⑪義兄の記憶は結構都合良く変わっているんだと

「お義兄様は亡くなったお母様の写真を常に持っていたと聞きましたが、先生は見たことがありますか?」

「うん、まあ、そこなんだよね」


 先生は苦笑した。


「カイエさんを初めて見た時、どっかで見たことがある人だなあ、とは思っていたんだよ。あ、結婚式の時に居たことは後で気付いたよ。トリールさんの親友なんだから。ただその時はまだ百貨大店の売り子やってた頃っていうから、持っていた服も割と今風のものらしくて、印象が違ってたから気付かなかったんだ」

「印象」

「そう、印象。それがうちに連れて来られた時には、一度結婚したせいか、前の旦那の喪の流れなのか、地味になっててね。で、その時はっとしたよ。オネストの母上に雰囲気が似てるって」


 そう言えばそうかもしれない。

 私達は割と普段の付き合いから、外見の変化はそんなものか、で流してしまうかもしれない。

 中身が同じであれば、その人がたまたま違う格好をしたというだけなのだから。 だが外見がまず第一印象で大切な男性側からしてみれば、この変化は大きいのだろう。

 そう、きっと結婚式の時には祝い事のために派手な髪型、明るい色の服でで楽しそうにお姉様ときゃっきゃと笑い合っていた姿ならあまり気付かなかっただろう義兄も、葬式の後の沈んだ様子とか、既婚者のまとまった髪型とか、色味の落ち着いた服を身に付けていたならば。


「私の知っているカイエ様は、女学生時代はよく笑う明るいひとだったんですけど」

「うん、そうかもしれないね。だからまあ、思い込みなんだろうねえ」


 先生は苦笑した。


「僕はさ、こういう職業柄、女性ばかり相手にしなくちゃならないじゃない。と言うか、そもそもそういう家の生まれだと、常に女の人が出入りするし、看護婦も入れ替わりはあっても何人か居るし、……まあ、女というものに彼奴の様な夢は持てなくなるねえ」


 ははは、と私は乾いた笑いを漏らすしかない。


「あーそれは俺も思いますよー。うちはきょうだいが男二人に対して女四人で。兄貴が家継いでくれるんで俺はマルミのとこに婿に行くって言ったら喜んでくれたんですがね。ともかく女をガキの頃から散々近場で見て育ってくると、夢もへったくれも無くしますねえ」

「面白いことを言うねえ、じゃあマルミュットさんは君にとって何なの?」

「滅多に居ない女子! 話がぽんぽんできる女性ってのは、本当に俺には滅多に居ませんからね! いやもうこれは逃してはいけないと」


 私は軽く拳骨で彼の頭をはたいた。

 それ以上言わせるとこっちの羞恥心が保たない。


「いいじゃないか、別に」

「言われ慣れないこと言われるとじんましんが出そうになるんですよー」


 ぷっ、と先生は吹き出した。


「そうだなあ、僕もそういう女性だったら結婚できるのかもなあ。うん、何となく希望が持てるよ」

「え、女嫌いってことだったんですか?」

「産科ってとこにはねえ、結構女性のえぐい本音も出てくるからね。一方で男の身勝手にしたことも聞くんだけど。こっちを信用して話してくれるのはいいんだけど、やっぱり色恋沙汰のどろどろした結果というのは、受け流す様になるまで時間がかかったよ……」


 先生は遠い目になった。


「あ、でも思ったんですがね、オネストさんってのは、大家族で育ったんでしょう? 何でそれで女嫌いにはならかったんですかね」

「そこだよね」


 先生は人差し指を目の前に立てた。


「そこで写真の亡くなった母上なんだよ。綺麗な人だな、と僕も思った。で、彼奴が言うには、相手の素性は絶対に言わずにひたすら思っていた、って」

「いやそれ、向こうの人達から言わせれば、別に父親が誰でも子供は育てるよ、ってことだったんですが」


 私は向こうで聞いた話を付け加える。


「さてそこだ」


 先生は苦笑する。


「事実と記憶というものは、結構簡単に頭の中で変化するんだよ」

「変化、ですか」

「そう、それも都合良く。産科医の僕からしたら、そういう母上の話って、要するに田舎にやってきた都会の男から遊ばれて捨てられただけなんだよね。それで女性の方も、引っかかったちょっと甘い言葉に弱いお馬鹿さん」


 そこまで言うか、とふと顔が引きつった。

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