⑩お互いの気持ちを知ってしまった二人

「あの方…… オネスト様がある日、私を仕事の後で話があると切り出したの」

「お義兄様が」

「上司から勧める様に言われたみたい。私の部屋で娘と子守がいるだろうし、と喫茶室の個室へと案内されたわ」


 喫茶室の個室。

 大きなそういう店にはある程度設置されている。

 もともとは祝い事の貸し部屋ということで開放されていたのだが、最近では別の使われ方が多いとも聞く。

 様々な話をするのが喫茶室だし、大概は客同士の話は聞こえない様な距離だの衝立だの植物だのがある様だけど、それでも更に内密な話をする時には個室が使われることもある。

 最近では案外ちょっとした相談事に気軽に借りる人も多いとか。


「そこで縁談をどうして受けないのか、と私、オネスト様に問われたの」

「何と答えたのですか?」

「当初は今は再婚する気が無い、と」

「当初は」

「でもあの方は、どんどんその縁談の良さを並べ立ててくるのね。だけどその様子が何処か苦しそうで」

「苦しそう」

「しかも私からだんだん視線を逸らしていくし」


 そんな押し問答の繰り返しが続いたのだという。


「そこで私、つい訊ねちゃったの。どうしてそこまで私に勧めて下さるのか、って。私がこれだけ拒んでいるのに、と。そうしたらあの方、つと顔を上げてこうおっしゃったのよ。『そうすれば僕の心がもう揺れることが無くなる』って」


 ああもうお義兄様!

 私は思わず自分の顔が微妙にこわばる笑顔になるのを感じた。

 いやそれ、素直にも程があるでしょう、と。


「……それで?」


 ひきつる口元を何とか落ち着かせながら、私は続きを促した。


「私は驚いたのよ。確かに凄く親切な方だけど、そういう目で見てくださっていると思っていなかったから…… いえ、そうじゃないわね、私自身、あえてそう見ない様にしていたんだわ。だってそうでもないと、ついつい目で追ってしまったりしかねない……」

「つまりその時既に、カイエ様はお義兄様のことを」

「お世話させていただいている時、私とても幸せだったのよ。一週間とかそんなものであっても、あの方と夫婦になった様な気分になって。でも家の様子を見ると、どうしてもトリールの気配が満ち満ちしているし」

「それは当たり前でしょう」

「それでもトリールはあまり気付かないことがあるから、つい、ぺちゃんこになっているクッションを作り直して持ってきたりもしたの。そういうことに気付いたら喜んでくださるし、つい」


 思わず私はため息をついた。


「それでカイエ様は、お義兄様のその言葉にどう返されたのですか?」

「……だから私はまずは何を言っているのか解らない、という風を装ったわ。でも駄目ね、個室とはいえ、お話をする喫茶室の距離というのは、嘘をつくには近すぎるわ」


 つまり。


「一度口にしてしまうと、オネスト様は止まらなかったの。私がふらふらとした立場でいると、どうしても気持ちが私の方に揺らいでしまうって。曖昧な言い方から、どんどん直接的なものに変わっていったの」

「それで断り切れなかったと?」

「……そういうことになるわ。だって、私自身抑えきれなかったんですもの。手を取ってくるあの方の動きに抵抗できなかった……」


 そう言うとふっ、と目を伏せる。

 その時のことを思い出しているのか。

 しかしまあ、確かにこの風情だ! きっと女学生時代にも、さぞ様々な同級生なり上級生を惑わせてきたに違いない。

 まあお姉様が常に一緒に居たから、下手なことは起きなかったのだろうが、その代わりこのひとは妙に無防備になってしまっていたのかもしれない。


「それで、手を引っ張られて?」

「……嫌だわ、それ以上言わせないで。でも喫茶室ですもの。そんな…… いろいろとあからさまなことはなさらなかったわ」


 ですよね。


「ではその後に、あからさまなことがあったということですよね?」

「……残酷な方ね、マルミュットさんは」

「そこは許可を出したお姉様を恨んでくださいな」


 私は更に促した。

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