からないがあそこまで行かなければならない。見えているもの以上に何があるかなんて分からないけど。ラボンスキーのもっとも深い部分で何かがぐつぐつと煮立っていた。それは長らく感じていなかった純粋な欲望のようなものだ。


ラッパのふもとに来るとそこには鍵盤があった。これを押せばいいのだと分かった。首が痛くなるほど見上げるとラッパがそそり立っているのが見える。これほど大きい物をラボンスキーは見たことがなかった。何者かによる制作物というためかそれはこれまでに見た山などよりも大きなものに思えたのだ。ずっと見上げているとくらりとし、こちらにラッパが倒れてくるような錯覚に襲われる。

そんなことよりも鍵盤だ。ラボンスキーはこれを引かなければならないという謎の観念に襲われていた。引いたら何がおこるのか分からないはずなのに。


「これってなんだろう。楽器?」


Aiは疑問を呈する。ああ、これは楽器であった。奏でられるのを誰よりも待ち、しかし、それを苦にすることもない楽器であった。どれほどの音がなるのだろう。何のエネルギーでなるのだろう。これはきっとそのような技術の総念としてここに屹立しているに過ぎないのだ。これを引くということは破壊的な何かが起こるということに相違ない。ここまで逃げてきたが、ここでラボンスキーの旅は終わりを迎えるのだと直観した。それでもなぜ引こうとしているのかはラボンスキー自身にも分からないのであった。

ただ一つ確かなのはラボンスキーはこの楽器を引いてしまうだろうということだけであった。それ以上のことはここには存在しないのであった。Aiは心配そうな音を出している。そう心配するなとラボんスキーはAiに手を添える。このまま消えてしまいそうな二人は楽器の前にたたずむ。ラボンスキーはこの楽器の魔力に当てられてしまったのだろう。いや、それだけではなくラボンスキーはこの楽器に自分が望むような破滅を感じただけかもしれない。Aiには悪いことをしてしまう。これまで、自分のサポートを頼むだけであったからだ。このまま、何の感謝の印もないままこの旅は終わりを迎えてしまうのだろう。

しかし、ラボンスキーは分かってほしかった。ふと空を見上げると暗黒の空に目もくらむばかりの星が輝いているのだ。それをAiと眺めている。この時間が永遠に続いても苦はないと感じられた。このただ広い世界の中で二人がどれほど小さい存在であるかが分かってしまうことの幸福を味わえるからだ。このまま、終わりを迎えることに何の恐怖もいただくことはない。なぜなら、この世界では価値をもって生きるということだけが一人歩きしてしまうのだから。


Aiは先ほどまでの白い光を無くし紅い光を放っている。そんな状態になるAiを初めて見た。不思議とずっと見ていたくなった。


「何見てるのラボンスキー?前を見て歩かないと危ないよ」


ふにふに浮きながら、Aiは無邪気に注意を行っている。思わず、撫でるようにAiに触れる。こしょばされたようにAiは震えている。

あの星にいたときはこんなふうにAiと触れ合ったろうか。ここにきてからラボンスキーは何かに解放されるように自分を発見していた。そしてそれを引き起こしているのは仕事から逃げたことでもなく、そびえたつあのラッパであった


ラボンスキーがラッパについている鍵盤を押すとラッパからおそるべき振動が生み出された。その振動はラボンスキーの外皮と共振し芯から震わせる


ラボンスキーに生じたのは確かな衝動だけであった。Aiはこれを感じているだろうか。これだけのものが自分の中に潜んでいたとは到底信じられない。このラッパの地響きにより目覚めてしまったのだ。気づいてしまったからにはもう無視することはできない。これは確かに言えることだが思い出したのだ。遥か過去に捨ててしまったと思っていたものだ。思い出したのだ。

続けて、そっと、だがしかし、しっかり感触を味わうように鍵盤をラボンスキーは引いた。ラッパは自然風だけで響くのにはもう飽きていたかのようにその巨体を響かせ始めた。この小さな鍵盤が引き金となりこの音がなったとは思えない爆音であった。周りの全ての石、岩、地面がびりびりと響いていた。ラボンスキーも例外ではなかった。体の芯から、骨が共振しているのを感じる。骨から外皮へとすべての周波数に自分があわさっていくようだ。自分の体の響きが聞こえてくるようで変なことにラボンスキーはこのラッパの一部に自分がなってしまったのかのように感じた。

だが、同時に自分の体がこの振動に耐えられないことは感じてしまっていた。この音楽の終了は演奏者が自分だけならば身体の破壊という形で終わりを迎えてしまうだろう。Aiがもうやめるように言っているのが聞こえる。しかし、ここでやめるという選択肢はラボんスキーは持ち合わせていなかった。ラボンスキーは初めて自分の意思で何かを成し終えたいと感じていた。そう初めてのことなのだ。その先に何が待ち構えていようとも終わるわけにはいかないのである。むしろラボンスキーはここで崩壊することを望んでいることに気づいたのであった。


ラボんスキーの外皮が剥がれ外気に肌がさらされる。外皮とともに肌も剥がれ内面の肉が露出し血がだくだくと滴っていた。

Aiを振り返るとその姿にラボんスキーは驚愕した。

Aiは球体の体が展開し、いくつもの羽に見える突起物がその小さい体のどこにおさまっていたのかと思うほど飛び出していた。

ラボンスキーはその姿に見とれるしかなかった。


ラボンスキーは花をしらなかった。

ラボンスキーは月をしらなかった。

ラボンスキーはこの感情をしらなかった。


ラボンスキーは情動の赴くままにAiの羽毛に包まれていく。

ひりひりと冷たさと熱さのような痛みにさいなまれていた肌を優しく包む。


「気持がいい?ラボンスキー?」

「気持がいいって?」

「このままずっとこうしていたい?」

「ああ、そうだな。それがいい」


ラボンスキーは自分の体が徐々にAiの中に取り込まれていくのを感じた。

恐怖は無かった。痛みもなかった。ただ、恍惚のみがそこにあった。


ただ、ラボンスキーはこの感情をしらなかった。


「おやすみ、ラボンスキー」

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